第17話 すばらしいがいしゅつ
次の日、中尉が非番だったので二人で街に出てみる事にした。
休みの日に会うのは入隊以来の事だった。
広島の繁華街の中心、渡辺ガーデンの駐輪場前で待ち合わせた。
店は賑わい、街は人で溢れている。
どの人の顔も楽しそうだ。
周囲を見渡す。
大学生風の男女、子連れの夫婦、何かのスカウト風に話しかけられている高校生位の女の子、私の前を走り抜けていく小学生の集団。
まるで平和な風景で、これだけ見るといつも衛兵隊で見ている事やっている事が嘘の様に思える。
東日本の様に介護問題、医療費問題、少子化、ニートの問題も無く、政策は成功しているのであろう。
まだ出たばかりの新しい車が光を浴びて走る。
綺麗なビルが立ち並ぶ。
天気が良く秋の風が心地良く吹いている。
ふと時計を見ると、もう待ち合わせの約束である十時を過ぎていた。
十五分前には着いて待っているのだが一向に現れない。
周囲をあらためて見まわすが、大学生風の男女、子連れの夫婦、スカウト風の男と女の子しかいない。
どうしたのかな、と思いつつ周囲を見渡していると、
「山本君」
中尉の声がしたので振り返るが、どこにもいない。
周りを再度見まわしていると、スカウトの様な人に話しかけられていた女の子が走り寄って来た。
「あの人がしつこくて。もうかれこれ二十分」
そう言って後ろを見る。
残念、といった風にスカウト風の人は歩き出してどこかへ行ってしまった。
「ティーン雑誌のモデル探している人だそうです。
社会人ですと言っても信じてくれなくて困りました」
恥ずかしそうに笑っている女の子は、よくよく見たら上月中尉だった。
小さな背丈、可愛らしい服装、髪型、綺麗で色白の肌。
これはさすがにわからない。
マジマジと見てしまう。
何か? という風に小首をかしげる中尉。
その仕草がまた可愛らしく、私は視線をそらせて言った。
「イメージチェンジは成功した様です。正直私も誰だかわかりませんでした。誰も衛兵隊将校だとは思わないはずです」
私がそう言うと、照れ笑いをしながらとても嬉しそうな表情になった。
「では中尉殿、今日一日ばれないかどうか、試しに行きましょうか」
中尉は少し考えると、
「中尉殿、なんて呼び方をされてはばれてしまいそうですよ。何か他の呼び方でお願いします」
ちょっと困った顔で笑っていた。
「では……上月さん」
「はい」
上月さんは私を見つめて頷いた。
昨日髪を切った後ある提案をしてみた。
センターから帰る時遊びに行く為に隊規違反の私服で帰る将校がいる中で、上月さんは規則通り制服で帰る。
国家貢献センター勤務の将校は出勤時私服の人までいる位だから中尉殿も私服で出退勤されてみては? イメチェンして外見は大幅に変わりましたから私服なら絶対上月中尉殿だとは思われないですよ。
それならば買い物等私生活もし易いのではないですか、と。
すると、
「服はしばらく買っていませんから、学生ぽい物ばかりで」
恥ずかしそうに言うので、
「では明日服を買いに行きませんか。ついでに街で人の反応を見に行きましょう」
私は中尉を誘って街に出て見る事にしたのだ。
共和国第三デパートは若者向けのショップが多く、休日はとても賑わい人気の所なのでここで買う事にする。
ただ、どのショップも値段が高いので、
「ここは高いですよ」
入口の所で躊躇する上月さんだったが私は、
「大丈夫ですよ」
遠慮がちな背中を押した。
デパートの中に入ると化粧品と香水の香りで満たされていて、綺麗な白い壁、明るい照明、煌びやかなシャンデリア、別世界の様だ。
目を輝かせて上月さんはアクセサリー類を見ている。
こういう姿を見ていると本当に高校生の様だ。
夢中になって商品を見ている上月さんの後ろで、その様子を微笑ましく見ていると急に振り返り、
「ごめんなさい。こういう所久しぶりに来たので」
その笑顔は国家貢献センターでは見た事の無い様な、満面の笑みだった。
「いえ、デパートの中は女性が主人公です。私には構わずどうかゆっくり見て下さい、上月さん」
