第26話優しい脅迫

 頬を叩かれる感触で、信親は目を覚ました。

 目を開けると、滲む視界に晶の呆れ顔が映った。

「ちょっと、いつまで寝ているの。起きなさい」

 信親としては、まだ目をつぶったばかりな感覚だったが、もう三十分経ったらしかった。

 横を見れば、虎子はまだ眠っている。なら、もう少し寝ていてもいいはずだ。

「あと五分」

「そんな場合じゃないわ。主力が撤収を開始するの」

 信親は一瞬で目が覚め、布団から飛び起きた。

「撤収? お味方はそんなにマズイ状況なんですか」

「突入部隊の戦力は、まだ残っているみたいだけど、他の入り口から地下に潜る予定だった本当の主力部隊が待機場所で襲われたの。司令部は対応で手一杯なんだそうよ」

「ははあ、俺たちは囮だったんですね。どうりで、作戦内容も人数も教えてもらえていたわけだ。で、情報が洩れて逆に本命が襲われ、作戦失敗ってわけですか。笑い話ですね」

 深刻そうに話した晶に対し、信親はあっけらかんとしたものだった。

「驚かないのね」

「意外性のないことを聞いても、驚いたりしませんよ。ああでも、外ならぬ晶さんの頼みなら、少しくらいビックリしてあげてもいいですよ。叫んだり嘆いたりしましょうか? 今なら悔悟の涙と、恐怖の鼻水もつけますよ」

 突入前に晶が無線でしていたやり取りを聞いていた限り、最初からかなり不利そうだった。

 腐女子の本拠地に突入するには、人数も火力も中途半端だったのだ。

 囮と割り切ってもっと少なくして隠密性を高めるか、完全な囮ではなく、主力と遜色ない人数と火力を付与すべきだった。

 それに、腐女子たちは、どこにでもいる。作戦は、情報が漏れることを前提に立てるべきだ。

 イレギュラーが起きないことを前提にしたピーキーな計画は、よほど潤沢な戦力や資金、時間的余裕がない限りは、失敗する可能性が高くなる。当然の結果に接して、驚くわけがなかった。

「そんな汚いモノと程度の低い同情のセットなんて、いらないわよ」

「人の親切を拒否するっていうのは、感心しないな」

「欲しい親切じゃないし。貴方の親切を受けると、後が怖そうなのよね」

「大した利子はつけませんよ。昔の商工ローン程度です」

「家族、親戚、友人、知人に迷惑をかけた挙句に、一家離散クラスの金利じゃない」

 信親と晶が会話を楽しんでいると、無粋にも邪魔をしてくる者がいた。

「あのー、無駄話をしている暇は、ないと思うんですけど」

「わかってるわ。ちょっとした現実逃避だから大丈夫」

 堂々と酷いことを言う晶に、信親は即座にツッコミを入れる。

「リーダーが現実逃避を始めた時点で、大丈夫じゃないと思うですがね」

「茶化さないで、貴方だって新しい命令を聞いたら、現実逃避の一つや二つ、したくなるわよ」

「なんだろう。戦前の歴史がちょっと好きな俺としては、嫌な予感しかしないんですけど」

 信親の脳裏に〝滅私奉公〟〝悠久の大義に生きる〟〝七生報国〟などの言葉が浮かんだ。

 どれも、上の者が下の者を、都合よく動かす際に使う言葉だった。

「遊撃班は、各中隊の撤退援護のため敵の攪乱に努めつつ、最奥にある神殿の情報収集を続行。可能な限り報告を送られたし……だって」

「世界最良の鉄砲玉になれってことですね」

「結構な予算と人員つぎ込んだ作戦だし、最低限の成果がないと、終えるに終えられないのよ」

「晶さんと、そこで寝てる巡査殿は公務員だけど、俺は民間人ですよね?」

「信親君は、民間の関係者よ」

 どう逃げようかと頭を働かせる信親の両肩に、晶の手が置かれた。

 いい匂いもするし、晶は美人だ。ついでに、視線を少し下に落とせば胸の谷間も楽しめる。

 しかし、今は道連れを逃すまいとする悪霊のような瞳が気になって、視線を逸らせなかった。

 このまま晶に押し切られれば、一緒に死地で取り残されかねない。ともかく反論しよう。薫や静流・智花の動向は気になるが、死んでしまっては、元も子もないのだから。

「結局は、民間人なんですよね? 警察組織に入って、誓いの言葉的なものを唱えていない、市井の人ですよね?」

「帰ったら、協力者として雇ってもらえるよう上に掛け合ってあげる。みなし公務員扱いよ」

「マジ? 悩むなそれは」

 降ってわいた就職話に、思わず引きつけられてしまった。

 晶は、弱者を発見した宗教関係者か詐欺師がするような瞳で、囁いてくる。

「信親君、就職の当ては口あるの?」

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