裏切りの追従

 薬で眠らされ、射撃訓練を終えた時点で夜は明けていたようだ。

 俺はエドゥアルドというロシア人の運転する。

 4人乗りのセダンに揺られ、傍らの一ノ瀬が触れる手の温もりを感じながら、ようやく停車すると目隠しが取られた。

「はい! ついたよぉ~」

 一ノ瀬の甘い声音が耳元から聞こえ、セダンの後部座席を降りると、見慣れた羽咋高校の校門が眼前にある。

「なんで高校なんて……俺は殺し屋になるんじゃなかったのか?」

「うーん、そんな物騒な職業じゃないよ? 私たちは私設部隊! だから~学校に通うのも必要なの」

「お前がここに通うのも同じ理由か?」

 エドゥアルドは俺たちを下ろすと静かに発車した。

「うぅ~ん、私は孤児だったから15歳で施設を出されたの。だから今は、一般教養を身につける為に来てるんだぁ~♪」

 事も無げに自身が孤児であることを明かした。

 一応、氷華先生から聞いては居たが、本人は産まれた時から親が居なかった事は、気にしていないのかもな。

「お前、孤児だったんだな……じゃあ、幸せだな」

「へ?」

 不思議そうに見つめる一ノ瀬を一瞥し、苦々しい口を開く。

「この世界には、子供なんてただの物質、道端の石ころ程にも歯牙に掛けない親がいる……お前はそんなクズを見ずに暮らせたんだ……」

「う……じ、じゃあ日向くんは、お父さんやお母さんが嫌いなの?」

 一ノ瀬の純粋な質問に首肯する。

「特に親父アイツ……クズ野郎は、ぶっ殺したいくらいだ」

 憎悪に奥歯を鳴らすと、一ノ瀬はくすりと微笑む。

「えへへ~──じゃあ殺しちゃおっかぁ」

 まるで子供が無邪気にイタズラを計画するように、一ノ瀬は平然と言ってのけた。



×××



 二限を終えて気付いた。

 一ノ瀬の隣に居る筈のA子、アイツがいない。

 たしか三人で『ヒドゥンクラブ』に行ったのは覚えてるが、カクテルを飲んでからの記憶がなく、一ノ瀬からその後連れてこられた事は聞いた。

 だが彼女がどうなったのかは知らない。いやむしろ、俺には関係無いのか。

「……俺、早退する」

 一ノ瀬が真面目に次の授業準備をしているところに、一言放ち。

 鞄を持ってさっさと教室を出た。


 肌寒さは建物と暖房、群衆によってか、幾ばくかマシだったが。

 校舎を出れば、灰色の空に黒雲が立ち上ぼり、シトシト落ちる白粉のような結晶がブレザーに溶けていく。

「雪かよ……どうして降るかね」

 俺のぼやきは白息となり、沸点を越えた水が昇華されるように、空に吸い込まれていった。


 子浦川を越え、数十分歩き、昼間の閑散とした繁華街を抜けるとみえる。潮風に風化した灰色の建造物。

 救急車が目の前を忙しなく走り、外来患者が数多押し寄せていた。

 二度と来ないって思ってたんだが悩み。漠然とした不安を抱えたまま、受付の看護婦に適当な理由をつけて診察を打診する。


  …………二時間程たっただろうか。

 内科の診察室に通されると、さも当然のように、白衣を着た氷華先生がスツールに毅然と座っていた。

「今日はどうしたの?」

 この間、ソルジャックとかいうイタリア人に刺されて以来。

 氷華先生の眠たげな目を見ていると、まだ下腹部が疼く。

「……先生の妹さん、一ノ瀬 雪子さんの事です」

 妹同様、蒼い瞳は妹のように澄んだものではなく、現実を見、疲れたように淀んでいる。

 そんないつもの変わらない目をしながらも、氷華先生の中で少なからずの動揺があるのを見てとれる。

「そう……雪子がどうしたの?」

「彼女が所属する組織。その部隊の一員になりました」

 今度は一瞬驚いたように口を開き、すぐさま閉口した。

「…………まさか、あの子が貴方を生かすとわね。どう? 実際に組織を、中から見てきた心証は?」

「平然と人を殺せる……狂った連中」

 そう言うと氷華先生はフッと笑った。

「えぇそうね。確かに恭一君の言う通りだわ」

「笑い事じゃないんですよ」

「いいわ。わざわざ、それを伝えてくれたって事は、二重スパイにでもなってくれるのかしら?」

 思わず面食らった。俺はさらさらそんなつもりは無かったんだが。

「いやそんなつもりは……仮に二重スパイになっても、俺にはメリットがない」

 利己的な理由だが、それは自分の保身のためでもある。

 連中に氷華先生との繋がりがバレでもしたら、確実に俺の命は危うい。しかも氷華先生は、組織を離反していたんだ。

「フフッ、メリットなら在るわ。私は貴方の事をなんでも知ってる、貴方の知り得ない情報もね」

「俺の知らないこと?」

「そうよ。例えば──貴方は骨を折ることは無いわ」

 …………ん? なんだそれ?

