第32話 すばらしいくに

 驚いて高木を見ると、

「上月さんはもうこの世にはいない、けどな」

 そう言って、

「山本由梨那さんはいるらしいぞ」

 笑い出した。

 とても愉快に笑い出した。

「えっ、なぜ」

 気が動転する。

「だから、あの書類が出せる世の中になったから出しに行ったんだよ」

 あの時、上月さんが風邪で寝込んでいた日書いたあの書類、あの婚姻届は確かに出せる世の中になっていた。

 それを出しに行った高木。

 そして夫婦になった事を示す住民票を持って共和国軍事法廷に持ち込んだ。

 物権会と一緒に、山本由梨那を釈放しろ、と相当騒いだらしい。

 更に物権会が政治家、司法に圧力をかけてくれた。

 元々上月さんの死刑に消極的だった人が割と多かったのもあって、名前が変わっているのなら、という事で上月由梨那の死刑は予定通り執行するが、山本由梨那は不問、となり秘密裏に釈放したそうだ。

 そんな無茶が通ってしまったのは、今まで上月さんが助けてきた人達のお蔭でもあり、それは今までやってきた事が間違いでは無かった事の証明だと思った。

 高木は私のニヤニヤしながら覗き込み、

「それでな、その住民票の住所の所にな、今まで上月さんに助けられた人達と私で新築を買ってやったからな、そこで新婚生活を楽しみやがれ」

 大笑いして私の頭を叩いた。

 なんと素敵なプレゼントなのだろう。

 人間驚き過ぎると逆に冷静になるものらしく、

「高木さん、ありがとう」

 それを言うのが精いっぱいだった。

「よし、じゃあ行ってやりな。同じ千葉県内だし」

 高木に何度も何度も頭を下げ、私は外に飛び出した。


 門を出ると走っているタクシーを停め、飛び乗ると住所地を告げた。

 中尉殿に会える。

 上月さんに会える。

 由梨那さんに会える。

 車中ではそればかり考えていて他の事など頭の中に入ってくるわけがなかった。


 閑静な新興住宅街の一番端の方、小さな白い家の前でタクシーは停まった。

 お金を払い、今度はちゃんとお釣をもらう。

 タクシーが走り出し、その排気音が消えるまで私は家を見続けていた。

 白くて綺麗で小さな木造二階建て。

 小さな庭と、緑の木が素敵な家の門を開ける。

 インターホンを鳴らした。

「はーい」

 二度と聞けないと思っていた可愛らしい声が家の中から私の耳に届いた。

 さて一言目は何て言おうかな。

 それを考えてくるのを忘れていた。

 笑いがこみ上げてくる。

 ふと庭を見ると、小さな花が祝福するかのように一輪咲いていた。



   何年か後



「じゃあこれにハンコを押して終了だな」

「世話になったね。マジ助かったわ」

 ハンコを押した書類を私に差し出した。


 弁護士になった私の所に清瀬が依頼に来たのには驚いた。

 東西日本が合併してから色々な情報が正しく伝わる様になり、〖衛兵隊の真実〗という作者匿名の本が出版された。

 そこには衛兵隊で起きた事が事細かく書かれていて、東日本ではちょっとしたベストセラーになっている。

 そこに出てきた衛兵学生の事をすぐ私だとわかった清瀬。

 そして美沙への指導は実は自殺だというのを知ったそうだ。

 それから私が弁護士をやっている事をどこかで聞いた清瀬は、交通事故に遭った時、慰謝料請求の依頼にきてくれた。

 来週清瀬の事務所の方に行って示談成立のハンコを押してもらう予定だったのだが、急に予定が入ってしまいしばらく会えないから今日自宅へ行っても良いか、と聞かれた。

 妻に相談したら少し考えた後、

「私仕事で何のお構いも出来ませんが」

 穏やかな顔で言ってくれたので来てもらった。


「どうぞ」

 妻が清瀬にコーヒーを出した。

「ああ、これはどうも」

 私の前にもコーヒーを置くと、

「すみませんが急ぎの仕事が終わらないので失礼します。清瀬さんゆっくりしていって下さいね」

 そう言って頭を下げ、リビングから出て行った。

 妻が出て行った後、

「しかしお前の奥さん可愛いよな」

 清瀬がニヤニヤしながら私に言う。

「まあな」

「なんだかんだで昔からお前もてたもんな」

「そんな事無いだろ」

「沖本とお前とで行ったイタリアンレストラン覚えているか。あの時店員ナンパして電話番号渡してもらったのお前だけだっただろ」

「ああ、あったなそんな事」

「あと、衛兵隊の鬼ババア。えーっと」

 考える素振りになったが思い出したのか、

「上月中尉、お前あれとも仲良かったよな。付き合っているって噂もあったぞ。俺は殺されかけたし怖い印象しかないけどな」

 久しぶりに聞く名前を言った。

「そうか?」

 私は少し笑いながらコーヒーを飲んだ。


「じゃあどうもお邪魔しました」

 そう言って右手を上げる清瀬を、私達夫婦は玄関先で見送る。

「何のお構いもできなくてすみませんでした」

 そう言う妻に、

「いや奥さん、急に来た私が悪いんですから」

 そう言って恐縮する清瀬。

「また興業か?」

 私が聞くと、

「ああ、今度は北海道だ」

 力こぶを作ってそれに答えた。

