幻想の花


 久世 千佳の話を聞きながら歓楽街や大通りを避け、徒歩で埠頭までやって来た頃には、なんたらの機材がたっぷり入ったボストンバックが肩に食い込んで痛いくらいだ。

「はぁはぁ……なんで歩きなんだよ! タクシーでいいだろ!」

「う~ん。タクシー移動は顔バレしそうだから却下!」

 くるりと回りながら俺の前まで来ると口元に人差し指で✕印を作り、再び潮風を受けながら歩みを進めた。

「ちっ歩きのが、誰かに見られると不都合だろ」

「そんなこと無いよ~だって二人とも制服姿でボストンバック背負ってるんだから、部活か何かにしか見えないって!」

「埠頭で部活……イカ釣り漁船部か? 死体バラし部か?」

 波打ち際を見て真っ先に思い浮かぶのは、テトラポットにしがみつく、体中がパンパンに膨れ上がった青紫色の水死体だろ。

「うぇ~恭一君ジョークのセンスわるぅ~」

「ひひっ久世なら笑えると思ったがな」

「乙女心傷つくなぁ~水死体なんて見たこと無いんだよ?」

「そいつは意外だ……」

「私が高校生の時に居た戦場はウガンダだから、砂漠ばっかりだったし……組織に参加してからは市街地、屋内戦メイン?」

 無駄口を叩きながら三番倉庫の前まで来ると、建物を遠巻きに眺めながらボストンバックから、三脚とスタジオ測量器を取り出し手早くセッティングする。

「なら今回の作戦で初の水死体を見れるかもな。ヒヒッ!」

「ちっちっち、海まで逃がしませ~ん」

 お互い軽口を叩きながら、俺は折り畳みのロッドを測量器のレンズに合わせて掲げる。

「あっ恭一く~ん、もうちょっと左」

「あぁ」

 三番倉庫の入り口に始まり、屋根はドローンの地形分析、電話線と通信設備の確認。




 外から知り得る情報は全て分析、検証を終える頃にはすっかり日が天高く昇ってしまった。

「いつまで続ける気だよ久世」

「ん~もうちょっと……」

 配電盤を眺め、なにやら熱心にタブレットへ数字を打ち込んでいる。

「はぁ……今時、実地検証なんてしなくても、地形データなんてネットに幾らでも転がってるだろ」

「ん~基本は地形データを下に作戦を立てるんだけど、やっぱり未だにデータと現実の齟齬があるんだよね。昔それで脱出ルートを無理矢理、ユキちゃんに作ってもらった事あるから~」

