暗躍する謎 part3 (改稿)

 太陽の光を遮る灰色の雲が青空をも隠し、乾いた風は時を刻むたびにその温度を下げて、俺の手足に凍えた痛みを覚えさせるほどの風が張り付く。


 黒く淀んだアスファルトを踏み鳴らす、足音さえ耳に入らなくなる程、呆然と一つの不安が胸中に沈殿していた。


 龍一が“殺し屋”だなんて話をされた後では胸のつっかえも、脳裏に過る氷華先生の言葉も全てが、俺を貶める罠だと思えてくる。


 龍一あいつは確かに気性は荒いが、人を殺す人間じゃない。


 それに妹だと言っていた一ノ瀬だって……俺はよく知らないが、殺し屋だったとしてもあんなトロそうな女に殺される人間なんて居ないだろ。


 俺なら殺しを心から楽しむ。

 殺しに一種の中毒的なものを覚えるだろう。

 それがA子が手首を切った時、あんなに動揺してた女だぞ。

 本当の殺し屋なら見殺しにして、衰弱し死んでいく様を悠々と見物するさ。


 ふとA子の手首から流れる深紅の血液と、血の通っていた手首が青白く薄れていくさまを思いだした。


「う゛っ……おぇ」


 道端で急に吐き気を催し、今朝食べた卵が喉奥から吐き出され、アスファルトに滲んでいく吐瀉物を忌々しく見つめる。


 喉を焼くような気持ち悪さを払拭するよう、たんを絡めて吐瀉物としゃぶつつばを吐き捨てた。


「って……なんで俺は一ノ瀬を擁護してるんだ」


 よく知りもしない女を擁護するいわれなど無い。……そうだむしろろあの女は警戒していてもいい。


 確かによく考えれば都合が良すぎる。


 突然の転校に好意を寄せているかのような振るまい。昨日は現に一日中、付きまとわれ監視されていた。


 龍一は何だかんだ言っても、いつも一緒にいた訳じゃないし、一ノ瀬の言動はこれから気をつけて居たほうがいいだろう。


 などと思案していると高校の前の橋に差し掛かっており、何故か動悸していた。


 いざとなれば俺にはナイフだってあるし、異能だってあるんだから、何も心配することはない。


 何より、あの女医がただの【電波デンパ女】だって可能性は充分あるんだから。


 殺し屋なんて非現実的、且つ曖昧なもの信じるだけバカだ。


 …………異能だって充分、非現実的じゃないのか?


 既に残す授業は午後の二限だけらしく、俺は職員室で遅刻届けを書いたあと、担当教諭に何故か説教を受け、教室に向かった。


 教室に着くと驚くことに鬱陶しい新羅サル一ノ瀬あやしい女濱田A子の席が空席になっている。

 

