第15話 すばらしいことがおこった
送別会当日になった。
勤務終了後、私も寮に戻りスーツに着替える。
賑やかな声がしてベランダから外を見ると、当直以外の尉官達がスーツに着替えており高級車が駐車場から次々と出発していた。
川内大尉は非番で自宅から直行するとの事。
私は暇に任せて取った運転免許と、勲章の副賞としてついてきた高級車のカギを持って外に出た。
駐車場には上月中尉の車がまだ停まっている。
当直以外の衛兵士官学校卒業の尉官は全員出席、と川内大尉からは聞いている。
まだ労働センターの方にいるのだろうか?
中尉は私服をセンターに持ってきていない。
自宅に帰って着替えるだろうから、そろそろ用意しないと間に合わないと思うのだが。
ただでさえ女性は用意が長いのだし……。
美沙の事を思い出しつつ、しょうがないので労働センターの個室まで呼びに行こうとしたその時、見てしまった。
上月中尉が何かを両手で持ってゆっくりと歩いていた。
まだ制服姿だ。
私は少し慌てた声で、
「中尉殿、そろそろ用意をしないと送別会遅れてしまいます」
時計を指さすが、
「ああ、どうぞ。楽しんできて下さい」
そう言ってそのまま行こうとする。
「行かないのですか? 行くと返事されたのですよね」
「えっ?」
「全員出席と川内大尉殿からは伺っていましたが?」
「私は誘われていないですよ」
「まさか……」
「だって、私は宮坂少佐殿とは面識が無いですから」
「そんなはずは……」
「私は予備士官学校出の衛兵士官ですから」
知らなかった。
予備士官学校は兵役が嫌な大学生や就職浪人が行く所、まさか生粋の衛兵将校だと思っていた中尉が軟弱者の集まり予備学の出身だったとは。
「という訳なので。私はこれからこれを学習室の『物』に持っていくので山本君は飲み過ぎ、飲まされ過ぎには気を付けてくださいね」
両手で持っている物の上にナプキンがかかっているが、中身が食べ物だという事は容易に想像できた。
毒物を『物』に食べさせるのだろう。
私が中尉を嫌いな理由の一つだ。
何でこんなひどい事ができるのか。
最近仕事が終わると勤務時間内にも関わらず法律の勉強を教えてくれる中尉の事が以前ほど苦手では無くなってきたのだが、やはりこの様な物を見せつけられると気分が悪い。
感情が高ぶる。
「失礼します」
少し怒った様な感じで背を向けたその時、不意に手がナプキンをかすめたと思うと、バラバラと何かが落ちてしまった感触があった。
少し後ろを見ると中尉が両手で持っていた物はお皿で、その上に乗っていた物はクッキーだった。
私の手に当たって半分以上が落ちてしまった。
「あらあら、こんなに落としてしまって」
怒られると思ったのだがその様子も無く、中尉はお皿を停車中の装甲車の上に置くと、落ちたクッキーを拾い始めた。
私は悪いとは思わなかった。
むしろざまあみろ、と意地悪な気持ちで気付かないふりをしてその場を離れようとしたその時、物凄い違和感が心を襲った。
もう一度振り返り落ちたクッキーを見る。
可愛らしいウサギやら猫の形をしたクッキーだった。
毒を入れて実験するだけだったらこんな手の込んだ事をするだろうか?
それともう一つ。
中尉は落ちたクッキーを自分の軍服右ポケットに入れて皿に戻そうとはしなかった。
『物』に食べさせるのに、その様な配慮をする人がこの日本共和国にいるであろうか?
ましてや衛兵隊将校がするであろうか?
ましてや毒物なのに?
確信があった。
賭けてみる事にした。
装甲車の上に載っているクッキーを一つつまむ。
その様子に気付いた中尉があっ、と小さく声を出した。
それに構う事無く、私はそのクッキーを自分の口の中に入れて噛んだ。
甘くて香ばしい風味が口の中に広がる。
一回、二回、三回、噛み砕き、飲み込む。
数秒、数十秒、一分、無言のまま経過する時間。
こちらを凝視する中尉。
私の体には何もおこらなかった。
笑いがこみ上げてきた。
この人は毒物なんか食べさせていなかった。
学習室の『物』に食べ物をあげるのは国家反逆罪なのに、この人はそれを堂々とやっていた。
よく見ると肩には小さな水筒までかけている。
はははははははは
可笑しくなって声を上げて笑ってしまった。
「なぜこの様な事を?」
聞いてみると、
「お腹を空かせていてかわいそうだから」
日本共和国で一番の狂人、一番国家貢献していると思われていた人が、一番まともな事を言った。
ははっはははははああはははははは
なんて痛快な事をする人なのだろう。
私はおかしくてうれしくて笑い続けてしまった。
その様子をずっと無言で見ていた中尉だったが、
「さてどうしますか?」
そう言って私に微笑みかけた。
逮捕しても、告発しても良い、という訳なのか。
でも私は、
「明日も、明後日も、上月中尉殿に勉強を教えて頂きたいです」
この人の本当の所を見てみたい気がした。
それを聞いて少しだけ意外そうな顔をした後、中尉は静かに微笑んだ。
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