第25話 やっぱりすばらしかった

「仕方が無かったのですよね」

 静寂の世界から現世に引き戻す様に私は口を開く。

 震えながらそう言った私の言葉に返事は無く、無言で片付けを始めた。

「高木は逃がすつもりだったのですよね」

 確認するかの様に聞いてみるが、無言で日本刀の血糊を拭いている。

「殺すつもりなんか無かったのですよね」

 懇願する様に言う。

 無言で台所に立ち、私の問いかけには答えないで黙々と片付けを始める。

「中尉殿はいつもそうですよね。殺すのは死刑が確定している人が、苦しまない様にしているだけですよね。ハントだって逃がす為にしているだけでしょ、そして『物』が苦しまない様に、食べ物や飲み物の差し入れまでしているのに」

 私に背を向け、表情がうかがい知れない。

「中尉殿はこういった国家反逆罪的な行いがばれない様に、狂人のふりをして、そしてハントで殺さなかった『物』の為に始末書を書き、罰金を納め、掛け金を取られるカモにされ、それでお金が無いから家具も無く、衛兵将校なのに質素な生活をされているのではないのですか」

 ひょっとして私の考えは間違っているのかもしれない。

 だが最後にこの国で絶対言ってはいけない言葉と、初めて口にする私の気持ちを言ってみた。

「あなたは絶望的に理想に縛られたこの国を変えようと、一人で戦っているのではないですか。そんなあなたの事を私は大好きなのです」

 中尉はこちらを振り向き言った。

「そこまで気付いていたんだ。こんな指導官なのに好いてくれてありがとう、ね」

「違う」

 大きな声で否定し、

「私は、中尉殿、上月さん、えっと由梨那さんの事を人として、その、愛しています、大好きなのです」

 言ってしまった。

 目を見開いて私を凝視する中尉だったが、

「そう、じゃああの結婚届の落書きもまんざら嘘では無かったのね」

 私の目を覗き込む様に言う。

「大切な物だとは承知していました。しかし、我慢できませんでした。あなたは生きているのです。死んでいる方とは結婚出来ません。今を生きて下さい、という意味を込めて書きました。しかし、今はあれが提出出来たらどんなに良いか、と思います。嘘ではありません」