 チャイムと同時に担当の教師が入ってき、俺は席に着き、鞄を机の端に掛け、欠伸を漏らしながら早速机に突っ伏した。


×××


 気が付けばホームルーム終えた生徒たちが帰り支度をしており、俺は惰性に満ちた日常のノルマを終え、中身が変わらない鞄を持ち、教室を出た。


 これが日常、本当に痛みが消えた背を伸ばし、欠伸を噛み殺しながら昇降口で下靴に履き替え、校舎から出。


 開かれた校門で見覚えの無いセーラー服の女子が目深に被った帽子のつばをさげ、誰かを待っているのが見えた。


 俺には関係ないので気にせず通り抜けようとするとセーラー服の女が、俺の進行を塞ぐ。


「…………なんだよ」


日向ひなた 恭一きょういち君ですね?」


 やはり女の声で帽子のつばで顔を隠しながら、俺の偽名を口にした。


「……違う」


 本名は嫌いだが、こんな女に名乗った覚えは無い上、見るからに怪しい。


「ユキちゃん……一ノ瀬雪子さんからキミと帰るよう言われてるの」


「お前なんて知らん……」


 女の脇を抜けて行こうとすると、俺の腕を強く掴む。

 帽子の唾にかげり見えなかった頬は、別の皮膚を移植したように紅く膨れ上がっており、女の顔は酷い火傷で醜く歪んでいた。


「キミが知らなくても私が知ってる。ついて来て」


 要警戒だと、自身に言い聞かせながらも女に腕を掴まれたまま、校門を出る。


「その前にお前は誰だ。不躾だぞ」


久世くぜ 千佳ちかひさしいで久世、千代ちよ佳麗かれいで千佳」


「身を削るような自虐だな……」


 顔半分に火傷を負いながら、美しく整っているとは……思わずツッコミをいれてしまった。


 久世が目元を隠し、苦々しげに口角を吊り上げて笑い、橋の上に差し掛かるとようやく腕を離した。


「そんなつもりで言ったんじゃ無いんだけどね」


 久世がはにかみながら、スカートのポケットからケータイ電話を取り出し、俺を目の前に何処かにかけ始めた。


「あっもしもし? 今飲んでる? うん、分かった……」


 最近女によく出会うな。

 今日だけで新たに三人か、一ノ瀬にA子、朱さんに氷華先生、そして今目の前に居る久世千佳。


 捨てる神あれば拾う神あり、チンピラにボコられる以上に俺にモテ期とやらが、来てるらしい。


「じゃあ今から向かうから、着く前に出来上がらないでね」


 通話を終えた久世がケータイ電話をスカートに戻し、また俺の腕を掴んだ。


「それじゃあ行きましょ!」


「おい……俺は了承してないぞ」


 久世が俺の言葉に耳を貸す気もないらしく、半ば強引に歓楽街へと引っ張られた。


×××


 東から西へ沈む太陽が俺達、人間の目に波長として届く光の色は赤く。

 夕日が傾き路傍に伸びる二人分の影はアクリル天板のもとでは、鮮やかな光彩に灯り始めた歓楽街に入る。


 同じ制服を着崩し、コートを羽織り楽しげに談笑し、互いの愛を語らう。


 そんな連中は俺から見ればとてつもなく寒く、無意味な時間を過ごしているように見える。


 そんな俺の心中を察する事もなく、久世は相変わらず俺の腕を掴んだまま先導し、裏路地に入った一軒のバーに躊躇もなく入店した。


 ウェイター、バーテンともに不躾に俺達を睨み、煙草の紫煙とアルコールの臭いが酷く混ざり合う薄暗い異空間。


 そんな中、カウンター席のまん中で一人。

 無色透明の液体と串の刺さったオリーブを眺める茶髪の男の左隣、空いたスツールにスカートの裾を押さえながら腰掛けた。


 俺も久世の隣に座ると茶髪の男がカクテルを呷り、久世の方へスツールを回転させる。


「ようチカ。お前もなんか飲むのか?」


「私は遠慮しとく、それより彼が恭一君」


 俺に手のひらを向け、バーテンを呼んだ。


「私はウーロン茶で、キミはなにする?」


「あっ……同じものを」


 そう言うとバーテンが小さくため息を吐き「うちは酒しか置いてねぇよ」等と小言を言うと、茶髪の男がバーテンに向き直り睨む。


「いいからさっさと出せ。キャバスケが来る店に、ノンアルがねぇなんて冗談笑えねぇ」


 この業界に詳しい風な言い方、茶髪も真っ当な生き方はしてないだろうが、これが一ノ瀬の知り合いってのがさらにキナ臭い。


 眉尻をしかめながらバーテンは、舌打ちしながらもウーロン茶を用意し始めた。


 それにしても情婦スケって言い方は古くないか?


