第13話 裏切りではないらしい

「本当なの?」

「多分、薫が触っても大丈夫だ。多分な。ああ、怖かったら、触らないでおいていいんだぜ」

 信親、は聖典を薫に差し出す。口の端を軽く上げ、ワザと悪戯っぽい笑みを作って見せる。触れるものなら触ってみろとでも言いた気な信親を見て、薫は躊躇いを見せずに、受け取った。

「怖くなんてないよ」

「へえ、勇敢だな。男らしいじゃないか」

 美少女としか言いようがない外見の薫に、皮肉を効かせた誉め言葉を贈った。

 薫は、聖典を持ったまま信親から距離を取り始めた。

「ありがとう、と言っておくよ」

「薫?」

 異変に気付いた信親が距離を詰めようとするが、薫はさらに後ろへ下がっていく。

「でも買い被りだ。ボクは、知っていただけなんだ。ノブ、キミなら聖典を制御できるってね」

「知っていた、だって?」

「そうさ。キミのことは、よぉく知っているんだよ。ボクは。でも聖典を差し出してくれるとは、思わなかったけどね。助かったよ。どのタイミングで盗ってやろうかって、悩んでいたところだったんだ。ほら、晶さんも狙っているかもだし」

 薫の目を見る。いつもの悪戯っぽかったり、呆れたりする様子はなかった。

 瞳には、薄暗くドンヨリとした光が浮かんでいるだけだった。

 腐り落ちる前の果実を思わせる目を、薫はしていた。

「薫君、貴方、まさか」

 異変を察知した晶が薫に近づいていく。右手は、懐に差し入まれている。晶の胸は、防弾性能が付加されていたとしても、不思議とは思えないほどに巨大だ。

 かなり邪魔なはずだ。それでも、晶の動作に無駄はない。訓練が行き届いているようだ。

「不可解とか不条理だって、思っているの? いやいや、腐女子対策課の課員なら良く知っているはずだよ。フフフ、我々は、どこにでいる。晶さんならこのセリフ、聞いたことあるよね?」