「そう」

 中尉は小さく言った。

 そして自分のシャツのボタンを外し始めた。

 なっ、何を、慌てて言おうとするが、声が出ない。

 シャツを脱ぎ、上半身下着のみになった中尉の体は、


 火傷の痕、切り傷の痕で無数に彩られ、それはそれは醜くて痛々しくて見ていられないほどだった。


「どう? これでも好きと言ってくれるかな。ちなみに渡辺書記長はこれを見たら何もせず一日で帰してくれたわ」

 私の目を捉えて嘲笑う様に言う。

 色白の中尉の肌が醜く体の隅々を、切り傷、火傷、ケロイドで歪めている。

 しかし、それを見つめる。

 見つめなかったらそれは中尉を、上月さんを、由梨那さんを否定する事になってしまうから。

 そのまま時間が流れるのもお互い気にせずに、私は眺め続ける。

 妙な事に気が付いた。

 お腹の所に止血テープが貼ってあった。

 まさか、とは思った。そしてこれが事実であればどんなに素敵な事かとも。

「止血テープ、血が滲んでいますね」

 ビクッと中尉の肩が小さく揺れた。

 まさか、ひょっとして、

「さっきの鍋の中の人血は中尉殿の物ではないのですか」

 切り刻まれた自分の体を更に切り刻み、

「『物』を生かす為に今までもこの様な事をやっていたのではないですか」

 中尉の目に明らかな動揺が見えた。

 やはり。

「高木は生きていますね。そして今までも生かして逃がしたオークションの『物』がいるのではないですか」

 中尉の目をまっすぐ見る。そして、

「私はこの国でその様な事をしている由梨那さんが大好きです。そして私にもそのお手伝いをさせて頂けませんか」

 言いたい事を言いきった。


 ふぅ、とため息を一つついた中尉はシャツを着て、

「二階に来てみますか」

 そう言って先導する様に歩き出した。


 中尉が自室で無い部屋のドアを開ける。

 そして何も無いこの部屋の押し入れを開けると大きなスーツケースがあり、それにカギを差し込み開ける。

 あっ、と思わず声が出た。

 中には高木が入っていた。

 中尉は、

「ちょっと時期が早いけど、行きましょうか」

 そう言うともう一度高木をスーツケースに入れてカギをする。

「山本君、車の用意を」

 私に自分の車のカギをゆっくり投げると、中尉は部屋を出た。

 私は喜びと興奮と自分の予想が合っていた嬉しさが混じり合って、変になってしまいそうだった。


 車を玄関に横付けすると、玄関から衛兵将校の制服を着て小さなリュックを持ちスーツケースを引きずった中尉が出てきた。

 手伝おうとして私は車を降りたが、

「トランクを開けて下さい」

 そう指示されたので再び車に戻ってトランクを開けた。

 ガタン

 音がしたので振り返ると車にスロープがかかっていて、難無くスーツケースを滑らせ車のトランクに入れた。

 二階からここまで、体重四、五十キロはあるであろう高木を一人でスーツケースに入れて運んだのだが何と手慣れた事か。

 恐らく何回も同じ事をしていたのだろう。

「よし、出発しよ」

 中尉はそう言うと運転席に乗り込んだ。

 私が助手席に座ると、

「持っていて」

 そう言って小さなリュックを私の膝の上に置いた。

 そして白い車はゆっくりと走り出した。


 高速道路に上がり、ひたすら東に向かう。

 そして国境近くで終点、下道をそのまま東へひた走る。

 やがて第七師団が守る国境沿いの道になった。その道を北へ向かって走る。

 途中一回何かの検問をしていたが、衛兵隊の小旗をバンパーに立て運転者が衛兵将校の中尉の車は窓を開けて敬礼するだけで難無く通れた。

 人通りが全く無い森を切り開いた様な道路を走る。

 このまま行くと温泉地で休養をしにくる軍人、民間人が溢れかえっている賑やかな街にたどり着くのだが、この周りに森しか無い所で中尉は車を停めた。

 車外に出ると、中尉はトランクを開けスロープを設置すると手際良くスーツケースを滑らせた。そしてそのまま引きずって森の中に入るとスーツケースのカギを開けて高木を出した。

「ごめんなさい、狭い所に押し込めちゃって」

「いや、こんなの全然大丈夫」

 そう言って元気よく両手を回す高木を見て、中尉は少し笑うとリュックサックを差し出した。

「はいこれ。三日分の食料と水。催涙ガスと拳銃。それと」

「あっ、特殊工具」

 私は思わず叫んでしまった。

 静かにして、という風に私の口に人差し指を当てる中尉。

 すいません、私は無言で両手を併せた。

「使い方はわかる?」

「大丈夫、一通りこの手の物は使えるから」

「この辺警備が薄いから。後二、三日するともっと警備が薄くなるからその頃まで待てたら良かったのだけど、ああいう人達が来てしまったので早めに、ね」

「一人ならまず捕まらないと思うし大丈夫。色々とありがとう上月さん、今度会う時必ずお礼をするよ」

「お礼は別にいらないけど、また高木さんに会いたいな」

 二人で見つめ合って、その後少し抱き合った後、離れた高木は私を見た。

「おい少年、頑張れよ」

「ああ、あんたもな。もう捕まるなよ。また会おうぜ」

 おお、と返事を返した高木が私に顔を近づけて、

「お前上月さんの事本当に好きなんだったらな、体を見ても驚くなよ。そんな事を気にする様な小さな男じゃないよな」

 小さな声で囁く。

 しっかりと頷く私を見て、

「何だ、知っているのか、もう済んでいるのかな」

 余計な詮索をしている高木を、

「高木さん、そろそろ行った方がいいかも」

 中尉が近づき急かした。

「ごめん、じゃあなお二人さん。末永く仲良くな」

 そう言って高木は森の中に消えて行った。

 私達も急いで車に乗り込み、発進する。

「行っちゃいましたね」

「ええ」

「無事着くと良いですね」

「多分、着くと思うよ。でも、山本君」

「はい」

「これで逃走ほう助罪になっちゃったね」

 運転中だから中尉は前を向いていて私の顔を見る事無く、独り言の様に呟いた。

 日本共和国では国家貢献センター送りになる重罪だ。

 だけど後悔など一つも無い私は、

「これも中尉殿の指導の一環だと思っています。なので私も衛兵士官に就任したら中尉殿と同じ事をしたいと思います。というか、一緒にやりませんか? 二人でやればもっと、違う方法で」

「あのね」

 中尉の静止する様な言葉を聞いて、言葉を止めた。

 無言の車内、夕日が沈み、夜が覆う森の道に車のライトだけが照らす道。

 なぜ、中尉は私の言葉を切ったのか。

 それを考えていると、

「私の彼氏、大学でね、革命運動をしていたの」

 ゆっくりと話し出した。

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