狂った太陽

 冷たく硬い感触がケツに当たる。

 微かに鼻孔をつく煙草の匂い、何かに揺すられ意識が徐々に覚醒していく。

 目を開け暗がりの中、剥き出しの鉄板と僅かな光源である電子機器の山。

 見覚え無く目覚める定番、病室ではなく。手錠を掛けられ身動きのとれない車の中だった。

 全身の痛みを覚え、薄く目を開けると首筋に当たるインスリン注射器が目にはいる。

「いつぅ!」

 全身の痛みを打ち消す、神経痛とともに首筋の血管になにかが流動してくる。

「よぉ目覚めたか? キョウ」

 何度見たか覚えられないほど見た親友──赤井龍一がインスリン注射器を持ち、見下ろしている。

「ここは?」

「地獄か天国……なんてな」

 視線を巡らせると、ニコニコと朗らかに笑う一ノ瀬が差し向かいの長椅子に座り、その隣には目隠しと猿轡をされ白い拘束衣によって自由を奪われた女が一人。

「冗談のつもりか龍一」

「まぁ半分冗談だ」

「半分?」

 龍一は俺の問いに答えず、拘束衣の女を挟むよう隣に腰掛けた。

「エド出してくれ」

 電子機器の山の中、格子つきの小窓に声を投げると巨漢の外国人──エドゥアルド・ティーシンが首肯しアクセルを踏み、静かに発車した。

「さて、親愛なる恭介くん、これから向かう場所を教えよう──」

 相変わらず大仰且つ芝居がかった言い回し。

 だがこの場において、俺の不安を煽るのには充分な演出だ。

「──処刑場しょけいじょう

「っ!」

 思わず生唾を飲んだ。

「なんてのは冗談だ! 笑えたか?」

「い、いや全然……」

「そりゃ残念。これから向かうのは【組織】の本部だ」

「本部? 一ノ瀬に昨日連れてかれた所か」

 一ノ瀬に視線を向けるとフルフルと首を横に振る。

「ううん。あそこは羽咋支部だよ♪」

 なにが可笑しいのか、へらへらと笑いながら答える一ノ瀬を尻目に拘束衣の女が身を起こした。

 おそらく今目覚めたのだろう。

「あ、お姉ちゃん起きた。おはよ~」

 目隠しに猿轡をされた女──一ノ瀬 雪子の姉である氷華ひょうか──彼女を拘束したであろう張本人は平然と挨拶を投げた。

「むぐぅ……」

 驚きもしない。氷華は驚くほどあっさりと自身の置かれた状況を理解し、一ノ瀬の言葉にただ項垂れる。

「おい一ノ瀬。お前平気なのか?」

「ほぇ?」

 まるで「なにが?」とでも言いたげに小首を傾げる。

「自分の姉がそんな・・・姿で……」

「でもぉ~お姉ちゃんは力を持った異常者いじょうしゃだから、殺されるかも? ってね♪」

 実の姉を捕まえ殺人者よばわり。

 常人であれば神経を疑う発言だが、事ここに至っては仕方ない。事実、数十分前まで殺し合っていた姉妹なのだから。

 氷華も一ノ瀬の言葉に項垂れたまま、身動みじろぎ一つしない。

「質問ばっかしたくなる気持ちは分かるが、少しは落ち着けよキョウ」

 龍一の言葉に居住まいを正すと、ひょいとなにか投げられた。

 小粒の錠剤が詰められたタブレット。

「ミントのタブレットだよ。少しはリラックスできる」

 一瞬疑いの眼差しを向けるも、龍一の言葉を信じ、タブレットを開け二錠手の平に出して口に放った。

 鼻を抜ける爽やかな香り、たしかにハーブだ。

「まぁ、無いよりマシって感じかな」

 手錠をジャラジャラと鳴らし、タブレットを龍一に投げる。

 硬い鉄板のボディーに身を預け、電子機器の冷却ファンが回る音とかすかに揺れる車体を揺りカゴに待った。


+++


 目隠しを外すと眼前に広がるテーブル。

 それを照らす淡いブラックライトの光と、濃い陰に隠れた人間が複数。数にして六人ばかりだ。

「No.=2、貴方あなたの任務はたしか羽籠はごもり 隆義たかよしの暗殺じゃなかったかしら?」

 足組する女性の透き通る声。

