第2話 誘われて逮捕

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 大学から脱出した信親と薫は、薄い本が並ぶ特殊な本屋にいた。

 特殊な本屋は、酷く狭い路地にある雑居ビル内の七階、急な階段を登った先にあった。

「いやあ、やはり強気なヤンチャ系が、弱気なヘタレに攻められているシチェーションが、一番グッとくるね。BLの至宝だ」

「そういう感想を、俺に言うとか止めてくれる? てか凄く気不味いんだけど。ランジェリー売り場に乱入したほうがマシなレベルでイヤなんですけど」

 先ほどまでの重病人然とした様子はなく、薫は上機嫌だった。

特殊な本屋は、薄い本――男同士の恋愛を描いたBL作品――を扱う同人ショップだった。

「我慢したまえ。ノブのせいで、ボクは死にかけたんだよ」

「薫の体調不良は、日々の健康管理に問題があったからだろ。俺のせいにするなよ。それより、俺の精神が死にかけているんだが?」

「ああ、ノブはBLを嗜まないタイプだったっけ。世の中には、そんな人もいるってことは、知っているよ。ボクは理解あるからね。気にしないで」

「人を、変わり者か非常識みたいに言うな。男でBLが苦手なのは、当たり前だろ?」

「そうかな。もし、ボクが男だったら、BL好きな男がいる証明になるよ」

「薫、やっぱりお前、男だったのか?」 

 信親の質問に、薫が体を密着させてから、とぼけたことセリフを吐く。

「ボクみたいに美しくも麗しい人間が、男? 誰だい、そんなバカげたことを言ったのは?」

「クソッ! からかいやがって。わけがわからんな」

「そう怒らないでよ。体調不良になる危険を冒して、キミに密着しているんだからさ」

「なあ薫、俺が病原菌じゃないって、いつになったら理解するんだ?」

「ボクの顔色を見ても、本当にそう思うかい?」

 信親が当然な指摘をする間にも、薫の顔色は徐々に青くなっていった。

「まさか、本当に俺のせいなのか」

「そんなわけないさ。気にするな」

「マジでどっちなんだよ。いやどっちでもいい。今度こそ病院へ行くぞ」

 強引に薫の手を取る。すると、片手一本で、薫の体が宙に浮いた。

 信親を中心にして、逆方向に着地した薫は、呆れた声を出す。

「バカ! 今のノブは、身体能力が強化されているんだ。まだ理解していないの?」

「す、すまん。でも、やっぱり病院には行こう」

「医者も薬も、必要ないね。ノブから離れてBL本読んでいれば、そのうち良くなるさ」

「いったい、お前は何の病気なんだ?」

「病気じゃないよ、ボクはただ――」

「ただの腐女子、いや、腐男子っだのかしら? 仏生寺薫君」

 意味深長な笑みを浮かべる薫の言葉を、誰かが遮った。

 振り返ると、スーツを着たショートボブの似合う、男前な美女が立っていた。

 男前な美女の胸は、凛々しい顔つきとは不釣り合いなほど、巨大だった。

 美女の姿勢が良くなければ、下品に思えるほど、たわわな実り具合だった。

 胸へ資本主義における富のように、視線を集中させる信親の足を踏みつつ、薫が美女に親しげな様子で挨拶をする。

「左様ですよ、晶さん」

「この人、知り合いか? あとな、足が痛いから、踏まないでくれるか?」

「ボクは、古い友人が知り合いの胸をガン見している姿を、すぐ近くで目撃させられているんだよ。心がたまらなく痛い。足の甲をつぶさないだけ、ありがたく思ってほしいね」

 晶と呼ばれた美女は、性懲りもなく胸を凝視する信親の視線を気にすることなく、イケメンな笑顔で挨拶してくる。

「薫君、わたしの胸は、控えめに言って大きいわ。イヤらしい視線は好きではないが、男性の注意を引くこと自体には、もう慣れているの。気にしないで」

「晶さんが気にしなくても、ボクは気になるんだ」

 不機嫌につぶやく薫をよそに、晶が信親へ顔を向ける。

「君が、薫さんのお友達の北畠信親君だね。わたしは、警視庁腐女子犯罪対策課の桐山晶警部です。よろしく」

「よろしく……って、マル腐!」

「その通称を知っているなら、話は早いですね」

「講義があるんで、失礼させてもらうよ」

 薄笑いを浮かべる晶から顔を背けて、信親は店から出ようとする。しかし、晶は滑るような動作で出入口をふさぎ、ワザとらしく首をかしげて見せる。

「おや? 今日、北畠君が受ける講義は、もう、ありませんよね。それとも、履修登録を忘れたんですか? いけませんね。留年にでもなったら、親御さんが逃亡先で泣きますよ」

