第14話 湿りの海
足元を掬われた俺はコンマ一秒宙に浮き、転んだ。
「ぐっ、えっ」
鼻を打ち、唇を打つ。
ふくらはぎに食らいついた巨大なものがびたんと地を打つ。
青く巨大なウツボ。もちろん頭部の中心には青目が開いている。
その瞳がすっと細まり、俺を嘲笑う。
(伏兵……!!)
他のウツボ共と違い、そいつの体色は紺青だった。
すわ群れのリーダーかとも思ったが、違う。
そいつは苦しそうな呼吸を繰り返しており、目は血走っていた。どうやら酸素が欠乏したことでこの色へと変じたらしい。
息継ぎの機会を放棄してまでこいつが取った行動。それは俺との相討ち。
つまり――――
「鉄砲玉か!」
群体でこそあるが、奴らは決して平等な存在ではないのだろう。
個体ごとに強さ弱さがあり、位の低いマトゥアハはこうして鉄砲玉にされる。
「クッソ!! 人間みてえなことしやがって! 離れろ!」
尖った口を掴んだ瞬間、ぎゅううっと万力のような力が加わる。
「あいだだだだだっっっ!!!!」
もし俺に姪っ子がいたとして、その子に頬をつねられても似た声が出るのだろう。
だが痛みの程度が段違いだ。犬歯よりも鋭い牙が肉に食い込み、湧き出した血液がじゅうじゅうと地面に染み込む。
「ああだだだああっ、っ……っっ!!」
筋繊維が断裂寸前まで引っ張られる感覚に凍り付いた。
俺の肉が。骨から剥がれかけている。
脛に食いついた大ウツボが身をくねらせ、頭を左右に振ろうとする。このままワニのようにローリングされたら脚が噛み千切られてしまうだろう。
(っ!!)
咄嗟に俺は奴を蹴った。無傷の脚ではなく、噛みつかれた方の脚で。
何かの本で読んだことがある。動物に噛みつかれた場合、無闇に抵抗してはいけない。振りほどこうとすればするほど傷は深刻なものになる、と。
その記憶の通り、口内へ押し込んだ脚から無数の針が抜ける感覚があった。どうやら奴らの牙は喉へ向かって生えているらしい。
ジンジャーが駆け付け、ばうばうばうっと青目に向かって吠えたてる。
死にぞこないのマトゥアハは俺の血で濡れた牙を剥き、鎌首をもたげた。
「ぐ、ぎっ……」
痛みは遅れてやって来た。真っ赤に濡れた脚を抱え、その場で丸くなる。
毒とも違う鮮烈な痛みで、ずぐんずぐんと血管が脈打つ。
「痛ぇ……痛ぇ……!」
奴はたったひと噛みで俺の戦意の半分ほどを齧り取った。
大人は泣かないなんて嘘だ。赤子のように惨めな姿を晒した俺は涙どころか鼻水すらこらえることができない。
「おじさんっっ!!」
温州が屋根の上で叫ぶ。
はっと我に返る。
そうだ。温州を、ナタネを不安にさせてはダメだ。
助太刀しなければと思わせてはダメだ。
「な、何でもねえ! そこにいろ!」
吠え返し、不格好に片脚で立つ。膝に手を置き、体重をそっと乗せる。
痛みで気が遠くなりそうだったが、赤目にやられた両腕よりは遥かにマシだ。
犬より遥かにでかい俺の存在を認め、青目が矢を引くように頭を引く。
骨棍棒を握るや、俺はほとんど無意識に振り下ろした。
テンポ遅れて、雄たけびを上げる。
「お、らあああっっっ!!!」
まず眼球がぶじゅっと潰れる。
魚特有の硬いとも軟らかいとも言えない骨がひしゃげ、赤い血が飛び散る。首から下がびったんびったんと跳ねる。
奴は死んでなどいなかった。
それどころか一層激しい勢いでのたうち、鞭のように身をくねらせている。
「うっ! くっそ……死ね! 死ねえええっっ!!」
一撃は見舞ったが、地を這う生物を道具で叩き潰すのは思いの外難しい。
