第26話 すばらしいむかしのかれし

「君位の歳の頃、私は法学部のある大学に通わせてもらっていました」

 高速道路の入口で中尉は一旦車と言葉をとめ、券を取る。高速道路に入った車は速度を上げた。

「そこで法律を学んでいるとね、色々とわからなくなる事がたくさんあって。特に国家貢献指導、国家反逆罪、脱東罪の所とかね。その時にね、知り合ったの、彼氏とね」

 ハンドルを握る中尉の顔が少し明るくなる。

「すごいんだよ。大学教授にね、すばらしい国、のはずな日本共和国が嫌で脱東するのにそれが罪になるのはおかしい、とか平気で言っちゃうんだよ」

 思い出したのか、少し笑って続ける。

「そんな事ばかりやって、さらにサークルも自分で作っちゃってね。法律研究会っていうの。法律をもっと勉強して世の中を変えたい人大募集ってチラシ作って配っていたの。思わず入部しちゃった。でもね、やっている事は犯罪行為ばっかり。日本共和国は東日本に統一してもらうべきだ。国家貢献指導、国家反逆罪、脱東罪は間違っている、とか言って国を批判する演劇を結構大きな劇場でやったり、文化祭でもやったりしてね。結構部員も居たんだよ」

 言葉も顔も穏やかだ。

 懐かしみながら語っているのかもしれない。

「でもやっぱり衛兵隊に睨まれちゃってね、一年の終り頃、取り調べを受ける様になっちゃったの。それでね、一貴さん、彼氏がね、予備士官学校みんなで受けようって。そうすれば愛国に改心したと見なされるからね」

 予備士官学校は大学予科(一年生)終了から入れる。

 二十歳からの二年間の兵役を免れる為大学一年が終了した時点で入る人間は多かった。

「一年が終わったと同時にサークルのみんなで入隊したの。でもね、卒業まであと少しの時、全員衛兵隊に連行されてしまったの。彼氏がね、国境実習に何回も行っていたのは知っていたんだけどその時に国境のフェンスをね、特殊工具で切っていたんだって。それでサークルの全員が国家反逆組織だと疑われちゃって、岡山の国家治安センターに連れていかれたの」

 高速道路の照明か、はたまた中尉の表情のせいか、車の中が暗くなった。

「東側と通じているのか、どの位仲間はいるのか、武器はどの位調達しているのか、毎日、毎日同じ事を聞かれたな。そのうちね、拷問が始まったの。サークルのメンバー全員一つの部屋に入れられてね、毎日私だけ連れて行かれるの。何だか気に入られちゃったみたい。痛かったし、熱かったし、苦しかった。火傷や切り傷もこの時のものなんだ。彼氏が毎日俺と代われって言ってくれたんだけど、毎日私だけ連れて行かれて。どの位日にちが経ったかな。ある日ね、取り調べ人が代わったの」

 ここで言葉を切った。

 高速道路の単調な道、夜の暗幕を切り開く様に照らす照明。

 対向車もほとんど無く普段なら眠くなる所だが、話が重すぎて目は冴えわたるばかり。

「今度はね体が溶ける指導をやるからなって。今度は彼氏が選ばれちゃって。だけど連れて行かれたけど全然ケガも傷も無いの。少し青い光線を浴びただけで終わったんだって。次の日も傷一つ無くて。でもね、その次の日からね、彼氏が凄い下痢になっちゃって。その次の日は凄い抜け毛、その次の日は下血、そして体中からの出血。寝る事もできなくて一晩中呻いているの」

 急に車は減速し、路肩に停まった。

 中尉はうつ伏せになって話を続ける。

「顔の皮膚が崩れてきた頃からね、毎日殺してくれ、殺してくれ、って言う様になったの。でもサークルの誰も一貴さんを見守る事しか出来なかったの。ついに自分で歩けなくなってね、連れて行かれる時も引きずられて行く様になったの。由梨那、殺してくれって毎日毎日言うの」

