あとがき
この物語は、教養小説、ビルディングス・ロマンを書いてみようとして始めました。
教養小説では、物語を通じて主人公が成長して行きます。
第一話と最終話の主人公はあきらかに違う人間になっています。それは、大人になるということでもあります。
大人になるためには、獲得しなければならないものと、切り捨てなければならないものがあります。
主人公の戸部京子は、自らの能力に目覚めていきながら、子どもっぽい理想と厳しい現実の間で悩みます。
書きながら、戸部京子が理想を失わずに成長できることを祈り続けました。
その結果が、「勉強がしたいのだ」という言葉になったのです。
現実の中にあって理想を忘れずに生きるためには、勉強し考え続ける以外に方法はない。それは私が人生で得た唯一の教訓でもあります。
ただ、こうした結論はエリート主義的な側面があることも事実です。
書き始めるにあたり、私が学生時代を過ごした嵯峨野を歩きました。嵐山から広沢の池、そして大映通り。そこで大魔神像を見つけたとき、物語のおおまかなプロットができました。
物語自体が、私の経験に基づいたものであり、形を変えた自伝小説でもあります。
ただ、おっさんの自伝なんか自分でも書きたくなかったので、主人公を二十歳の女の子に設定したのです。
二十歳にしては幼いメンタリティーを持った主人公が、社会に対してどう向き合っていくのか、というテーマにしました。主人公を無垢にしておくことで、様々な事件や人との出会い、あるいは思想に触れることで心を揺り動かされる様子を強調しました。
ストーリーは最初に構想した通りなのですが、細部は書く過程で少しづつ変化しました。
自分でも驚いたのは、最後に「死」というテーマが現れたことです。
三好社長の死や、バラナシでの体験のエピソードで人間の死に触れています。
ラストがインドで終わることになっていましたから、そこに影響されたのかも知れません。
ラストの文章は、もっと「ほんわか」する予定だったのです。麦畑のなかで風に吹かれて「にこにこ」しているというシーンにもかかわらず、寒々しくなってしまいました。死というテーマに引っ張られた結果です。
文章と言うものは、作者の意に反するというか、深層心理を反映するというか、ままならないものです。
文体は痴呆体という書き方を意識しました。戸部京子の語りのパートは、主人公の無垢さを表すために、難しい言葉を省いて、できる限り平仮名になっています。
易しい言葉で書くというのは、ほんとうに難しいなと実感しました。
全編を痴呆体で書くには、私の力量は不足しており、阿部部長の語りのパートを交互に入れることによって、物語の複雑な部分を補いました。
ブッダ・ガヤの学校はモデルが存在します。
ミネハハ・ヘルピング・フリー・エデュケーション・センター
https://readyfor.jp/projects/for-india
もう十五年くらい前にインドに旅行して、ディップとダルに知り合いました。その四年後に、私はブッダ・ガヤを再訪します。ホリイの時期でした。
インドへの旅は、私の人生に様々な示唆をあたえてくれました。
その体験を、この物語のラスト・シーンに選んだのです。
最後に、ネット小説では、かなりマイナーな内容にもかかわらず、読んでいただいた多くの方々に感謝して、筆を置きたいと思います。
あたしが会社を守るのだ! ~二十歳の乙女の経済戦争~ 高木一優 @itiyu71
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