地獄の怨嗟

 再び寒空のもとに戻った俺たちは、詳細を聞かされないまま、銀天街にまで連れてこられた。

 昼間だけあってあまり活気は無いが、其処らに居るギャングもどき、不良未満の連中が睨みを利かす中、なるべく目を合わせないように進む。


 昼間からコイツら何してんだって、疑問が沸き上がるのはごく自然な事。

 だがそれ以上に先導するA子はだんまりを決め込んでおり、何処へ向かっているのか、俺も一ノ瀬も聞くのをはばかっている。

「あの……」

 俺の隣を歩いていた一ノ瀬が、静かに声を掛けてきた。

「…………」

 当然、目を合わせず返事もしない。

 隙を見せれば否応なしに殺されるかもしれないという緊張もあり、この女の声を聞くだけで手足に嫌な汗をかき、背を細かな針で刺される痛みと全身の毛が逆立つ。

「ふゅ……」

 一ノ瀬が溜め息とも落胆ともつかない息を漏らし、前を行っていたA子が歩みを止めた。

「フフッ――」

 ダンスクラブらしい店の前で止まり、A子はグロスの光る張りのある唇に、小さな涎をたらしながら怪しく笑い。指先で口端を拭ってこちらに向き直った。

「ヒドゥンクラブって知らない?」

 A子の質問に、一ノ瀬は小首を傾げる。

「うぅ? 隠れた……社交場?」

「直訳したらそうなるのかな? 所謂いわゆるダンスクラブ、実はここのオーナーが私の彼氏なの」

 さして興味もないと言いたかった。

 お前みたいな一見アバズレ、その実、尻軽しりがるな女に彼氏とか言う、事実上の支配と独占の権利を有するだけで、所有権を行使する廃れるべき存在を意味なく公言する俗習。

 それが一体全体俺達と何の関係があるのか? 甚だ疑問で、正直帰りたい。

「不純異性交遊か……」

 思わず吐露してしまった本音にA子が睨む。

「別に不純じゃないけど?」

 不純異性交遊ってのは青少年保護法に準じた考え方だ。当人の意見なんて関係ない。

 十代女性の半分以上は歳上男性への憧れが強い(俺調べ)してや相手はディスコのオーナー? 未成年同士な訳がない。

「俺達はかぞえで十六歳、相手はどうせ成人だろ? これの何処が不純異性交遊じゃないんだ。成人が未成年に手を出せば法律で罰せれるんだよ。青少年保護育成条例を知らねぇのか」

 今度は飛び蹴りでは済まないかもしれない。

 言ってからの後悔の念が押し寄せてくるが、俺は合理的な事実を述べただけだ。間違いはない。

「あの! け、喧嘩は止めようよ!」

 一ノ瀬がA子の肩を掴み、俺とA子を交互に見ながら止めに入った。

「…………それっ心配してるつもり?」

 A子が眉をひそめながら苛立ち気に聴いてき、俺は目を逸らして簡潔に答える。

「いや、心配はしてねぇけど……」

 A子に答え、一ノ瀬はたしなめるようにA子の肩を押す。

 するとA子は押された反動を利用して右手を振り上げ、俺の左頬を平手打ちし、閑散とした銀天街に肉を弾く音が響いた。

「いってぇ!! なんでビンタしてんだよ!」

 思わず反駁し、睨みながら声を荒げるが、A子はふいっとクラブの方に足を向け、一ノ瀬を促して入っていった。

「くそっ無視かよ……」

 俺を一瞥した一ノ瀬も、促されるままにクラブの中に入っていき、取り残された俺は一瞬、躊躇したが思いきって扉を開けた。


×××


 早速受け付けにはやる気の無い、ダルダルのTシャツと、ヒップホップ系のつば広キャップを被ったBボーイ風の男が俺を睨む。

「なに?」

 やる気の無い声で用を聞かれた。ここに飯を食いに来たとは言い難い。

「さっき来てた女の子のツレです」

 クソッこんな底辺Bボーイもどきに、敬語を使ってしまう自分の小市民ぷりに嫌気がさす。

「んじゃ入会費三千円」

「入会費?」

「そっ。ここ、会員制だから」

 ディスコってそんな制度があるのか?

 正直、胡散臭い。だが払えなく無い金額。俺の食費三日分に相当するがな。

 ポケットから二つ折りの財布を取り出し、渋々三千円支払った。

「じゃあ入場料」

「は? 入場料まで取るんですか?」

「あぁ? 当たり前だろ! 警察呼ぶぞコラァ」

 俺の胸倉を掴み凄む野郎に、殴り掛かりたい衝動をグッと堪え財布を開けた。

「いくら……ですか」

「へっ二千円だよ」

 さっきの入会費は何だったんだクソックソ!!