「ジュン……高圧的過ぎ、もう少し言葉を選んだら?」


 茶髪をジュンと呼び苦言を呈しながら、用意されたウーロン茶を手に、繁々と眺め始めた。


「って……ロヒプノールフルニトラゼパムなんて入ってるわけ無いよね」


「あぁ薬物か、気にしてなかったわハハッ」


 茶髪はカクテルグラスの底にあるオリーブを食べ、笑った。


「おいそこの……えーっ」


 唐突に俺に串の尖端を向け、何かをいいあぐねていると、久世が助け船を出した。


「恭一君」


「そう! そうだったなハハッ。小者は忘れちまうんだ。悪く思うなよ」


 一言余計な男だ。というより馬鹿なのだろう。


「ごめんね恭一君、ジュンってあんまり頭良くないよ」


「おいおいチカ! 人を馬鹿みたい言ってんじゃねえ」


 やはりあまり賢く無いらしい。


「チッ……やっぱなんかアテがねぇと口淋しいな」


 串で歯垢を取り、カクテルグラスに戻すとそっと前に出す。するとバーテンが何も言わずやって来る。


「ベルモットはもういらね。ジンライム」


「ちょっとジュン、本気で酔う気?」


「あっ? 悪いか? たまの休みだぜ?」


「すいません今のキャンセルで、チェイサーください」


 久世と茶髪の痴話喧嘩を端から見せられてる俺はなんなんだ。


「おいチカ! 良いじゃねぇか、男が酔いたいって時は飲ませろよ! だから男が出来ねぇんだ。若いうちから老けんぞ」


 口論しながらもチェイサーの水が運ばれ、久世が茶髪に渡すと、不承不承ながらグラスを呷る。


「異性に縁がないのはジュンも同じでしょ」


「へっうるせぇ」


 本当においてけぼりだよ。


「あの……俺もう帰っていいかな?」


 俺の言葉にようやく痴話喧嘩を止め、久世が向き直った。


「あぁごめんね。もうちょっと待ってね」


 何を待てばいいのか分からないが、久世に促されるまま鞄を置きスツールに腰掛け、ウーロン茶を飲む。


「ちーっと熱いな……」


 茶髪が小声でそう言うと着ていた上着を脱ぎ、ヒートテックのロングTシャツになる。


 っが茶髪の厚い胸板の上に、異様なものが脇の下を通っていた。


「ちょっ! ジュン……何してるの」


「あ? 大丈夫だよ玩具だと思うさ」


 突然慌て始めた久世の様子だと、茶髪の胸に巻かれているナイロン素材のホルスター、納められた拳銃の黒色グリップのエナメル質な光沢は本物の証しか。


 夢で見た銀色の拳銃のような火花を散らすのだろう。


 だが日本で手に入りそうな拳銃では無い。

 コイツも一ノ瀬の仕込んだ“殺し屋”だとして、何故こんな場所に招いたんだ。


 バーテンの態度や周りの客から見ても、顔見知りのようには見えなかった。いや、それもコイツらの巧妙な嘘、俺に悟らせない為なのか?


 今、異能がある俺のちからを恐れ、コイツらが完全に意表を突かせる為、そう言えば久世がウーロン茶を見て「ロヒプノール」がどうとか言ってた。


 デートレイプで良く使われる、強力な睡眠剤ってのを調べた覚えがある。これも嘘だとすればバーテンとグルなコイツらは、既に俺に薬を盛っている?


 この推理が完全に整合性が合うとして、俺は無意識に危機的状況に陥っているのか。他に増援が来る前に俺を呼び止めたのにも、合点がいく。


 ならば早く、薬が効く前に逃げないと!


