第30話 面接開始

 私は戸部社長の涙の意味が理解できた。

 彼女は古い自分を脱ぎ捨てようとしている。

 自分の役割と能力に目覚めつつあるのだ。


 私や貴志君の母校、京都学院大学は衣笠山のふもと、西陣からは目と鼻の先だ。そして、京都学院大学には夜学がある。働きながら学ぶには絶好のロケーションだ。

 しかし、京都学院大学の夜学は誰でも入れるわけではない。偏差値五十五くらいは必要だったと思う。

 大学に行くからには、できるだけレベルの高いところに行ったほうがいい。

 授業のレベルだけではない。友達同士の話題も、キャンパスに流れる様々な情報も偏差値に応じて変わってくるのだ。

 大学で学ぶということは、単に授業に出て先生の話を聞いて憶えるといったたぐいのものではない。

 あらゆる交流を通じて知の世界に触れることなのだ。


 戸部社長が就職したとき、嵯峨高校の成績表を提出していた。成績はかなり優秀だったようだ。

 だが、残念なことに英語が苦手のようだ。数ヵ国語を操る典子さんに比べて、姉妹でこうも違うのかと思うばかりだ。大学入試には必ず英語がある。

 そのかわり、数学に強い。文系にもかかわらず数ⅡBまで履修していた。文系ではトップクラスの成績だろう。残念ながら、数学は文系の入試には使えない。

 国語、社会、理科は平均を上回っているから、ここに賭けるしかないということか。

 京都学院大学の入試は文系で英語、国語、社会なのだ。理系にしても英語、数学、理科だ。少し厳しいかも知れない。

 それなら身の丈にあった大学を選べばいいだけだ。

 学びたいと思う心が大切なのだ。


 典子さんになだめられて、泣き止んだ戸部社長は、

 「大学に行ってもいいのか?」

 と、私に訊いた。

 「行くべきだ。」

 と私は答えた。

 「今、うちには大学教授が泊まってるなり。大先生に相談するのだ。餅は餅屋なりよ!」

 典子さんは、そう言って戸部社長を連れて帰っていったが、餅は餅屋とはどういう意味だろう。

 戸部社長にはしばらく受験勉強に励んでもらおう。

 河原町店は我々でやるか!

 私がそう言うと、黒澤君と和田店長が大きくうなずいた。



 履歴書はそれからも続々と集まってきた。

 履歴書の中から良さそうな人材をピックアップして面接に入った。

 西陣の町屋では毎日、数人の面接が行われた。


 「副店長は彼に決まりですね。」

 黒澤君は牧野さんという四十三歳の男性を副店長に選んだようだ。

 優秀な人間と言うのは分かりやすいし、選考も楽だ。

 しかし、和田店長、歳上が部下になって大丈夫か?

 「牧野さんがオレより優秀だったら、店長の座は譲りますよ。」

 余裕だな。その余裕があれば、もう間違うことはない。


 京都駅前店の楊さんが、中国人の友達を紹介してくれた。

 李さんという可愛らしい女性だ。いや、アイドルなみの可愛さなのだ。

 「男ども、李さんの色香に迷うなよ。」

 黒澤君はドスの効いた声で言った。

 「看板娘ということで・・・」

 さすがの和田店長も頭をかいてテレている。


 障がい者枠は市の福祉課に紹介してもらった。山崎さんという年配の女性である。

 車椅子に乗った山崎さんは料理が得意らしい。厨房での勤務が希望で、酢飯と鯖寿司の管理になった。


 応接室から爆笑が聞こえてくる。

 なんだろうと思って応接室の扉をあけると、黒澤君が涙を流して笑っているではないか。和田店長はお腹を抱えている。

 「お初にお目にかかります! 山田浩平です!」

 薬缶が吹っ飛んだような大声だった。

 面接の若者は私に向かって敬礼した。

 なんだ、こいつは?

 「お初にお目にかかります」は無いだろう。それに敬礼。

 面接の初歩も知らないらしい。


 私は履歴書を見た。

 宮津の出身か。京都府北部にある港町だ。

 京丹商業高校、新卒か。

 「私、京丹商業を優秀な成績で卒業する次第となりまして、このような優秀な人材をオンシャで雇われてはいかがかと思い、本日、面接にまかりこしました!」

 また大声だ。緊張しているのは分からんでもないが、難しい言葉を使おうとして完全に間違っている。

 しかも自分で「成績優秀」だとか言うか、「オンシャで雇われてはいかが」だと、

 履歴書の志望理由には「恩社」と書いてあるぞ。やれやれだ。


 ところが成績優秀は嘘ではなかった。彼の成績はオール五なのだ。

 商業高校といえどもオール五は凄い。それなりの努力が必要だったはずだ。

 「牛頭と成れども、牛後となるなかれ、です!」

 牛頭ではなく、鶏口だ! 

 さすがの私もひっくり返ってしまった。

 だが、こんな面白い奴を逃したくはない。

 典子さんの言っていたアホの子枠は決定だ!

 「優秀なアホが来てくれました!」

 黒澤君は笑いをかみ殺しながら言った。

 「鍛えがいがありそうです。しかし、あいつが職場にいると笑い死にしそうで怖いです。」

 和田店長も賛同した。



 河原町店の布陣も決まりつつある。

 いい正月になりそうだ。


 胸を撫で下ろした私は、戸部社長に再び驚かされることになる。

 「京都学院大学の昼間のコースを受験するのだ。昼間は学校に行って、夕方から働くのだ。」

 夜学ではなく、昼間のコースを受ける。

 偏差値は六十以上だ。

 高校の成績は優秀でも、三年のブランクがある。それに英語がネックだ。

 一緒についてきた典子さんが、にまにま笑いながら言った。

 「大丈夫なり。大先生から秘策を授かったなりよ!」

 なるほど、焦土作戦の発案者は、無理をも通してしまう強者つわものらしい。

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