叫喚無き死
寒く冷えきったリノリウムの床。調子を確かめるように、ブーツの
俺は本物の鋭利な刃に怯えながら慎重に、右手で柄の上部を持ち、鍔の無い直刀『
「いい、恭一君――」
氷華先生が日本語で俺に耳打ちした。
「相手を殺す気でいきなさい。でなければ貴方が死ぬわよ」
「はぁ? なんだよそれ!」
練習じゃなかったのかよ。
などと反駁する間もなく、氷華先生が離れ、靡く白衣を目で追い、集中力が欠かれたところにブーツのゴム底の滑る音が聞こえた。
目を向けるとソルジャックが、両手に持った素槍の柄を背中で、クロスさせ
「っく」
生唾を飲み込み、反射的に刀を額の前に真っ直ぐに構え、目を瞑りながら縦に振る。
「すぅ……ハッ!」
ソルジャックの浅い呼吸と共に、刀を振り切ったが、当然の如く手応えが無く、
目を開き、頬の違和感を拭うよう。ソルジャックの瞳に浮かぶ朱色の光を見つめながら、柄頭に添えていた左手を離し、頬に触れると、指に張り付く粘度のある液体に背筋が凍る。
薄暗い廊下、足許を照らす非常灯、指先に触れた液体は廊下に
否定しようのない恐怖。俺の体に流れている血が寒々しい闇夜をより一層、冷やすかのように全身の血の気が引いてゆく。
「まさか……ほんとに……」
痒みが痛みに変わり、一気に目頭が熱くなる。
虐げられるのは嫌だ。
強くなりたいと何度も願ったが、気持ちばかりでなんの努力もせず。隠隠滅滅とした時間を過ごしてき、その結果が、自身の命を
何度も頭のなかで繰り返し、殺したいと願っていたのは事実だが、またそれも気持ちばかりで本物の鋭利な刃に震えが止まらない。
眼前の敵ソルジャックは、臆する事なく左手に持った槍の切っ先を俺に向け、俺を中心に静かに左周りに一周した。
「来るわよ……」
氷華先生の透き通る声が、静かな廊下で一際よく聞こえ、視界が滲み始めていた事に気付くと、ソルジャックの瞳に怪しい赤色の光が浮かび上がる。
「うわぁぁ!!」
奮い立たせる気で、正面に居るソルジャックに斬りかかる。
また目を瞑ってしまい、瞬く間に腕に痛みが走った。
目を開けると目の前にいたソルジャックの姿はなく、ブレザーの袖はバッサリと裂け、右腕の前腕から一筋の赤い線ができ、それはすぐに崩れ皮膚を破るように溢れでた鮮血がワイシャツにベットリと塗り付けられる。
「も、もう嫌だ! 助けてくれ!!」
救いを求めるように氷華先生に叫ぶが、氷華先生は腕を組んだまま顔色一つ、表情も変わらぬ冷めて目を俺に向け、黙っていた。
それは勿論、隣に居るカルロスと呼ばれていた褐色肌の外国人も同様。
こいつらも味方だのと宣っていたが、所詮俺みたいに力のない人間は死ぬのが摂理だと言うんだ。だから傍観できる。
逃げないと……。俺は本当に、殺される。
振り返ると頭一つ高い体躯の外国人は、俺を見下していた。
俺は刀を振り捨て、切られた腕を抑えながらその場から身を翻し走り出す。だが、それは数歩のところで、ソルジャックが俺の進行方向に突然現れ、赤い光で俺を睨む。
「ひぃ!」
意図せず喉奥から漏れた悲鳴。蚊の鳴くような無力な喘ぎと、奥歯をギリギリと噛み締める音が両耳に届く。
ソルジャックが少し背を反らし、左手を突き出したと思った瞬間、手にしていた左手の長槍の切っ先が眼前に迫った。
思わず身を屈め、その場に膝を着こうとした時、突如左脇腹に激痛が走る。
見ると脇から煌々とした赤い瞳を向け、こちらを睨むソルジャックが俺の脇腹に、刃を突き刺していた。
「あぁ……がぁっ」
太股に力が入らず、右手の『
「かっ……はぁ、はぐっ!」
額に脂汗が浮かび、眼前の長槍がゆっくりと此方に目掛けて飛んでくるのが、βエンドルフィンの過剰分泌による覚醒状態だから、こんなに遅く見える。そう思っていた。
だが現実は違った。ソルジャックという男の異能、それが俺の世界の速さを錯覚させたのだ。
膝に力が入らない。頭がぐらぐらと揺れ、じりじりと、にじり寄るように迫る切っ先。
脇腹を刺され逃げ場が無い。
このままゆっくりと血を抜かれ、迫りくる刃が喉を突き、苦しみ悶えながら死ぬのだろう。
そう思うと……。なんだか諦められる……。今日が命日で、俺はこれ以上、片意地張って、生にしがみつく必要はない。
これで……終わり。
痛みが徐々に鈍くなっていき、自分の浅い呼吸に乱れがなく、生に
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