「ほー、久世でもミスするって事か。んで一ノ瀬が尻拭いって訳だ」

「ふふ~ん♪ ユキちゃんの凄さがわかった?」

 現場での軌道修正、変更はお手の物……でなければ人の上に立つ資格はないってか。

「むしろ嫌味なくらい優秀だな。誰よりも強く、美しく、聡明で……努力家だ」

 俺の呟きに久世の作業の手が止まった。

「やっぱり恭一くんは、よく人を見てるよね。あの人みたいに……」

 ドローンを回収し、帰り支度を済ませた俺は、ラップトップのキーを熱心に叩く久世の表情を窺いながら応える。

「昨日言ってた。俺に似てる男の事か」

「フフッ♪ やな 良二りょうじくんって言う子なんだよ~変わった名字でしょ? でももう死んじゃったんだぁ~」

 事も無げに放った言葉『でももう死んでる』

 常人なら神経を疑われる発言だが、こと久世 千佳に関しては違う。

「ホントに死んだのか……」

 僅かな疑問。もちろん俺は久世じゃない。

 その梁って野郎なんて知りゃしないが、死んだ人間を想う気持ちは少なからず解るつもりだ。

「リベリア内戦でリベリア民主和解連合LURDに捕まって処刑されたって聞いたの……はい!暗い話はここまで!」

 勢い良くラップトップを閉じると俺へ向き直った。

「さっ! 帰りましょ~♪」




 なんたらの機材がたっぷり詰まったボストンバッグを再び抱え、埠頭を出たところで太陽は天高く上り、雲間から指すチンダル現象が眩しく思える。

「恭一くんはこのまま学校に戻るの?」

 悠々と先を行く久世が振り返り、小首を傾げながらあざとく聞いてきた。

「一ノ瀬に会っても気まずいだけだし、今日は行かねぇ」

「じゃあ二人でデートしちゃう?」

 顔面の左半分を覆う火傷痕が痛々しく、苦悶を孕んだ歪んだ笑顔を向ける。






+++






 デートと言われて連れて来られたのは、久世と佐野と出会い、銃撃戦が行われたバーだ。

 看板を撤去した痕が印象的なバーの扉を開ける久世の後に次いで、入店すると突然──久世にネクタイを引っ張られ入り口で倒れ伏せた。




 バァァアアン!!




