本郷 恭介

十六歳の恋なんて…(改稿)

  ビル群から発する人工灯が、雨粒を反射し白い輝きを放つ。

 狭い灰色の空の下にむくろを晒すのは、頭を撃ち抜かれた“人だった”物だ。


『……まだだ、まだ足りない』


 俺の呟きに呼応する者は居ない……

 アスファルトを蹴る複数の音が近づき、強い光を俺に向けるが、俺は光源へ目を向けて、落ち着いた声音で言葉を放った。


『俺の眼を見ろ……』


 強い耀きを放つ光源を手放し、後に続いた人間達は動揺した。


 俺の『異能ちから』──ガバメントライセンス──視線を合わせた人間の人心を掌握し、俺の統治下に置く。


 もちろん、ヒトが考えうる道徳や倫理観など、俺の命令の前では微塵の迷いも無くなる。


『仲間を殺せ……』


 動揺する仲間へ拳銃や短機関銃を向け、一切の躊躇など無く引き金を引いた。


 混乱の最中、俺に銃を向ける人間には手に持った“ガバメント”の45口径が火を噴く。

 完全被甲弾フルメタルジャケットが足を穿うがち、俺の命令無しに倒れる事の無い従者がとどめを刺す。


 いくら数が居ようが俺は殺せない。


 阿鼻叫喚あびきょうかんこだまする、暗く沈んだ空間。

 肉を裂き、骨を抉り、最期の時を咽び、俺を『化け物』と無意味に罵る。


 両手に持つ銀白色の砲身が剥き出しになり、デコッキングレバーが上がり、遊底スライドを固定すると、銃口から僅かな煙が立ち上ぼる。


『っぐぅ、はぁはぁ……』


 誰が撃ち損じたのか、不幸な一人が仲間の血を被り、息絶え絶えに痛みを紛らわしていた。


『可哀想だ。慈悲をやろう……』


 両手のガバメントのデコッキングレバーを降ろし、太股に着けたレッグホルスターに仕舞う。

 最後に残る男の怯えた頬に手を当て、男の持っていた『国民拳銃Vp』のポリマーグリップに手を掛ける。


 銃口を男の額に当てた。


『待って……』


 何処から見ていたのか、肩まで伸びた黒髪と白い肌に蒼い瞳の少女が、ゆっくりと俺の許まで来。男の額に当てていた『Vp』のスライドに触れた。


『彼も仲間になれるわ……』


『可哀想だ……仲間が死んだというのに、彼だけ生きていては……』


 俺の言葉を聞いても尚、少女の瞳には強い信念と真摯さを感じる。

 恐らく、彼女は曲げる気はないのだろう。


『今は仲間が必要なの……』


 俺は少女の真剣な想いを拒めず、銃を降ろす。


『私は……一ノ瀬いちのせ


 少女が手を差し伸べると彼は驚き、静かに少女の手を握り、俺も彼に名を名乗った。


『俺は──』


×××

 

