【第五章】 崩壊への序曲

日向 恭一

気の触れたピエロ

 紺色のブレザー、灰色に煤けたネクタイと薄汚れシワだらけのワイシャツ、鈍色のスラックス。

 脂ぎった黒髪、自分でも嫌になるダークブラウンの濁った瞳が映る鏡を眺めながら歯を磨く。

 俺が両親を殺した日の翌日、疲れからどっぷりと微睡みに浸かっていると、朝からハイテンションたっぷりの一ノ瀬に叩き起こされた。

 いわく『学校に行こう!! えへへ~♪』らしい。

 異常な精神力だと思っていたが、血溜まりをあゆみ、心臓に刃を突き立て、顳顬こめかみを撃ち抜き脳漿のうしょうをぶちまけようと後日学校に行きたいようだ。


「朝御飯、喫茶店にしよ?」

「ん……」

 眠たい目を擦り、平然と欠伸を繰り返しエドゥアルドの運転するセダンに乗り込む。

 すると一ノ瀬が身を乗り出し、無表情なエドゥアルドに英語で話し始めた。

「この間乗った時に思い出したんですけど、もしかして昔シヴェールさんと任務で使ってた車ですか?」

「…………(コクリ)」

 一ノ瀬を一瞥し首肯するエドゥアルド。

 英語が分からない俺から見れば、会話が成立しているのか些か不思議だが、エドゥアルドはこの部隊の古株。

 一ノ瀬も信頼しているからこそ、プライベートな送迎にまで彼を遣ってるのだろう。


 羽咋市郊外から羽咋高校まで約二十分。

 リアウィンドを流れる景色とすれ違う車たちを、ただ呆然と眺め続けると高校近くの喫茶チェーン店に着いた。

「エドさん、ありがとうございます! ではまたに♪」

 そう言って二人で車を降りると、エドゥアルドは無言のまま発車させた。

 夜というのは別に逢瀬を意味する隠語ではない。単に夜に一件、殺しの仕事があるというだけだ。


 一ノ瀬が先頭切ってサ店に入る。

 朝っぱらのサ店てなぁ存外混むらしく、オッサンやジジババが身のない話で騒いでいた。

「あそこにしよ?」

「あぁ……」

 力無く返事すると店内を見渡せる中頃の席を指差し、先に一ノ瀬が下座の四脚イスに腰掛けた。

「おい、お前が上座でいいだろ」

「へ? あ、うん」

 邪魔くさい程に荷物が多い女ってなぁ、上座のソファーのが文句無く荷物も置ける。

 俺がイスに腰掛けると頃合いを見計らってか、ウェイトレスが冷やを持ち、同時に注文を告げた。

「俺はブレンドのホットを、お前は?」

「私はホットココア、あと……ミックスサンドをください」

 『かしこまりました』と頭を下げ、ウェイトレスが厨房に引っ込んで行く。

「ココアってお前……ガキか」

「むぅ~カカオには鎮静効果があるんだよ?」

「それにしてもなぁ──」

 それにしても一ノコイツに限らず、龍一はハーブのタブレットを服用して気分を落ち着かせていた。

 殺人を生業なりわいとするには、自身の精神衛生を鑑みる事は切っても切り離せないのか。

「──というかA子の時も親父アイツの時も飲んでたが、もしかしてココア好きなのか?」

「うん! 甘くて美味しいんだぁ~」

「お前が飲んでたのはインスタントだろ。甘味料とか香料とかたっぷり入った……」

「インスタントいいよねぇ~粉さえ有れば戦地でも飲めるんだよ!?」

 目を爛々と耀かせてるが、コイツ銃弾飛び交う戦場で呑気にココア飲むのかよ。


 俺達が雑談をしているとウェイトレスが来『お待たせしました』と蒸気立つマグカップに入ったココアと、真っ黒なブレンドコーヒーが目の前に置かれた。

 早速一ノ瀬は両手でココアを啜り、俺はたっぷりのミルクと砂糖をコーヒーにぶちこむ。

「砂糖とミルク多くないかなぁ~? だいじょ~ぶ?」

「初めて言うが、俺は焙煎コーヒーとやらが苦手だ。この刺々しい苦味、ハッキリ言って不快だな。何が旨いのか、まったく解らん」

 そう言いつつ俺はコーヒーを呷り、苦さで渋い顔をすると一ノ瀬がクスリと笑う。

「日向くんも子供だね♪」

「俺とお前を一緒にするな。缶コーヒーなら余裕で飲めるんだよ」

「缶コーヒーも乳化剤に香料もたっぷりだよ~♪」

「チッ……ほらサンドイッチ来たぞ」

「ホントだ! わ~美味しそ~♪ パチパチ~」

