第5話 懐かしい破壊神

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 信親が目を覚ますと、見知らぬベッドの上だった。

 室内を見渡す。十五畳ほどの広さがあり、十六インチのテレビ、小さな冷蔵庫、厚手のカーテンで仕切られた数台のベッド、ミニスカのナースが揃う、典型的な病院の大部屋だった。

 うん? ミニスカのナース?

 信親が頭の上に、クエスションマークを作っていると、ミニスカナースが話しかけてくる。

「やあ、ノブ。丸まる二十四時間寝た気分はどうだい?」

「体が重いよ。で、ここはどこの病院だ?」

「病院とはちょっと違うな、療養所さ。腐女子化症専門のね」

「へえ、ここが。案外普通だな」

 何気ない信親の呟きを、咎めるような声が、隣のベッドからかけられる。

「普通なわけないれすよ」

「え?」

「ああ、隣の仁科さんだよ。ここの古株だ」

 薫が隣のカーテンを開け放った。

信親より少し下、恐らく十三・四歳と思われる、小柄な女の子が顔を出した。

 少女はなぜか、ベッドの上で正座していた。

「初めまして、仁科雨理亜れす」

 雨理亜は。正座したまま、ペコリと頭を下げた。

 真ん中分けにした黒髪をお下げにした、純日本人の少女が、雨理亜だった。

名前には、触れないであげよう。

「北畠信親だ。ええと、それで、普通じゃないって?」

「異常な場所ってことれすよ。例えば、あちしの隣を、見てほしいのれす」

 言われるまま、信親は雨理亜の隣に注目する。厚手のカーテンに覆われていて、中のベッドも、寝ているはずの患者の姿も見なかった。

 ただ、薄っすらと甘い香りがするだけだった。

「見たけど?」

「失礼したのれす。耳を澄ませてほしいのれす」

「音が重要ってこと?」

 耳に手を当てた。

「う、うう、ああ! 頂戴、早く、アレを、頂戴」

 微かに、苦しむような声が聞こえてきた。

「おい、苦しんでるぞ。看護師呼ばないと」

「ノブ、必要ないんだ」

「はぁ? ここは病院、いや、療養所で、患者が苦しんでるんだぞ」

「仏生寺さんの言う通りれす。もう、強い薬、いえ、痛み止め的なものが手に入らないので、どうしようもないのれす」

「じゃあ、なんのために、こんなところにいるんだよ。おい、アンタ、大丈夫か」

 薄情な反応を示す二人に、怒りを感じた信親は、カーテンを開け放ち、患者に駆け寄った。

 開けた瞬間、腐気の放つ甘い臭いが、室内に広まった。

 腐気の発生源は、ベッドの上で猫のように丸まっている。身長ほどもある天然パーマの入った黒髪の少女だった。

 少女の名札には、熊田あさみと書かれていた。

 あさみは、枕に押し付けていた顔を上げ、縋るような目と声で、信親たちに訴えかけてくる。

「頂戴、あれを、頂戴」

「アレってなんだ?」

「ノブ、止めろ。熊田さんが欲しがっているモノは、そう簡単には手に入らない代物なんだ」

「早く誰か持ってきて。お願いよ」

「なにをだ。言えよ」

「強気受けのBL本! 早く頂戴。早く」

「は?」

 あさみの口から出た単語を聞き、信親は、思わず呆れた吐息を漏らしていた。

 困難な中にいる人を助けようとする黄金の精神は、あっというまに雲散霧消した。

 気の抜けた信親に、雨理亜の醒めた声がかけられる。

「熊田さんは、池袋暴動時に腐気に当てられて、腐女子化症に罹ったのれす。早い人なら三年前後で退院なのれすけど、彼女は腐女子の才能が、他の人より少なかったのれす。彼女は、体内で腐気を作れても、ため続けることができないのれす。なのに、そのまま腐女子化してしまったのれす」