「しかし清瀬もプロレスラーとして大成功だもんな。子供達のヒーローなんだから体は大事にしろよ。車にはホント気をつけてな」

「俺はもう大丈夫だよ。それより奥さんの心配をしろよ。妊娠しているんだろ」

 そう言って妻を見る。

「ええ、妊娠三か月です」

 妻は笑いながら自分のお腹をさする。

「痩せているから目立たないけどね。しかし俺が父親になるとはな、何だか実感がわかないよ」

 私が照れながら言うと、

「まあでも何かあったら正義の味方、西日本マン(清瀬のリングネーム)を呼べよ。どんな事でも助けてやるから」

 自身満々で言う清瀬。

 少しからかってやろうと思って私が、

「上月中尉殿がこの幸せな家庭を襲いに来ても?」

 意地悪な質問をする。

 すると清瀬の動きが止まり、

「それは無理だよー」

 私にそう言った後、妻に話しかける。

「奥さん、衛兵隊の上月中尉って知っていますか。すごい鬼ババアでね、私切り殺されそうになった事があるんですよ」

 妻は少し困った顔になり、

「えっ、ええ」

 しどろもどろになりながら返事を返した。

「女の子は奥さんみたいに可愛く無いとダメですよね。上月中尉が生きていたら奥さんの百万分の一でも良いから見習わせたいですよ」

 何も知らずかっこつけて言った清瀬と、困った顔をしてそれを見ている妻を見て、私は笑いが止まらなくなってしまった。

 

 贅沢もせず仕事ばかりしている妻だが、今やっている急ぎの仕事が終わったら二人でどこか旅行にでも行こう、と約束している。

 妻は今〖続、衛兵隊の真実〗の執筆中で忙しい。

 そこに書かれていた渡辺国守が言っていたという言葉。

『物を殺す、高齢者を殺す、働かない奴を殺す、病気で明日が無い奴を殺す。そうしないと東日本の様な少子高齢化、借金大国になってしまう。それに若い奴らは未来が見えない世の中になり果ててしまう。貧乏地獄、医療費地獄、介護地獄は本当の地獄だぞ。俺は東日本のネズミランドに遊びに行くと見せかけて、しばらく東京に滞在していた事があるから知っているんだ。革命や反乱を起こそうとしている奴らはそれが本当にわからないのか。だったら代案を出してみろ、俺も一生懸命考えたんだ』

 本当に悪い奴なんてこの世には一人もいないのではないか、と考えさせられる言だった。

 東日本の少子高齢化も年金問題も医療費の高額化も若者のニート化問題も西日本と合併した事により、だいぶマシになった。

 国家貢献法が無くなった西日本では、人々の表情が明るくなった。

 そして日本国は東西合併してから更に世界の列強の一つとして数えられる位の経済、軍事、産業大国となった。

 その土台を作った渡辺国守が死刑になる前の最後の言葉、

『俺のお蔭で西側は老人も長期の病人も働かない奴も、ほとんどいなくて良かったな』

 やった事は許される事では無いが、何だか複雑な思いが広がる。

 しかし、希望を持って、諦めないで、良い世の中を作っていこうとすれば、ゆっくりでも必ず良い世の中、すばらしいくに、になるというのは私も妻もわかっていたので、少しでも良い世の中にする為私は弁護士として、妻は匿名の作家としてこの新日本の中で生活中だ。 


 部屋で仕事をしている妻に、

「おーい奥さん。そろそろ買い物行って来るけど夕飯何が良い?」

 私がそう聞くと、

「気分転換したいので、私も一緒に行きます」

 そう言って楽しそうに立ち上がり、上着を羽織った。

「かなり髪が伸びてきましたな。お切りしましょうか」

 いつも私が切っている綺麗な髪を撫でながら聞くと、

「いいえ、そろそろまた伸ばそうと思います」

 少し笑いながら、私の手を両手で優しく包み込んだ。


 引っ越してきたばかりの時は新興住宅街だったこの辺も、だんだんと家やマンションが建ってきた。

 けどまだまだ田舎の雰囲気があり、私にはそれがとても心地良い。

 私が司法試験に受かった時、東京に引っ越してみようかと妻に相談した事があるが、妻も友達が出来て近所付き合いが楽しいらしく、引っ越すのに消極的だったのでやめた事がある位この辺りが気に入っている。

 そういえばこの家は妻がプレゼントでもらった家だったな。

 古い事を思い出す。


 食材を買ったスーパーの帰り道、

「しかし清瀬もよく覚えているね」

 私が笑いながらそう言うと、

「ちょっと笑いすぎです」

 妻が赤い顔をして私を見る。

 その顔が相変わらず可愛かったので、


「いつまでも一緒にいて下さいね」


 そう言って抱き寄せ、


「はい」


 素敵な返事を聞いてから顔を近づけた。

 優しい吐息に触れ、柔らかく暖かい時間が流れる。

 夕暮れが近づいてきていたが周囲の光はまだ明るく、私達を守る様に包んでくれていた。

 

            了 


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すばらしいくに 今村駿一 @imamuraexpress8076j

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