「じ、じゃあ俺はこれで!」


「え? ちょっと待ってまだユキちゃんが!」


「お、おいなんだよ」


 鞄を掴んで逃げようとすると、茶髪と久世が俺を追ってくる。出口まで駆けようと足を伸ばした瞬間、ウェイターの一人が前に出、拳が飛んできた。


 痛みが来る前に地面に頭を打ち、鈍い音が耳に届き、鼻奥に痛みが走り、嫌な臭いがした。


「オイガキども、金も払わねえで出ていくつもりか?」


 見れば俺の制服の胸倉むなぐらを掴み、凄むウェイターに立たされ、押されると後ろに居た久世に受け止められた。


 先程まで騒いでいた客の一部が立ち上がり、こちらを取り囲む。やはり店の連中もグルだったんだ。


「親に電話しろや。さもなきゃお前ら警察行きや」


 妙な大阪弁の男たちの言葉に、久世はため息を吐いた。


「はぁ……だからユキちゃん来るまで待つつもりだったのに……」


 すると久世の背後から、僅かな笑い声が漏れ聞こえ、振り向けば茶髪が笑っている。


「ククッ、これは……」


 不敵な笑みを浮かべながら脇下の銃を抜こうと手を掛けた時、唐突に久世が俺をカウンターに突き飛ばす。


 それと同時にガチャッと機械的に擦りきれ、金属の外れるような音と共に、正面のバーテンを横切るようにセーラー服のスカートが靡き。


 何か肉を打つような音が鳴ると、バーテンの頭が瓶の並んでいる棚に激突し、落ちたガラスの瓶が割れる音と同時に爆発音が谺す。


 強烈な火薬の破裂する音が店内に響き、久世が俺の上着の襟を掴み、体がカウンターの中に引き込まれる。


 浮いた足が瓶に当たり数個、叩き落としてしまったが、俺の体に別状はない。


「コイツ!! チャカ持ってんぞ!」


「ちくしょう! ぶっ殺せ!!!」


「おい近藤! 大丈夫か!! クソ!」


 男たちの怒号と銃声がさらに苛烈に増える中、茶髪が笑いながらカウンターを乗り越えて入ってきた。


「ハハハハ! やっぱ殺し合いってりゃ、こうじゃなきゃ!! なぁチカ!」


 帽子が取れ、やはり酷い火傷で左の顔が歪んで見える久世が、苦々しい顔で茶髪に答えた。


「もっと完璧な計画だったのに! これじゃ応援呼ばれるよ!」


 破裂音の中大声で話す久世が、バーテンの手に握られていた一挺の銃を奪う。


「ラドム『VIS wz1935』9mmね……セーフティ降りたままなんだから……」


 ぶつぶつ小声で何かを呟き、一度止んだ銃声に気づき、立ち上がると躊躇なく銃を撃った。

 

 なんで……俺を殺すんじゃねないのか?


 再びしゃがむ久世と目が合うと、黒い瞳が俺を映し、手にしている銃口から漏れる蒸気に動悸が止まらない。


 突然、叫び声と共に俺の目の前に伸びた腕が、俺の首を掴み、背後の小型冷蔵庫で頭を打った。

 

 見ると俺の目の前に真っ赤に染まった歯茎から、血液と涎が混じった粘っこい液体を吐きながら喚く。


「クソガキがぁ! ぶざけんな!!」


 俺の顔に唾を吹きながら叫ぶ男に、俺は恐怖で声をあげた。


「うわぁぁあ゛あ゛!! た、たすけで!!」


 必死に体を捩り、男の腕を振りほどこうとするが、さらに強くなる力に、男の血走った目が余計に焦躁を駆り立てる。


 久世の居る方向から、火薬が破裂する音が間近に聴こえ、一瞬俺と男の動きも止まった。

 

 見開かれた目と口内を染めている真っ赤な唾液が爛れ、俺の頭に重い肉塊がもたれてくる。


 目の前に転がる男の相貌。まるで糸の切れた人形のように身動ぎ一つせず。

 

 瞳孔の開いた黒一色の目を向け、左のこめかみから流れる血液は止めどなく溢れ、次第に血色の失った顔の色素が淡く、青白くなっていく。


「恭一君、大丈夫?」


 俺の肩を揺する久世に目を向けると、一瞬黄色く見えたすべての色彩が戻り始め、耳鳴りよりも直接聴こえる声へと自然と反応した。


「あ……え、へ」


「……目を瞑って、深呼吸」


 銃声の響くなか、目を瞑ると瞼の裏側に焼き付いた赤黒く染まる口、眼球を剥き、変色する顔が浮かび、動悸が激しく息を吸うのに精一杯になる。


「はぁはぁはぁ……ひっ、い、嫌だ……こんなところで死にたくない!!」


 音をたてて壊れそうになる頭を抱え、嫌でも聴こえてくる銃声、叫び声と笑い声。

 

