与えられた試練
外国人に先導されるままに後ろを着いていき、外国人の肩が揺れる度、背中に携えられた日本の槍も動き、どこか浮世離れしたような光景。
「ドウゾ」
突然振り返った外国人が扉を開け、仰々しく招かれた部屋は仮眠室らしく、四畳半くらいの部屋に薄暗い蛍光灯の光に照らされ、デスクに向かっている見覚えのある女性が振り向き、相変わらず眠そうな目を向けた。
「ソル、ありがとう。恭一君だったわね。どうぞ」
氷華先生が掛けていた業務用の椅子を差し出され、促されるままに座り、ベッドを一瞥すると今時見たことのない忍者のよう装束で目元だけが窺える男が同じく背中に日本の刀を差して静かに座っていた。
「早速だけど、何かあったのかしら?」
「あ、あの……い、異能者に襲われて……」
自分でも驚くほど、しどろもどろになりながら話す。
「異能者っていうと、クオリアが見えたの?」
俺の知らない単語が飛び出し、困惑した。この力は固有名詞が存在するほど進んだ分野なのか。
「く、クオリア?」
「……まぁ心理学的に言うなら、広義に感覚的モダリティ、非感覚的モダリティの可視化を実現したものって考えればいいわね」
「説明になってません……」
「そうね。要するに、異能者の発する目の光を見た。だから、貴方は対象を異能者と判断したのでしょ?」
「目の光と実際に力を使われました」
棘にも似た有刺鉄線、栫井の力はそれだった。
「……よく無事に逃げて来れたわね」
長身の外国人が扉を閉め、扉にもたれ掛かり、氷華先生はデスクに腰かけた。
「無事じゃないっすよ!」
左手から流れる血が赤黒く固まり、中指に空いた穴が塞がりかけている手を見せると氷華先生が微笑んだ。
「傷の治りは早いようね。安心したわ」
「着眼点はそこじゃ……」
「充分貴方は無事でいるわよ。そうね……貴方は相手の異能が人を見ただけでわかるかしら? 例えば、ここにいる三人の異能は?」
三人、というと長身の外国人、忍者もどき、氷華先生の三人だろう。
「いえ見ただけでは……」
逡巡してても目の光は見えないし。
なんの異能を持っているかなんて、想像できない。
「そうよ。本来、異能とは発動者の心理、起源、願望、渇望を具現化したもの、だから能力を見るまで相手の異能は解らないわ」
人間の根幹に存在する望むちからを現実化したものが異能ならば、俺の『
「本来っていうのは……」
「異能者に成る“素質”とは別に後天性の異能者もいるのよ」
異能者に複数の論理とタイプがあるらしいが明確に分けるものはなんだ。
「明確な違いはなんですか?」
「人工の異能はある程度、異能を選択できる。薬物投与による代表的な『異能』は身体強化ね。これはハームフルの臨床実験で、何体も人工異能者を出してるだけあって、現在は充分な実証例があるわ。
クオリアに感応する素質がない人間は、薬物投与によって力を引き出し、素質があっても異能に目覚めない人間は体液中に、クオリア素子を集積するナノマシンを使う」
「異能の……人体実験? 薬物、ナノマシン?」
まるでSFのような話。浮世離れしすぎて理解が追いつかない。
そもそも日本の医療では人体実験は非人道的とされてる。ハームフルコーポレーションの躍進で医薬品から医療は革命的な発展をした。
その過程を考えると臨床と名のつく実験は行っていてもおかしくないだろうが、失敗作を出してるとは?
「臨床試験での結果、副産物や失敗作は奈良の山奥に廃棄されてるわ」
「話が早く進み過ぎてる……ちょっと待ってください」
氷華先生の独りよがりな説明を一度整理しようと制止したが、氷華先生は首を振った。
「恭一君は知らなすぎるわ。私たち以外にも数多の組織が異能者を狙ってる。もちろん日本国内に留まらないわ。貴方は早く、多くを学ぶべきよ」
自分のもつ力のことだ。知りたいのは当然だが、俺は命を狙われてる。悠長に異能講座を受けるより、どうすれば助かるのか知りたい。
「そんなことより、俺は命を狙われてるんです」
「今、貴方を狙ってるのは“組織”だけよ。世界を知りなさい、常に危険はあるの」
「いつ殺されるか分からないのに、そんな世迷い言に付き合いたくねぇんだよ!!」
椅子から立ち上がり、デスクに腰かける氷華先生に語気を荒げた。忍者と長身の外国人は微動だにしない。
「……今から話すのは世迷い言でも、戯れ言でも、空想でもなく事実、現実よ。よく聞きなさい」
苛立ちながらも氷華先生の蒼く、鋭い瞳にたしなめられ、鼻息荒く話を聞いた。
「この世界は……ある男に支配されている。その男の名は、『
想像ができない。
そんな人間は、人間の定義を外れているし、異能を生んだ男、そもそも支配とはなんだ?
