第22話 すばらしいびょうにん
途中スーパーによってスポーツドリンク、野菜と梅干、後は高木と私用に適当なレトルト食品を買い込み中尉の家まで急ぐ。
家に着き中に入ると、
「おい、帰って来たか。何だかやばいぞ」
二階から高木の声がするので慌てて階段を駆け上る。
部屋の前で高木がオロオロしていた。
「大丈夫かなぁ、これ見てみ」
差し出された体温計を見ると、三十九度を超えていた。
私はビックリして高木に問いかける。
「病院行くか」
「さっきから言っているんだけど、病院には行きたくないって聞かないんだよ。お前彼氏なんだから無理にでも連れて行けよ」
「だから違うって、俺は彼氏じゃないから」
不思議そうな顔で高木は私の顔を窺う。
「何だ違うのか。だったらチャンスだろ、抱きかかえて連れて行けよ」
何がチャンスだ。
高木と変な言い争いをしていると、ちょっと、と弱弱しく呼ぶような声が聞こえたので慌てて部屋の中に入る。
ベッドの上では真っ赤な顔をした中尉が半身を起こしていた。
「病院は……行きませんよ」
赤い顔のまま静かに少し笑って、倒れる様に仰向けになった。
私は慌てて駆け寄り、声をかける。
「なぜですか? とんでもない熱ですよ。このままでは死んでしまうかもしれませんよ」
「そうだよ上月さん。病院行きなよ、死んじゃうよ」
高木も一緒になって勧める。
「……私が死んでも喜ぶ人の方が多いかな」
目を瞑りながら、うわ言の様に言う。
その一言が重く、とても重く、私も高木も一言も言い返せない。
「今から……今から行くからね、一貴さん」
急にそう言って中尉はベッドから立ち上がると、よろけながら机の方に向かい一番上の引き出しを開けて一枚の紙を取り出すと、それを胸に大切そうに抱き、倒れた。
床に頭がぶつかる寸前に駆け寄り抱きかかえたが、中尉の体は熱く、汗は幾筋も体の上を流れていた。
中尉殿、と声をかけるが意識が無いのか目を瞑ったままだ。
抱きかかえてベッドに寝かせて布団をかけようとすると、
「おい、その紙は何だ」
高木が言う。
私も気になって中尉が胸に抱えている紙をゆっくりと抜き取る。
そして改めて見ると、何と婚姻届で婚姻する氏名欄には川村一貴、上月由梨那、とそれぞれの名前が書いてあった。
ああ、こんな物をとっておいてあるのか。
心の中にはまだ彼氏がいる様だ。
「おい、残念だったな」
ニヤッと笑う高木に、
「この人は死んでいるよ。上月中尉殿が殺したんだ」
あまり言いたくない事を教える。
「えっ? 何で」
「詳しくは聞いていないけど、国家反逆罪だったみたい」
「そうか……」
あの世の彼氏との約束を夢見ているのかもしれない。
じゃあ今生きている意味は?