 別段旨そうには見えない普通のサンドイッチが運ばれてきた。小さく手を叩きながら喜ぶのは、女特有の『可愛いい~キャー』的なノリだろう。


 楽しく朝食をとる一ノ瀬をよそに、ふと店内を見回すと端の席で異様な二人組を見つけた。

 前時代的なアイバーを当てた髪に、縦縞の黒スーツとレイバンの厳ついサングラスを掛けたオッサン。


 その差しにパンツスーツ越しにも解る細い足を組み、ストライプシャツに、スクエアタイプのサングラスを掛けた黒髪ショートカットの女性。

 一見すればヤーの情婦スケに見えなくもないが、女性の肩を通るショルダーホルスター。

 そこに入った拳銃──ノリンコの92式自動手槍QSZ-92-9が紛れもない本物だと気付くと、二人の関係が端から見て異様なのが分かる。

「?? どぉ~したの? 日向くん」

「いや……あの人、どっかで見た気がするんだ」

 女性を指差すと、たまたまこっちを見ていたオッサンと目が合ってしまった。

「なんやガキ! なに見とんねん!!」

 店内を静まり返す怒声が鳴り響き、オッサンのダミ声に俺の苛立ちも上ってきた。

「あぁ? なんだオッサン……」

「へ? ひ、日向くん!」

 一ノ瀬の制止も聞かず、冷や水の並々入ったグラスを持って立ち上がり、オッサンの前まで悠々と歩いた。

 周りの客は静かに俺達の騒動を見守る。

「やんのかガキ!」

 テーブルを力強く叩いて立ち上がったオッサンのイチャモンを、いちいち聴くのもバカらしい。

 手にしたグラスの水をオッサンの顔にぶっかけた。

「ぶぁ! こんのクソガキがぁ!!」

 今さら臨戦態勢を取ったオッサンの顔面に目掛け、グラスを叩きつけよう──っとグラスを掲げると、突然背後から羽交い締めにされ、オッサンの右拳に頬を打たれた。

 二発目が来る!

 そう考えた時、傍らのサングラスを掛けた女性が立ち上がり、オッサンの拳がジャケットで封殺される。

「何しとんねんヒットマン!」

 ヒットマン──そう呼ばれた彼女の名が浮かんできた。

「子供……手ヲ上ゲル、ヨクナイ」

 カタコトの日本語──中国人のしゅ 惠琴ふいくんだ。

「日向くん行こ!」

「オラ! クソガキ! 逃げる気かボケ!」

 一ノ瀬に引き摺られるようレジスターの前で二千円を放り「お釣りいりません」と言い放つ。

 チラとウェイトレスを見ると、子機使って通報しているようだった。


 騒いでるオッサンを睨みながら、一ノ瀬に店の外に連れ出されると力強く振り払う。

「クソッ! 離せよ!」

 一ノ瀬から離れ、薄っぺらな鞄を受け取ると、今度は腕を掴まれて路地裏まで連れて来られた。

「日向くんは知らないかもだけど、あのまま街中で暴れてたら、いくらの後ろ楯があっても、捕まっちゃうんだよ!」

「俺達は人殺しをしても捕まらない、免罪符を持ってんだろ! だったらあのまま、クソ野郎をぶっ殺しても問題ない筈だ!!」

 既に俺は二人も殺してる。たかが街のゴミを殺してなにが悪いんだ。

 しかもあのオッサンから喧嘩を吹っ掛けてきた。

「私たちのは仕事だよ。日向くんみたいに誰彼構わず殺していいなんて……そんな悲しい世の中じゃないよ」

「今度は感情論ってか? 人殺し風情がいっちょ前に美学こいてんじゃねぇよ!」

 怒りを露に血が上ると視界が歪み、奥歯をギリギリと噛みしめ、気づけば一ノ瀬の白い肌に──右手を振りかぶった。

「あっ……──」

 ヒリヒリと手の平が痛む。

 そして眼前には頬を押さえ、俯く一ノ瀬の黒髪だけが靡いている。

「──いや……」

 俺が何と言い訳しようと頭を巡らせていると、一ノ瀬は顔を上げ白い肌とは対照的に赤く腫れた頬を擦りながら気丈に笑った。

「えへへ~♪ 日向くん急に殴らないでよ。びっくりしちゃった──」

 薄く涙を溜め笑みを浮かべる一ノ瀬に、俺は心臓を締め付けられるような痛みを覚える。

「──ごめんね。大きな声だして……学校いこ?」

 何故謝るのか。俺が手を上げた『なら俺が悪い』てのがこの女の思考だ。

 誠意の無い言葉ばかり、形だけの謝罪。

「テキトーに謝ってんじゃねぇよ……クソッ」

「そ、そんなつもりは──」

 一ノ瀬の言葉を待たず、俺は学校とは逆方向に駆けた。

 