「あんたは、俺の親を知っているみたいだな」

「この日本では、知らない人のほうが少ないでしょう? いえ、世界でも、かも。北畠君のお母様は、有名人ですから。ネット上では作家として、世間一般では、テロリストとして、ね」

 晶の目に剣呑な光を確認して、信親は息を呑む。どうやら、晶は怒っているようだ。だが、怒りなら警察に対して、信親も持っていた。

 家族を失った過去を思い出し、晶に詰め寄る。

「もしかして、母の潜伏先を教えろって話か? 俺は知らないって、三年前に警察には何度も何度も、何度も! 言ったはずだぜ」

「知っています。安心してください。今回は、お母様の件で伺ったわけではないのです」

「知ったことか。俺に警察の紳士淑女と話す理由は、欠片もないね」

 店から出ていこうとする信親を、晶ではなく薫が止めてくる。

「ノブ待って、晶さんの話を聞いてよ」

「薫、この胸山露さんに用があるのか?」

 信親は、セクハラとしかいいようがないセリフを吐いて、晶を挑発した。

 流石に不愉快だったようで、晶の声に冷たさを帯びる。

「わたしの名前は、桐山晶ですよ」

「失礼、活舌が合悪くってね。でも気にしないでくれ、名は体を表すって言うだろ。胸が山のように巨大で露出しているって意味で胸山露、いい感じじゃないか」

 我ながら最低な言い様だが、後悔はなかった。

 腰に手を当てた薫が、たしなめてくる。

「法と礼儀、二重の意味で良くないね」

「そうかい。だけどな、智花は、警察に殺されたんだぞ。礼儀なんて、気にしてられないな」

 小学生時代の薫は、他人をかばうなど考えられなかった。引っ込み思案なわりに、傲慢で偉そうだからだ。

 晶は、薫にとって、それなりに大切な知り合いのようだ。

 信親のまだ冷静な部分は、時の流れに感慨を覚えていた。しかし、より大きな冷静でない部分により、信親は晶を睨みつけていた。

 睨みつけられている晶は、怯むでも、どこ吹く風とばかりに無視するわけでもない。嘲りを乗せた冷ややかな視線と共に、意外なセリフを吐いてくる。

「今回、わたしが伺った理由は、北畠智花、あなたの妹さんについてなのです」

「あいつのやってたことか? それも知らないって、何度も話したぞ。全腐連の活動は、家族の俺にも内緒だったからな。それに、警察は遺品を全部持っていきやがっただろ。もう、智花について、俺は調べようもないんだ」

「落ち着いてください。北畠智花は、生きています。先日、目撃証言が得られました」

 晶は、仇敵について語るかのような冷たいトーンで、驚くべき情報を伝えてきた。

  2

「は? 馬鹿な、智花は死んだんだぞ。俺が骨を墓に納めたんだ。間違いない」

 信親は、咄嗟に晶の言葉を否定した。

 まだ十四だった妹が骨になるまでの二時間、一人焼場の控室で待っていた際の気持ちを、否定されたような気分になったからだ。

 怒り出した信親に、晶はいかにも意外なものを見るように目を見開いた。

「あら、妹さんが生きていると、なにか不都合でも?」

「そうじゃない。アンタが下らない冗談で、死者を冒涜するからだ」

 意地の悪い言い方をする晶に、信親のフラストレーションが急激に高まった。

 そろそろ殴っても良いのではないか。信親が拳を固めたところで、薫が晶の前に立つ。

「晶さん。やりすぎだ。ノブは、本当に知らないんだ」

「薫君、信親君とは、数年ぶりに会ったんですよね。嘘ではないと、なぜわかるんですか?」

「ノブは、演技ができるほど器用じゃない。それに、自分の感情に正直な奴さ。悪い意味でね」

 薫と晶は、しばしにらみ合う。

「……わかりました。薫君に免じて、引きましょう。そろそろ本題に移りたいですしね」

「本題だって? 移らないでいいよ。そっちが、お家か閑職に移動したらいいんじゃないかな?」

 信彦の嫌味を無視して、晶は勝手に話を進める。

「わたしは、なり手の少ないマル腐で活躍しています。移動はないし、あっても栄転ね。本題なんだけど、信親君の妹、北畠智花と、母親の北畠静流の捜索と捕縛に協力してください」