「薫!」

 怒りに満ちた声を上げるや、晶は滑らかな動作で拳銃を引き抜いていた。

 薫に向けられた拳銃は、一般の警官が使うリボルバーではなくオートマチック、それも十一・四ミリ弾を使用するコルト・ガバメントだった。

 耐久力の高い腐女子を相手にする、腐女子対策課ならではの装備だ。

 オートマチック拳銃で最もポピュラーな九ミリパラベラム弾では、接近戦タイプの腐女子に、致命傷は与えづらい。そのため、国内でライセンス生産されるようになったのだ。

 日本では、腐女子対策課と腐女子の集団と戦う機会の多いSATだけが装備していた。

 しかし、命中すれば最低でも重傷は免れないコルト・ガバメントの銃口を向けられた薫の顔は、涼しいものだった。

「へえ、晶さん、ボクを撃つの?」

「抵抗すれば撃ちます。大人しく捕まるなら、少しだけ痛い目を見るだけで済みますよ」

「晶さん、抵抗してほしそうな顔をしているね」

 信親も薫と同じ感想を持った。

 晶は、仇を見つけたサムライのような剣呑さ溢れる表情をしていた。

紅潮していながら瞬きのしない目を乗せた顔は、

「ええ。あの、人を舐め切ったセリフを吐く不届きな腐女子には、率直に言って鉛玉を打ち込んでやりたくなります」

「ハハ、憎まれたもんだね。正直なのは美徳だけどさ、その態度じゃ裁判で不利になるかもよ」

「裁判にしますか?」

「いいえ。捕まるつもりは、ありませんので」

「なら、裁判長の心象もマスコミ対策も不要ですね」

 破裂音が三発、辺りに響いた。

 薄ら笑いを浮かべる薫に向けて、晶が発砲したのだ。

 ブレザーに穴が開き、薫の胸に二発、腹に一発命中し、薄い血煙が上がった。そのまま倒れ、薫は天井を見上げるような形で、床に体を打ち付けた。

 恐ろしいことに、晶の視線も体もほとんど動いていなかった。

 突然幼馴染が撃たれた信親と、自分の管理下にある場所で起こった発砲事件に慌てる真澄が、驚愕もあらわに叫ぶ。

「薫!」

「き、桐山警部、困ります」

「動かないでください。仏生寺の友人であるの北畠君と、腐女子の沢渡さんがおかしな真似をしたら、撃つしかなくなりますよ」

 薫に駆け寄ろうとする信親とオロオロする真澄は、晶の厳しい声で制された。

 信親は歩みを止めなかったので、銃口より威圧感のある晶の視線を向けられる羽目になった。

「動くなと、言いましたよね。撃たれてもいいのですか?」

「晶さんに撃たれた友人が、心配でね」

「お友達想いで結構なことです。しかし」

「気遣いは無用だよ」

 晶のセリフを、薫が引き継いだ。

 三発の十一・四ミリ弾を撃ち込まれた薫が、何事もなかったかのように、体を起こしたのだ。

「無傷ですか。これだから腐女子は」

 薫に対する感想は、晶も同様だったようで、忌々し気に吐き捨てた。

 銃口を向けて睨みつける晶の顔は、少し引きつっている。対して薫は余裕綽々だ。

「痛かったし、皮膚は破れたよ。ああ、ついでに言うと、お気に入りのセーラー服も破れた」

「コルガバの弾なんて食らったら、腐女子でも普通は死にますけどね。腐浄士クラスでも動きが鈍くなります」

「ボクは普通じゃないのさ。信親が飼い慣らしてくれた聖典があるからね」

 薫により聖典が掲げられる。敗者に降伏文書を示すような態度だった。

 尊大な振舞いと、頭上に示される意思を持つという聖典を見て、薫が自分の前に現れた理由を理解する。

「薫、俺に聖典を制御させる目的で、近づいたな」

「八十点だね。大体あってるけど、百点じゃない」

「そうかい。残りの二十点分は、CMの後か?」

「永遠に無理だね。これからお家に帰って、菓子でも食べながら原稿書かなきゃいけない。そのついでに、この聖典を静流さんに届けるもんで、時間がないのさ」

「幼馴染のために、少しくらい時間をとれないのか?」

「アッハッハッハ!」

 信親からの言葉を聞くや、薫は腹を抱えて笑いだした。

 アメリカのカートゥーンに登場するキャラクターのような、大げさな仕草だった。

 数秒間声を上げて笑った薫は、笑いの種類を嘲笑に変えた。

「まだ、ボクが幼馴染だって、信じてくれるのかい? ありがとう。キミは良いやつだ。本当に都合の良い奴だ」

「幼馴染じゃないっていうのなら、俺の記憶にいるお前は、どこに行ったんだ?」

「人間の記憶なんて曖昧なモノさ。本当の記憶じゃないのかもしれないよ。うん、キミなら特にあり得る話さ。なにせ、キミは特別の中の特別だからね」

「薫、お前は俺の何を知ってるんだ? なぜ俺なら聖典を制御できると思ったんだ? 特別って、なんのことだ?」

 信親の問いに、一瞬、薫は眉を寄せるが、悪戯っぽく笑うと、答え始めた。

「話す時間はないと言ったよ。でも、キミの協力のお陰で聖典は手に入ったし、幼馴染? でもあるし、フフフ。サービスしてあげよう。単純な話さ、知っていたし、知らされていたんだ」

「わかりやすく話せよ。なぜ俺のことを知っていて、誰が俺について教えたんだ?」

「アッサリわかったら面白くないだろう? でもボクは友達涯のある素晴らしい人間だから、ヒントを上げよう。キミの生産者だ。サービスはここまでだよ。贔屓は、あまりよくないからね」

 親切にもほぼ答えを寄こすと、薫は階段を駆け上がっていった。

 慌てて後を追うが、屋上に出た時点で見失ってしまった。

「うわああぁ! ウチらの腐宝が!」

 追いついてきた真澄が混乱と焦燥も露わに騒ぐ様子を尻目に、晶がつぶやく。

「……逃げられたみたいね。いえ、襲いかかられていたとしたら、皆殺しだったかもしれない。むしろ、見逃してもらったというべきかしら」

「聖典を手に取ってからの薫は、身のこなしが随分軽くなってましたよね。薫が使いこなせるようになったのは、俺の所為なんですか?」

「薫君、いえ、仏生寺薫の言う通りならね」

「あいつは、薫はいったい何者なんですか?」

 信親の素朴な疑問を聞いて、晶は目を丸くする。

「幼馴染ではなかったみたいだけど、友人なんだからいろいろ知っているんじゃないの? 少なくとも、わたしなんかよりは」

 今度は、信親が目を丸くする番だった。

「え? 晶さんって、薫と付き合って長いんじゃないんですか?」

「そんなことわたし、言ってないわよ。仏生寺は、三か月前くらいから捜査に協力するようになったの。全腐連の幹部とか腐女子の情報提供者と、何人も渡りをつけてくれてね。白兎も仏生寺の紹介だったわ」

「そんな都合も良くて怪しい話を、疑わなかったんですか?」

 信親のツッコミに、晶は巨大な胸を押さえて、バツの悪そうに視線を外した。

「ちょうど、数名の課員が腐男子化や腐女子化したり、情報提供者が失踪したりした時期だったから、飛びついちゃったの。今思えば、課員を襲撃したのは、仏生寺かもしれない。或いは」

「或いは、薫の上に立っている奴、例えば俺の母親、北畠静流の息がかかった腐女子とかね」

 言いかけて気まずそうに口を閉じた晶のセリフを、信親が引き継いでやった。

 きっと晶は、良い人なのだろう。なにせ、子供の前で親の悪行について語らないようにしてくれているのだから。同時に、思った。

 晶さんも色々あったみたいだけど、幸せな人だ。

 される側に回ると、気配りなんてどうでもよくなることを、きっと知らないのだから。

「泰山腐君様に怒られる! いや、今ならまだ間に合う。兵隊、兵隊集めるんや。ケジメつけちゃる。戦争や、先制攻撃や! 全腐連所属のサークルを潰して回ったるんや! ああ、その前に、腐柱に収める聖典の代用本を用意せな! 忙しすぎや、クソが!」

 信親の晶に対する評価を改めている後ろで、真澄が物騒な言葉で喚いていた。晶が慌てて止めに入って説得を続けた結果、今後どうするかについての相談は、スグにはできなかった。

 お陰で、信親が事態の深刻さを理解するのに時間がかかった。

 腐女子界の有力組織と最大組織の全面戦争が始まると知ったのは、晶が真澄の説得を諦めた一時間後だった。

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