「じゃあ二千円……」

 二枚の札を取り出し男に渡すと満足気に受け取る。

「そういやさっき、女のツレとか言ってたよな?」

「えぇまぁ」

 俺から五枚の札を受け取った男は、赤いパンツの見えた履いてる意味があるのか解らない、ズボンの尻に金を入れる。

「あれ中島なかしまの兄貴の女だ。変な気起こすなよ」

 中島って誰だよ。こういうヤクザ気取りのチンピラを見ていると、すこぶる不快だ。

「あんな女、吐いて捨てるほど居る」

 精一杯の皮肉を込めて言うと、意外にもやにでくすんだ歯を見せて笑った。

「ハハッ違いねぇな!」

 対した忠誠心も無いのか、はたまた『中島なかしまのアニキ』とやらの器が小さく、舎弟にバカにされる存在なのか解らないが、上手い冗談だったにしろ。このチンピラが俺の冗談で笑う必要は無かった。

 A子は付き合っていると言っていた男。少しキナ臭い野郎なのかもしれない。


 Bボーイ風の男の脇を抜け、ディスコの中に入ったが騒音じみた、けたたましさは無く原色の色濃い室内。その一角に設けられた円形のソファー、真ん中に膝ほどの高さのテーブルがある。

 そこに一ノ瀬と少し距離を置いて、A子の肩に手を回し天然の毛皮が襟を覆う、茶髪にサングラス姿の男。そして男の最大の特徴と言うべき左目から頬に掛けて刺々しい、黒のトライバルのタトゥー。

 まず間違いなくこの男がA子の彼氏とやらで、Bボーイは中島とか言ってたか。

「あっ……」

 一ノ瀬が呟き、目敏く俺を見つける。

 当然のように中島とA子も俺を見つけ、見せつけるように、中島はA子のスカートに指を滑り込ませ、A子は中島のサングラスを少し上げて舌を絡ませた。


 まるで理性無く公衆道徳をわきまえない、泥酔者のように人目をはばからず、性交渉を求めあっているように、激しく情熱的で、俺はただただ目の前の行為から目を背ける。

「んちゅ……はぁ……ケイくん寂しかった~」

 こいつと出会って始めて、甘えた女の声を聴いた。

「昨日も可愛がってやっただろ」

「もぉ~もっとケイくんに愛されたいの」

 甘えるA子と彼氏の中島を尻目に、一ノ瀬も困り顔で、俺は二人の空気を壊すよう、一ノ瀬の隣に腰掛けた。

「ねぇ~ケイくん、いつものちょ~だい」

「リョーコ、ちょっと待てよ。お前の友達見てるぞ」

 今まで気づかなかったとでも言いたげな顔で、A子が俺と一ノ瀬を見た。

「いいの。ねぇ早く~」

「分かったよ。じゃあ紹介だけしてくれ」

「もぉ~――」

 不承不承で彼氏に組み付いたまま、一ノ瀬を指差した。

「この真面目そうな子がユキちゃん」

 ピンク色の爪で刺された一ノ瀬が膝に手をつけ、うやうやしげに頭を下げる。

「一ノ瀬 雪子です」

「へ~ユキちゃんか、可愛いねぇ」

 中島の下卑た笑いと、はかるような目で見、声を上げた。

「おい、いつものアレを」

 従業員らしき金髪の男に指示すると、盆に二杯のカクテルグラスが運ばれてきた。

「じゃあリョーコにはこれな」

 胸ポケットからタブレットを取り出すと二錠ほど手に出した。A子はその錠剤を嬉々とした表情で見、中島の口に放り込まれ唇に吸い付くように舌を絡ませる。

 そうしている間に金髪の従業員が、ボトルを一本持ってきた。

「えへへ~~けぇくぅん、あひぃがとぉ」

 突然呂律が回らなくなったA子。何かが可笑しい、あの錠剤が一瞬にしてA子の判断能力を、意識を溶かした。

 俺は胃の中にわだかまる吐き気を堪えるように、膝の上で拳を作り俯く。

 目の前に差し出されたカクテルグラスに入った茶褐色の液体を見つめる。


 鼻腔を突くアルコール、エタノールの微かな刺激臭に、この液体がアルコール飲料であることが解った。

「あの……これってもしかしてお酒ですか?」

 いつにも増して神妙な面持ちに、落ち着きの無い声音の一ノ瀬がした質問は全うなものだ。

 未成年の飲酒は違法とされている。抵抗を感じるのはもっともだが、俺も龍一と賭けて遊ぶ時はいつも飲酒していた。

「そうだよ。16なら酒くらい飲めるよね?」

「い、いや……でも」

 俺はこの異常な空間から早々に去りたい。この一杯を飲んだら帰ろう。

「じゃ、いただきます」

「えっ? 日向君?」

 グラスを煽り、たった一口で喉を刺すように辛い酒を飲み干した。

「あ、あのじゃあ私からも質問していいですか?」

 迷いながらカクテルグラスを左手に掲げ、先程の落ち着きの無い声音とは裏腹に、怖じ気づく様子もなく中島を見据える。

 頭に掛かる靄のような気を感じながら、鈍く響き始めたアルコールとは別に、強い眠気に襲われた。

「どうぞ」

「名前はなんと言うんですか?」

「そんな事か……」

 顔に彫られたトライバルが輝いて見え始め、ソファーの肘掛けに体重を預けながら、一ノ瀬を見る。

 決して長くないショートヘア、その髪に隠れた耳を二度撫でるような所作をした。

「俺は中島なかしまケイタ」

「ありがとうございます……」

 それだけ聞くと、口許を緩め、耳を撫でた右手を膝に置き、左手に持ったカクテルグラスを迷いなく飲み干した瞬間。

 中島の瞳に人を諮るような怪しい光と、何かを確信した口許の歪みを見逃さなかった。

 この男は何かを盛っていた。酒に薬物を混ぜて俺達に飲ませる。

 従業員の金髪に「いつものアレ」という『通し隠語』を使う辺り、誰彼構わずやっているのだろう。

 

 カクテルグラスが床に落ちて砕け、一ノ瀬の華奢な体躯が俺にのし掛かる。

 混沌とする意識の中、最後に見たA子の眼に最早焦点など合っておらず、弛んだ隈に脳細胞の死んだ老人のようにだらしなく流す涎、それでも中島が無造作に放ったタブレットを無様にすがっていた。

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