一ノ瀬 雪子
幕間~一ノ瀬 雪子~
アーケード街の影となる漆黒の闇に突如現れた鎖の壁、その交差する鎖の隙間に腕を入れ、目の前を走る運動能力の低い少年に虚しく声を掛けた。
「お願い! 待って!! お姉ちゃんの事……」
ブレザーの上着越しに手を差し出し、無情に走り去る日向くんの背中に、答えの返ってこない質問をし、今度は
「……なんでお姉ちゃんの事、知ってるの……」
薄く視界を滲ませ、紅潮する顔を手で覆う。
どうして、何も言わずに『組織』から居なくなった
自問自答しても答えなど出ない、後を追ってやって来た
「はぁはぁ……煙草止めようかな……ユキちゃん、“とりま(取り敢えずまぁ)”戻ろうぜ」
手を差し出してくれた佐野くんの暖かい手を握り、立ち上がる。
「まぁアイツ……なんつったけ?」
「ぐすっ……日向くんだよ」
「あぁそんな名前だったな~。まぁソイツはこの町に住んでるなら、“ワンチャン”あるだろ」
「うぅ? わんちゃん? 犬?」
バーへと戻る道すがら、佐野くんは私の質問に大笑いした。
「ハハハ!! いや、わりぃ、ユキちゃんわかんねぇんだよな。『One chance』の略だ。いつでも殺れるだろって」
バーの入り口まで戻り、慌てて佐野くんに反駁した。
「ち、違うよ! 日向くんには何もしないで!」
開かれた扉から匂う血と硝煙の匂い、血の臭いは生臭く不快感があって忘れられないが、硝煙の匂いはいずれ腕に、体にまとわりつき、離れられなく恐怖がある。
「はい、いらっしゃい」
室内の薄暗がりから現れた染められた金髪のショートカット、皮のライダースジャケットにスリムジーンズを履いたアメリカ人のアイリス・レイアーチさんが出迎えた。
「よぉレズ女、重役出勤か?」
佐野くんの冗談に、ムスッと目を細めるアイちゃんの脇を抜ける佐野くんの脹ら脛を、キックボクシングで鍛えたローキックを当てる。
「あんたのお陰で呼び出されたのよ!」
「いってぇな! どうせここも潰すつもりだったんだからいいじゃねぇか!!」
喧嘩する二人の間をそそっと抜けて店内に戻ると、薄暗く照らされた部屋でガスマスクをつけた、全身黒衣に身を包み、手には長いゴム手袋を嵌めた死体清掃班の『二番分隊』に属する四人が、死体袋に一体ずつ詰めては山積みにしている。
『一ノ瀬隊長……申し訳無いんですが、使用した銃火器等の申請書類を見せてもらえないでしょうか?』
ガスマスク越しのくぐもった声に、丁寧な言葉遣い男性(恐らく二番分隊の隊長)が、血塗れの手袋を外して私に手を向けた。
「今回は突然の銃撃戦になったので、現状は隊員に確認を取った上で
『そうですか、分かりました。そちらも何かと大変なようで……』
視線と言うかガスマスクのレンズに写る、相変わらず喧嘩しているアイちゃんと佐野くんが見えた。
「昨日、ユキコが事を荒立てる事なく遂行するよう言ってたんだから、命令通りしなさいよ!」
「型に嵌まるってのは一番嫌いなんだよ! それに俺は非番だ! お前にとやかく言われる筋合いわねぇ!」
「私もオフだったわ!! なのにあんたの尻拭いに来たの!」
大声で怒鳴りあう二人に、チカちゃんが入り、睨みあう佐野くんの腕を引っ張りながら私たちの許へ連れてきた。
「現場検証! ほらジュン」
飼い犬のように鼻を鳴らし、背後のアイちゃんを睨みながら二番分隊の隊長を、足許から品定めするように見る。
「チッ……俺が使用したのはソロバキアの『チェスカーズブロヨフカ75(Seventeen five)』の後期モデル《ロングレイル》、弾はフルメタルジャケットの9mm……パラベラムかな。予備弾倉二つとも空だな」
舌打ちした佐野くんが二番分隊の隊長から視線を逸らし、ショルダーホルスターから抜いた愛銃『Cz75』を渋々手渡す。
アイちゃんもこちらに合流し、手に持った薄いタブレット端末にタッチペンで書類を作ってくれている。
「そこのカウンター裏に在ったバーテンから奪った銃を使用しました。恐らく『ラドム VIS』ノーマルでしたがスライドの擦り傷、バレルの損傷具合から海外から密輸したか、軍からの横流し品の脱法拳銃ですね」
そもそも日本には、銃刀法(鉄砲刀剣類所持取締法)が存在し、特に彼らのような暴力団は抗争目的に購入する。
「軍からってのは難しいんじゃね?」
カウンターの薄暗い明かりに照らされ、テーブルに並べられた拳銃を観ながら、佐野くんが呟いた。
「そうね……そもそもポーランドの拳銃なんだから、数は出回ってない筈だし……」
「考えられるのはガンマニアか……まぁ武器製造、ってのも使われてるのはおかしいなぁ」
思案に耽る佐野くんとアイちゃんに、チカちゃんが話をした。
「日本人の考えとして、回転式拳銃の安全性を重視するんじゃない?」
「武器製造ってのは無いだろうなぁ……あっあの“バカ”がヤクと一緒に流してたんじゃねぇの?」
佐野くんの言う“バカ”とは恐らく、日本の暴力団、所謂ヤクザに本国違法薬物を流していたキューバ人カルテルの構成員、“カルロ”さんの事だろう。残念ながら彼は私とエドさんがちゃんと、処分したので話はもう聞けない。
「……あの、銃の出所より気になってたんですが……これ、なんですか?」
私が壊れた二つ折りの携帯電話の画面に乗った真っ赤な肉片を指差すと、佐野くんが笑った。