 車のハンドルが濡れていた。

 中尉は肩を震わせて続ける。

「一貴さんが大量吐血した夜にね、由梨那、もう限界だ、お願いだから殺してくれって頼むの。私はね、だから、首を……絞めて……」

 車内は一瞬、まるで無音の空間となったが、中尉は小さな声で喋り出した。

「一貴さんはね、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、って私が首を絞めている間中ずっと言ってくれていた。最後のありがとうを聞いて何分後だったかな、衛兵隊が何人も入ってきて私を殴り飛ばしたの。その時にはもう一貴さんはこの世にはいなくなってしまっていたんだ」

 中尉は顔を上げた。

 そして泣き濡れた顔、赤い瞳で私を見つめ、

「私達がいる部屋はカメラで監視されていたみたいでね、一貴さんで生体実験していたのに殺しやがって何て事をするんだって、もう凄い勢いで殴られたの。でもね、後ろから衛兵将校が止めに入ってね、お前が衛兵隊の現役を志願すれば国家貢献指導をした、という事にしてやるし、お仲間全員釈放してやるけどどうする、って。もう選択肢が無かったんだ。女性の衛兵も増やしたかった所に、ちょうど良く私みたいな仲間、彼氏、婚約者も殺してしまう様な鬼畜が現れたんだから当然だよね」

 同意を求められる。

 同意できないので首を横に振る。

 それを見て少し笑う中尉。

「でもね、後悔はしてないよ。だって苦しんでいる人を少しでも救う事ができる立場になったんだから。間違いかもしれないけどね。それに少人数だけど東日本に逃がしてあげる事もできる様になったし。でね、山本君に一つ、指導教官として教える事があります」

「何でしょうか」

「これからも色々とあると思うけどね、決して希望を捨てないで下さい。強い思いは通じると思うから。例えその時に叶わなくても、ね」

 大きく、しっかりと頷いた。

 それを見て満足気な中尉は涙を拭いて、

「じゃあ帰りましょうか」

 車のエンジンをかける。

「あの中尉殿、私の協力の申し出と、その……告白の返事をまだお聞きしていないのですが」

 中尉は少し困った顔をした後、私に向き直りこう言った。

「君が衛兵士官学校を卒業するまで待ってくれないかな」

「わかりました」

「そう、卒業、したら、ね」

 中尉の白い高級車は排気音すらせず、静かな、止まって動かない様な時間だけが私達の周りを包んでいた。

 


 次の日、出勤し予定されていた『物』の廃棄を終えた中尉は広島県国家治安センターに向かう。

 私も付き添う事にした。

 受付で清瀬はどこの所属かを聞いて、その治安課の中隊長室へ向かった。

 ノックを三回、入れ、の声がしたので中尉はドアを開けた。

 中には治安課中隊長の大尉と中隊付の少尉と曹長が一人ずつ、それと中尉の階級を付けた衛兵士官が清瀬の首根っこを掴んで立っていた。

 上月中尉が入ってくるなり、うわ、来た、と言って少尉と曹長は部屋を逃げる様に出て行く。

 中隊長の大尉と首根っこを掴んでいる中尉もあからさまに嫌そうな顔をした。

 清瀬は半泣きの表情に怯えが加わった。

 上月中尉が中隊長の治安課大尉に近づく。

「一体どういうつもりで私の逮捕状を出したのですか?」

 それを聞いて苦い顔をした治安課大尉は、

「今事情を聴いたが、この学生が逮捕状を作りよって私がちゃんと見ないでハンコを押してしまって。まさか上月中尉の逮捕状なんて上がってくるとは思わないから」

 しどろもどろに答えている。

「そんないい加減に逮捕状を作っているのですか」

 語気が鋭くなった上月中尉。

「とにかく悪かったって、この学生は減俸にするから」

 中隊長室の中の空気が重くなる中、苦し紛れに言うのが見て取れた。

「まあそんな事はしなくて結構ですから、再発の防止を宜しくお願い致します」

 そう言って敬礼をした上月中尉は、回れ右して中隊長室から出て行った。

 慌てて私も後に続く。

 部屋からは安堵の空気が伝わって来た。

 廊下を並んで歩いていると、

「どうやら上からの指示では無かったみたい。あの子の独断みたいですね」

 私の耳元でそう囁いた中尉は少し笑って、

「この後は天気も良いですし、たまにはさぼって遊びに行きましょうか」

 素敵な事を言った。

 外は寒かったが、空は澄みきった色で私達を誘う。

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