日向 恭一

殺し屋への道

 鈍く明滅する蛍光灯の光を瞼の裏で感じ、目を開けると目の前には堅牢な鉄格子、幾重にも段を変え、鉄網を外向きに備えられている。

 壁には衝撃吸収の白色のマットが張れており、天井には一本の蛍光灯と、アクリル板越しに人体感知型の球体監視カメラがついていた。

 堅い床に目の細かい絨毯が敷かれ、まだ判然としない意識のまま撫でても結われた目は固く微動だにしない。

「なんだよ……ここ」

 半歩も進まないで行ける便所は当然のようにガラス張り、と言ってもガラスではなくアクリル製、取り外せないように、ゴムの接着剤で枠を固定している。

 起き上がると便所の扉は思い鉄製、毎回開閉すると大きな音を立てる物だ。

 

 窓なんて無い部屋。まるで牢獄だ。

 首から足にかけて全身ヒリヒリと痛む。頭は鈍痛が響き、短パン半袖のシャツから見える腕と足には赤紫色の無数の斑点が浮かび上がっている。

「いってぇ、ちくしょうなんだよこれ」

 外から音も聞こえず、突然、格子が控え目に叩かれる。

 ガチャッっと重い扉の錠が外され、開いた扉には白いコートを着た一ノ瀬が立っていた。

「こんばんわ」

 外には緑色の絨毯が敷かれ、これのせいで外のリノリウムを蹴る足音が聞こえなかったようだ。

「どういうことだよ……これ」

 一ノ瀬を睨み、氷華先生の言葉を思い出した。こいつは殺し屋、俺に殺しの現場を見られ、異能者である俺を狙っている。

「……説明するから、取り敢えず来て」

 一ノ瀬が背中を向け、外へと促した瞬間、俺はテレビで観たように一ノ瀬を背後から羽交い締めにした。


 右腕を首に回し、左手の肘で右手首を固定するが、すんでで一ノ瀬の左腕が入り、首を絞められなかった。

「ひ、日向君!? 何してるの!!」

「俺を殺すつもりだろ!! 殺られる前に殺ってやる!」

 女の力では到底、振り払えないと思った矢先、一ノ瀬が小さく鼻から息を吸うと、俺の脇腹に強烈なエルボーが入り、思わず腕を離して腹を抱えた。


 一ノ瀬が素早く振り返り、俺の顎を拳底で突き上げ、足が浮かび上がりそうな程強い力で飛ばされ、小さな体躯に押され、便所のアクリル板に叩き付けられる。

「がっ! はぁ……はぁ」

 脇腹の痛みを堪えられず、アクリル板にヒビが入るほどの強さと、一ノ瀬の細い腕が絡めとるように俺の喉を抑えた。

「…………」

 一ノ瀬のいつものあどけない目から想像できないほど、冷徹で深淵のように深い闇を覗かせる蒼い瞳が、俺を見据え、一ノ瀬は無言のまま喉に押し当てる腕の力を強めていく。

「がっ! あっ!」

 まともに呼吸が出来ず、一ノ瀬の左肩を掴もうと右腕を伸ばすが、空いていた一ノ瀬の左手が俺の右手首を押さえつけた。

「ひっひぃ……」

 鼻から吸おうが、口から吸おうが空気が上がってこず、頭に溜まる血液で顔が暑く膨れ上がるように、瞼か重たくなってきた。

――なんで俺がこんな目に逢うんだ。


 自然と溢れてきた涙に、股から緩んだ膀胱から流れ出る尿を抑えられず、失禁してしまう。

 するとハッとした一ノ瀬が素早く腕の力を緩めてくれ、俺は飛びかけた意識が戻ってきた。

「くっ! はぁはぁ!!」

 必死に酸素を取り込み二酸化炭素を出す。止めどなく溢れる涙と汗、湿って生暖かい股下、短パンの裾から漏れる尿がほのかにアンモニア臭を放っている。

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!!」

 さっきと打って変わって焦り、慌てて俺に駆け寄った。

 この女、前々からおかしいと思っていたが、常識外れすぎる。俺が羽交い締めにしても簡単に振りほどき、今度は逆に俺を絞め殺そうとした。

 それも突然止めて、謝り倒す。神経が切れてるとかじゃなくて、精神に異常がありそうだ。


×××


 独房から出た俺達は、一ノ瀬が先立ち、俺は後続している。

 途中何度か背後を警戒した一ノ瀬が俺の手を繋いで行こうとしたが、俺はそのことごとくを振り払った。


 着ていた服を刑務官──と言うのか監視者に渡し、バスローブに着替えて全裸になり、肛門まで当然見せて羽咋高校の制服を返してもらう。