 肉が割け、血が飛沫し木製のカウンターを撃つ弾丸が割る。

 徐々に研ぎ澄まされていくような感覚のなか、聴こえた一つの叫び声が耳に響いた。


「助けてくれ!!」


 俺のように悲鳴をあげる野太い声と、茶髪の笑い声が混じり、情けなく漏らした声を最後、床に倒れるイメージが音だけで鮮明に浮かぶ。


「アハハハハハ!! 最後だぜオッサン!!」


 茶髪がカウンターから飛び出し、床を蹴る音が聴こえる。


「ふざけんなぁ! なんやお前ら!!」


 嗚咽を漏らしながら情けなく吐き捨てた言葉は、一発の銃声の後に聴こえた悲痛な叫びと同じ声だ。


「ぐぁぁあ゛゛! 待て! 俺らが悪かった! 俺には嫁も子供もおんねん! 頼む、助けてくれ!!」


「恭一君」


 俯きながら目を瞑り、踞る体を起こす手助けをする久世の呼ぶ名前に反応し、目を開けた。


 カウンターの灯りが、薄暗く照らされる店内に数人の男が手足を伸ばし、床や壁に黒く染めている。


 その中で茶髪が一人の男に銃を向けながら見下ろしていた。


「おぉ目出度いねぇ。子供もか……それは考えてやらんでもないな」


 茶髪の圧倒的有利な状況。


 向けた銃口を下ろさないまま、大阪弁の用心棒らしき男のジャケットの襟を掴み、立たせ、こちらのカウンターまで連れてきた。


 カウンターの光に照され、額から大量の汗を吹き出し、肩口の空いた穴から血が滲んでいる男の顔は狼狽しきっており、茶髪の男の笑い顔は酷く不快に見える。


 震える腰でまともに立てないにも関わらず、久世に体重を預けながら、茶髪と大阪弁の男を見守った。


「帰る前に電話してやれよ。ほら」


「ジ、ジャケットの内ポケットに入ってるから、取ってくれ……」


 大阪弁の男は茶髪に気遣うように、掠れた声を絞りだし、茶髪は肩を揺らしながら笑い、大阪弁の男の内ポケットから二つ折りのケータイ電話を出してやった。


「今時ガラケーか、珍しいなオッサン」


「…………」


 銃口は向けられたまま、大阪弁の男は何も言い返さず、片腕だけで画面を開いた。


 ボタンのプッシュ音が何度か鳴る。


「そうだ……嫁に電話してやれ……今から帰るってよ」


 画面を確認する茶髪の指示通り、一つの番号に掛けたようで、俺も息を飲みながら静まり返る店内に響くコール音に、心臓が高鳴る。


『もしもし? どうしたの?』


 若い女の声が聴こえ、大阪弁の男は安堵するように目に涙を浮かべ、茶髪を一瞥した。


「もしもし……俺や、龍太りゅうた、帰ってるか?」


 震える声を努めて平静に保とうとする中、茶髪の不敵な笑みはさらに口の端を吊り上げる。


『うん、龍太ならもう学校から帰って……あっ今、おやつ食べてる』


「そ、そうか……」


 溢れる涙を抑えられない様子の男に、茶髪は銃をカウンターに置き、大阪弁の男の背後に立ち、頭を掴んだ。


「な、なんや? なにす――――」


 大阪弁の男が言い終わる前、電話を当てていた耳輪を摘まみ、広角を上げながら肉を引き裂き、耳を千切り取った。


「ぎゃぁあ゛あ゛!!!!」


 テープでも千切るように、大阪弁の男の耳を付け根から剥がし、男はケータイを手離し、輪郭だけ取った穴だけの耳を押さえてスツールから転げ落ちた。


「アーーッハッハッハ!! 面白すぎんだろ!! ハハハ」


 取った薄い耳を眺め、転げ回る男を見ながら茶髪は腹を抱えながら爆笑している。


『あなた! どうしたの!! ねぇ!』


 落ちたケータイから聴こえた女の声に、茶髪はケータイを男の変わりに拾い上げ、俺達の目の前でケータイ画面の液晶に、空洞の耳を張り付けて電話に話しかけた。


「ヒーッ駄目だ笑い死ぬ!! 奥さーん! もっと大声で話さないとオッサンに聞こえねぇぞ!! アーッハッハ!」


「うっ……」