 すえた匂いと背中に刺さるような痛みを感じ、瞼の裏側を映す光の残像が酷く不快だ。


 薄く瞼を開け、頭に響く疼痛に上体を動かすと、ビニールと膨らんだ袋から吹いた生ゴミの匂いに、無理矢理起き上がった。


「う、うぇ……臭え! お゛え゛ぇぇ!」


 立ち上がるとグラグラと視界が歪み、後頭部に残る鈍痛に喉を焼かれたような痛み、込み上げる胃液を嘔吐した。


 少し吐いた程度で収まらない頭痛に揺れる視界が酷く、鉛のように重い体を支えきれず尻餅をつく。


 身に覚えのない現象。まるで四十度近い熱が出た時みたいな。


 頭をあまり動かさないよう辺りを見回す。

 何故か繁華街のゴミ捨て場で寝ていたようで、変な夢と相まって非常に寝覚めが悪い。


 鞄が同じようにゴミ袋の上に積まれており、混乱する俺の背中に突然痛みが走った。


「いて!」


「ゴミ出せねぇだろうが! どけ!」


 ゴミの山から退いてるのに、横柄な態度の男は何処かの店の従業員であろう制服を着ており、俺に悪態を吐いてさっさとゴミ袋を出して何処かへ行った。


 わざとなのか俺の学生鞄にゴミを乗せて、去っていった男に心中で中指を立て、ふらつきながら立ち上がり、ゴミを避けて鞄を持ち上げる。


 昨日の記憶を掘り起こすが、頭痛に邪魔されてよく思い出せない。


 足取り重くフラフラと学校へと向かおうとするが。

 込み上げる吐き気に勝てず、人通りのない歓楽街の脇道の溝に黄色い胃液を吐き出した。


「がっはぁはぁ……チクショウ、ふざけんな」


 口を濯ぎたいが防犯面の考慮からか、繁華街の近くには自販機が無い。


「くそっ……なんでこんなに頭が……」


 自分の声が鼓膜を震わせるだけでも、脳内に酷く反響する。

 重篤じゅうとくというのは大袈裟過ぎるかもしれないが、かつて無い未曾有みぞうの経験だ。


×××


 フラフラとようやく学校を目前とする橋に到着した。


 何度か吐いて呼吸がうまくできない。口と鼻には饐えた匂いが充満している。


「よぉキョウ、昨夜ゆうべは楽しかったな」


 鞄を持っていない龍一と偶然、橋の上で鉢合わせた。


「はぁはぁ……昨夜? な、何のことだ?」


 込み上げる吐き気を必死に堪えながら、手摺に凭れながら答える。


「おいおい覚えてないのか? 昨日、幸奏ゆかなと一緒に遊び回っただろ」


 昨日の晩……ゆかな? 微かだが、女と一緒にビリヤードをやったのは覚えている。


 そうだ、たしかバーも併設されてるところでやっていたな。


「もしかして、俺、負けまくって飲んだのか?」


 普段から龍一と賭けビリヤードをやる際には、罰ゲームとして、酒を飲むようになっていた。


 それをしたせいで二日酔いになったのか。


「ん、あぁ……そうだな。俺と幸奏に負けて、テキーラを浴びるほど飲んでたぜ」


 それにしてもこの鈍痛は余程、無茶して飲んだらしい。


 スピリタスかテキーラスピリッツを、ショットで何杯も呷ったとしか考えられない。


 後悔先に立たず……まったく、もう少し後のこと考えろよ俺。


「いや……にしてもなんで俺は、ゴミ捨て場で寝てたんだ。介抱してくれよ」


「お前の家を知らねぇからな。ホラ、お似合いだ」


 大仰に振舞い、龍一が手を叩き、わざとらしく俺に両手を向けた。


「お前まで俺をゴミ扱いか……」


 散々吐いて捨てるほど馬鹿にされ、暴力を振るわれ、罵倒されてきたが、とうとう龍一コイツにまでゴミ扱い……俺の人生って何なんだよ。


「おいおい悄気るな! 別に俺はそんなつもりで言ってねぇよ!」


「嘘つけ……お似合いって言っただろうが」


「ありゃ、その……良い意味でって事だ!」


 それよりも気になったんだが。龍一の左手にはバンテージのように、拳を包帯で覆っており、微かに血が染み滲み出ている。


「よぉ! 迎え酒なら付き合うぜ」


 いつもの軽いノリで肩を組んでくる。重い、痛い、頭いてぇ!