「そんな事言っていると閉店近くまで見ていますよ、山本君」
いたずらっ子の様に笑う、上月さんは本当に可愛い。
女性の長時間の買い物には免疫があるので、上月さんがどれだけ長い事アクセサリーの前から動かなくても笑って見ていられた。
やがて気がすんだのか、さすがに悪いと思ってくれたのか、美沙の半分位の時間でOL用のショップが多い三階へと移動する事になった。
大人っぽい店に入り色々と見る上月さんだが、商品には触らないで眺めている。
「上月さん、着てみてはいかがですか」
「……着てもいいのかなぁ」
すごく自信の無い答えが返ってきた。
「なぜ? 試着した方がよろしいのでは」
どういう事かわからず聞いてみる。
「普段あんな仕事をしている手で触っても良いものかな」
少し肩を落として言う。
今まで、そして今日も商品を一切触らなかった理由がわかった。
広島に引っ越してきた日の渡辺国守書記長誕生祭の日、美沙の握手を無視したのも同じ理由からかもしれない。
こんな悲しい理由で、上月さんは物にも人にも触る事も出来ない。
私は上月さんの耳元で囁いた。
「今貴方は中尉殿ではありません。可愛らしい普通の女の子です。もちろん普通の女の子が何着も試着するのは当然の事ですし、それが長時間に及ぶのも当然の事です」
それを聞いて上月さんは少し笑い、その後思い出したかの様にクスクスと笑いだした。
「長時間に及ぶ事も当然の事なの?」
「はい、昔付き合っていた彼女はジャケット一枚で二時間十六分を要しました」
それを聞いて上月さんは大笑いしはじめた。
「という訳で店員さんも来ましたし、着てみますか」
綺麗な女性店員が近づいてきた。
「着てみたかったらどうぞ試着して下さい」
若い店員が勧めてくる。
私は上月さんが服を見ている時に、動きが止まった所の服を全部取ってきて、
「これ全部試着します」
店員に告げた。
店員は快く頷き、
「では試着室へどうぞ」
歩き出すその後ろを、慌てる上月さんの背中を押して私もついて行った。
八着は多かったかなとも考えたが、昔の彼女の十八着、美沙の四十一着を思い出し、そうでもないかと考え直す。
店員に案内されておずおずと試着室に入る上月さんだったがその後、美人の店員さんの話術の上手さからか楽しそうに会話しながら試着を繰り返している。
その姿が微笑ましく、気のすむまでやらせてあげようと携帯でもいじってゆっくり待つ事にした。
「山本君、山本君」
声がしたので振り返ると、
「どっちがいいかな?」
二着気に入った服があった様で、交互に胸に当ててこちらを見ている。
ここでどっちでもいいなんて答えるとダメなんだからね、と美沙から散々言われてきたのでどちらか選ばなくてはならないのだが、正直モデルが良いのでどちらも似合う様な気がした。
「うーん、どっちとも言い難いのでちょっと着てみて頂けませんか?」
はーい、と可愛いらしい返事をして試着室のカーテンをする上月さんを確認した後、私は手渡されたもう一着を持って傍らに立っている店員さんに話しかけた。
「どうかな山本君」
出てきた上月さんは高校生の様な外見から、大人びた格好をした高校生の様になってしまったが、とても良く似合っていた。
「とても素敵ですよ。ではこれもどうぞ」
紙袋を渡す。
「えっ」
上月さんは驚いて私の顔を見る。
「プレゼントです。店員さん今着ている服着ていくのでタグ取って下さい。あと今日着てきた服もまとめて袋に入れて頂けますか?」
店員は笑顔で手際よくタグを取り、服を畳んでくれた。
「二着ともお会計は済んでいますよ。優しい彼氏さんで良かったですね、彼女さん」
店員さんの余計な言葉に、固まっている上月さん。
「いつも勉強を教えて頂いているお礼です。では行きましょうか」
肩をポンと叩くと、
「わわ、わ、悪いのでお金払います」
慌てて小さな財布を出すが、
「お金の使い道が無いのですよ。有意義なものに使いたいのです。それは上月さんも一緒なのでは?」