 思わず笑えない冗談と異常な空間に吐き気を催し、久世を見ると、火傷痕の残る左目を瞑りながら、呆れたように茶髪を眺めている。


「ほら! 立てオッサン! まだ今から帰るって言ってないぞ~! 帰るんだろ!」


 笑いうっすらと涙を浮かべる茶髪。

 それとは対照的な男は、紅潮した顔が痛みで歪み、鼻水と涙でぐしゃぐしゃな顔では、内に潜む想いが同じ涙でも大きく違う。


 虚ろな目で盛大に笑う茶髪と、生きたいと願う男の見せる目、どちらも俺には恐怖の対象でしかない。


「龍太! レイナ! 絶対帰るから! 帰るからな!」


『どうしたの……あなた……嫌!』


 涙に歪む顔を電話口に近付け、叫ぶ男に再び茶髪が銃口を向け、先程の笑い顔を消して冷徹な眼で、せいにすがる男を見下す。


「できねぇ約束してどうするんだ?」


 「やめろ」なんて薄い言葉が、嗄れた声に紛れて耳に届く。

 それは他の誰が発したものではなく、俺の舌が滑らせたものだった。


「ま、待て……たのむ……たす――――」


 顔を向けて懇願する大の大人に向け嘲笑を浮かべ、無情にも引かれた引き金。


 瞬き銃口から弾丸の発砲と同時に、微量の返り血がカウンター上、ケータイ電話に降り掛かる。


 男は頭から仰け反り、先程まで息をし、哀願していた男が無音でスツールから倒れ落ちた。


「プッ……なにそれ、アハッアハハハハ、つまんねぇギャグかまして、笑い取ったら助かると思ったのかよ! 能天気過ぎるだろ!! ハハハハ!」


『あなた? あなた!! このキチガイ野郎! 絶対あんたを――』


 気持ち良く笑う茶髪に割って入る、電子音声に苛立ったのか、画面に乗せた耳ごとケータイ電話を肘で叩き割った。


「うるせぇんだよ……」


「はぁ……だからユキちゃん待とうって言ったのに……」


 久世がまた小言を言うと、茶髪は小さく笑いながら先程撃ち殺した男にもう一度銃を放つ。


「どういう意味だよチカ」


 会話をしながら当然のように引き金を引き、死後硬直に至っていない死体は、痛みを訴えるかのように弾頭を受ける度、手足を痙攣させる。


「余計な仕事増やしたのよ。しかも最後の殺しちゃうし」


「あぁ……っでもケータイは! ってさっき潰しちまったっけ」


「はぁ……馬鹿……」


 久世が持っていた銃のマガジンを抜き、スライドを引いて排莢すると、持ち主であるバーテンの腹の上に投げた。


 カウンターを出て、スツールに座ったが、周りが死体だらけで今にも吐きそうだ。


「オイ! 馬鹿はねぇだろ! 馬鹿に電子機器が扱えんのか!?」


 声を荒げる茶髪が返り血も気にせず、隣に座った。


 見れば目付きも悪く、耳にあけたピアスから軽薄かつ頭の悪さ、異常な性格が露呈し、俺は言葉が出ない。


「つーかそれよりコイツどうすんだよ……」


 茶髪が俺の頭を掴んで久世に見せ、数滴の返り血の浴びた顔を向け、きつく睨まれた。


「それもユキちゃんが……」


 久世が俺と茶髪の前に水の入ったグラスを並べると、入口を開く音がし、茶髪が咄嗟に俺の頭から手を退け、エナメル質の銃を握る。



「…………えっ……」


 どこかよそよそしく周りの死体に驚きの声を上げて入ってきたのは、見知った顔の一ノ瀬だった。


「あっユキちゃん、いらっしゃいませ」


 久世が冗談っぽくカウンターから挨拶をすると、一ノ瀬が足許の死体を訝しみながら、俺と茶髪の元に来た。


「あっ日向君……」


「いやいやコイツより俺っしょユキちゃん!」


 一ノ瀬が茶髪から銃を奪うと、困惑した様子でスライドを引き、残っていた最後の弾丸が狐を描きながらカーペットへ落ちた。


「……佐野さの君、これどういうこと?」


「あれ? もしかして怒ってる? ユキちゃん勘弁してよ! 俺から仕掛けた訳じゃねぇって!」


 一ノ瀬は昨日までの雰囲気と少し違う、よく知った仲ではないが、この茶髪との間に上下関係に似たものを感じるのは確かだ。


