第10話聖典、ゲットだぜ

 映画のような仕掛けの割に、階段は踊り場を挟んで三十段もなかった。

 雑談を交わす暇もなく広間に到着するや、真澄が中央の白銀色をした円柱を、手で示した。

「あちらが、この世全てのBLを宿した〝腐柱〟どす」

 円柱の全高は十数メートルで、周囲には、デフォルメされた男と男が、体を重ねる姿のレリーフが彫られた祭壇や、男と少年、或いは中年の男たちが絡み合う世にもおぞましいオブジェが、様々な着色で彩られて、所狭しと並べられていた。

 只人の信親からすると、邪神を祀る神殿にしか見えなかった。

 しかし、薫は違ったようだ。

「へえ、意外なところに、宝物庫があったもんだね。あれなんて、古代池袋様式じゃないか?」

「ほほう、お目が高い。よほどの趣味人でいらっしゃるようでんなー」

 薫は、なにがそれほど興味深いのか、やたらと感心したように、真澄と頷きあっていた。

 信親は、薫の仕草から幼馴染との断絶を感じ、気不味い思いに駆られた。

 薫が腐女子の作品に詳しくなったのは、いつのころからだろうか? 実は、昔からだったのだろうか?

 どうも、流していた薫の過去について考えると、心がざわつく。心地悪さを払しょくするように、意識を〝腐柱〟とかいう円柱へ向ける。円柱は石造りだが、中央からやや下の部分はガラス張りの空間になっており、中には、光が当てられたA4サイズの薄い本が覗いていた。

 どうやら、あのヤマもオチもイミもなさそうな本が〝この世全てのBL〟らしい。気が付けば、信親の足は、オブジェの海を交わしつつ〝この世全てのBL〟へ、体を運んで行った。

 円柱の前に立つや、自然と手が伸びた。

 あと数センチで指が届くというところで、信親を呼び止める声があった。

「何をしてはるんですか!」

「沢渡さん?」

「沢渡さん? じゃ、ありまへん。腐宝中の腐宝たる聖典に触ろうなんて、正気でっか?」

「素手で触るのは、無作法だったかな?」

「儀礼的な意味だけではありまへん、とにかく触ってはいけないんどす!」

「手袋が必要だったか?」

「でっから、そげな問題ちゃうんや!」

 直接、大事な腐宝に触れる行為を咎められたかと思った。だが、方言が一層怪しくなった真澄の剣幕から言って、どうやら無作法が気に障ったわけでは、ないらしかった。

 信親は、自分なりに丁寧な言葉遣いで真澄に真意を問うた。

「ほな、なにが問題でんねん?」

「舐めとんのか! お前の顔どつきまわして、総受け食らったキャラの尻穴みたいにしたろかコラァ!」

 京風から大阪風に、真澄は腐女子要素を入れつつ態度を変化させた。

真澄が信親に迫ってくる中、薫が落ち着いた態度で静止に入ってくれる。

「沢渡さん、落ち着いて。キャラがちょっとだけ変わってますよ」

「……失礼いたしました」

「失礼いたしましたどすえ。じゃないんでっか?」

「ノブ! いい加減にしてくれる? キミの命がかかっているんだ。真剣になれよ」

 つい、仲裁を台無しにしようとする信親に、薫の静かだが厳しい声が飛んだ。

 薫の声色には、心配の成分が見え隠れしているので、流石の信親も反省した。

「悪かったよ。沢渡ちゃん、続けて、ああ、標準語で簡潔にね」

「こんガキャア!」

「ノブ! ええと、沢渡さんすいません。根性と性格と口が悪い奴なんですけど、根は、悪いと言い切れないかもしれません。心さえ許さなければ、精神衛生的に安全性が高まります」

 信親なりの反省は、薫にも真澄にも響かなかったようだ。

 薫のフォローを聞いた真澄は、信親を睨みつけながら、ため息をついた。

「アンタ、なんでこんな男と付きおうとるねん? はよ別れんし」

「え、そんな、付き合うって」

 真澄の吐いた、お節介なおばちゃんのようなセリフを聞くや、薫は頬を染めた。

 信親もちょっと照れ臭かったが、薫の性別がまだ不明なことを思い出した。

「いや、付き合ってないから。久しぶりに会った幼馴染だし、こいつ男かもしれないし」

「そこ詳しく」

 真澄が鼻息荒く迫ってくる。妙な迫力があった。

「いや、会ったの久しぶりで、男だったか女だったか、よく覚えてないんだ。こいつも焦らして教えてくれないし」

「私の希望としては、男でお願いしたいんやけど」

「お願いされてもなあ。なあ、薫。結局どっちなんだ? 女なのかオカマ野郎なのか」

「どっちがノブの好み?」

「また誤魔化しかよ」

 悪戯っぽく笑って誤魔化そうとするそうとする薫に、信親は追撃を緩めなかった。

「仏生寺さんは男で攻め。北畠さんは男でも女役の受けを、私は希望します」

「だから、あんたの希望も妄想もいらないんだよ。てか、俺が受けかよ。普通、逆じゃないか?」

「受けや攻めの判定は、個人のセンスどす。まあ、私の判定が絶対的に正しいんどすけど」

「どんな自信だよ。これだから腐女子は」

「ただの腐女子ではありまへん。こう見えて私は、腐術師長の位を、泰山腐君からいただいているんでっせ。しかも義理許しでも金許しでもなく、術許しでや」

「あっそ」

 厚くも薄くもない胸を張る真澄だったが、強調していっていた〝術許し〟や〝泰山腐君〟なる言葉の味を信親は知らなかった。

 なので、反応はどうしても薄くなった。

 真澄はいかにも不満そうに、頬を膨らませ唇を突き出している。相手をするのは面倒だったので、信親は真澄の視線を無視して、薫への詰問に戻ろうとした。

「へえ、泰山腐君から術許し。大したものだ。彼女の元では、腐術師になるのも難しいのに」

「せやろ~?」

 もう、真澄のキャラがよくわからなくなっていた。

 薫と真澄はなぜか話が合うようで、会話を楽しみ始めていた。

 また暇にさせられた信親は、今度こそと聖典に手を伸ばす。ガラスケースは、信親が触れる前に開いた。

 まるで誘っているかのようだ。

 本に自我があるわけがない。思いなおし聖典を両手で持った。

 瞬間、体が燃えるように熱くなり、信親の意識が混濁する。様々なシュチュエーションのBL作品――小説、イラスト、漫画、ラジオドラマ、アニメーション等々――が頭の中で渦巻いては、信親の体を蝕んだ。

 ちょうど、受けの印を発動させた際、体を蝕んだペナルティーを経験していなければ、意識を失っていたところだ。

 受けの印を操作する要領で、全身を侵食する腐気を操作にかかる。熱を感じながらも、嘘のように冷静になった。

 浅い呼吸を吐いて、体を無理やりリラックスさせる。

「ノブ!」

「触るないうたやろ。ドアホ!」

 状況に気が付いた薫と真澄の上げる悲鳴が聞こえるが、信親の集中は乱れなかった。

 頭の中で、ギアがかみ合う音がしたような気がすると、視界が一気に開けた。

 もはや熱も痛みも感じない。自身の成長を確信した信親は、薫と真澄に対して、満面の笑みを見せた。

苦しみだしたと思ったら、急に笑顔となった信親に戸惑う二人へ向けて、頭上に〝聖典を掲げたまま宣言する。

「聖典を、俺のモノにしてやったぜ」

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