腐女子たちの挽歌
呉万層
第1話 再会と跳躍と
1
東京に住む大学三年生の北畠信親は、少し性格がひねくれているものの、どこにでもいるごく普通の大学生だ。ただし、父親が行方不明で、母親と妹が国際指名手配中のテロリストであることを除けば、だが。
「やあノブ。久しぶり」
家族に問題があろうとも、信親本人は、いたって凡庸だ。そのため、学内の人気がない通路を歩いている際、少女から流麗な声がかけられると、上手く話せなくなってしまった。
声をかけてきた少女が、現実感を喪失するほどの美少女だったからだ。
艶やかな長い黒髪に、長いまつげから覗く切れ長の目は、蠱惑的で吸い込まれそうになる。ブレザーから出ている顔と首や手足は、陶器のように白く透き通っていた。
口が意地悪く歪んでいたり、目に嗜虐的な光が浮かんでいたりしていなければ、一瞬で心を奪われていたかもしれない。それでも、九割方心を盗まれかけたが、なんとか踏みとどまった。
ありきたりな質問を、美少女返す。
「えっと、久しぶりって?」
「ふふ、そんなに緊張しないでよ。ノブとボクの仲じゃないか」
美少女は、何でもないように振舞おうとする信親の様子を見て、面白そうに笑った。
漏れた吐息から甘い香りが広がり、信親の鼻腔に入り込んでくる。たったそれだけで、視界が霞み、頭に霧がかかったかのように、思考力が低下した。
景色が歪む中、信親は美少女に問いかける。
「お前は、いったい」
「迎えに来たんだよ」
「迎え? お前、火車かなにかなのか? だったら、なんで猫の姿をしていないんだよ。火車は、毛深い猫っぽい姿で、屋根の上にいるもんだろ。それに、俺はまだ死んでいないぞ。水木しげる先生に謝れ」
自分でも何を言っているのかと、わからなくなりながら、信親は馬鹿げた要求をした。しかし、ブツブツと妖怪知識を囁く信親を気にせず、薫は少しずつ距離を詰めてくる。
「ノブ、ボクと一緒にくるんだ」
薫と呼ばれた美少女は、罠にかかった獲物をみるような目をして、ゆっくりと信親に近づいてくる。しかし、餌に迫る蛇のような美少女の歩みは、唐突に停止した。
薫から放たれる甘い香りに、鉄さびの臭いが加わる。と、ぼやけていた視界が、徐々に鮮明になっていく。美少女の薄い胸から、何かが生えていた。
よく見ると、血に濡れた矢の先端だった。
美少女は、背後から矢で射抜かれていた。
2
信親は、慌てて美少女に駆け寄る。
「おい! 大丈夫か!」
「いやいや、矢で胸を射抜かれたんだよ。大丈夫じゃないよ。痛いよ」
美少女は、胸から血を流しているにもかかわらず、平然と突っ込みを入れてきた。
「痛いで済む話かよ。救急車」
「呼ぶ暇は、ないんじゃないかな」
「何を言って」
美少女の言葉に反応し、周囲を見渡す。いつの間にか、八人の奇妙な女性たちに囲まれていた。
八人の女性は、侍風の袴と甲冑を、ドレスに仕立てたような格好をし、腰に太刀を佩いていた。
一様にアニメやゲームのキャラクターじみた恰好をした女性たちを見ても、信親は笑わなかった。
彼女たちに見覚えはないが、どんな生き物はか知っている。指名手配中である信親の母及び妹と、同じタイプの人間、イヤ、生物だ。
もしかすると、かつて池袋で起きた惨劇にかかわっているかもしれない。コスプレみたいな格好より、中身がヤバい連中だ。
下手に笑おうものなら、その場で殺されかねない。緊張する信親を他所に、薫は小馬鹿にして笑っている。
「中堅の腐戦士に、幹部クラスの腐浄士か。学校に侵入するなんて、非常識な連中だね。ま、腐女子に常識を求めるほど、ボクも馬鹿じゃないけどさ」
囲んでいる者のリーダー格と思われる腐浄士が、武道家を思わせる凛とした声で、呼びかけてくる。
「仏生寺薫。これが最後の警告だ。我らの元に戻ってこい」
「やあ、冴島マリモちゃんじゃないか。キミも、しつこいね。嫌だと言ったら、どうするの?」
「知れたこと。今この場で」
「え! ちょ、ちょっと待って。え? てかお前、薫、なの?」
マリモと呼ばれた腐浄士が、凛とした声で話すセリフを、信親は思わず遮っていた。
薫と呼ばれた美少女は、恐ろしく艶のある表情を浮かべて、悪戯っぽく笑う。
「やっと気づいたの? 鈍いなぁ」
「いやだって、お前、男、だったよな?」
信親は、絞り出すような声で、突っ込みを入れた。
そう、小学生時代に付き合いのあった一つ年下の幼馴染・仏生寺薫は、男のはずだ。
「ボク、自分を男だって、言ったことないよね」
薫が、首を傾けて、目をのぞき込んできた。
長い黒髪が肩からこぼれ、また、甘い香りがする。だが、信親は、切れ長の目に、注意がいっていた。
悪戯っぽく笑っているが、瞳の奥には、強い感情が見える。怒っているのかもしれない。すると、俺は薫の性別を、勘違いしてしまっていたのだろうか?
中学生に上がって以来、引っ越した薫とは会っていない。だから中学の制服をきている姿を見ていないし、スカート姿も見たこともなかった。
活発な女子小学生が半ズボンを愛用していたとしても、おかしくはない。勘違いを謝ろうか?