『物』や美沙の様に死ななくてはならない立場では無い。
人を殺し、人に嫌われ、人におそれられ、人に気持ち悪がられ、それで衛兵将校の特権を使う訳でも無く、一人この広い家の中で慎ましやかに住んでいる。
年頃の女の子なのに、死んだ人との結婚を楽しみにしている。
そんなのは絶対に間違っている。
悲しみと、怒りと、そして何だかわからない感情が同時にこみあげてきた。
私は胸からペンを取り出すと、川村一貴の名前を黒く塗りつぶした。
そして、山本幸一、と大きくしっかりと私の名前を書き込んだ。
「へぇ、やるねえ」
感心する高木に、
「証人の所に署名してくれ」
そう言ってペンを渡す。
「私が書いていいのかよ。提出できないぜ」
「東西日本の人が同じ書類にサインする、素敵じゃないか。きっと上月中尉殿の彼氏さんもそんな世の中を願っていたはずだから」
そうですよね、川村さん。
それを聞いてニヤニヤ笑っている高木は、更にニヤニヤしながら証人欄に署名をしてくれた。
今日は泊りでずっと中尉といる事にした。
これ以上熱が上がる様なら無理矢理にでも病院に連れて行こうと思ったからだ。
汗が凄いのでパジャマを着替えさせようと思ったが、私が替えるのもどうかと思ったので高木にやってもらう事にした。
部屋の外に出ようとした時、高木に声をかけられた。
「なんだよ、見ていかないのか」
うるさい、バカ。
心の中で罵って無言で部屋のドアを閉めた。
ドアの前で待っていると、
「さて、今からボタンを外しまーす」
大きな声で実況してくる。
「いいから静かにやれよ。中尉殿起きちゃうだろ」
静かになる。
意外と素直だ。
「もういいぞ」
大丈夫な様なので部屋の中に入ると、複雑な顔をした高木がいた。
「どうした?」
聞いてみるが、視線を落とし、更に複雑な顔をした後、
「ほら、病人食作るぞ」
服の袖を引っ張られ、台所へ行く事となった。
「しっかしこの家はホントに食器が無い、というか物が無いよな」
鍋の様子を見ながら高木が言う。
「衛兵隊っていうのは給料が良いんじゃないのか? 上月さん他に何かお金使う趣味があるのかなぁ。ていうかあれ、本当に上月由梨那中尉なのか。要注意人物手配書と顔が全然違うんだけど」
やっぱり東日本でも有名人だったか。
予想はしていたが残念だった。
私は平静を装い、
「あれとか言うな。中尉殿はまあ、ええと」
ひょっとして『物』の為にお金を使っているかもしれない、なんて万が一を考えると言える訳が無いし、私がイメチェンを企てて別人みたいにした、なんて言うとからかわれそうなので野菜を切りながら返答に困っていると、
「なんかさぁ、私達諜報部の間だけで広がっている妙な噂があるんだけど」
高木が鍋に蓋をしながら言う。
「どんな噂だよ」
「私達みたいなスパイや『物』だっけか、衛兵隊に捕まって脱東して来た人の内、上月さんに捕まっていた人の割合が意外と多いんだよね。少し人数が多いからわざとじゃないか、って」
私の予想が当たっていた。
中尉は逃がす為にハントをしているのだ。
「それにな、私が上月さんに引き渡された時、私に小声で助けてあげる、って囁いたんだぜ。殺されると思っていたから暴れようと思っていたんだけど、それを聞いたら拍子抜けしちゃって」
やっぱりそうだったんだ。
嬉しくて飛び跳ねそうになったが、冷静に気の無い返事を返した。
十五時頃、中尉は目を覚ました。
ベッドの横で高木と賭けポーカーをやっていた私達を交互に見て、少し笑う。
「おい、上月さん起きたぞ」
「中尉殿、おはようございます。具合はいかがですか」
「山本、絶対覚えておけよ。今の所二万円貸しだからな」
高木に無言で二万人民円を差し出す。
へえ、と物珍し気に人民円を見ている高木をよそに、
「朝から何も食べていないそうですね、少しお腹に食べ物を入れて下さい。
その後薬を飲みましょう。今持ってきますね」
立ち上がろうとした私に、
「食べたくないのに食べさせてもらえるなんて良い身分ですね。薬なんて国家反逆罪の方はどんな事になってももらえないのに」
泣きながら言う。
「私なんて、もう、いいですから。このまま、眠らせて」
熱が高いのか、うわ言の様に言う。
「食べて薬飲まないと死んでしまいますよ」
「……死んでもいい」
泣きながら目を閉じる中尉。
その寝顔が死んだ時の美沙に被る。
怒りと悲しみとよくわからない感情が混ざり合い私は、
「そんな事を言わないで下さい」
少し大きな声で言ってしまった。
ちょっと驚いた顔をして、薄目を開けた中尉の顔を両手で包み込み、