「いや、いらない……それより龍一、その左手の傷はなんだ?」


「あぁ、お前が消毒液をくれたんじゃねぇか」


「焼酎でもかけたのか?」


 消毒用の焼酎があったのか定かでは無いが、バーで飲んでいたのだから、消毒ができるのは焼酎……スピリッツでもアルコール純度の高さから考えれば充分か。


「ほら、なんか脱色用の液体だった。まぁそんな事はどうでもいいから、サボらねぇか?」


「良く分からんが俺はエスケープしない」


「おいおい兄弟ブラザー!! なぁに水くせぇこと言ってるんだ!」


 洋画でも観たのか妙に芝居がかった喋りで、サボタージュを強要してくる。


 龍一と違って俺は不良じゃない。こんなに頭痛が酷いなら机で寝てる方がマシだ。


「恐らく飲ませたのはお前だろ。この不調を二日続けるくらいなら、授業中寝てるよ」


「チッ……仕方ねぇな。ライターは持ってねぇか? どっか忘れちまった」


 制服の上着を叩きながら聞かれても、俺は煙草を吸わない。


 何処かに忘れたのならばいい機会だから、禁煙すればいいのに。


「健全な高校生は肺癌はいがんのリスクと、成長途中の体をかんがみて、将来的に不健康なものを摂取せっしゅしないものだ。いい機会だから禁煙しろ」


「あぁハイハイ諦めますよ……ったくバカ真面目だな」


 俺の肩を叩いてそのまま学校を背に、悪態をいて去っていった。

 珍しく強引にサボりを強要されなかった、これで御の字だ。


「あっそうだそうだ。キョウ! 俺は暫く学校行かねぇから、何かあっても知らねぇぞ!」

 

 背後から相変わらず良く響く龍一の声が聞こえ、踵を返すと、俺へ手を振り、揺れる赤髪だけが見えた。


「またサボりだろ! たくっ……そんな報告いらねぇっての」


 バカ真面目はどっちだ。


×××


 既にホームルームを終わっていた。


 なぜかいつも以上にクラスが色めき立っており、なんの因果か俺の席あたりを囲っている。


 そんな様子を遠巻きに見つめる新羅。


 目を合わせないようにそっと、取り巻きの中心を見る覗くと、筆舌につくし難い違和を感じた。


一ノ瀬いちのせさんってどこから転校してきたの?」


「一ノ瀬さんって肌綺麗だね! 化粧水とか使ってるの?」


 キャピキャピ喧しい女どもの質問攻め、その渦中に居る少女は、身振り手振り慌てふためいている。


「あわわ……い、いっぺんに言われても!」


 一ノ瀬と呼ばれる少女は、黒く短く整えられた髪、前髪は癖毛なのか少し丸い、それよりも印象的なのが……


「眼が蒼くてキレ~」


 好奇の眼差しで少女の目を覗き込む女子生徒。

 そんな連中の奇行に少女は、恥ずかしそうに目を伏せ、頬を朱に染めている。


 このモブ女Aの言う通り少女……

 ないし一ノ瀬と呼ばれている女は、夢に出てきたあの少女に瓜二つというか、あの少女がそのまま育ったように、容姿が酷似している。


 特に蒼い虹彩こうさいは澄んだあい色のよう、明るく壮麗だ。


「もしかしなくてもハーフ?」


 モブ女Aが言葉の間違えをわざとしたのか、日本では蔑称にあたる言葉を投げ掛け、一ノ瀬は首を振って否定した。


 クォーターではあるだろ。少し語彙力が無いだけのモブ女Aを虐めてやるなよ。

 俺も思ったさ。「ハーフ」ってなんだよムラートってか!? 


「たぶん違うよ……」


 照れながら出した声に男子は総立ちだな。


 甘くおっとりとした話し方は、どこか芝居がかって見える。


 そりゃ当然、アイドルみたいに媚びた話し方なんだから、違和感あってもしかないだろ。


 完全に気配を消すことに成功した俺は、椅子を引いた音に誰も一切の反応を示さない。


「一ノ瀬じゃなくて皆、雪子ゆきこでいいよ……」


 照れながら訂正を要求する神経の太い一ノ瀬に、呼応した取り巻きが「雪子!」だの「雪子ちゃん!」などと口々に発し、俺の頭を潰そうとしてくる。


 ギャーギャー喚くモブどもを、新羅も露骨な舌打ちで制止しようとするが、その制止が意味を成す前にチャイムが鳴り、皆銘々に席に戻り始めた。


 「ザマアwwwクソ猿の低能ボスは他人に威嚇しても、見向きもされなきゃ、ただのひがみ屋の能無しポンコツのアホボンだな! 死ね! 目障りだから消えろ!」なんて言えたら最高だが、今は心奥底に留めておこう。