「ま、女とも言っていなかったけどね」
どう謝ったものかと考えていると、瞳に意地の悪い光を宿した薫が、半笑いで話してきた。
からかわれていると理解し、信親は不機嫌になる。
謝ろうとしたが、アホみたいだ。
文句を言ってやろうと、覗き込んでく蠱惑的な瞳に正面から向き合う。
「あのなぁ」
「仏生寺、こっちを向け!」
放っておかれていたマリモが、怒号と共に抜刀する。見るからにプライドの高そうなマリモは、無視されて怒り心頭といった体だ。
他の七人いる腐戦士たちも、それぞれ武器を手に取っていた。
太刀や小太刀を中段・上段・八双に構える者たちもいれば、棒手裏剣を直打法の持ち方をする者いた。
一人だけ片手斧と丸盾を装備している者もいた。
和装にバイキング風の片手斧は合わないのではないか、一人だけグループ内で浮いていないか、心配した。
もちろん、余計なお世話もいいところだったので、口には出さなかった。
馬鹿げた考えを弄んでいるうちに、戦士階級の腐女子たちは、信親と薫に武器を突き付けてきていた。
だが、薫は余裕な態度だ。
「相変わらず、沸点低いなぁ。そんなんだから、彼氏もできないんだよ」
「五月蠅い! 我らをコケにするなら問答無用だ。その首を刎ねて、池袋駅前に晒してくれる」
マリモが合図すると、腐戦士たちが襲い掛かってきた。
平和な校内で、急に殺し合いが始まった。
3
「ノブ、危ないよ」
「うわっ!」
薫が、信親の襟首を掴んで、後ろへ引っ張った。
「仏生寺、よほどその男が大事なようだな」
「そう見える?」
「ああ、まるで子供を抱く母のようだぞ」
信親は、ぬいぐるみのように、薫から抱きかかえられていた。
薫に密着したせいで、甘い匂いが濃くなる。そんな場合でもないのに、視界が霞み、頭が働くなりそうになった。
信親は頭を振り、軽口をたたく。
「俺からみても、大事にされていると思うぜ。このまま、お姫様抱っこでもされるのかと思った」
「お望みならしてあげようか? ついでに誓いのキスも」
「薫が女だって確信が持てて、オプション料金が安ければ、両方お願いするよ」
「フフフ……うっ!」
信親と薫が笑いあったところで、不意に、薫が苦しみだした。
「おい、どうした、顔が真っ青だぞ」
「なんでもない」
「なんでもないって顔色かよ」
力が抜けていく薫を支えていると、マリモが嫌味を言いつつも警戒しながら近づいてくる。
「仏生寺、体調管理は大事だぞ」
「知っているよ。適度に運動もしているし、食前にヨーグルトを飲んでいる。食後と就寝前に、BL本を読んで腐気を取り込んでいるから、体調を崩すなんて、ないはずなんだけどな」
「そうか、来世では、もっと体には気を遣え」
マリモは淡々と忠告をすると、上段に構えていた大刀を振り下ろした。
信親は、薫を抱いたまま避けようとする。腐女子たちは、戦士階級でなくとも、オリンピック・メダリストを上回る身体能力を持つといわれていた。
薫を抱えたままでは、腐浄士の鋭い斬撃を躱せるはずもない。はずだった。
ところが、薫を抱えたままの跳躍で、信親は包囲の輪から抜け出していた。
助走なしにもかかわらず、高さはビルの三階に達し、飛距離も十数メートル出ていた。
「あれ?」
「なあ!」
超常的な現象を目の当たりにして、信親は不思議そうな、マリモは間の抜けた声を上げた。
周囲の腐兵士は唖然として声も出ない中、一人、薫だけが納得していた。
「やっぱり、ね」
「やっぱりって、なんだよ。薫、お前なんか知っているのか?」
「さあね。そんなことより、せっかく包囲を突破したん、だ。さっさと逃げたほうが、いいと、思うよ」
浅い呼吸を繰り返す薫の顔色は悪い。それでも、信親の質問に、薫はあからさまな誤魔化しで答えた。
「しかし」
「ノブ、君は火事の現場で逃げもせずに、火元を探して、焼け死ぬ間抜けなのかい?」
ちょっとずれた例え話で、薫はとぼける。さらに質問をしようと口を開く前に、マリモたちが距離を詰めきた。
が、マリモたちは突然、膝を地面につき始めた。
「逃がすか! ん? なんだ、体から力が、抜ける」
「ほら、マリモちゃんたちも、ボクと同じ症状だ、よ。は、早く逃げようじゃないか」
脂汗をかきながら、顔色を真っ白にした薫が、息も絶え絶えに逃げるよう催促してきた。
ただごととは思えない薫の体調悪化に接した信親は、急いで離脱にかかる。
「ええい、もう。後で説明しろよ」
「き、気が向いたら、ね」
薫をかかえて、信親は走り出す。背後から、マリモの悔しそうな罵声が投げかけられる。
「仏生寺! 逃げられると思うなよ。我らはどこにでもいる。偉大なる母と総帥のお許しがない限り、安息もないと思え!」
「悪役っぽいセリフを吐くんだな、マリモって子」
「じ、実際悪役だろ。武器、持って、人を、追いかけまわして、いるんだから」
「外見はいいのに、勿体ない」
素直にマリモの容姿を褒める信親に、薫は冷たい声で抗議してくる。
「……ボクを抱いたまま、他の子を、褒めないでよ」
「急に元気になったな」
「そうでもないよ」
薫と会話をしている僅かな時間で、マリモたちを完全に引き離していた。
いったい、今の俺は百メートル何秒で走っているんだろう? 薫を抱きかかえたままの腕は、なぜまったく疲れないのだろう? いつまで、この力を使えるのだろうか?
信親は、自分の異常な脚力と腕力に、恐怖と高揚を覚えながら、校外へ脱出した。
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