第3話 戸部家の人々
終業時刻の六時になってもまだ空が明るい。
冬が終わったって実感する。
大映通り商店街を歩く人を縫うようにして自転車をこいだ。
「大魔神君、また明日。」
家に着いた時には空は真っ暗になっていた。
「妹よ、今日も勤労、ご苦労でござった。」
庭掃除していた貴志お兄ちゃんが竹箒を振り回している。
「だたいま。お兄ちゃん。」
「妹よ、無灯火運転はいかんぞ。自転車事故の原因の二十二パーセントが無灯火だ。かわいいい妹の身に何かあればお兄ちゃんは悲しいぞ。」
さっきまで空は明るかったのだ。貴志お兄ちゃんはお父さんが死んでから、あたしの保護者みたいに振る舞うのだ。
でも、ここは素直に謝っておく。
あたしの家は嵯峨野、広沢の池のほとりにある料亭「広沢亭」なのだ。
昔は料理旅館だったから今でも宿泊もできる。「いちげんさんお断り」だから、お客様からの紹介の無い方はお断りしている。
こうすると客筋が良くなるそうだ。確かに上品なお金持ちのお客様が多い。
月曜日の広沢亭はお休みなのだ。いつもならお客様で賑やかなんだけど、月曜日だけは静かだ。
家族そろって晩御飯を食べるのも月曜日だけ。今日はカレーの日なのだ。お店が営業している日は板前さんが作った
月曜日だけは違う。
お母さんの手料理なのだ。お母さんの手料理のレパートリーはカレーとハンバーグだけ。これが交互に出てくるから月曜日のメニューは訊かなくても分かるのだよ。
でも、ちょっとだけうれしいのが月曜日の夕食なのだ。
自分の部屋にカバンを置いて居間に行くとカレーの匂いなのだ。お母さんが台所でカレーを作っている。貴志お兄ちゃんのお嫁さん、冨江お義姉さんがお膳を拭いて夕食の用意をしている。
「あれ、今日はお休みなのに二人とも着物姿なのか?」
「今日はね、お泊りのお客様があるんどす。」
富江お義姉さんがいつものちゃきちゃきした口調で言った。
先週の土曜日からご宿泊のお客様が一週間ほど逗留したいと言い出したそうだ。月曜日は食事は外で食べるから素泊まりでいいということだ。
「なんかすごくお気に召されたんだね。」
あたしがそう言うと、富江義姉さんはにっこりして、
「恐れ入ります。」
と言った。
うちのサービスの良さを誇りにしているのが富江お義姉さんなのだ。
貴志お兄ちゃんが手を洗って居間に入って来た。家族団らん、カレーでござるよ。お母さんのカレーはジャガイモがゴロゴロしている。
「ちょっと水っぽないかしら。京子、どうや?」
お母さんは週に一度しか料理しない人だから、出来具合が気になるみたいだ。
「これはこれで美味しいのだよ。明日の二日目のカレーはドロドロに煮詰めて味の違いを楽しむからね。」
「二日目のカレーか、あれほど意義深いものはない。」
貴志お兄ちゃんが目を閉じてドロドロカレーに思いを馳せている。
後片づけは富江お義姉さんの受け持ちなのだ。
この時間だけはお母さんといろんな話をする。会社のこととか友達のこととか、お母さんに聞いてもらうのだ。
貴志お兄ちゃんが時々ちゃちゃを入れてくる。お兄ちゃんもあたしの話が凄く気になるみたいなのだ。もう二十歳なんだから、いつまでも保護者顔しないでほしいのだけのね。
「お客様、お帰りでっせ!」
富江お義姉さんが台所から顔を出した。お母さんもお義姉さんもエプロンを外してお迎えに行った。女将と若女将に早変わりなのだ。
テレビを観ていると台所から香ばしい匂いが漂って来た。お兄ちゃんがスルメを焼いて、お銚子を温めている。
燗酒とするめで晩酌か。
あたしもちょっと欲しいのだ。お兄ちゃんにおねだりするのだよ。
あたしも台所からぐい飲みを持ってきて、お兄ちゃんの前にそっと差し出す。ここはカワイイ妹らしく控えめに差し出すのがコツなのだ。
お兄ちゃんはギロリとあたしを一瞥して
「もう二十歳やもんな。」
と言ってお酌してくれた。
ぐい飲みを傾けて「くぴっ」っとお酒を飲むと、お腹が暖かくなって幸せな気分になる。