「ゴメン、言っていることが理解できないんだ。日本語で頼む」

 雨理亜に代わり、薫が説明を引き継いでくれる。

「腐女子化の話は知っているだろう? 腐女子化した者は、体内で腐気を大なり小なり作り出せるようになる。ここまではいいかい?」

「ああ、たしか、検証番組でそんな解説を聞いたな」

 信親は、数か月前に見たテレビの番組を思い出していた。

 有名なニュース解説者が、腐女子と腐女子化について、政府が発表した内容を解説していた。

 腐女子化した者は、腐気なるモノを、体内で作り出せるようになる。腐女子は、生産した腐気を使い、超人的な身体能力を発揮したり、超常的な現象を起こしたりする、と。

「うん。だけど、腐女子化症にかかって、腐女子になれる者は、三割程度なんだ。残り七割は、腐女子化すると、腐気を受け止めきれずに、心と体を蝕まれてしまう。結果、腐気を増大させるBL本への欲求が強くなり過ぎ、日常生活が送れなくなる。社会から隔離した上で治療を受ければ治るけどね。でも中には、熊田さんのように腐気を受け入れる力がほとんど無い子もいるんだ。多分完治には、十年以上かかるよ」

「腐気を受ける力がないのに、BL本を望むのか?」

「なさ過ぎると、却って渇望と倦怠感が強まるからね。BL本を与えて、体内で腐気を生産させてやるんだ。痛み止めの代わりになるからね。ただし、非十八禁の健全本では、得られる腐気は小さい。それでいて、過激な十八禁BL本は、池袋暴動の後、厳しい検閲を受けるようになって、正規ルートじゃ流通しない。だから、一部の警察、医療関係者を除いては、まず手に入らないんだ。そう、一部を除いてね」

 薫の意味深な喋り方から、意図はスグに理解できた。

 晶が、本来非合法の腐女子団体に出入りしていたのは、情報収集だけではなかったようだ。

 おそらく、重い腐女子化症にかかった者に与える、十八禁BL本を確保するためでもあるのだろう。白兎からファイルと一緒に受け取っていたA4サイズの封筒には、十八禁BL本がギッシリと詰まっていたはずだ。

 しかし、禁制品を刑事が扱って、良いのだろうか? それに、白兎は「腐女子団体の数は減っても、腐女子はほとんど減っていない」と、言っていた。

 今、十八禁BL本を、表立って手に入れる方法はない。なら、十八禁BL本は、結構な需要があるはずだ。

 つまり、裏では高値で取引されているものだ。

「なあ、薫、晶さんは」

「私利私欲じゃないよ。たまに、コッソリとこの施設に持ってきているんだ。一冊あれば、腐気で蝕まれた心と体を、かなり休ませることができるからね。まあ、効き目はどう伸ばしても、一ヶ月程度だけどさ。ないよりマシだろ。時間がたてば、腐女子化症は、治るんだ。完全に腐女子化しない限りね」

「待て、腐女子化したら、どうなるんだ? 患者の三割はいるんだろ」

「知らないほうがいい」

「おい、まさか、処刑?」

 信親は、最悪な想像を、言葉にするが、雨理亜が否定する。

「流石にそこまでは、警察も政府もしないれすよ」

「だよな」

「行方不明になるだけれす」

「ある意味、より深刻じゃねえか!」

「より深い場所で拘禁されているとか、解体されて腐女子の軍事利用目的で研究されているとか、逃げ出して腐女子の団体に保護されているとか、噂が飛び交っているのれす」

「物騒極まるな」

「あくまで噂れすけどね。ここは、娯楽が少ないれすから。想像を膨らませて憂さ晴らしをしているのれす。インターネットに、アクセスできないれすからねぇ」

 雨理亜は、バラエティー番組の観客がするように、ウンウンと頷いた。

「つまり、実際と所は、わからないってことか?」

「知りたいの、お兄ちゃん?」

「ああ、知りたいね」

 信親は答えてから、誰の問いかけだったのかと、確認する。薫は、涼しい顔をして、ミニスカナース姿のまま足を組み替えたり、信親の視線に見下した笑みを浮かべたりしていた。

 雨理亜は、キョトンとしているだけだった。

 あさみはベッドで悶えていて、会話になるはずもない。誰の声だろうか? 確かに、聞き覚えのある懐かしい声だった。

 少し甲高く、能天気で甘えたような可愛らしい声、誰だったろう。信親は、記憶をたどる。一人の人物を思い出し、まさかと室内を見渡すが、どのベットもカーテンに隠れていた。

