第26話 町内対抗運動会

 十月の長雨で延期になっていた町内対抗運動会が、ようやく十一月になって開かれることになった。

 大家の吉本さんとの約束もあるし、ここは本社の社員こぞって参加しなければならん。


 吉本のお婆ちゃんの計らいで、運動会のお弁当はアゴラが受注することになった。千食以上の受注に後藤工場長と石崎君は大わらわだった。

 儲けは少ないが、これも社会貢献だ。町内の親睦のためだ。


 「お店の宣伝だと思えばいいのだ。」

 戸部社長は言った。

 なるほど、そういう考え方もあるか。


 運動会には戸部貴志君も来た、本社からは戸部社長、後藤工場長、石崎君、そして黒澤君も参加だ。

 黒澤君は休日を利用して運動会に参加というわけだ。



 私たちは近所の小学校へ向かった。ここの校庭が運動会の会場だ。

 吉本のお婆ちゃんが私たちに手を振っている。

 「やっぱり、若いもんが来てくれるとええなー。今年は優勝を狙うさかいにな。」

 戸部貴志君は風船割り競争、私と後藤工場長は綱引き、戸部社長はパン食い競争にエントリーされている。そして、町内対抗リレーは戸部貴志君と黒澤君、元陸上部の石崎君だ。


 最初の種目は風船割りだ。戸部貴志君はぎこちない準備運動をしている。ここのところ小説の締め切りが近かったので運動不足だという。

 風船割り、スタートだ。

 ところが、貴志君は風船を一個割るごとにひっくり返ってしまうのだ。

 運動場に爆笑が起こった。

 確かに体が硬いのがよくわかるが、普段から体を動かしていないというか、運動神経が鈍いというか・・・。


 しばらくしてパン食い競争が始まった。

 戸部社長はおでこでパンを弾き飛ばし、その反動でみごとに口にくわえて一等賞になった。

 「これは典子お姉ちゃんが小学生のとき開発した三角食いなのだ。」

 戸部社長は美味しそうにあんパンをかじった。


 綱引きである。

 後藤工場長の馬鹿力がぐいぐい敵のチームを引き寄せていく。だが決勝戦では相手チームに屈強な消防士いて負けてしまった。


 そして最後は町内対抗リレーだ。

 第一走者は戸部貴志君。大丈夫か!

 私が心配したように、貴志君はのたのたと最後尾を走っている。

 次の走者も、次の次の走者も追いつけない。

 ここは頼んだぞ、黒澤君!

 バトンを受けとった瞬間から黒澤君は猛ダッシュである。一気に三人を抜き去り、四人目を抜いたところでアンカーの石崎君にバトンが渡った。

 「行くのだー、石崎君!」

 石崎君、速度全開である。三人をごぼう抜きにしてゴール。

 一等賞だ!

