第23話 会社を継ぐ者

 あたしには分からないことが多すぎる。

 黒澤さんのいう能力主義はなんとなく分かるけど、努力しても、努力しても、報われない人がいる。

 あたしが社長になったのは、運みたいなものなのだ。

 運がよかっただけなのだ。

 みんなの支えがなければ、あたしが社長だなんて、笑ってしまう。

 こないだ、コンサルの人から教えてもらった人事制度を作るのも億劫になる。

 外は秋の長雨だ。事務所の町屋はじめじめしている。

 だから、気分もじめじめしてるのだよ。



 そんな時、階下が騒がしくなった。

 後藤工場長の大きな声が聞こえてくる。

 来客があったみたいだ。

 二階の事務所で部長と二人で仕事をしてたら、石崎君が階段を上がってきた。

 「大変っス。三好社長っス!」


 「三好社長がいらっしゃったのか?」

 部長が低い声で言うと、石崎君がこくりとうなずいた。

 部長はあたしに目を向けて言った。

 「戸部社長は出なくていいです。私が応対します。」

 ドキドキした。少し怖かった。

 でも、あたしが社長なのだ。

 だから、あたしが行かなくちゃいけないのだ。

 そんな気がした。

 焦土作戦はあたしが提案した。三好水産を焦土にしたのはあたしなのだ。

 だから何を言われても、あたしは受け止めなければならない。

 怖いけど・・・。


 あたしは階下に降りた。三好社長は奥の応接室に通してあると後藤工場長は言った。

 こわごわ扉を開けると、そこには三好社長と奥さんの三好マネジャーがいた。

 三好社長は車椅子だった。三好マネジャーが隣に座っている。

 あたしは神妙な顔で席に着いた。


 三好社長は傲然としていて、あたしの顔を睨みつけている。

 「あんたか、わしの会社を盗んだんは。」

 盗んでない! って、言いたかったけど、ここはこらえるのだ。

 あたしの隣に座っていた阿部部長が、三好社長をなだめたのだけど、聞き入れる様子もない。

 「おまえに訊いとんのやない。そこの社長に訊いとんのや。」

 三好社長は再びあたしに顔を向けたのだ。

 顔が醜く歪んで、怒ってる。

 怖いのだ。ものすごく怖いのだ。

 でもここは、絶対に負けられないのだ。


 あたしは勇気をふりしぼって、三好社長を睨み返した。

 沈黙が数分続いた。あたしには何時間にも感じられた。

 あたしは三好社長と初めて会った広沢亭のお座敷を思い出していた。あのとき、ほがらかに笑って「勉強はできる時にせなあかん」と言った人が、こんな鬼の形相になることが信じられなかった。

 沈黙を破ったのは三好社長だった。

 「あんたか、あんたなら、まあ、ええわ・・・」

 三好社長が少し笑った。

 「あんた、ええ根性しとるわ。儂の目に狂いはなかった。」

 笑おうとしたけど、だめなのだ、顔が引きつってしまうのだ。

 「京都駅前店を頼むで。」

 三好社長が目で合図すると、三好マネジャーが立ち上がった。

 「それでは、失礼します。」

 三好マネジャーは挨拶したあと、社長の車椅子を押して帰っていった。

 事務所の前にはタクシーが待っていて、タクシーは雨の中に消えていった。


 三好社長を見送ったあたしは、呆然として立ち尽くした。

 「よかたね、三好社長も認めてくれた。」

 部長の言葉であたしは我に帰った。

 なんだったんだろう、怨み言のひとつも言わずに帰ってしまった。

 「戸部社長、三好社長はね、自分が作り上げてきた京都駅前店が松永社長なんかに渡らすに、私たちのところに来たことのお礼を言いに来たんだよ。」

 今のがお礼なのか! あたしは泣きそうだったのだ。

 そう言うと、部長はにこりと笑った。

 「いつか、戸部社長にも分かる日が来るよ。」

 そんな日が来るのだろうか。それは遠い未来で、あたしも年老いているのだろうか。


 雨はようやく小降りになっていた。秋の長雨も今日までなのだ。

 明日は晴れるといいなって思った。



 晴れ渡った秋空の下、あたしは京都駅前店へ自転車を走らせた。

 京都は北から南に緩い勾配になっているから、楽ちんにタイヤを転がして行ける。帰りのことを考えると気が重いけどね。

 人事制度を作るにしても、現場を見ないとわからないことがいっぱいある。

 黒澤さんが和田店長を低く評価しても、あたしだったら違う見方ができるかも知れない。それに亜里沙ちゃんにだって会いたい。

 京都駅前店で、社長の顔を知っているのは黒澤さんと銀閣寺店から来た三人だけだ。他の人はあたしを本社の事務員で、まえに皿洗いの手伝いに来てた人くらいにしか思ってない。