 信親は立ち上がり、カーテンを片っ端から開けた。

 ただ寝ている患者と、あさみのように悶えている患者、急に開けられたせいで驚いている患者はいるが、目当ての人物はいなかった。

「はっはっはー、お兄ちゃん、ここだよ。ここ」

 探している人物の声は、上から聞こえてきた。

 信親は慌てて、視線を上にあげる。ピンク色の長い髪をサイドテールにした、可愛らしい少女が、天井に足をつけて笑っていた。

 池袋暴動における主犯の一人で、警察に射殺されたはずの妹・北畠智花が、上下逆さまの状態で、天井に張り付いている。なぜか、茶色のプリーツスカートもブレザーのタイも、垂れ下がっていなかった。可愛らしいが、濃いクマのせいで病んでいるように見える顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 本当に、生きていたのか。嬉しい半面、なぜ生きているのか、なぜ今になって出てきたのか、そもそも本物なのか、なぜ天井に張り付けるのか、聴きたいこと確かめたいことが多すぎた。

 気にきいたセリフの一つも言ってやりたいところだったが、信親は、妹の名を呼んでまま、固まってしまった。

 薫と雨理亜も、動きを止めており、どう反応していいか分からずにいた。

 置物のようになった兄たちのことを、智花は気にする様子はない。天井から飛び降り、信親の前に立つ。驚愕で固まった喉を無理やり動かし、声を絞り出す。

「と、智花か?」

「そう、皆さんのトモちゃんです。お兄ちゃん、お久しぶりぃ!」

「お、おう。久しぶり、元気だったか?」

「まーねー。一度死んだけど、なんかお母さんが復活させてくれたから、今は元気!」

「そうか、それは良かった。母の愛に感謝だな」

「うん! あたし、愛されてるの! やったね!」

 感嘆符の多い奴だな。元気があってなによりだけど、なんか「一度死んだ」とか、意味不明なことも言ってるし、友人からうっとうしがられないか、心配だ。

 明るいけど我儘でファンキーな智花に、友人がいればだけど。

 信親が妹に対する失礼な感想をもてあそんでいると、立ち直った薫が、小声で囁てくる。

「あのさぁノブ、アホみたいな兄妹の歓談を邪魔して悪いけど、聴くことがあるんじゃないか?」

「聴きたいことが多すぎて、何から聞けばいいかわからないんだ。上手く話を誘導してくれ」

 なぜか不機嫌そうな薫に気後れしつつ、信親は助け舟を依頼した。

 顔を寄せている二人に、智花は、フレンドリーというより馴れ馴れしい態度で割って入る。

「あ、薫ちゃんじゃん。こんちわー。ミニスカナースなんてマヌケな姿、最高に似合ってるね!」

「……こんにちは、智花ちゃん。今日も目のクマが最高に不健康だね」

「知ってるー。けど、ありがとう! 薫ちゃんも、ロングの黒髪が神がかってるね。髪だけに!」

 少し険のある薫に対し、智花はあくまで朗らかに見えた。

「それで、腐女子の智花ちゃんが、療養所に何の用? お兄ちゃんのお見舞いかな」

「ううん。お母さんから頼まれて、注入と回収にきたの」

「待て薫。智花、お母さんって、あの母さんに会ってるのか?」

「モロチン! じゃなかった。もちろん!」

「この下らない下ネタ。間違いなくノブの家族だね」

 失礼な評価を下す薫に、信親は時を置かずに反論する。

「おい、下ネタに合わせて、下らない中傷はやめろ。俺の下ネタは、もっと洗練されている。直接的なものじゃないんだ。いや、そんなことはどうでもいい」

「ノブが言ったんだろ」

 薫のツッコミを無視して、信親は続ける。

「智花、母さんに会わせてくれないか。話したいことがあるんだ」

「お母さんに聞かないと、わかんない。でも、とりあえず注入してからね」

 智花は、楽し気な笑みのまま、事態の推移を見守っていた雨理亜に近づいて行った。

「え? あちしれすか」

「イエッス! ウォーミングアップに付き合ってね!」

 困惑する雨理亜に頭に、智花は不躾に手を置いた。

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