「アハハ、それはあれだ。ケツモチ、“
「ほういち……さん? 知り合い?」
私が疑問符を浮かべているとアイちゃんや、二番分隊の隊長も首を傾げていた。
「日本の昔の怪談? みたいなのに、『耳無し芳一』って言うのがあるの。たぶんそれのパロディじゃないかな」
千佳ちゃんの補足に、私はほぇーっと感心した。
「片耳がねぇ死体在っただろ? それだよ」
ニヤニヤと笑っている佐野くんと対照的に、深いため息を吐いた千佳ちゃんが話始めた。
「その死体……たぶん『
アイちゃんのタブレットに記入する手が止まり、佐野くんを睨んだ。
「あんた、ほんと何してるの?」
「ハハハ~いや~、たまには
怒り混じりの低い声のアイちゃんと、佐野くんはがしがしと頭を掻きながら笑った。
「うぅ~~じゃあ、その人の身内を処分していくしか無いじゃないですか~」
また足踏みしてしまう。
計画通り行かないのは仕方無いにしろ、身内までの処分となると内務省への通達書類も作成し、警察庁への隠蔽を依頼しないといけなくなる。こう言った事件に目敏い報道機関に気付かれる前に行動する。
つまり今日中に、芳一さんの家族を殺さなければならない。
「明日も学校行けないよ~……」
指折りどう計算しても報告書作成に、宿題、睡眠時間やトレーニング時間を考慮すると、今日も徹夜になりそう。
ショボンっと肩を落としているとアイちゃんが私の肩を叩き、笑っている。
「ジュンの尻拭いなら私とチカ、ジュンで何とかするから、雪子はもう帰って大丈夫よ」
「そうだよユキちゃん、全部ジュンが悪いんだから、休んでていいよ」
千佳ちゃんも笑顔で慰めてくれる。
「うぅ~ありがと~アイちゃん、千佳ちゃん~」
「チッ俺だけ悪者かよ……」
佐野くんの悪態を吐きながらも、いつも通り反発はしない。すると二番分隊の隊長さんがガスマスク越しに語りかけた。
『部下に仕事を任せるのも隊長としての責務ですよ。部下を信用してやらないと』
「信用してますよ! でも……書類なんかは私が書いた方が皆の負担が減るんです……」
私なりに皆に気を遣って、雑務をこなしている。
私の言葉にアイちゃんがため息を吐き、私の頭を撫でた。
「別に負担じゃないわ。こういうのは大人の仕事なの」
「そうそう。大人、大人、俺達の仕事だ」
「あんたはまだ子供でしょジュン」
「はぁ? もう十八だ! 立派な大人だっつぅの!」
また喧嘩を始めた二人を観ながら、千佳ちゃんが私の背中を押した。
「じゃっ後は私たちに任せて」
千佳ちゃんに入り口まで押され、火傷痕に苦しそうに笑う千佳ちゃんが声を沈めた。
「恭一君の事だけど……」
「あ……」
そうだった。日向くんが突然逃げ出した事についてまだ何も解決していない。
「彼、もしかして“異常者”なんじゃないの?」
精神疾患の者を揶揄する言葉ではなく、私達が使う、通称『異常者』は精神に何らかの不調が原因で発生する病のような力……彼らは自らを“異能者”と呼んでいる。
私はまだ確証を持てなく、昨晩見た涼子ちゃんを縛った鎖……先程目の前に現れた鎖の壁、非現実的な事象が目の前に起きたが、私には他人の助力のようにも見えた。
「かも知れない……けどまだ断定された訳じゃないから、報せなくても大丈夫」
私の憶測で簡単に殺したくない。
それに、“No.=2”龍一くんにお願いされたお仕事でもあるから。
「ユキちゃんがそう言うなら私は良いけど、あんまり深入りしないでね」
熱く手を握る千佳ちゃんの目を見返し、小さく頷く。千佳ちゃんも火傷痕で苦しむように笑い、見送ってくれた。
×××
羽咋の街は私には酷く凄惨に映る。それは埠頭に流れる武器、違法薬物、それを捌き、今街で戦いを起こそうとする二つの勢力、関東『
南米ルートの違法薬物、軍からの横流しの銃。
全てが抗争の火種、そんな中に一般人である彼……日向くんや涼子ちゃんを巻き込みたくない。
日向くんはあの日、龍一くんと長尾組の賭場場で逃げた組員の一人を殺した所を見られた。龍一くんも日向くんを巻き込みたくないと、ロヒプノールとお酒で記憶を消した。
「う~んやっぱりお酒は駄目だよね」
龍一くんのお酒は駄目だったけど、組織での行動や、お姉ちゃんの事を知っている以上、巻き込みたくないなんて次元には居ない。既に日向くんは巻き込まれているのだから……私はどうしたら彼を助けられるのだろう。
「それより、お姉ちゃんの事を聞きたい」
空虚な闇に呟いた言葉は冬の寒気に抜けていき、響く靴音は雑踏に紛れる。
“組織”を抜けたお姉ちゃんは今や裏切り者扱い、既に“異常者”と成ったと言われ、お姉ちゃんもまた殺害対象。生きているならもう一度会いたい、私の唯一の肉親、私達を売った親の代わりに育ててくれたお姉ちゃんを殺すなんてできない、だから会って話がしたい。
悩みながらも答えの出ない迷宮で、ため息を吐く。
目の前で笑い、友人やお仕事の仲間と語らう、そんな姿が私には遠く感じる。私は人の死によって立っているが、目の前の人達は一体何の上に立って、何を思っているのだろう。
私には解らない。でもこんな私でも、一人くらい助けてみたいな。
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