お兄ちゃんはあたしがお酒を飲むのにあまりいい顔をしない。
あたしの三つ上の典子お姉ちゃんが、すごいお酒飲みだったからだ。いつも「典子のようにだけはなるな」って言ってる。
あたしたちは三兄弟なのだ。貴志お兄ちゃんはあたしよりちょうど十歳上、それから七つ下に典子お姉ちゃんがいる。あたしは末子なのだ。
貴志お兄ちゃんは広沢亭の跡取り息子なのだ。ほとんど仕事しないけどね。
大学生の時、小説を書いて東亜ミステリー文学賞を受賞した。
広沢三喜雄のペンネームでデビューして、最初は注目されたけど最近はぱっとしないみたい。
本人に言わせると「私の『陰陽師探偵シリーズ』はマニアに根強い人気がある。」ということらしい。確かに年に二冊くらいの本を出し続けている。
暇だからお店の手伝いをすればいいのに、何かと理由をつけて外出する。
本人曰く、なんだけど、
「遊んでいるわけやない。西にイベントの企画あれば、行って尽力し、東に町興しで悩んでいる商店街あればアイディアを絞り出す。」
ということらしい。
「京都のお祭り男」って呼ばれてる。
富江お義姉さんは五年前に嫁いできた。
最初は「貴志さんの才能に惚れましてん」って言ってたけど、最近は「わたしは広沢亭と結婚した」って言ってる。
竹を割ったような性格で、いつもカラカラを笑ってる。お母さんとはすごく仲がいい。
三年前にお兄ちゃんが働かないのに業を煮やしてお義姉さんが大激怒する、という大騒ぎがあった。
お兄ちゃんは土下座して謝った。あれからお風呂掃除と庭掃除はお兄ちゃんの仕事になった。
「あんたー、お客様がお呼びや。」
暖簾の間からお義姉さんが顔を出した。
「へいへい、ではお座敷に参ろうか。」
お兄ちゃんは時々、お客様のお相手をする。歴史とか地理とか宗教とか、それから戦争の話なんかにも詳しいから、インテリのお爺ちゃんなんかに話を合わせるのがうまいのだ。
本人は「高等太鼓持ち」って言ってる。
お兄ちゃんが居なくなった、ということは・・・
へへへ、このお酒はあたしのものになるのだ。お兄ちゃんは知らないけど、あたしも相当イケる口なのだよ。
居間にはいつものようにあたし一人になった。
子どもの頃はお父さんがいた。お父さんは映画俳優だった。チョイ役の大部屋俳優だけどね。よく時代劇で斬られ役をやってた。
お兄ちゃんと一緒で、家の仕事をちっともしなくて、広沢亭は女将であるお母さんが切り盛りしてた。
よく映画に連れて行ってくれた。アニメや子ども向けの映画でもお父さんは感動的なシーンになると泣いていた。
DVDで「大魔神」も観たんだよ。
女の子が悪い奴らにイジメられると、埴輪みたいな顔の大魔神君が怖い顔に変わるのは怖かった。でも、大魔神君は悪い奴らをみんなやっつけてしまうのだ。
お父さんは、小さかったあたしを膝に抱いてよく言ってた。
「戸部家の男は普段は役立たずかもしれないが、女たちが困っているときにはいつでも強い味方になるんだよ。」
それから大魔神みたいに腕で顔を覆って、ゆっくりと怒った顔をあたしに見せた。あたしはお父さんの顔が面白くていつも笑った。
お父さんは、あたしが中学生の時に死んだ。
癌だった。見つかった時には末期に入っていて手の施しようが無かった。
最後はがりがりに痩せて、とても可哀想だった。
お葬式には撮影所のみんながお焼香に来てくれた。
すごいたくさんの人が来た。有名な俳優さんなんかも次から次に来てくれて、お父さんの冥福を祈ってくれた。
あたしはその時、はじめてお父さんが撮影所でどんな仕事をして、どんなに仲間たちに慕われていたかを知った。
お兄ちゃんのペンネーム広沢三喜雄はお父さんの芸名だった。だから「二代目、広沢三喜雄」が正式名なのだとお兄ちゃんは言っている。
形は違ってもお兄ちゃんはお父さんの意思を引き継いだのだ。戸部家の男として。
ひとりでテレビを観ていてもつまらない。いつものお笑い芸人が、いつものネタをやっている。イケメン俳優が出ているドラマも空々しくて嫌いだ。