 そのまま歓楽街までとぼとぼと歩き、ため息混じりに先程の事を反芻していた。

「なんで殴ったんだ……おれ」

 頭にきたから……理由はそうだが、だからといって実際に人を殴ったのはアレが初めてだ。

「はぁ、だっせぇな」

「なにがダサイの?」

「っ!? うわぁ!──」

 ため息を吐いたそばから突如女の声が聞こえ、慌てて飛び退いた。

「──って、久世くぜ 千佳ちか……」

 見れば目深にミリ帽を被ったフライフェイス──久世が、肩から大荷物を抱えてへらへら笑っている。

「うん♪ わたし、参上!」

 パタパタとプリーツスカートを揺らしながらキメポーズを取る久世に「そうか」と答えると「反応が薄い」だのブーブー文句を垂れる。

「何してんだよ」

「うん? 何してるって……」

 肩から掛けた荷物をわざとらしく揺らすと、咳き込み始めチラチラと上目遣いをする始末だ。

「だからなにしてんだ」

「もぉ! 女の子に言わせないでよ!」

 頬を膨らませプンプン怒ってる姿を見てると、不意に一ノあいつが被った。

 もしかして久世こいつ、一ノ瀬の猿まねでもやってるのか。

「めんどくせぇな。一ノ瀬もお前も……」

「ん~? はっはぁ~ん! わたし分かっちゃった。さては恭一君、ユキちゃんと何かあったんだぁ~──」

 うりうりっと鬱陶しく頬をつついてくる久世の言うとおり、アイツを殴った。

「──まぁでも大丈夫だよ。恭一君が思いつめる事無いんじゃないかな?」

「他人事だと簡単に言えるんだな。俺が一ノアイツに何をしたか知らないってのに」

「ユキちゃんを怒鳴った? もしかしてっちゃったとか!? ふふん♪」

 女らしく表情豊かに図星を突かれ、思わず顔面の筋肉が強ばると厭らしい笑みを浮かべる。

「チッ……殴ったよ。だったらなんだ」

「フフッ♪ 殴ったらユキちゃんなんて言ったの?」

「んぐっ……『ゴメン』ってよ。誠意のないクソみたいな謝辞だ」

 誠意のない──っと言ったが、脳裏に過る一ノ瀬の表情は俺を気遣っていたような気もする。

 だからだろう。俺の心が悲鳴を上げ、絞めつられたのは。

「良かったね♪ 恭一君が思ってるよりユキちゃんは大人だよ?」

他人事ひとごとだからって簡単に言ってんじゃねぇぞ!」

「イライラするんだね。他人事じゃないよ? 大切な人を殺したのは恭一君だけじゃない、ジュンやアイリスさんもユキちゃんに言われて殺したの……」

 さっきまでのおどけた表情から一変し、物憂げな遠い目をどこかに向けながら話し始めた。


 佐野には二人の幼馴染みが居たそうだ。一人は三浦みうら 友也ともやって男と、佐野の元カノ姫川ひめかわ 珠理奈じゅりなって女らしい。

 そいつらと一緒に学生サークル【トライヴ】を結成。


 それは後の世に知られるような反社会的な組織でなく、若者たちの社交場の域を越えない、和気藹々としたものだったそうだ。

 そんなトライヴも佐野の恋人、姫川がヤクザに多額の借金を掛けられ自殺したことで、佐野と三浦が組織内で割れる。


 そして佐野は暴力、薬物に溺れ始めた。トライヴが反社なんて呼ばれる不良グループへと変容するのに、そう時間は掛からなかったんだろう。


 一ノ瀬はそんな時、政府からトライヴを潰す依頼を受けて、佐野派に【組織】の武器を一部横流しすると復讐に絆された佐野がヤクザの抗争を激化させていき。

 次第に疲弊したトライヴをたった5人で強襲したらしい。

 その時、佐野は自分の命を救う約束で親友を殺した事を未だ引き摺っているという。


 そしてアイリスもエリート街道を真っ直ぐ突き進み、自身の憧れ『ダーティー・ハリー』のよう、悪を悪で挫く者になるためFBIの強行班係、エリートのみが集うSWATに入った。

 だが見渡す限りの汚職、怠慢──アイリスの願った職場と現実は程遠く、ある事件をきっかけに人生を転落。

 当時、交流のあった元CAIのヘレン・リューリーの紹介で、今の組織に居る。

 


 

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