「まぁいろいろあってな──」

 龍一が悠然と陰の中を歩き、最奥に鎮座する巨大な人影の左に腰掛けた。

「──っで今回、皆に集まって貰ったのは他でもない……俺達を裏切った元No.=zを捕縛した」

 一同の視線が円卓の中央──つまり俺達に注がれる。

 氷華はさらに厳重な拘束を施され、一ノ瀬は俺の腕を掴んでいた。少なからずこの空気に臆しているようだ。

「捕縛したって……貴方、知らない奴・・・・・まで居るわよ」

「セレナ、そいつについては後で説明する」

 セレナと呼ばれた女は足を組み換え、隣に座る男が突然立ち上がった。

「おぉ!! なんとも凄惨な姿! No.=2、これはあまりにも非人道的では!?」

 今にもOMGと言い出しそうな男が、場違いなほど声を張り上げる。単純にうるせぇ……

「あぁクソっうるせぇんだよイスマイル! ってかお前は氷華を知らないだろ。コイツは異常者なんだよ!!」

「なんと!? 彼女が噂に聞く……だが人間のような姿! オーマイガッ!!」

 イスマイルと呼ばれた男はジャラジャラと装飾品の音を立て、机に突っ伏した。

馬鹿イスマイルに邪魔されたが、率直な意見。異常者である氷華を処刑しょけいしようと思う」

 龍一の冷徹な一言に、セレナの隣に座る男が腕組みしたまま首を横に振った。

「No.=2、僕は反対です。彼女が能力者であっても、人命を無下に扱う事はできません」

 落ち着いた声音の男は、この状況であっても驚くほど綺麗事を述べている。

 さらに驚きなのは、龍一や他の連中が馬鹿にもせず男の言葉を飲み込んでいた点だ。

「そっか……まぁアルヴァスならそう言うと思ってたぜ。総統、どうする?」

 龍一は巨大な人影に質問を投げた。

「……うむ──」

 地鳴りにも似た低い声が重くのし掛かる。図体だけでなく、声や所作からも統べる者の圧力を感じた。

「──我らには無い知恵を有する者…………有益」

「んじゃま、氷華本人に聞いてみるか、おいイスマイル!」

 龍一が腰を上げ、円卓の中央に来るとジャラジャラと装飾品を鳴らし、カリブの海賊のような馬鹿げた出で立ちのイスマイルが腰に携えたカットラスを引き抜く。

 鋭く磨き上げられた湾曲剣を一ノ瀬の喉元に突き立てた。

「おい……なんだよ。これ」

 俺が小声で呟くと、そっと目を閉じた一ノ瀬は俺の手を優しく握った。

 すると龍一が氷華の目隠しを解き、猿轡を外す。溜まっていた唾液を床に垂らし、恨みたっぷりの目で龍一を睨む。

「お前の大事な妹は、1°でも温度を下げた瞬間首が飛ぶ。たった一人の家族ぐらい守れよな」

「恨みも憤りも、今さら晴らす気はないわ……」

 仲間をも手に掛ける気概。非道にして冷酷だが一ノ瀬は抵抗する気がないのも、いかんともしがたい。

 コイツらの生への執着、利己主義エゴイズム的言動、一ノ瀬の服従心、全てが俺の理解を越えてる。

「なら俺達に手を貸すか?」

「……私はもはやロートルよ。現場げんばじゃ貴方たちの足を引っ張るわ」

「あんたが立つのは戦場げんばじゃない。昔と同じ、精神衛生管理。それと異常者に関する知恵を差し出せばいい」

 氷華が苦虫を噛み潰したように歯噛みし、一ノ瀬の喉にカットラスを突き立てるイスマイルを睨む。

「人間の領分を越えた未曾有の力……知れば必ず後悔するわよ」

 力強く厳しい目を龍一に向けた氷華。

 それを平静に見守る龍一が口を開く。

「【ゼロ】の意思のままに……」

 龍一の呟いた言葉、それが氷華の耳へ届いた瞬間、目を見開き憎悪の篭った視線が龍一ではなく、何故か俺に向けられた。

「運命は破滅を案じているわ」

 荒唐無稽な言葉に龍一は氷華の耳に口許を寄せ、俺達にすら聞こえない嗄れた声で呟く。

「それでも、残された俺達が叶えるしかない」