「うぅ……大変だよ……」


 小言で呟かれた一ノ瀬の声にはまだ演技の色があり、奇妙に演出された言葉に耳を塞ぎ、机に突っ伏した。


「えーと、今日は教科書46ページ『元寇げんこう』からだ」


 教師に促され他の生徒は教科書を開き、ページを捲る。


 一ノ瀬はキョロキョロと見回し、顔を上げていた俺と目が合ってしまった。


「あの……教科書、一緒に見せてくれないかな?」


 欠伸を噛み殺し、舌打ち混じりに鞄を漁るが、良く考えれてみれば、俺は昨日の教科書しか持ってなかったんだ。


「…………」


「ど、どうしたの?」


「無いな……前の奴にでも借りろよ」


 そのまま重い頭を腕で抱き、再び机に突っ伏した。


「えぇ、ちょっと~授業中だよ」


「うるせ……前向けよ」


 頭が痛いと言ってる人間の肩を揺する、不躾な女に苛立ち、語気を強めた。


 授業中だとか言いながら俺に話し掛ける矛盾。感服いたします。


 どうか病人の俺には関わらず、取り巻きに媚びた声音でへつらいながら、淫らな学校生活を送ってくれ。俺に関わらず!!


「よかったら私と見る?」


「ありがと~」


 結局、隣のモブ女Aに借りるのかよ。


「先生、雪子ちゃんと教科書一緒に見ますので、机動かしていいですか?」


 モブ女Aの癖にデカイ声を出すな!


 腕の隙間から見れば明るい金髪のセミロング、異性を意識した心底、俗な容貌だ。反吐が出る。


賓田はまだか……いいぞ」


 教師の許可を得て机を引きずり、ガリガリと音をたてて俺の不快指数を著しくあげてくれ。モブ女Aは一ノ瀬の隣に席を置いた。


「ごめんね~ありがとう」


「いいの、いいの気にしないで、後ろで寝てるバカとは違うもん」


 何故か罵られた。俺は教科書を持ってないんだっての。


「そんなこと言っちゃ駄目だよ~」


 まるで二人して俺をバカにしてるとしか思えないんだが……いや、事実してるのだろう。


「アハハ変わってねるね雪子ちゃんって!」


「うぅ~? そうかな?」


「フフッ私、賓田はまだ涼子りょうこ旧字体の濱に、篠原涼子の涼子! よろしくね」


「私は一ノ瀬いちのせ雪子ゆきこ


 遠退く意識の中で二人揃って無駄な、馬鹿話が聞こえる。


「フフッ、知ってるよ~雪子ちゃんって呼んだでしょ」


「あっ! そっか~えへへ♪」

 

×××


 眼が覚めると幾ばくか、頭痛はマシになっており、気付けば昼食の時間になっていた。


 前の一ノ瀬が不思議そうに俺を見つめている。まだ何か文句があるのか?


「あの……」


「まだなんか文句があるのか?」


「え? も、文句だなんてそんな! えっと……お名前……」


 普段は明るく活発そうで、少し惚けたような女だが、煮え切らない態度……実は内向的な人間なんじゃないか?