「人並みに想像力があれば、俺の答えは予想できるんだろ?」

「もちろんです。だから、条件を用意しました」

「条件、ね。その下品で立派な胸を、世間の荒波のような勢いで、揉ませてくれるのか?」

「別にいいですよ。揉みますか?」

 信親の下劣なセリフを聞いても、晶は余裕だ。腕を組み、巨大な胸をさらに強調してきた。

 この女、自分の武器を心得ている。晶の胸を凝視しながら、信親は感心した。

「晶さん、冗談はそのくらいで。ノブも手を引っ込めて」

顎に当てていた手を前に出し始めた信親に、晶の蹴りと不機嫌な声が浴びせられた。

蹴られた腕を抑えながら、信親は薫に文句を言う。

「痛いな。いいか、薫、暴力はコミュニケーションとして、下の下だぞ」

「痴漢野郎が、ボクに説教するの?」

「俺はまだ、揉んでないし、触ってもいないんだが?」

「これから揉むってこと」

「ああ、お楽しみは、これからさ」

 薫の蹴りで落ち着いた信親は、冷静にふざけて見せた。

 当然、薫は呆れた顔をする。

「死ねばいのに」

「いいや、生きるね。妹を、智花を探さないと、いけないからな」

「晶さんの胸を揉んでから?」

「揉みしだいてから」

「信親君、行為がパワーアップしてない?」

「利子みたいなもんだ。気にしないでくれ」

 信親は、手を躍動するイソギンチャクのように動かして、晶に迫っていった。

 まともな女性なら、引いてしまいそうだが、晶はかえって胸を張ってくる。顔を見れば、薄笑いすら浮かべていた。

 おもわず。信親は足を止める。

「あら、わたしの胸を揉む、いえ、揉みしだくのではなかったの?」

「アンタ、できないと思っているな」

「いえいえ、信親君は、有言実行の人、らしいですね。薫君から聞いていますよ。たとえ童貞の信親君でも、成人女性の胸を、宣言通り揉みしだくことができると、信じています」

 晶は、はっきりとした嘲笑を、男前の顔に浮かべた。

 できないと思っているようだ。

 実際、信親は躊躇していた。

 店内には、店員を合わせても四人しかいない。薫と店員に見られながら、成人女性の胸を揉むなど、普通の神経を持つ童貞には、ハードルが高すぎる。

「おや、どうしました? 顔色が悪いですよ」

 晶の嘲笑が深みを増し、信親に屈辱を与える。

「別に、普通だよ」

「それはなにより。では、もういいでしょう。今後の方針についてお話ししましょう。こんなところでは話せないので、署までご同行願いま」

 晶は、踵返し、出入り口に向かう。一瞬、勝者が戦後処理について話すように変化した晶の表情を確認するや、信親の思考は、短絡した。

「チェストォー!」

 薩摩隼人のような掛け声一つだし、晶の胸を、背後からめちゃくちゃに揉みしだいた。

「キャアアアアアッ!」

「ノブゥー、正気か!」

 晶は少女のような悲鳴を上、胸を抱えて蹲まる。薫は、非難と驚愕を混ぜて怒声を飛ばした。

「正気だ。有言実行したんだよ!」

「こ、この最低野郎! キミと幼馴染だと、信じたくないね」

「信じるも信じないも、あなた次第です」

「キミは都市伝説かなにかなのか?」

「いずれは、伝説になる男かもしれないな、俺って奴は」

「五月蠅いよ!」

 先程まで涼しい顔をしていた薫が、怒ったり動揺したりする様子は、実に面白かった。ために、信親はつい調子に乗ってしまう。

「ちなみに、半端なく重かった。毎日持ち上げたら、相当な筋トレになるな。そういえば、俺は最近、運動不足だったな。今度ともよろしくね、晶さん」

「それ以上、しゃべらないでくれるかな」

「やだね。日本は民主制国家だ。言論の自由がある」

 信親が得意気に話していると、蹲っていた晶が素早く立ち上がり、手を伸ばしてくる。

「おや?」

「死ね!」

 晶は罵声を浴びせつつ信彦の襟と袖を取る。次の瞬間、信親は床に叩きつけられていた。

 背中への衝撃で、信親の呼吸が止まる。

「自業自得だね。晶さんは、柔道の元オリンピック強化選手だよ」

「痴漢と公務執行妨害の現行犯で逮捕します。寝てないで、立って歩いてください。歩け!」

 晶に無理やり立たされた信親は、肘の関節を極められたまま、警視庁に連行された。

 初めて入った取調室で、信親は三時間の説教を晶から受けた。

 疲労困憊となった信親は、大学を休学し、智花の捜索に力を尽くすと、晶に誓わせられたのだった。

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