「そんな男が支配してるって……だが俺達に実害は無い、支配とは言えない……」
「貴方は既に被害者じゃない……様々な組織が、相場龍を求めてる。その為に私たちも殺されるのよ?」
「……様々な組織って……」
荒唐無稽な話。俺は椅子に腰を落とし、ため息を吐きながら頭を抱えた。
「私たちの所属していた“組織”『
それに私たち以外の異能者でも、ハームフルの実験から生まれた異能者の多くは研究が頓挫したある年から、世に出されたわ……」
「そんなにも知っていながら……」
組織を潰すこともしないんだ。
そう言いたくても、俺にできるかと問われれば、未だ理解することで精一杯で、なにから信じ、思考すればいいのか分からない。
「当面は仲間を増やすつもりだったの、今は……」
言葉を濁しながら忍者と長身の外国人を見、長身の外国人がクスッと笑った。
「まぁ仕方無いわ。“組織”を抜ける際に多くの犠牲を払ったのよ」
「……」
ふと一ノ瀬が、俺を追いかけ来た際に言っていた「お姉ちゃんを知ってるの」っという言葉が引っ掛かり、質問した。
「一ノ瀬が氷華先生を探してる風な事を言っていたな……」
「一ノ瀬って……雪子?」
「それです」
「雪子がねぇ……仕方無いのよ。私たちは親に売られてね。再会したのは四年くらい前かしら、あの子は私の事なんて覚えてなかったけどね」
自嘲気味に笑い誤魔化す氷華先生を視て、ひとつの合点がいった。昨日、A子が親は居ないのかって質問を濁した理由を……心的外傷で記憶が薄れるほど、劣悪な環境にいたのか、親に捨てられたショックかは分からないが、兎に角、一ノ瀬雪子って女の心は既に壊れているんだ。
「組織を抜けたって……」
「前に言ったかしら?私たちが前にいた“組織”っていうのは異能者を殺すことを目的とされた組織だって……。創始メンバーだった私は幼少の頃にハームフルの実験で異能に覚醒したのよ」
氷華先生の口許の動きを見ながら、頭痛にも似た感覚で、こめかみを締め付けられるようだ。記憶の奥底にその情景が朧気ながら思い浮かぶ。
冷たい少女と歩く白色の廊下とけたたましいサイレンの音、裸足の足にへばりつく血糊、手に握られた拳銃。
「……なんで、違う! 俺は知らない」
まるで記憶の一部であるかのように思い起こされるこれらは、ただの夢、明晰夢だったはずだ。
「どうしたの恭一君」
氷華先生の眠そうな目頭にシワを寄せ訝む。
「氷華先生に会ったのは今日がはじめてだ……異能なんて知らない……なのに」
「貴方の根底に根付く記憶……」
「ハームフルの実験……」
自問自答し、自分の口から出た言葉が頭のなかで何度も何度も反復する。
「相場 龍……」
異能に覚醒した時にみた黒フードの“男”が真っ先に思い浮かび、その容姿以外に考えられない。
「貴方の使命を思い出した?」
氷華先生の言葉には喜びともとれる声音、俺は顔を上げて氷華先生の蒼い瞳を覗いた。
「使命ってなんですか……」
「解らないならいいわ。今のは忘れて」
答えのない問題ばかりを押し付けられ、苛立った俺は静かに立ち上がり、氷華先生に詰め寄った。
「さっきからあんた曖昧な事ばかりだ! お、俺は! 非現実的な事象に悩まされて、知らないうちに殺し屋のターゲットにされて! 不安な俺に追い討ちかけるみたいに、変な事ばっかり言いやがって! あんた俺に何をさせたいんだよ!!」
明確にならない意図に語気を荒げ、氷華先生の白衣の襟を掴もうと手を伸ばすと不意に俺の腕が捕まれた。
「シニョーレ、ソレハ良クナイ」
俺の腕を掴んだ外国人の瞳は濃い赤色の光を帯び、いつの間にか俺の隣に立っていた。
「ソル、ソルジャック! いいのよ、離して」
「Come vuole Lei(仰せの通りに)」
手形が腕に残るほど強く握られていた手を離す。
「苛立つのは解るけど、私たちも狙われてるのは同じよ――」
氷華先生が俺を諭すよう優しい口調で宥められた。
「――