 それに着替え、外で待っていた一ノ瀬と合流すると、階段を上がり牢屋を出た。

「なんで俺が牢屋に入れられてたんだよ」

「え~っとあそこは牢屋じゃなくて営倉えいそうなんだけどね。牢屋は別! えへへ」

 何かを移すような所作で説明してくれたが、営倉とやらと牢屋の何が違うのかよく判らなかった。


 地下から地上に出て、自動ドアを一、二枚抜けると別の世界が広がる。

 広々とした空間に外国人が居、俺の倍くらい身長が違う。白人黒人、人種は問わない。

 そんな連中も一ノ瀬を見れば会話を止め、軽く挨拶する。

「ユキコ、久しぶりだね」

 俺を越し、一ノ瀬の肩を叩いたのは黒髪が似合わない白人男性、端正な顔立ちに青色の虹彩、鼻が高く、アンバランスに思えるチャイナ服。

 そんな男が日本語で話し掛けてきた。

「あ! アルヴァスさんだ! お久しぶりで~す」

 先程の殺気は何処へやら、間延びし呆けたような笑いを浮かべ、「エヘヘ~」っとアルヴァスと呼ばれた外国人に挨拶を返す。

 そう言えばこいつの顔、何処かで見たような気がするな。

「龍一と昨日、戻ったんだ。っとそちらは?」

 丁寧に手のひらを向け、俺の存在を問うてきた。

「日向 恭一君です。日向君、こちらは――」

 一ノ瀬が俺を紹介し、俺が軽く頭を下げる。

 アルヴァスと呼ばれた外国人は一ノ瀬の紹介を手で制した。

「紹介には及ばないよ。僕はNo.=7ナンバーセブンキミの実質的な上司に当たる」

 No.=7……確か氷華先生の所に居た。ソルジャックとカルロスが同じ肩書きだった筈。

 というとこいつがNo.=zナンバーズ、俺の上司とか言ってたが、そうなると一ノ瀬もNo.=zの下に位置するのか。

「堅かったかな? 僕は【アルヴァス】って呼ばれてるから、キミも気軽にそう呼んでくれ」

 俺が思案し黙っていた事を気にしたのか、アルヴァスは少々困り気味に笑った。

「は、はぁ……」

 生返事をすると、一ノ瀬の肩を叩いて再び何処かへ行ってしまう。

 そう言えば足音を立ててなかったのか、全く存在に気が付かなかった。

「エヘヘ、アルヴァスさんは優しいから、何でも相談していいんだよ」

「そうか……もしかしてあの人、お前の兄貴だったりするのか?」

 青い目に黒髪、同じ遺伝子を持っていそうだが……

「ううん。私にはお姉ちゃんしか居ないよ?」

 言われて一瞬心臓が高鳴った。

 やましさなのだろうか、氷華先生は組織を抜けたと言っており、妹の一ノ瀬を心配していた様だったが、俺から氷華先生に関する情報が漏れれば、どのような制裁を受けるか判ったもんじゃない。

「あぁそうか……」

「ふふっ、日向君は氷華お姉ちゃんの事、知ってたよね? また教えてね♪」

 手を後ろに口許へ指を当て、内緒話でもするように小悪魔的な笑いを見せ、再び歩き始めた。


×××


 次はルーム14と書かれた部屋に入った。

 閑散とした室内、中には長机とそれを囲うように簡易なスツールが並べられ、壁には大きな戦術ボード。

 金髪の外国人女性が足を組み紫煙をくゆらせ、筋骨隆々な巨漢の白人は入ってきた一ノ瀬を一瞥するが、挨拶もなく腕組をしたまま鎮座している。

「こんばんわ。目、覚めたんだね」

 聞きなれた日本語で最初に立ち上がり、俺に話し掛けてきたのは、顔の左半分を大きな火傷が被う小柄な女。俺も一度会った事がある。

 久世くぜ 千佳ちかだ。

「もしかして私の事忘れた?」

 久世が心配そうに俺の顔を覗む。

「久世だろ。覚えてるよ」

「よかった、改めてよろしくね恭一君」

「改めて?」

 俺は説明すると言っていた一ノ瀬の顔を見、一ノ瀬は俺の視線など気にせず、皆の前に出て手を叩いた。

「みなさんお疲れさまです。今回はブリーフィングではなく、新しい仲間を紹介します」

「おいおい聴いてねぇぞ~隊長」

 不機嫌そうにタバコのフィルタを噛みながら、一ノ瀬に反論する茶髪の男──左耳にピアスを開け、Tシャツから見える左腕の前腕に、黒のトライバルが描かれた男を当然、俺は知っていた。