昔はお父さんと一緒に時代劇を観た。典子お姉ちゃんも時代劇が大好きだった。「水戸黄門」とか「遠山の金さん」とか。今ではテレビ時代劇って無くなったんだよね。なんか寂しい。
そうだお兄ちゃんが帰ってくる前に、このお銚子とスルメを接収して典子お姉ちゃんの部屋に行くのだ。典子お姉ちゃんの部屋は賑やかで楽しいのだ。
典子お姉ちゃんの部屋は本棚が並んでいる。歴史小説とか戦国武将の本とか、女の子らしくない本ばっかりだ。
本棚の真ん中には戦国武将のフィギュアが並んでいる。伊達政宗君に真田信繁君、こっちは上杉謙信君なのだ。その他にもいっぱいあるけど、お姉ちゃんの影響であたしにはみんな分かるのだよ。なぜか戦国武将たちのなかにガンダムがいるのはご愛敬だけどね。
反対側の壁は戦国武将のポスターで埋め尽くされている。ポスターのなかの戦国武将はみんな美形だ。
お姉ちゃんは小学校三年生の時、大河ドラマにはまって歴史好きの歴女さんになった。戦国武将に影響されて、
「あたしはこれから義によって立つなり」
なんて言い出した。
学校で「いじめ」があると聞くと、お姉ちゃんは「いじめっ子退治」に行った。どんないじめっ子も、お姉ちゃんは口喧嘩で泣かせてしまうのだ。みんなの前で泣いてしまったいじめっ子は、もういじめっ子じゃいられなくなった。
お姉ちゃんとの遊びはいつもチャンバラごっこだった。自転車を馬に見立てて広沢の池の周りを走り回った。お姉ちゃんはどんどん遠くへ行ってしまう。あたしは「ひーこら」言ってついていく。
高校二年生の時、カレーを食べていたお姉ちゃんがスプーンをくわえたまま突然叫び出した。あたしはお姉ちゃんの頭がおかしくなったと思ったほどなのだ。
「そうかー、分かったなり! 歴史も語学も数学も、みんなつながってたなりー。」
それがどういう意味なのが分からなかったけれど、その日をさかいにお姉ちゃんの学業成績はみるみる伸びていった。
東京名門大学に合格して、あたしが高校生になると家を出ていった。
卒業して外務省に勤めたかと思うと、戦国武将評論家になって本を書いたりしていた。今は中国で歴史の研究をしているのだ。
典子お姉ちゃんも、貴志お兄ちゃんも、富江義姉さんも、それからお父さんも、みんな好きなことがあって、好きなことを仕事にしてる。あたしは何が好きなのかも分からない。好きなことがあってもそれを仕事にできるほど頭良くない。スルメかじって、お酒飲んで、ちょっと幸せな気分になって満足してる。
部屋の隅には真田信繁の鎧兜が置いてある。もちろんレプリカだけど鮮やかな赤備えでカッコいいのだ。
お姉ちゃんが成人式に着ていった鎧兜なのだよ。
お母さんが、成人式の晴れ着を買いなさいって渡したお金で、お姉ちゃんはこれを買って来たのだ。
あれは面白かったなー。
成人式に真田の赤備えに身を包んだ女の子が現れたのだ。
式では最前列に陣取って市長さんの挨拶を聞いていた。鎧兜がガチャガチャ鳴って、市長さんが迷惑そうにしてた。
その日の成人式のニュースではお姉ちゃんが注目の的だった。
「成人式は、赤備えで出陣なりよ!」
マスコミのカメラに取り囲まれたお姉ちゃんの後ろの方で、金色の羽織袴を着たヤンキーの男の子が寂しそうにしてた。
あたしはお母さんの着物を借りて成人式に出た。
振袖じゃないし、地味な着物だったけど、そのほうがあたしらしいような気がした。でも、凄い高級な着物だったらしい。お母さんが、あたしの成人式のために選んだ着物だったのだ。
「くぴくぴ」飲んでたら、お銚子が空になってしまったのだ。少し眠くなってきた。今日はお姉ちゃんの部屋で寝ようかな。
押し入れからお姉ちゃんの布団を出してくるまった。お姉ちゃんの匂いに包まれていると、あたしも少し強くなったような気がする。
夢の中で、真田の赤備えに身を包んだお姉ちゃんが、腕組みしてにまにま笑っていた。
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