「生きたくても生きれない人がたくさんいる世の中です。生きましょうよ。生きれなかった人達の分まで生きてみましょうよ。そして」
これは言っても良いのかわからないが、
「世の中を変えてみましょうよ」
ついに言ってしまった。
多分、中尉はこれを考えているはず。予想と願いを込めて力強く言ってみた。
それを聞いた中尉は私の目を見つめながら、驚いた様な顔をする。
その綺麗な目を力強く、そして優しく見つめ返した。
「ほら、上月さん食べな」
いつの間にかいなくなっていた高木が、食事を持って部屋の中に入ってきた。
「さあ食べましょう」
私も促すと小さな声ではい、と言ってくれた。
おかゆを食べ、スープを飲み、スポーツドリンクとお茶をたくさん飲んだ後、薬を飲んでもらった。
コクン、と薬を飲みこむ仕草が可愛いらしい中尉は布団をかけるとそのまま深い眠りについた。
「しかしこうやって見ると、まるで子供だな」
スヤスヤと眠る中尉を見て、高木が笑う。
そう、まだ子供の様なものだ。
そんな人が殺人鬼だと思われ、恐れられたり嫌われたりするこの世の中がおかしいのだ。
「おい、もう一勝負やるか?」
高木がトランプを持ち出したので、
「よし、中尉殿とのデート代をお前から取り返してやる」
熱いねー、とからかう高木と再びトランプに興じる事となった。
夕方にもう一回、パジャマとシーツの交換をした。
体温も測ってみたが、三十八度を少し超えた位まで下がっていて安堵する。
夕食は三人で食べた。
私がポーカーで高木に一万人民円勝ったので(その前に二万人民円負けているが)これで次の休みの日、どこか遊びに行きましょうと誘ったら、高木さんの観光案内をしてあげましょう、とまだ熱っぽい声で楽しそうに答えた。
東側の、しかもスパイが日本共和国の観光案内など出来る訳がない。
三人で声をあげて笑った。
食後、薬を飲みスヤスヤと寝息をたてる中尉。
その横で今度は高木と賭け七並べをやりながら、寝ている姿を見守った。
夜中になり高木が中尉の着替えをするので、私は室外に出る。
入ってもいいぞ、と声がかかったので入室すると、
「ちょっとまた熱が上がったみたいだな」
高木が険しい顔で言う。
「体温計で測るか」
心配になって体温計を救急箱から出そうとすると、
「いや、それよりもな、いい方法があるぞ」
「何だ?」
「手を握っていてやれ」
「はぁ」
「一晩中だぞ。それで手が急に熱くなってきたらまた考えよう、じゃあな」
高木は笑いながら部屋の外へ出て行ってしまった。
部屋の中に中尉と二人きりになる。
ベッド上の小さな中尉の手を握りながら、私は床に仰向けになり眠りについた。
この小さな手が、やってきた事、守ってきた事を感じつつ。
朝の光で目が覚める。
手に暖かいものを感じ、見ると中尉の手を握ったままだった。
すっかり白くなった顔に手を当ててみると、熱が下がっている様だった。
天気が良いので窓を開ける。心地良い風が室内に入って来た。
中尉の熱は下がったものの、もう一日休んでもらう事にした。
昨日寮に帰らなかったので、申告の為中隊長室に行くと、
「由梨那ちゃんの家から朝帰りとは。やるねぇ山本っち」
ニヤニヤと私の顔を見る川内大尉。
「風邪の看病をしていただけですよ」
照れながら返す。
「ちなみにな、クリスマスイブはお前と由梨那ちゃん休みにしておいたから」
「えっ」
「まぁそういう事だから」
ポン、と肩を叩かれた。
どういう訳だか、昔から私は面倒見の良い上司によく当たる。
次の日、中尉は出勤してきた。もう元気そうだった。
今日も律儀に床をモップで拭いている。
「おはようございます中尉殿。今日はあまり無理をしないで下さい」
心配して言うと、少し笑って、
「ところで、あれ本気?」
と聞いてきた。
「何がですか?」
「……机の上」
あっ、それか。
中尉の大切にしている紙を勝手に書き換えた訳だから怒られても仕方がない。
しかし自分のした事が間違っているとも思わなかった。
なので、
「冗談では書きませんよ」
下を向きながら顔を真っ赤にして返答した。
なぜ顔が赤くなったのかは説明がつかないが、とにかく真っ赤になったのは感じていた。
小ばかにした様な笑いが聞こえたので、さすがに一言言ってやろうかと顔を上げると、中尉は楽しそうに、とても楽しそうに掃除用具を仕舞い出したので、私は黙っている事にした。
朝は寒くなりつつあったが、空は晴れていてそれ程寒さは感じなかった。
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