第21話 彼岸花

 石崎君の運転する軽トラは、あたしの自転車を荷台に乗せて軽快に走り出した。


 「戸部っち、明日は休みだしちょっとドライブしていこうか!」

 ドライブなのか、なんか久しぶりだ。

 「このところ凄く忙しかったから、息抜きもいいよね」

 あたしがそう言うと、石崎君は軽トラを北大路通に向けた。家とは反対の方向なのだ。


 石崎君がカー・ラジオに手を伸ばすと、ロックンロールが流れ出した。

 「京都FMステーション、オールディーズ・ナイト! 今夜も君の心にピッタリのオールディズのヒット・パレード!」

 ラジオのDJは脳天から飛び出すような声で叫んでる。

 石崎君はオールディズが好きみたいだ。

 あたしのお父さんは七十年代とか八十年代のロックが好きだったから、オールディズにはあまり詳しくないけど、今夜はバディー・ホリーの特集なのだよ。

 お父さんがバディー・ホリーのベスト盤を持っていたから、あたしの知ってる曲が流れた。


 ♪ めいびー、べびー


 って、あたしも歌って、石崎君も歌った。


 今度は「ペギー・スー」なのだ。この歌は大好きなのだ!


 ♪ ぷりちーぷりちーぷりちー、ぺぎーすー!

 ♪ ぺーぎー、おっおおお、うっうううー


 「へぇ、戸部っち、オールディズも聞くんだ。」

 ちょっとだけどね。お父さんの影響で子どもの頃からロック聴いてたって言うと、石崎君がうれしそうな顔になった。

 「じゃあ、今夜はご機嫌なミュージックでドライブだ!」


 石崎君は北大路通から北白川通へ軽トラを走らせて、宝ヶ池公園を回りトンネルにさしかかったのだ。

 ひょっとして、ここは宝ヶ池トンネルなのか?

 「幽霊が出るって昔から有名だそうだね。」

 その噂は、京都人なら誰でも知っているのだ。あたしの友達のお父さんも、ここで幽霊を見たって言ってた。

 「でもデート・コースだって聞いたよ。女の子が怖がって男の子に抱き着くんだってね。」

 これはデートなのか! 

 そっちのほうが驚きなのだ。

 初デートが軽トラで幽霊トンネルなのか!