「…………日向ひなた 恭一きょういち


 スラッと出た嘘の名前。


 当然、偽名と気づかない一ノ瀬はうんうんと頷き俺の名を反芻する。


「日向くん……日向くん……うん! 覚えたよ!」


「…………」


「私は一ノ瀬 雪子です! ヨロシクね~えへへ」


 ふざけたように笑う一ノ瀬が、夢で見た少女を彷彿とさせる。


 だが一ノ瀬は俺を知っている様子は無い。


 明晰夢が正夢になった! なんて非現実的な事ではないらしい。


 信心深い人間ならば、これを神の奇跡、『運命』なんてゴミみてぇな言い方をするのだろうが。


 科学的に解釈すれば以前、彼女に似た人間を見た俺が、朧気な印象記憶として残し、記憶整理の海馬がそれを見せ、似た人間が偶然、転校してきたってだけだ。


 もうひとつ科学的に解釈するならば、記憶海馬と転校。


 この二つ以上の偶然が重り、必然へと昇華する 。二つの必然性とは作為。つまりは誰かのはかりごとであること。


 偶然と考えるか、必然の策謀と考えるか。

 俺は運命なんて世迷い言、信じたくない。だが確証もなく、陰謀論を唱える程無知蒙昧でもない。


「あ、あの……日向くん?」


 考え事している最中に声を掛けられ、少し苛立ち、睨むように女を見上げる。


 すると少し離れた席の新羅しらぎが何故か近づいてきた。


「よっ一ノ瀬さん、雪子ちゃんって呼んでいいんだっけ?」


「あっ、うん……皆そう呼んでくれるから」


 一ノ瀬が新羅しらぎの高圧的な態度にどこか怯えている。


 俺を殴った癖に今度は女に声を掛けるために来たのか、さっきのは声を掛けられなくて、舌打ちしてたのかと思うと小学生のようだな。


「これから飯行かない? 近く旨いところあるんだ」


 うちの学校は、昼食時に学校を出てはいけないなんて規則は無い。


 まぁ特に新羅しらぎに関して言えば、財閥の金の力でほぼ治外法権だ。学校の校則なんてあって無いもの。


「えっと、ごめんなさい。私、日向くんとご飯食べるから……」


「は? お前、なに言って……」


 約束をした覚えも無いのに、新羅の誘いを断る為だけに俺をスケープゴートにする、最低な女だった。


「日向? お前かよオタク! 本当に懲りねぇみたいだな! アァッ!」


 再び胸倉を捕まれ、眼前で唾を吐き怒声で威嚇する。


 もう完全に脅される側の人間になってしまった。社会的弱者だ。


「えっ……いや……あの……」


 言い訳しようにも言葉が出ず、新羅の目を見るとまた殴られるかもという恐怖が甦り、足が竦んだ。


「テメェ調子に乗ってんじゃねぇぞ!」


「あの──」


 突然割って入ってきた最低女──一ノ瀬の一言に新羅を制した。


「──よかったらキミも一緒にどうかな?」


 新羅を制して、弁当箱を差し出した一ノ瀬に、新羅はため息を吐いて俺を離した。


「このオタクとはムリだわ。それと俺は新羅しらぎ ゆずる覚えといて」


「新羅くんだね……うん、覚えたよ!」


 心臓が激しく動悸し、軽く息切れする。

 新羅が他の生徒を睨みながら出ていくと、俺は机に掛けていた鞄を手に教室を飛び出した。


×××


「はぁはぁ……クソッ!」


 男子便所の個室に入り、鞄に入っていたナイフを取り出して隣の個室との木製の隔たりを突き刺し、新羅への鬱憤を晴らしていた。


 とても虚しく、辛い。


 俺の手に持つ刃は、人を刺し殺す物の筈なのに、これじゃただの玩具だ。


「…………ッチ、ぶっ殺してやる。殺す、殺す! 殺す!」


 無意味な言葉。殺意を表す空虚な声は、自然と俺を勇気づける。



 便所を出ると先程の女が鞄を持っており、俺を見付けると駆け寄ってきた。


「ご、ごめんね! 私が新羅くんに変な事言ったから……」


「チッ……お前のその場しのぎの嘘で、こっちは最悪だ!」


「ごめんなさい!」


 苛立っている俺に頭を下げた女。


 おふざけのような謝罪に無言でいると、俺を一瞥して再び頭を下げた。


「なんで頭下げてんだよ……」


「へ?」


 一ノ瀬が不思議そうにおずおずと頭を上げ、スケープゴートにした事とは別の、憤りを感じた。


「簡単に“すみません”なんて言ってんじゃねぇぞ……アノ短気な新羅サルがキレなきゃ、こんな事にならなかったし、俺が新羅より強ければ、あいつをぶん殴って一方的に終わってた。

 お前が胸中で自分の非を認めていない節があるのに、誠意のつもりか自己満足か知らないが、謝罪すればお前の欺瞞で俺を欺けられるとでも思ったか? 

