第20話大市場
信親たち三人は、大市場と呼ばれる腐女子たちにとっての楽園に潜入した。その中は、人で――正確には腐女子で――いっぱいだった。
大市場内部には、大量の長机でできた長方形の長い列が、いくつも形成されている。方形の列の中には、色とりどりの衣装で着飾った腐女子たちが、A4サイズの異常に薄い本を高く掲げていた。
腐女子たちは、奇妙な単語を混ぜて、声を張り上げていた。
「こちらは、ブラックチルドレンでーす。バ漫主総受本ありまぁす」
「艶ジュエルフィッシュ新刊あります。一冊一万円でーす」
「はいはい注目注目。神木ミケランジェロ先生の突発本の頒布を開始しまーす。限定五百部一部三千円でーす!」
売られている本の厚みは、どれも酷く薄いものだった。書店においてある無料の小冊子より薄いのに、値段は辞典や専門書並みに高額だった。
にもかかわらず、飛ぶように売れている。築地の朝よりも活気に溢れていた。
参加者の凄まじい熱気により、天井には腐女子の汗でできた蒸気の雲が薄っすらと漂っていた。
人混みと騒音、湿気に辟易した虎子が、汗をぬぐいながら愚痴を呟く。
「まるで、戦後の闇市だな」
「見てきたように言うんだね。流石は年上だ。昔はさぞ、苦労されたんでしょう。ぜひ、昭和ならではの苦労話を聞かせて欲しいもんだ」
「そこまで年寄りじゃない」
「意外だね。その時代劇的な恰好、随分とお似合いじゃあないか。巡査殿はさ」
信親は、虎子の服装を揶揄した。
虎子は、袖にだんだら模様が施された服――有名な新撰組の隊服――を着ていた。
嫌味を言う信親に、不機嫌そうな虎子が反論してくる。
「お前も同じ服を着ているだろう」
「そりゃあ、ね。コスプレしていれば、バレないからな」
「本当に、いいアイディアだったわね。神揚原巡査のお手柄よ」
同じく新撰組の隊服を着用し、M1短機を堂々と担いだ晶が、虎子をほめそやした。
腐女子の世界で異邦人と見破られることを防ぐには、コスプレが一番だと提案したのは、虎子だったからだ。
ただし、コスプレ衣装を制作した者は、信親だった。
もちろん手作業ではなく、受けの印を軽く発動させ周囲の腐気を操って作り出したのだ。
考えてみれば、智花は巨大なハンマーを腐気で作り出していた。
受けの印を制御し、腐気を自在に操作できるようになった信親も、同じことができたとしてもおかしくなかった。
自前の衣装を見ながら信親は、虎子に疑いの目を向ける。
「でも、お前はなんで、腐気で物を生み出せるって、知っていたんだ」
「腐気の基礎知識だよ。無から有を生み出せるなんていうのはね。もっとも、自在に作れるってわけじゃない。相当力が強くないと、箸一本作れないし、数秒しか形を保てない。二時間以上たっても消えない衣装を作れるなんて、腐浄士の中でも高位の者、それも、関腐連にも数人しかいない。ここまで強い腐気を操れるなんて、北畠信親、お前何者だ?」
「母親と妹がテロリストで、警察からマークされている好青年で、事件に巻き込まれたせいで大学を休学させられた大学生だよ。知っているだろ?」
信親と同じような疑念の目で向けてくる虎子に、嫌味を返した。
「まじめな話をしているつもりなんだがね」
「俺は、まじめにふざけてるだけさ」
「喧嘩を売っているのか?」
「それもいいね。ここで暴れて、みんな捕まるか?」
「こんなところで喧嘩なんて、貴方たちは余裕が溢れすぎているようね」
晶が疲れた声を出した。
もう、一々喧嘩を止めなくなっていた。
大市場に到達する少し前までは、喧嘩が起きるごとに止めていたが、もう諦めているようだ。
或いは、敵地に堂々と顔を晒しているストレスに耐えかねているのかもしれない。晶が改めて疲れたため息をついた。
「余裕はないですよ。でも、神揚原巡査殿様様が下らないケンカを売ってくるんです」
「喧嘩を売ってはいない。当然の疑問をぶつけただけだ」
「はいはい。また喧嘩になりそうよ。じゃれていないで、急ぎましょう。次は、腐浄士養成学校職員宿舎を抜けていくんです。職員となりゃ腐女子の中でも相当強く、腐気に通じている奴らでしょう。腐気で作った衣装だとばれると、後が厄介よ」
晶の説教に、信親が捻くれた返事をしようとしたその時――
「おい、貴様ぁ、なんだこのフザケタ本は!」
「ヒィッ」
怒りのこもった罵声と、可愛らしい悲鳴が大市場内で木霊した。
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