 でも、ちょっとだけドキドキした。

 あたしは石崎君をチラ見した。

 石崎君はバディー・ホリーの「It‘s So Easy」を口ずさんでいた。


 「戸部っち、腹減ってないか?」

 確かにお腹すいてる。

 「何が食べたい? 今日は奢るよ。」

 奢りなのか。あたしは社長なのに奢ってもらえるのか。なんか得した気分なのだ。

 「金ちゃんラーメンが食べたい。」

 って、あたしは言った。

 お兄ちゃんが時々、この店のから揚げをお土産に買って帰ってくれることがある。ニンニクがたっぷり効いた危険なから揚げなのだよ。明日は休みだからいいのだ。

 石崎君は軽トラを北大路通に戻して大徳寺門前で停めた。

 大徳寺の脇に、屋台のような小さなお店がある。

 これが金ちゃんラーメンなのだ。夜しか開いていないから、初めて来たのだ。

 もちろん、ラーメンとから揚げを注文した。

 石崎君も美味しそうに食べてた。


 もう十一時になる。あたしの門限は九時なのだ。お兄ちゃんが怒ってるだろうな、って思うと、急に気が重くなってきた。

 仕方がないのだ、あまり使いたくないけど、典子お姉ちゃんの秘密の出入り口を使うのだ。

 軽トラで広沢の池の近くまで送ってもらった。そこで自転車を下ろして、あたしは物音をたてないように静かに広沢亭の門をくぐった。


 典子お姉ちゃんは高校時代、門限に遅れると、自分の部屋の縁の下から帰宅していた。

 あたしも縁の下に潜り込んで、お姉ちゃんの部屋の下まで来た。床板を外して畳を持ちあげるのだ。

 けど、畳が重たくて持ちあげられない。何か重いものが畳の上に乗ってるみたいなのだ。

 何度か持ちあげると、畳が急に軽くなった。

 床下から頭を出すと、典子お姉ちゃんがいて、にまにま笑ってた。


 「お帰りなり。京子。」

 お姉ちゃんは相変らずだ。あたしが床下から帰宅しても動じる様子もないのだ。

 「焦土作戦は成功したみたいなりね。」

 そうだよ。みんなの力を借りてうまくいったのだ。

 あたしたちは夜遅くまで話し込んだ。焦土作戦の経緯を姉ちゃんに聞いてもらった。

 典子お姉ちゃんは仕事で一週間くらい京都に滞在するのだそうだ。

お姉ちゃんと一緒に中国から帰ってきた歴史学の大先生の公演を、京都学院大学で開くのだそうだ。

 広沢亭の鶴の間に大先生が宿泊することになったので、家に居るらしい。

 「大先生って、もしかしてお姉ちゃんの彼氏なのか?」

 って、聞いてみた。

 お姉ちゃんは

 「違うなり。失礼なりよ。」

 って、答えた。

 大先生は四十歳くらいのおじさんらしい。そうだよね、お姉ちゃんの好みは戦国武将だもんね。

 あたしはその夜、お姉ちゃんの部屋で寝た。懐かしい匂いがした。


 翌朝、部屋の扉を叩く音で目覚めた。お姉ちゃんはまだ寝てる。

 扉を開けると貴志お兄ちゃんが立っていた。

 「はやく起きろ、行くぞ。」

 お兄ちゃんは神妙な顔で言った。


 よかった、昨夜の門限破りに気づいてないみたいだ。

 お姉ちゃんも眠い目をこすって立ち上がった。

 どこへ行くのだ。

 「今日はお彼岸なり。お父さんのお墓参りするのだよ。」

 お姉ちゃんも真顔になった。


 忘れてた、今日はお彼岸なのだ。



 あたしたち三人兄妹は嵯峨野の小道を歩いた。

 空は秋の空になっていて、青く澄んでいる。

 道端には赤い彼岸花が咲いている。道はどこまでも彼岸花に飾られている。


 戸部家のお墓は嵯峨野の山の中にある。山道を少し登ると小高い丘の上にお父さんのお墓があった。

 あたしたちはお父さんのお墓を水で洗い掃除をした。雑巾できれいに墓石を拭うと、汗をかいた。夏の暑さが少しだけ残っている。

 お兄ちゃんが、お線香に火をつけ、あたしとお姉ちゃんは花をお供えした。三人が順番にお線香を供え、手を合わせてお祈りした。

 そして、お兄ちゃんはお墓に向かって語り始めた。

 「親父、三人の子どもは立派に成長しました。僕は小説を書き、典子は戦国武将評論家として歴史の研究者の道を歩んでます。それから、京子は会社の社長になりました。ほんま、ビックリですわ。たぶん、いちばんビックリしてるのは親父やと思いますけど。これからも三人の息子と娘を見守っといてください。」

 お兄ちゃんがお墓に一礼して、あたしたちも倣った。

 こぼれた涙が、土の上に落ちた。



 「今日は京子にお寿司おごってもらうなり。」

 そうだよね、約束だもんね。

 「それじゃぁ、行くなり。」

 お姉ちゃんは、お兄ちゃんに手を振った。

 「まてまて、二人だけで行くのか? お兄ちゃんはどうするんだ?」

 「兄ちゃんは関係ないなり。姉妹だけのお楽しみなりよ。」

 「典子、それが血を分けた兄への言葉か、冷たいとは思わないか!」

 お兄ちゃんも大活躍だったのだ。だからお兄ちゃんにもお寿司をおごるのだ。

 「京子がいいと言うなら、あたしは何も言わないなり。」


 JR嵯峨駅から京都駅へ出た。

 祭日の京都駅前店はちょっとした行列ができていた。

 「大繁盛なりね。」

 「祭日だということを忘れとったわ。」

 「京子、社長権限で割り込めないなりか。」

 ごめんね、お姉ちゃん。あたしは社長になったけど、そういうズルはしたくないのだ。

 「さすが京子なりね。誉めたんじゃないなりよ。」

 どいう意味なのだ?

 「正直の上に馬鹿がついているという意味なり。」

 「だが、それでいい。」

 お兄ちゃんが言うと、

 お姉ちゃんも「それでいいなり。」と言った。


 三十分くらいして、あたしたちはようやくお店に入ることができた。

 まずは「回転はんなり寿司」の名物、鯖寿司のお皿を取るのだ。

 お姉ちゃんは大きな鯖寿司をまるごと口に放り込んで上機嫌だ。

 けど、そのあと気になることを言った。

 「この鯖寿司には問題があるなり。」

 美味しくないのか?

 「すごく美味しいなり。でも商売の上ではまずいなり。百五十円の鯖寿司でお腹がいっぱいになってしまうなり。回転寿司はお皿をたくさん積み上げてもらわないと売り上げがあがらないなり。」

 つまり、鯖寿司を小さくしたほうがいいのか?

 「小さくしたら、これまでの鯖寿司ファンが逃げるなりよ。鯖の大きさはそのままで、シャリの量を少なめにするなり。」

 「なるほど、考えたな典子。鯖寿司のご飯を少なくすることで、もう一皿頼んでもらおうという魂胆だな。」

 貴志お兄ちゃんが相槌を打った。

 外からの視点が入ると、お店の見え方も変わってくるんだな。


 あたしが感心しているあいだに、お兄ちゃんとお姉ちゃんの前にはみるみるお皿のタワーが出来ていった。それにビールと冷酒をがぶ飲みしている。

 二人ともフード・ファイター並みの大食いで、酒豪なのだということを忘れていた。しかも高いお皿ばかりだ。

 あたしの財布の中には一万円しかない!


 どーしよー、って思ってたら、お店の奥に亜里沙ちゃんがいた。

 「あら、社長、今日はお店にいらしゃったんですね。」

 あいかわらず完璧な日本語なのだ。

 にっこり笑う亜里沙ちゃんに、あたしは言った。

 「今日の代金は、お給料引きでお願いしたいのだ。」

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