【第四章】 トロイの木馬
羽籠 隆義
幕間~タルタロスから覗く顔~
深紅のジャケットに豹柄のワイシャツを着崩し、不機嫌そうな顔つきで歩く男──
羽籠は関西系指定暴力団組織、本家直系の菊水組、代貸(賭場を仕切る者)であり、気性が荒い為に若頭から
だが、それでも手腕は本物。シノギは組の五割を占め、組長も跡目継承に名を挙げるほどだが、本人は一切出世欲がない。
口笛を吹きながら、人差し指でカランビットをクルクル回転させ、自身が子分に任せていたバーへ入った。
閑散としたバーは、酒や紫煙以上に壁や床に染み付く、血と硝煙の饐えた匂いが鼻腔を擽る。
普通の人間なら、この匂いに眉をひそめるが、羽籠は満面の笑みで、鼻から肺一杯に匂いを取り込んだ。
「すぅ~うーん、エエ匂いや」
若干イントネーションに癖がある関西弁で、誰にでも無く呟く。
そこへ強面の男が、うやうやしげに頭を下げた。
「お疲れ様です! 代貸!!」
「あぁ、挨拶はエエわ。それより、まぁ~たヤられたんか……」
カーペットにこびりつく血糊の跡。だがそこには、本来あるべき子分の死体や、真鍮の空薬莢がまったく無い。
「はい……しかも死体まで綺麗に片付けられてます」
「ほぉ~やっぱ、サツの仕業や無いんやろなぁ」
「やはり、長尾の連中でしょうか?」
強面の男の言葉に羽籠は少し思案する。
──
「第三勢力かもしれへんなぁ〜」
最近、菊水組内で話題となっている謎の組織。
長尾組の賭場を襲撃し、菊水組の金融会社をつぶした武装組織だ。
「あの、噂になってる外人マフィアですか?」
都心での中華系、韓国、朝鮮から出た経済難民が旗を上げた所謂──大陸マフィア。
「マフィアかぁ~マフィアなんやったら、なんで死体隠すんやろ。見せしめにするんちゃうかぁ~?」
こう見えて温厚な羽籠は、舎弟の失言、妄言に対して寛容に接する……っが、躾は親の責任、兄の責任であり、勿論上が徹底しなければならないのだが。
羽籠は一瞬睨むと、ヘラヘラといつもの笑顔に戻った。
「ひっ! す、すんません!!」
「エエねん。
必死に頭を下げた男に対し、羽籠はポンポン男頭を叩きながら諭す。
「ほな俺はケイタんところにでも行くわ。サイナラ~」
「代貸!! な、中島の奴なら!」
「知っとるよぉ~」
言い淀む強面の男に、羽籠は背中を見せてヒラヒラと手を振った。
──弟分だとか、代貸とかどうでもエエわ。俺はこの『
「家族なんて訳の分からん
口の端を吊り上げ、好物を想像し、溢れる唾液を抑えられず下顎に涎が伝う。
羽咋の繁華街を我が物顔で闊歩し、少し路地に入ると若者を中心とする薬物の取引所『ヒドゥンクラブ』が見えた。
扉は黄色のビニルテープで封鎖されているが、羽籠はお構いなしにカランビットでテープを切り、中へ入る。
原色のライトが犇めく男女を映す社交場には、異様としか言い様のない静けさが広がっていた。
「散々な有り様やな……」
薬物を秘密裏に貯蔵する、地下のバックヤードへ慣れた足取りで赴く。
暗く無機質なコンクリートの床を、革靴の足音がよく反響する。
勿論といったようにスピードやシャブ、果てはペーパーアシッドまで無くなっていた。
「これが目的やったんか? いや……これだけ早く、正確に流通元を叩けるとは思えんな」
貯蔵庫を出て、中島ケイタの趣味とも言えるスタジオに思案顔で向かう羽籠。
釈然としない──ホンマに外人マフィアなんやったら、こんだけ派手に動いて、拠点くらい抑えられんもんか──
スタジオの電気は通っていた為か、すんなりと照明がついた。
またもここには、羽籠の好物。こびりついた血と、濃厚な黒色火薬の匂い。
「すぅ~ふぅ……やっぱここも第三勢力に潰されたんやな」
死体、薬莢は無い。だが大きな手掛かりとなりそうなデスクトップパソコン、そのタワーに空く銃創痕。
「弾丸は取り出されとる。それに加えてUSB、マイクロSDも抜かれてもうてる……」
羽籠の仕掛けた監視アプリも虚しく、電源ボタンはもはや飾りとなってしまった。
「なるほどなぁ……ヤクやなくて、こっちが本命か?」
薬物の取引データ、それに加えて戦争用に集めている銃器の密輸記録。
羽籠はパソコンに詳しくないため、気付いてはいないがタワーを撃った弾丸は、記憶回路や重要な基盤を撃ち抜き、意図的に修復不可能なようにしていた。
「闇金、銃流しとるバー、ヤク撒いてるクラブ、それも流通元のデータを抜いとる所を見ると……二日後の外人との取引、割れとるんちゃうかな~」
血糊のついた枕に頭を預け、キングサイズのベッドに寝転ぶ。
「──やけど下に流しとる銀ダラより、ええもんぎょーさんあるし、テキトーに集合掛けて戦争っちゅうのも悪ない……」
羽籠の脳裏に擡げる凄惨無慈悲な戦場。そこに立つ自身を想像すると、思わず身震いするほど興奮を覚えた。
「結構! 結構! ほな、善は急げや! 早速アホども集めんでぇ~」
ベッドから勢いよく立ち上がると、カランビットを取り出し再び回し始めた。
「ええでええでぇ~戦争! 戦争や!」
鼻歌混じり、怪しい笑みを浮かべながら、肺一杯に血の匂いを取り込み、機嫌よく部屋を出る姿はさながら。
牙から血を滴らせ、爪を磨ぐタルタロスの底から這い上がる魑魅魍魎のようだった。
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