 妖艶な蒼眼に映る濁った世界が閉じられ、一ノ瀬 氷華は静かに頷いた。


+++


 死にもの狂いで逃げて、逃げて逃げて、既に退路は断たれていた。

 気づけば名も知れぬ殺人集団に裏切り者として逐われ、俺の命は風前の灯。

 氷華の拘束衣を外され、一ノ瀬の喉元からカットラスが下ろされる。そして今度は俺だ。

「んじゃ、次はコイツだな──」

 龍一が俺を指す自然と全員の視線を集める。

「──知ってる奴も居るだろうが、コイツは羽咋の長尾組貸元、若頭補佐──本郷ほんごう 允人まさとの息子であり、第十四番特殊部隊の隊員だ」

「りゅ、龍一……なんで俺の親父が今!」

 なんの関係があるんだ! そう声を大にして言いたかった。

 だがこの空気がそうさせない。黙殺された俺の言辞はこの場に溶け、かわりに龍一は言葉を紡ぐ。

「コイツにはまだ利用価値がある──」

 冷めた熱を煮沸させる龍一が一席ぶつ。

「──それを証明するために、こいつを見てくれ」

 そう言って赤黒く濡れた布に包まれた二本の長大な槍と、二振りの刀を円卓に広げた。

 僅かに照らされた光に映る血糊の跡、濃厚な死臭と槍にこびりつく肉片に、この場の誰一人として物怖じしない。

「元No.=7カルロス・バレット、元No.=5ソルジャックの遺物だ。裏切り者に報い、屠った恭介コイツには俺達に比肩する力がある!」

 力強く熱を帯びた虚偽の証言。あの場にいた龍一が平然と俺を庇うのは何故だ。

 単に親友だとか、そんなみみっちい理由じゃないはず。

「そ、その……私も! 日向くんは【組織】に必要だと思います!」

 さらに予想外な擁護が飛んできた。一ノ瀬が龍一に同調すると腕組みする男──アルヴァスが小さく首肯する。

「うん、二人が言うなら僕も賛同するよ。彼らには非情かもしれないが、彼は優秀だ」

 虚偽と虚言に塗り固められた栄華、称賛は後ろ髪が引かれる思いだ。

 目の前でムザムザ殺された男たちの遺体はなく、遺された武器と偽証を語る者が後に繋ぐ。

No.=7セブンがそう言うなら……私は構わないわ」

「私も! 皆様の意見に賛同します!」

 異常なテンションのイスマイルと、冷たい態度のセレナも共に俺を迎え入れるようだ。

「No.=1、あんたはどうだ?」

 龍一が目を向ける巨大な影の右隣、線の細い色黒の人影は黙って首肯した。

No.=zナンバーズは全員賛成、最後はあんたの判断だ総統」

 じっと静観していた巨大な人影がゆっくりと伸び、右手が上がり、天井の明かりがぽつぽつとともされる。


 俺達を囲う円卓に着く五人の大人たち。

 色白の肌に金髪ロングヘアが美しい妙齢の女性、カリブの海賊のような男性、目鼻立ちが整った青眼の男性、派手な刺青とピアスに細身な黒人。

 逆光に影を落とす全身黒ずくめの巨大な男、そいつが頑丈な杖を突き、遅鈍な足取りで俺の前へ立った。

「まだ弱い……──」

 低く嗄れた声、幾年の歳月を重ねた老人のよう掠れている。

「──覚醒までは遠い……」

「コイツはいずれ化ける。あんたにも分かるだろ」

「今はその時ではない……──」

 巨大な男はダークブラウンの濁った虹彩で俺を値踏みするよう見、大きな指を一ノ瀬へ向けた。

「お前に預けよう……」

「は、はい!」

 一ノ瀬が居ずまいを正し巨大な男へ敬礼する。

 風前の灯と思われた命の火は、未曾有の力で息を吹き返す。

 だが地獄も悪夢もまだまだ続くようだ。いや、これは序章か。

「これから頑張ろうね!! えへへ♪」

 一ノ瀬の無邪気な笑顔、異様な冷気に包まれた会議場を出たのは数分後の事だった。


+++


 本部内を歩くのは来たときと同様、目隠しに手錠と指錠を掛けられ、内部構造を知られる事を警戒される。

 信用して組織に招き入れられたとは思えない待遇。