そうであってほしい、と願いつつ問いかける。
上月さんは何の事かわからないという顔をしていたが、やがて小さく、だがしっかりと首を縦に振った。
とても良い気分だった。
「さて、そろそろお昼ご飯の時間ですが、男だけではとても入りづらいお洒落イタリアンの店があるのですが、ご一緒して頂けますか?」
私が誘うと、小さくはにかみながら頷く上月さんはやっぱり可愛かった。
川沿いにある静かなイタリアンレストランはランチが安くとても美味しいのだが、お洒落で女子が多い為入りづらく、一年生の頃清瀬達と男三人で入った時は大変居心地が悪く、以後一度も行った事が無かった。
しかし、今日は可愛い女の子が一緒にいるので堂々と入る事ができた。
「ここは払わせて下さいね」
私の服のすそを引っ張り、遠慮がちに言う上月さん。
「女の子に払わせるのは気が引けますが、先輩の顔も立てなくてはならないと思うので、ここはお願いしてもいいですか」
ここは安いのでかまわないだろう。
「女の子、という歳でもないですけど。私、夏目中尉や高雄中尉よりも年上ですよ。若く見られるけど、今二十三歳です」
笑いながら上目遣いで言う上月さんに、
「上月さんは可愛らしいですし、女の子で宜しいのでは?」
上官に対し、とんでもない事を言ってしまったが、
「そ、そ、そんな事、な、ない、無いですよ」
言葉を噛みながら、真っ赤になっている上月さんを見て思わず笑ってしまった。
食事はやっぱり美味しかった。
スープから始まり、サラダが出てきて、結構盛りの良いパスタが出てくる。
綺麗な川のせせらぎの中を、船がのんびりと川下へ下っていくのを眺めながら、他愛のない話をした。
衛兵隊の話題さは一切出なかったし、出さなかった。
上月さんが法科大に通っていた事を知ったし、実家が農家だという事も知った。
馬とニワトリがいるらしい。
だから乗馬が出来たのか。
「動物は大好き、目が可愛いし」
食後のコーヒーを飲みながらこの様な事を言うので、午後からは動物園に行った。
ゾウを見上げ、キリンを見てはしゃぎ、ライオンを見て珍しがり、ずっと楽しそうにしている上月さんを見ていると、どれも普通の可愛らしい女の子の仕草だった。
閉館間際に動物園を出て、夕日で明るい街中を二人で歩く。
「ねっ、誰も上月さんの事、衛兵隊だなんて気づく人いなかったでしょ」
「はい、そうですね」
「今日買った服着て出退勤すれば、普通の女の子にしか見えないですからどこでも気兼ねなく出かける事が出来ると思いますよ」
「本当に今日は何から何までありがとうございました。山本君は、その、すごく女の人のあつかいに慣れているというか、気遣いが出来るというか……」
「えっ、どんな所がですか?」
「お洋服の会計済ませている所とか、お洒落なお店知っている所とか、手際も良いし、今日の服装も爽やかで」
「ああ、服装も女性の扱いも美沙から教わりましたから」
「……そうでしたか」
「私ね思うのですよ。本人の意思以外で死ななければならない人間なんていないのではないか、と。こうやって色々教えてくれる人もいなくなってしまうのですから」
とんでもない事を言っている。
衛兵隊に聞かれたら、私は国家貢献センターに連れて行かれてしまう。
そんな事を衛兵隊将校の前で、ぼかしてはいるものの言い切ってしまった。
上月さんの顔を見た。
幼い顔が少し、大人びて見え、その口が、
「それは、本当に、そうですね」
言葉を切りながら言った。
そして私の目をじっと見つめる。その目を優しく見つめ返す。
上月さんは目を逸らし、
「今日は久々に楽しかったのに、明日は仕事か。いやだなー」
笑いながら言った。
これは本音だろう。
「私も仕事が憂鬱でなりませんが、その後の時間は有意義であります。明日も宜しくお願い致します」
二人して大笑いしてしまった。
空はまだ夕焼けで明るく、心地良い風が二人の周りを抜けていった。
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