 吉本のお婆ちゃんは泣いて喜ぶ始末だ。

 よかった。これで面目がたった。

 東鞍馬口町は優勝こそ逃したが、準優勝だ。



 運動会が終わったあと、私たちは事務所で打ち上げをすることにしていた。

 後藤工場長だけは、一風呂浴びたいと船岡温泉に向かった。

 船岡温泉は全国の銭湯マニアの憧れの地である。

 「キング・オブ・銭湯って呼ばれているのだよね。」

 私は行ったことがないのだが、船岡温泉の暖簾をくぐると、内部は美術品かと思われるようなレトロな空間になっており、有形文化財にも指定されている。


 事務所に戻った私たちは、裏庭で枝豆をアテにビールを飲んだ。

 運動会のあと、町屋の裏庭でビールなんてのも風情があっていい。

 みんな喉が渇いていたようで、缶ビールを一気に飲み干し、運動会での活躍を称えあった。

 「それにしても、吉本の婆さんのパワーには圧倒されたっスよ。」

 すごく喜んでたな。この年老いた街に、若い人が戻ってくることを心底願っていたのがよく分かった。私たちも力になれてうれしい。

 それに、運動会なんてのは、いったい何十年ぶりだろうか。


 風呂帰りの後藤工場長が返ってきた。

 「お疲れ様」と言って缶ビールを手渡そうとしたのだが、後藤工場長は私を工場のほうに手招きしている。

 何かと思って工場に入っていくと、後藤工場長は私は耳打ちした。

 「浅野課長と下田主任が来てますのや。」

 一体、どういうことなのだろうか。


 私は後藤工場長と共に玄関へ向かった。

 そこには浅野課長と下田主任が、バツの悪そうな様子で立っていた。

 私は彼らを屋内に招き入れ、工場の隅で二人の話を聞いた。

 彼らは松永商会をクビになったというのだ。


 庭でビールを飲んでいた戸部社長、石崎君と黒澤君もこの事態に気づいて集まってきた。

 さすがに、みんな敵意に満ちた目をしている。

 後から入ってきた戸部貴志君は「ほう」と言って、調理台の片隅にあった折り畳み椅子に腰かけた。


 松永社長は京都駅前店がアゴラに取られたことを知り、激怒した。

 その一か月後には赤字の銀閣寺店を閉店し、河原町店も年明けに閉めるのだそうだ。

 だから浅野課長も下田主任も戦力外通知を受けたのだという。

 彼らは、自分たちがやったことを悔いているという。もう一度アゴラで雇ってくれないかと言うのだ。


 「それは絶対に無いのだ!」

 戸部社長は怒りをむき出しにした。

 「裏切者は帰れ!」

 黒澤君は言い放った。

 「おまえらみたいなのを人間のクズっていうんだよ!」

 石崎君も容赦がない。

 だが、戸部貴志君は二人のことをよく知らないせいか、余裕があった。

 「部長、どうですやろ、このお二人さんに本気で贖罪の気持ちがあるんやったら、チャンスをやるのもええかも知れん。」

 確かに、戸部貴志君の言うことに一理ある。

 私は戸部社長に「どうですか、社長。」と訊いた。

 戸部社長は「部長に任せるのだ。」と答えた。

 私は二人に提案した。

 もし、君たちの反省が本物ならば、京都駅前店の下積みからやってみないかと。


 浅野課長は、

 「総務や経理の仕事はないんですか?」

 と聞き返した。

 本社の仕事は私と戸部社長で十分だ。パートの杉山さんだって、家から遠くなり毎日出社とはいかなくなったが、忙しい時期には手伝いに来てくれる。

 三好水産では事務仕事は全て本社の仕事だったのだが、今は黒澤君や楊さんが店舗の資料を作るようになっている。

 私がそう説明すると、下田主任が言い返してきた。

 「売上報告の集計はどうなんです。オレらは毎日遅くまで残って集計して社長に報告してたんですよ。」

 「売り上げの集計はクラウドでやってるのだ。クラウドだから家にいてもパソコンから集計表がみられるのだ。」

 そうだ、そんな仕事はもともと必要がないのだ。もはや、そういう時代なのだ。

 私は「君たちは本社で雇ってもらおうと思っていたのか?」と彼らに訊いた。

 彼らはうなだれて、コクリとうなずいた。

 下積みからやり直す覚悟は微塵もないようだ。

 「終わったな!」

 そう言って、戸部貴志君は席を立って裏庭へ向かった。

 「甘いのだ!」

 戸部社長たちも彼らを見限って裏庭へ消えた。

 「そういう事だ。」

 と、私は彼らに言った。

 浅野課長と下田主任は恨めしそうな顔をして帰っていった。



 しかし、ひとつの情報がもたらされた。

 河原町店が閉店するというのだ。

 私は裏庭に出て、みんなに言った。

 「聞いてほしい。河原町店が閉店する。これを取りに行くか?」

 「河原町店は収益が低い店舗じゃなかったのか?」

 「実は、そうでも無いんだ。」


 そして黒澤くんが、説明を始めた。

 河原町店は京都の繁華街、河原町蛸薬師にある。店舗面積は京都駅前店の半分強だ。

 確かに家賃や経費を差し引くと利益はほとんど残らない。

 しかし、ここには黒澤君と私しか知らないカラクリがあるのだ。

 「河原町店では店長と半数以上のスタッフがグルになってレジのお金を着服していたんだ。その金額も数十万ではきかない。毎月、百万単位の売上が盗まれている。たぶん、今も。」

 「おかしいと思ったのだ。原価率と廃棄率がものすごく高かったのだ。盗んだお金の分を商品の廃棄で誤魔化していたのか。」

 「店中がグルになっての組織的な犯罪だ。」

 黒澤君はいくつかの証拠をつかみつつあったのだ。

 「それは犯罪ですよね?」

 石崎君も憤っている。

 「犯罪だ。だが窃盗犯というのは現行犯で押さえるか、確たる証拠をつかまなければ告発することはできないんだ。私はその証拠をつかもうとしたのだ。だが、焦土作戦が始まって、河原町店は放棄することになった。だから放っておいたんだ。」

 そういうことだ、河原町店は堂々の黒字店舗だったのだ。


 「それなら、河原町店、取りにいくべし、やな。」

 戸部貴志君はビールを飲みながら言った。

 「しかしな・・・」

 黒澤君はあくまで慎重だ。

 「しかし、あそこのスタッフは信用ができない。再雇用は無いと考えなければならない。新規スタッフで一から始めなくてはならないんだ。京都駅前店もまだ新体制が固まっていない。京都駅前店からスタッフ回すわけにはいかない。特に河原町店の店長は信頼のおける人間にしか任せられない。」


 河原町店の閉店は来年の一月十五日だ。秋の観光シーズンと正月のかき入れ時が終わった直後に閉店しようと、松永社長は考えたのだろう。

 考える時間は僅かしかない。

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