 一世一代の大芝居を打った龍一は氷華を連れ、俺は一ノ瀬に先導されていた。

「これからどうなる」

「うぅ? 日向くんは羽咋に戻るよ?」

「そうか……」

 羽咋と聞くと嫌でも頭を擡げるあの・・親父クズ野郎の存在だ。

 殺し屋になるなら確実に殺したい、目の上のたんこぶ──人生においての汚点。


 一ノ瀬に連れられるまま車に戻り、エドゥアルドが発車させると指錠が外された。

「これから本当にお前達と戦っていくのか」

 目隠しを放りスモークの貼られた、後部の神納扉から覗く高速道路の淡い光に隠れ、時折見える高層ビルと狭い夜空。

 恐らく首都近郊を走っているのだろう。

「う~んそだね~」

 歯切れが悪い。まだ俺に何か隠しているのか。

「まだなにかあるのか」

「うぅ~組織に入るってことはね……日向くんがこの世に存在してるってあかしを、消さないといけないの……」

「つまり? 具体的にはどういうことだ」

 小さく唸りながらいい淀み、足元のアタッシュケースから一挺の回転拳銃を出した。

「おい待てよ! なんだよ!!」

 手錠を掛けられた腕で咄嗟に顔を防ぐ……っが銃声は起こらない。

 見れば一ノ瀬は小首を傾げながら、拳銃のグリップを差し出している。

 回転弾倉シリンダー内には弾が装填されていない。

「オフデューティか?」

「うん」

 内蔵劇鉄ハンマーという特殊機構を持つ秘匿携行コンシールドキャリー回転式拳銃リボルバー

 樹脂製のグリップに銀白色のアルミ合金でできたフレームに、2インチの短銃身スナブノーズ

「コイツで誰を撃つ……」

 銃は人を撃つもの──殺し屋になりたての俺でも分かる。

「日向くんご両親だよ♪」

 嬉々としてそう言う。

 それはそうだ一ノ瀬コイツは意思を持った時に両親は居ないんだ。

「わかった……」

 絶好の機会──俺はこの言葉をずっと待っていた。

 あのクズ野郎を殺すキッカケ、免罪符を得た殺人許諾。


 手に馴染む冷たいグリップに冷や汗が付着する。

「日取りはいつだ」

「今日、これからだよ?」

「きょ、今日か!?」

「うん! 皆その為に動いて貰ってまぁ~す」

 へらへらと笑いながら、青い薔薇ばらの刺繍が施された白いロングコートに着替える。

 オフデューティの回転弾倉シリンダーを開き、五つの穴を見つめた。

「これの弾はどこだ」

「あ、弾はねぇ~~あったぁ~♪ はい!」

 五発の弾丸──いわゆる.38SP弾のフルメタルジャケット9mm口径の弾だ。

 それを一発ずつ装填していく。それくらいは映画なんかで観るのと変わらない。

 一ノ瀬は鞘の無い日本刀【冰刀】の刀身に防刃布を巻いて目を閉じる。ルーティーンのようなものだろうか。


 車輪の駆動と車体の揺れに耐え、コートの下からでも鳥肌が立つのが分かる。

 親父アイツを思い出すからだろうか。散々虐げられ、あのクズを思い出すだけで頭に血が昇る忌むべき存在。

 暴力に怯えていた俺は死ぬんだ。

 本郷ほんごう 恭介きょうすけは今日死に、日向 恭一きょういちが生まれる。

「逃げるな臆するな。俺なられる。殺す……殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!」

 殺せ、殺せ、殺せ──膝が震えやがる怖いのか? なぜ今さら震えるんだ。俺が願った事だろ。

 俺以外に誰ができる? 俺じゃなきゃダメだ、俺以外では意味がない。

 俺が必死に克己する姿を見てたのか、一ノ瀬が蒼い瞳を向け、不思議そうに小首を傾げた。

 俺はそんな彼女に首を振って「なんでもない」と答え、静かに車窓を眺め、時が訪れるのを待つ。

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