 耳を劈く銃声が頭上を掠める。

「ジュン!! チカだよぉ!!」

「んぁあ?」

 白煙が銃口からくゆるCz-75を構え、眠たげな目を向ける佐野が居た。

「おぉ~ワリィ~な! 入ってくるなら言ってくれよ」

「連絡したよ!? スマホ見てないの?」

 素早く立ち上がった久世が佐野へと駆け寄り、瞬きする間に拳銃を奪い取る。

「お、おい~返せよ~チカ~」

「ダメ! バンバン撃っちゃう悪い人には返しません!」

 痴話喧嘩が始まり、扉を抉った弾痕を見つめながら立ち上がり、放り投げられっぱなしのボストンバッグを拾う。

「酔ってるのか佐野……」

「あぁ? 誰に偉そうな口利いて───いてっ!」

 久世が不機嫌そうに佐野の頭を叩いた。

「ユキちゃんの決定……また医務室送りにされたいの?」

「ッチ……」

 久世に諌められた佐野が不満タラタラで悪態をつきやがった。

「一ノ瀬の決定なんてかんけぇねぇよ。俺に不満があるなら掛かって来いよ佐野……」

 あんな女の背中に隠れてなきゃ、何も出来ないガキとでも言いたいのか。

 偉そうな久世を睨み、ボストンバッグを投げ捨てた。

「ケッ! いっちょ前に口利いてんなよ!」

「キャッ! ジュン!!」

 久世の肩を突飛ばし、左足で踏み込み左肩を内へ入れてジャブの構えを見せた瞬間。

 俺はスツールに片足で飛び、佐野の頭上を取ると天高く左足を上げると佐野の脳天目掛けてかかとを振り下ろした。

「ぐふっ!」

 僅かに開いた口から漏れたのは、ジャブの細かい呼吸ではなく痛みに悶えた吐息だ。

 そして俺は慣れない踵落としに体勢を崩し、木彫のモダンな床へ顔面から落ちる。

「ぎゃふん……いてぇ……」

 不様な声を上げながら顎と手のひらを痛め、立ち上がろうと膝をついた瞬間──ゴツンと鈍い音が聴こえ、同時に鼻腔びくうの奥から血の匂いが香った。

 キツイ目眩めまいと強烈な痛みが走り、視界が激しく明滅を繰り返す。

「ヘッ! 派手だが……まだまだだなぁ!?」

 ヒビの入ったブランデーのボトルを片手に、ふらつく佐野が後頭部を押さえながら嬉々として笑っていた。

「クソッ……得物使ってんじゃねぇ……」

「喧嘩に卑怯もへったくれもねぇだろ? ヘヘッ」

 徐々に視界がクリアになってくる。

 手足も震えが残るが言うことを聞き始め、殴られた後頭部を擦るが血が出てない事を確認すると、佐野に飛び掛かった。

「さっきの例だ! クソ野郎ぉ!」

 弓なりに構えた右腕が、怒声と共に佐野の紅くなった頬を捉えようとした──っが突然強烈な力で背中へと腕を曲げられた。

「いててて!!」

「ケンカはダメ! ユキちゃん居ないからって暴れないの!!」

 強い口調の久世に抑え込まれ、キメらてた右腕をタップするとすんなり離された。

「ヘヘッ! チカに関節極められて泣いてやがんの」

 佐野がケラケラと笑いながらスツールに腰掛け、ヒビの入ったブランデーボトルから、ロックアイスの溶けたグラスへと並々注ぐ。

 たしかにちょっと涙が出てきたが、これは……生理的反射だ。痛かったからとか、そんなガキみたいな理由じゃない。

「ジュンもお仕置き~!」

 久世がそう言うと佐野の真っ赤な両頬をつまみ、頬っぺたを伸ばした。

「ひへへへ!」

 ぷっくらと膨らんだ頬を目一杯引っ張られ、佐野の奴こそ目尻に涙を溜めていた。

「くっくひひひ……な、なんだダッセェなぁ~佐野、泣いてんじゃねぇか」

 腹を抱えながら佐野を笑ってやると、頬っぺたから手を離した久世が、フッと口の端を歪めた。

「恭一くんが笑ってるとこ初めて見たかも……」

「いってぇ……爪まで食い込ませやがって……」

 頬を擦る佐野もなぜかはにかみ、久世は火傷痕を庇いながら歪に笑った。

 くだらない事が面白いと感じたのいつぶりだろう。自然と頬が緩むのが不自然に感じるほど、俺は笑顔を忘れてたらしい。




 佐野が僅かな笑みを浮かべながら、何気無くカラになったグラスへとブランデーを注ぎ、カウンターを滑らせると俺の傍らに寄越した。

「飲めよキョウ、仲直りの酒だ」

「あぁ……」

 ブランデーなんていつぶりだ? 龍一との賭けで飲んだきりだから……あぁ、栫井と出会った頃か……




 勢いよくブランデーを呷ると、喉を焼かれたのかと錯覚するほどの辛味、鼻腔を擽る独特の薫りが絡む。

「あぁ! キッツいぜ!」

「もぉ~恭一くんは高校生でしょ?」

「酒くらい飲める……久世もどうだ?」

 スツールへと腰掛け頬杖をつきながら、俺を見上げる久世にグラスを掲げて誘うが、当然の様に久世は首を横に振った。

「私はまだ二十歳はたちになって無いから止めとく~」

 そう言ってミリタリー帽をカウンターに俺を見上げ、なにが楽しいのか痛々しく微笑んでいた。




 店内を照らす間接照明と、喉を鳴らす音だけが心地よく響く昼下がりの酒場で、酔いに任せて三人言葉を交わす。

 何故か不意に過った二人の顔が佐野と久世に被った。

 ──赤井 龍一、栫井 幸奏と三人で談笑する姿が見えた瞬間、俺の頭に激痛が走る。

「ぐっ……」

 額を押さえながらカウンターへと突っ伏し、遠くから耳へ届く久世の言葉の意味も分からず。

 強烈なフラッシュバックが思考を支配した。






***




 玲瓏れいろうたる佳月を覆う暗雲、そこから絞り出されるように、一滴、一滴の雫が頬を伝う。

『キョウ……悪いな……』

 漆黒のロングコートを着た龍一が、俺へと銀色のガバメントを向け、申し訳なさそうに呟いた。

『謝るなよ龍一……リュウイチ!!』

 耳を劈く俺の叫び声。

 いつ、どこの光景かわからない。

 光の差さない暗い路地と、血塗られた制服を濡らす雨だけがやけに鮮明に映る。

『キョウ……いや、No.13サーティーン……お前は不良品だ。だから──』

 銃身に彫られた龍──俺はコイツを良く覚えている。

『──俺がこの手で……慈悲を与える……』

 ──俺の親友──

 ──赤井 龍一──

 トリガーを絞り、劇鉄が起こされる。

 その時にふとした疑問が過った。




 龍一とはいつから親友なんだ?




 コイツと出会ったのは?




 コイツの年齢は?




 コイツの両親は?恋人はいるのか?




 俺は龍一の事を何一つ知らない。本名すらも……






***




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ダブルロール~羽咋の真祖~ 佐々木 祐(タスク) @Tasuku

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