 佐野と呼ばれた男は一ノ瀬の澄んだ蒼瞳を受けて、怪しい笑みを止め、先程の殺人行為を気にもしない態度からは、想像できないほど萎縮している。


「むぅ……」


「ユキちゃん、ごめんなさい」


「チカちゃんも居たのにぃ~」


 頬を膨らませながら怒っている(?)一ノ瀬を尻目に、出された水へ震える手を伸ばし、口に運ぶ。


「うっ! お゛え゛っ!! げほ゛っ」


 水を一口含むが、塩素の仄かな香りに刺激され。

 胃から込み上がる吐瀉物を我慢しきれずに吐き出し、頭の奥を鈍い痛みが走る。


「日向くん!」


 駆け寄ってきた一ノ瀬がすばやく俺の背を擦り、女の目の前で情けなく上がってくる胃液をも吐き出し、喉が焼けるように痛い。


「大丈夫? チカちゃん、お薬ない?」


「ごめんね。今は何も持ってないんだ……」


「こんなことで吐いてどうすんだよ~。つーかどうすんの?」


 茶髪が再び同じ質問を投げ掛ける。


「どうするって……なにを?」


 落ち着いてきた俺の背中をまだ擦る一ノ瀬が答えると、茶髪が俺の前に立つ。


「コイツの始末」


 茶髪の一言に背筋が凍った。

 一ノ瀬を見て安堵した自分がいて、逃げる機会を逃していた事に気付き後悔する。


 三人、というか一ノ瀬は俺を狙っているかも知れないということ忘れていた。


 ──というより心中では疑っていたが、こんな異常な連中と付き合う、一ノ瀬この女がマトモな筈がない。

 俺の疑惑は既に現実へと移り気していた。


「あっ! 佐野くんに聞きたいことがあったんだ!」


 なにかを思い出したようにポケットを探り取り出したのは、あのクソ親父の組──関東長尾組の金バッジだった。


「金バッジ……」


「え? 知ってるの? 日向くん」


 思わず出た言葉に驚き、口をつぐんだ。


「あ? 金バッジって組員になれるヤツが付けてんじゃねえの?」


「ほぇ~そうなんだ。龍一くんがくれたんだよ~」


 平然と言った言葉の中に聞き覚えがある名前があった。


 龍一……アイツも殺し屋だなんて呼ばれていたんだ。


「なんで一ノ瀬が龍一を知ってるんだよ……」


 内心、希望を抱いていたのかもしれない。

 こんな質問をし、親父クソ野郎も関係しているなんて、念頭に置きたくもなかったのだろう。


「うぅ? 龍一くんはお友達だよ?」


「氷華先生が言ってた……殺し屋って……やっぱり」


 俺はたどたどしく呟きながら一ノ瀬と茶髪から後退り、鞄を握る。


「日向くん、今お姉ちゃんの事……」


「うわぁぁぁあ゛ぁあ゛」


 無意識に叫び、腕を振りながら、死体を避け、血脂に足を滑らしながら店の扉を破る。


「オイ! 待ちやがれ! クソ!」


 背後で茶髪が怒声に怯えながら、夜の歓楽街をすれ違う人間にぶつかり罵声を浴びる。


 背後ではぶっ殺すだのなんだのと、喧嘩腰の声を無視して路地裏に入り一旦息を整えていると、スカートを振り拉きながら一ノ瀬が追って来た。


 息切れする中、僅かに逡巡していると異能の事を思い出し、コンクリートの壁から無数の鎖が交錯状に重なり、壁を作るイメージを浮かべる。


 視界の端に蒼白い光ができ、気づけば目の前を人二人分ほどの鎖の壁が出来上がっていた。


「な、なんで!? 日向くん!!」


 鎖の隙間から一ノ瀬が俺へと腕を伸ばし、周囲の奇異と驚きの声も気にせず俺の偽名を叫んだ。


「お願い! 待って!」


 鎖の間に腕を伸ばし白い肌を挟み、赤く締め上げられ、苦痛に歪む一ノ瀬の顔を見ると、何処か同情に似た罪悪感にかられる。


 だが同時にそれすらも恐怖へ変わり、後ろ髪引かれるような気持ち悪さを覚えながらも、一度も振り返る事なく走って逃げた。

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