 人殺しに興奮を覚えるサイコ野郎だ。

「じゃ~ん! なんとこの!──」

 一ノ瀬は俺の両肩を掴み、全員に晒すように押した。

「──日向 恭一くんで~す!!」

 言った所で辺りはシンと静まり返り、金髪の外国人女性がため息をいた。

「はぁ……あの時生かしてた子よね? たしか【特筆した経歴無し】だったわね」

 ガラスの灰皿に火種を揉み消し、一ノ瀬にクリップボードを突き付ける。

「ん? でも私も別に変わった過去はないし、佐野くんも千佳ちゃんも普通でしょ?」

「ユキコとチカは演習や軍事教練を受けた経験者でしょ。ジュンにしたって基礎体力、拳銃の基本的な理解、情報に関する高等知識を持ってるわ。それに比べて彼は?」

 外国人女性の言う通り、俺には特筆した能力何て無いが、そもそも彼ら彼女らは何の話をしている。


 ただの傍観者と成り果てた俺は、外国人女性の鋭い視線に射竦められた。

「あんたの出生から言って、殺してしまった方が楽なのよ」

 怒気の籠った声音で、机にあった巨大な、銀色のリボルバー拳銃を手にした。

「待ってください!」

 脇に居たフライフェイス、久世が割って入る。

 俺は外国人女性の気迫に気圧され、手汗をかき、自然と一歩後ずさってしまい。背中に柔らかい感触が当たり、一ノ瀬の細い腕が俺を支えた。

「ユキちゃんが決めた事ですよ!」

 外国人女性が歯噛みしながら、俺を睨み、今度は勢いよくスツールを蹴った茶髪が、ずけずけと近付いてき、胸倉を捕まれると思いきや、俺を見下ろすように睨みながら舌打ちだけして部屋を出ていった。

「……はぁ、今は何も言わないわ」

 外国人女性は大きなため息を吐き、手に余る程のリボルバーを片手に部屋を出てしまった。


 一ノ瀬がスッと、俺の腰に回していた腕を外し、茶髪に蹴られ倒れていた椅子を起こして、そこに俯き気味に腰掛ける。


 すると背後から唐突に音もなく現れた黒髪をうなじで一纏めにし女性の白い素肌と高い鼻梁はなすじの女性。

 それに琥珀色の瞳から女性が、先程の切れ長な目をした金髪女性とは違うであろう異邦人である事に気付いた。

 琥珀色の瞳が俺を値踏みするよう、足許から見上げてゆく。背丈は俺と同じくらいで、俺の両肩を掴むと、鼻を鳴らしながら匂いを嗅ぎ始める。

「ちょっ! なにしてんですか!」

 女性の突然の行動に意を唱えると満足したのか、黒髪を靡かせながら無言で部屋を出ていく。


 最後に部屋に残ったのは、久世と一ノ瀬、そして終止無言で腕組みしたまま、微動だにしない巨漢の男と俺だけだった。

「全く歓迎されていない様だが、さっさと説明してくれよ」

 一ノ瀬に声を掛けると、一瞬肩を震わせ顔を上げる。

「日向くんには今日から、この“組織”で働いてもらいます……」

「は? なんだよそれ……お前は俺の命を狙ってたんじゃないのか?」

 一ノ瀬が小首を傾げ、俺の質問に答えた。

「元々そんなつもりじゃなかったよ?」

ってどういう意味だよ」

 一ノ瀬を見下ろしながら判然としない答えに困惑した。

「それより……はい、これを見て」

 手渡されたのは、先程金髪の外国人女性に渡されたクリップボード。

 そこには当然のように俺の写真と本名──本郷ほんごう 恭介きょうすけと記され、身長168cm、生年月日19XX年8月1日、血液型A型、体格中肉中背、来歴は白紙、書いた覚えのない個人情報があった。

「私たちは基本的に本名で、呼び合わないんだけど、日向くんはどうしたい?」

「……結局入ることは確定なんだな」

「えっと、入りたくないなら、殺すしか無いんだけど……」

 いつもそうだ。現実と言うのは選択を与えているようでその実、選ぶ項目しか与えられない。

 それに逸れるような事は無いようにできている。

「一ノ瀬も本名じゃないってことか」

「ふふっ私は養護施設を出てるから、本名は雪子だけ。【一ノ瀬】はお姉ちゃんと考えたの」

 そう言えば氷華が、言ってたな。

 養護施設ってのは現代の言い方をした言わば孤児院こじいんだ。

「久世もか?」

 大きな火傷を撫で、思案顔だった久世が突然話題を振られ、一瞬戸惑う。

「えっと……私は亡霊って言うのかな。説明すると長くなるから、簡単に言うと戸籍上何処にも存在しないから本名でも活動できるの」

「亡霊? 日本でそんなことできるのか?」

「……日本の防衛省が推し進めた、学徒特殊部隊兵育成プログラム『リベレーター』の三期生で、ウガンダ共和国内戦【Lord's Resistance Army】通称、神の抵抗軍に対しスーダン人民解放軍側へ衛生兵として派兵され、仲間とはぐれて一年弱、難民キャンプで過ごしてるうちに皆、別々の戦場で戦死して、日本では全員戦死扱いされてたって事だよ。長いでしょ?」

 専門用語が多すぎてほぼ全て理解できなかったが、久世も久世なりにかなり深い過去があったようだ。

「あの日向くん……皆にはあんまりそういう質問しないでね?」

「わかったよ。さっき紹介した通り、俺は日向 恭一でいい」

 聞いても理解できそうにない事情ばかりだろう、聞く必要がない限り聞かないさ。

「じゃあ日向君にはちゃんと説明するね。その後でも参加するか自殺するか決めてね」

 さらっと自殺なんて物騒な単語を突きつけるくらいには、覚悟が必要なようだが、俺は死地を越えてきたそれなりの自身がある。

 向き合う勇気くらいはある筈だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る