 骨を折ったことは無いけど、

「えっと……それはですか?」

「そうね……もっと分かりやすく言うなら、大脳に甚大な損傷を受けない限り、死なないのよ」

「それって俺は不死身って事ですか?」

 まるで人をサイボーグみたいに言ってくれる。

 やっぱり俺はこの人と話すのが苦手だ。電波垂れ流しで、俺の話を聞いちゃくれない。

 しかも分かりにくい喩えを入れて、余計に俺を混乱させるし。

「不死身じゃないわ。前にも言ったけど、貴方は普通の人間より、かなり頑丈な作りになってるのよ」

「……やっぱ俺、先生が苦手です」

「フフッ、そう。じゃあそんな貴方に、プレゼント」

 突然、誕生日でも無いのに、デスクの脇から出されたジュラルミンケース。

 俺は少し戸惑いながら、ジュラルミンケースに手を伸ばし、留め具に触れた途端──氷華の黒革手袋が俺の腕を掴んだ。

「な、なんですか!」

「少しは用心深くなりなさい。貴方は不死ではないのよ。もしこのケースに、爆弾が詰まっていたらどうするの」

「……その時は先生もろとも死にますよ」

 俺はそう言うと迷い無く、ジュラルミンケースを開けた。

 もちろん中身は爆弾なんて事はなかった。あってたまるか。

「先生の事を信用してるとかじゃなく。譲渡した本人も巻き添えくらう、下手は打たないっしょ普通」

「たしかに、その通りね──でも油断はしないように」

 コイツは俺の保護者か、なにかのつもりか?

 ……だが、たしかに少しは用心しても良いのだろう。

 目の前の人間が明確な味方でない限り、全てを疑うべき。

 それが俺、本郷 恭介だったはずなのに、何を呑気に他人が手にしていた物を、安易に受け取ろうとしたんだ。

「ん? コートですか?」

 中に入っていたのは、胴廻りで丁寧に折られた。厚手のロングコートだ。

「カルロスが作った防弾コートよ。材質はアラミド、ケブラーと皮革」

 表面はトレンチコートのように、皮革ひかくで覆われ、中にはアラミドのケブラーを用いた防弾仕様らしく。

 着心地が最悪、しかも重い。

「フードから袖裾まで防弾繊維なんですか?」

「ええ、もちろん。NIJ規格のレベルIVのボディーアーマー並みに強固よ。胸部はアーマーピアシングまで防げるし、弾丸は.50AEだろうと貫通しないわ」

 それだけ聞くとかなり強そうだ。

 アイリスが持ってた大型のリボルバー、レイジングブルが.454カスール弾と言うことは、それ以上の弾でも大丈夫なんだろう。

「ただ……自動小銃の弾は防げないわ」

「つまり銃よっちゃ……ロシア製の銃なんかは貫通するんですね」

「その通りよ。だから相手をよく見れば、貴方は傷一つ負わないわ──」

 おぉ、そりゃ凄い。

「──それが一つ目の弱点」

 氷華先生の話はまだ続いていた。

「もう二つ、弱点があるわ。二つ目の弱点は、防刃に対する脆弱性。ケブラー繊維でも防刃か防弾。基本的にどちらかに傾倒するの」

「なるほど……」

 弾丸にはめっぽう強いが、ナイフなんかにはめっぽう弱いって事か。

「そして最後。繊維質の防弾ジャケットは、打ち身や痣になり、場合によっては胸骨や助骨が折れて肺に刺さり、死亡するケースがあるの。まぁ恭一君の場合、痛いだろうけど、死にはしないわ」

「さっき言ってた俺の骨は折れる事がない、ってアレの事ですよね?」

「えぇそういう事よ」

 半信半疑だった。

 今、この時点で骨折しないかどうかが、生死を別つか分からない以上、ただ現実感の無い話をされているに過ぎない。

「ツケラレテタゾ」

 っと突然、俺の肩を叩かれ驚きの声をあげた。

「うわぁ!」

 振り返ると長身、怪しい金色の瞳が俺を見下ろしていた。

 たしかソルジャックとかいう、イタリア人だ。

「ソル、誰がつけてたの?」

「キミと同ジ目……」

 ソルジャックが自分の両目を指して語る人物。

 氷華先生と同じ眼と言えば、一ノ瀬に決まっている。

「っで、どうしたの?」

 僅かに焦燥感を顕にする氷華先生。

 もちろん俺も例外じゃない。一ノ瀬にこの密会がバレれば間違えなく、俺の命はないんだ。

「カルロスがオサエテル……」

「分かったわ。ソル、貴方はカルロスの撤退支援を」

 氷華先生が撤退を指示したが、ソルジャックは静かに首を横に振った。

「カルロス、頭に血ガノボッテ話、聞カナイ」

「まさか……相手は雪子だけじゃないの?」

「No.=2……」

 二番、そいつは俺も良く知った男だ。

 赤井 龍一──なぜアイツの登場で、カルロスが制止を聞かないのかは分からないが、氷華先生は慎重に考えを巡らせている。

「彼女を、利用するしか無さそうね……」

 彼女──俺には当然、思い当たる節など無い。

 いつも俺はこうして蚊帳の外の筈が、いつの間にか巻き添えをくらう。

 氷華先生は1人、ノートパソコンへ向くと、カタカタとキーボードに入力を始める。

「恭一君、は始めてかしら?」

「異界ってなんですか……」

 氷華先生の質問の意図がわからない。新単語、新情報。

 分かってたまるかクソ野郎。

「特定の異能者が保有する特殊空間。クオリアが見せる錯覚ではなく、現実の事象よ。正確には次元の歪みが起こす空間転移と考えても良いわね」

「また専門用語……あんたホント、俺に教えてくれる気はないらしいな!」

「時間の問題よ……いずれ理解するわ。否が応にもね」

 眠たげなまなこが俺を写す。

 もはや筆舌に尽くし難い不安や恐怖、憤り畏怖の念を抱く俺の顔が徐々に歪み、意識があるのか無いのかすら解らなくなってきた。

 深い微睡み──汚泥に足を取られ、ズルリ……ズルリ……と身を沈めていくような感覚。

 眠りに近いが、暗がりを覗く瞼には命令伝達が精巧に行われている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る