 馬鹿にしてんじゃねぇ!! する気もねぇ謝罪で自己満足したいのなら、能無しクソったれの取り巻きのゴミどもにでも迎合してろ!!」


 俺を馬鹿にした言動に憤慨し、柄にもなく怒鳴ってしまった。


 一ノ瀬は豊満な胸を押さえながら顔を伏せ、小さく呟く。


「ごめんなさい……」


 静まった廊下に冷たく沈んだ声がよく通った。


 すると一ノ瀬はハッとした様に顔を上げて、バツが悪そうにニッコリと微笑む。


「えっと、じゃあ! お詫びと言ってはなんですが~お弁当! 一緒に食べない?」


 取り繕ったように気丈な笑顔に気圧された。

 先程も出していた弁当箱を取り出し、俺に差し出すように向ける。


「俺は……いらない……」


 先程、怒鳴ってしまった後ろめたさから、顔を背けたが、意思とは関係なく腹の虫が鳴ってしまう。


 記憶を失う前から、何時間経ったのか何も口に入れず、胃液を吐いていたのだから胃は空っぽだ。


「あの……よかったら私の食べる?」


「ほ、施しは……うっ……ぉぇ」


 空腹の限界がきて空嘔吐きで、余計に一ノ瀬は弁当箱を差し出す。


 施しを受ければ一ノ瀬よりも下の人間になってしまうのに腹の虫が鳴り、恥ずかしさもあって無意識に一ノ瀬の弁当を受け取る。


×××


 校舎の裏側で飾り気の無い、弁当を平らげ、自販機で飲み物を買ってきた一ノ瀬が、両手にペットボトルを持って戻ってきた。


「はい! お水~どうぞ~」


「あ、ありがとう……」


 金も出してくれたのか食後の水分を寄越してくれた。水(H2Oaq)とは、実に化学的だな。


 食事中の水分にお茶などの清涼飲料水は、糖分を含むため血中のインスリンが急激に上昇し、脳の働きを低下させ睡眠を要求する事を加味してだろう。


「お味はどうでした?」


 微笑みながら問われた弁当の味など考えず、腹に入れば何でもよかったという感想しか思い付かない。


 もちろんそんな回答でコイツが満足するはずない、逡巡した結果、答えを絞り出した。


「薄い……全体的に薄味だったな。弁当は作ってから時間が経つから、もう少し濃い味付けでも大丈夫だろ?」


「うぅ~そっか……今度はそうするね!」


「は? お前が作ってたの?」


 不思議そうに顔を傾げ、肯定する。


「うん、そうだよ? お料理には自信があるんだ~♪」


「そ、そうか……」


 普通、親が用意してくれるものだと思っていたが、自炊好きとは今時いまどき珍しい女なんだな。


 静かに空の弁当箱を仕舞う一ノ瀬を見ながら、ペットボトルの水を呷るが、一向に会話が思い付かない。


 結局灰色の空を見上げながら、寒空の下、黙ってくつわを並べ座っていた。


「えっ~と、寒くない?」


 一ノ瀬の申し出に首肯し、立ち上がる。


「じゃあ俺は帰るわ……」


「えぇ!? じ、授業まだあるよ!?」


 あわあわ──と慌てる一ノ瀬を一瞥し、左手をポケットに入れて鞄を掴み、帰ろうとすると、突然上腕に柔らかい感触と共に腕が絡まれた。


「待って! 待ってぇ!!」


「ちょっ!? なにしてんだよ!」


 突然の出来事に動揺し、心臓が高鳴る。この緊張に何処か既視感デジャブを覚えた。


「私、今日学校に来たばっかりだから! 街を案内してほしいの!」


「そ、そうか、よかったな。お前の新生活が俺に何の関係があるんだ?」


「そんなこと言わないでぇ~、放課後まで待ってよ~」


 白痴状態の俺に無理難題を提案する一ノ瀬を突っぱねようと思った……が。

 

 空腹の俺を救った彼女に、俺は恩を返す必要があるように感じ、等価交換を要求する、取引と考えれば整合性があり、齟齬そごがない。


 男子高校生として女子生徒と下校は夢……いやいや! 俗な事を考えるな俺! 気をしっかりと持て! 


 ……だが俺は僧ではないし、多少の青春の夢を見て誰が咎める?


「んんん……わ、分かった……」


 悩んだ末の答えに一ノ瀬はパッと笑顔になる。


「やったー! ありがと~~」


 わーいわーいっと手放しで喜ぶ一ノ瀬の姿に、何故かフッと笑いが出た。


 どこか演技のようであり、だが何故か引き込まれてしまう。そんな筆舌に尽くし難い魅力を持つ女だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る