「それが、あんたなりの処世術なんだろ?」
「私は事実を述べたつもりよ。真贋を測る目を持たない貴方には、熟考して間違った結果を招くより、知識と経験が身を守る術となるわ」
氷華先生は眠そうな目で俺を見、デスクから腰を上げた。
「恭一君、格闘技をかじったことは?」
「格闘技? レスリングとかその類い?」
「どんなものでも良いわ」
格闘技なんて習う機会が無かったし、考えた事もないが、龍一が優位に立ち回る姿を見ていつも何か習いたいとは思っていた。
「なにも……予備知識なんかも無くて……」
「流石に銃器を扱えるとは思えないけど、どう?」
日本で銃を取り扱うなんて機会は格闘技以上に無いだろ。
「AK-47とかギネスに載るくらい有名な銃なら分かりますけど、M29とM92の違いしか解りません」
「……カルロス、彼に合った武器を作れるかしら?」
氷華先生が今まで黙っていた忍者に目を向け声を掛けると、すっとベッドから立ち上がり、足音を立てず背中の二本の刀を揺らし、俺の前に立つ。
何をするのかと思えば、忍者は俺の両手を見て小さく呟いた。籠手のような指貫から覗く褐色の肌と、ゴツゴツした分厚い皮膚。
そんな男の比べると、俺の手はなんと貧相なんだ。
「Pequeño(小さい)」
舌を回したような発音は、さっきの長身の外国人に似ている言語だ。何語か想像もつかない。
「日本人としては標準的よ」
氷華先生のフォローから、俺の手を見て小さいと言ったのだろう。
「……非殺傷武器、ブラックジャックは?(スペイン語)」
「格闘技は知らないそうよ」
「試してみればいい(スペイン語)」
俺の手を見ていた忍者が背中に背負った一本の刀を抜いた。
真っ黒で真っ直ぐな鞘から刀身は腕ほどしかないと推察できる。
「カルロスの『
氷華先生の突然の提案に困惑しながら、カルロスと言う忍者から刀を両手で受け取り、下緒を握り規則的な目貫から目釘を龍の彫刻で隠れされた芸術的な直刀、所謂『忍者刀』というやつだ。
刀は垂直で刃紋は薄く、ナイフよりも刀身の黒鉄がくすんで見える。
「ソルっていうのは誰ですか?」
「あぁ、紹介が遅れたわね。そこにいるイタリア人がソルジャック(元No.=5)、そっちの忍者みたいな格好してるのがカルロス・バレット(元No.=7)、二人とも元No.=z《ナンバーズ》よ」
氷華先生が手を向けたのは長身の外国人、イタリア人だったらしい。彼がソルジャック、ソル・ジャックなのかソルジャックと呼ぶのかは定かではないが彼等も元は“組織”に居たらしいな。
呼ばれたソルジャックとやらの瞳に赤い光が宿り、いつのまにか持っていた俺のサバイバルナイフの刃を人差し指と中指で掴み、突然俺に投げてきた。
俺は咄嗟に持っていた刀の鞘を向け、目を瞑ったが数秒経ってもなんの衝撃が無い。
「目を開けて良いわよ」
氷華先生の言葉に恐る恐る目を開けると、投げられた筈のサバイバルナイフはまるで無重力空間にあるかのようにゆっくりと刃を軸に回転している。
「ど、どういうことですか?」
不思議な事象に氷華先生を見、説明を求めた。
「見ての通り、これがソルジャックの異能『High & Law』よ。自身を限界まで早くするか、限界まで遅くする」
「自身をって……これは物体じゃないですか」
「よく見なさい刃に血液が付いてるでしょ」
氷華先生の淡々とした説明を受け、ゆっくりと回転する刃の先に微量な血液が確かに付着している。
これが前に言っていた自分の異能を最大限発揮する物質か。
俺のサバイバルナイフに触れると、静かにゆっくりと回転するナイフが突然床に落ち、金属音が室内に反響した。
「では始めましょう……」
長身の外国人、ソルジャックが手のひらに血でできた縦一線の傷を向けながら、ニヒルな笑みを浮かべ、外へと促した。
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