 今日は、本社から備品のチェックに来た事務の人なのだよ。

 黒澤さんも心得ているようで、あたしのことを「戸部さん」って呼んだ。

 亜里沙ちゃんだ。

 「しゃちょうー」と言いそうになって、慌てて口をつぐんだ。


 平日の二時なのに客席は八割がた埋まってる。

 京都駅前店のホールは五十二席を配した馬蹄型の大きなカウンターがある。百八十度に開かれたカウンターの中で職人がお寿司を握るのだ。

 握るといっても、シャリは寿司マシーンが握る。職人さんは魚を載せるだけなのだ。だから誰でも寿司職人になれるのだよ。

 それでも、お客様の目の届くところで調理してサービスするのがこのお店の売りなのだ。


 客席は半分くらいが外国の人みたいだ。

 四人掛けのテーブル席の二つは中国人みたいだ。

 カウンターに座っている二組のカップルは韓国語を話している。

 ヤンキースの帽子をかぶった男性の三人組はアメリカ人かなぁ。

 にぎやかな一団はたぶんイタリア人なのだ。

 なんか、国際的なんだね。


 カウンターの中では亜里沙ちゃんがお寿司を握ってる。

 青木さんも加わると、お店が華やかになった。握りは寿司マシーンでも女性職人がカウンターのなかにいるとお店の雰囲気が変わる。

 中国語でも韓国語でも英語でも、世界の言葉で接客できるのがすごいのだ。

 雄大君は厨房で鯖寿司を切り分けている。鯖寿司だけは本社の工場で作ってお店に運ぶのだよ。

 他のスタッフたちもテキパキと動いていて、お店に活気がある。


 昼休みを終えた和田店長が帰ってきてカウンターに立った。

 表情が少し硬い。

 あたしは和田店長の様子を厨房の奥から見守った。

 和田店長にもいいところはあるはずだ。

 しばらく見てたのだけど、亜里沙ちゃんや青木さんに比べてて精彩のないのがあたしにも分かった。

 なんか、苛ついていて、お客様へのサービスも気持ちがこもっていない。

 「頑張って欲しいのだ」って、あたしは祈った。

 けれど・・・


 和田店長が中国人のお客様と何かもめ事を起こしたみたいだ。

 「日本語で言え!」

 和田店長が大きな声を出した。

 すかさず、亜里沙ちゃんがフォローに入り、中国語でお客様の注文を訊いている。


 和田店長は憮然として、厨房へ引き返し、今度は雄大君にやつあたりだ。

 「おまえ、大学出やと思うて、俺を馬鹿にしとるやろ。分っとんのやぞ。」

 雄大君は平然として鯖寿司を切り分けている。

 それが、和田店長をさらに苛つかせてる。

 そこに、亜里沙ちゃんが入ってきて和田店長に抗議した。

 「中国語ができないなら、なぜわたしを呼ばなかったの。いいかげんにして!」

 だめなのだ、和田店長。ここで怒ったら負けなのだ。

 「中国人が偉そうに・・・。ここは日本人の国や、中国人は出ていけ!」

 「わたしは日本国籍です!」

 亜里沙ちゃんが言い返し、和田店長は調理台の上から包丁をつかみ床に叩きつけた。

 厨房は騒然となった。

 あたしはおろおろして黒澤さんを探したのだけれど、昼休みでいないみたいだ。

 騒ぎを聞きつけた青木さんが入ってきて、仲裁しようとしたけど、和田店長の怒りに火を注いだ。

 「在日のくせしやがって・・・」

 それは、差別なのだ。あきらかに民族差別なのだ・・・


 あたしは、誰も差別しない公正な人事制度が作りたかったのだ。

 なのに、こんな酷いこと言うなんて、許されることではないのだ。

 けど、あたしには、どうすることもできなかった。


 黒澤さんが帰ってきて、騒ぎを収めた。

 和田店長は即刻帰宅を命じられ、自宅待機となった。


 あたしは黒澤さんの言葉を思い出した。

 「人は能力以外の如何なる条件においても、差別されてはならない。」

 能力で差別することは許されるのか、って訊くと、

 「それは区別です。」

 という答えが返ってきた。

 国籍、人種、肌の色、障がい、性別、年齢、思想、宗教、

 まだ他にもあったと思う。

 生来の条件、自分ではどうしようもない条件によって区別されることを差別という。

 能力は勉強と努力によって獲得される。

 あらゆる人が能力のみを競い合うことが黒澤さんの正義なのだ。

 それが黒澤さんの言う、自由と平等なのだ。

 それなら、あたしの正義は、いったいどこにあるんだろう。

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