棍棒に力がうまく伝わらず、俺の一撃は青い肉片と赤い血をかき混ぜるばかりだ。
「くっ、そ。こんなっ」
膨れ上がった腕が疲労で垂れ始める。棍棒がずしりと重みを増す。
もうか。もう俺は限界なのか。
俺はたった一匹のウツボすら仕留められないのか。
そこへ白犬が割って入った。
ばうっ、と一声吠えたジンジャーは地面すれすれに顎を這わせると、がぶりとウツボの頭部に噛みついた。
後は無残なものだった。
湿った音と共に胴と頭を結ぶ厚い肉が噛み千切られる。数百グラムの肉を咥えた犬がぶんぶんと顔を振る度に血が飛び散った。
ウツボの体が徐々に力を失い、砂にまみれた尾がずるりずるりと地面にこすり付けられていた。
たっぷり数分もの間、息を荒げていた俺は我に返った。
「じ、ジンジャー! もういい! 体力の無駄だ!」
口を血で濡らしたジンジャーが急かすように俺の周囲を駆け回った。
くそっと悪態をつき一歩を踏み出す。
「い~~っっ!! ぐァっ! ちくしょっ……」
ふくらはぎに五寸釘をぶち込まれたかのような激痛が爆ぜる。
血が流れ出す喪失感の中、ふらふらと斜面を下っていく。
一歩踏み出し、のろりと脚を引きずる。一歩踏み出し、ずるりと脚を引きずる。
「おじさんっ!!」
温州の声が遠く聞こえる。
「大丈夫だって言って――――」
「囲まれてるっっ!!」
はっと周囲を見る。
酸欠を起こした青いウツボがぞろぞろと茂みの中から這い出してくるところだった。
(こいつら…!)
鉄砲玉は一匹ではなかったのだ。
数は五。とてもじゃないが相手にしていられない。
「くそっ……!」
片脚を引きずる俺の歩みはあまりにも遅い。仮に足首にタイヤを巻き付けられていたとしても、人類は今の俺より速く歩けるだろう。
無様に逃走する負傷兵を庇い、ジンジャーがめちゃくちゃに吠えたてている。
が、死に瀕したウツボ共はそんなものを恐れない。
(ふ、りほどけねえ!)
振り向いただけで追いつかれる。
そう直感するところまで奴らが迫って来ていた。
ぬめる蛇体が絡む音すら聞こえ、俺の呼吸は悲鳴に近づく。
と、ウツボが這いずる音とは別の、もっと軽快な靴音が俺に追いついた。
それが風のように俺を通り過ぎる瞬間、ぐっと手首を掴まれる。
「おじさんこっちっっ!!」
あろうことか蜜輪温州(みつわうんしゅう)が俺の手を掴んでいた。
スカートを翻し、黒髪と鉢巻を風に乗せた彼女は俺がつんのめるのも気にせず走る。
「ばっ――――」
「いいからこっちっ!!」
彼女は俺の手を引っ掴み、「青目の巣」ではなく赤目の死骸へ向かった。
石柱は未だ健在で、静謐な灰色の炎が揺らめいている。
「ずっと考えてました。……青目はおかしいんです」
温州は走りながら告げた。
「な、何?」
「あんな大きなウツボが亀の穴に逃げ込むなんて変です」
「っ。それは……そうだな」
ちらと振り返る。
酸欠のマトゥアハのスピードは先ほどより明らかに遅くなっていたが、それでも追いつかれるのは時間の問題だ。
吠えたてていたジンジャーも効果が無いことを悟ってか、俺達の傍を駆けている。
「おい温州! このままじゃ」
「いるんですよ、天敵が」
「?」
「天敵がいるから隠れる場所が必要なんです」
理解が電撃のように全身を伝う。
「黒目と赤目か!!」
赤目のマトゥアハ。
石柱に磔にされていた巨大クリオネはとうの昔に内臓を引きずり出され、自由の身となっていた。
見るも無残な肉塊と成り果てたそいつは鼻が曲がるような異臭を放っていたが、構ってはいられない。
俺、温州、ジンジャーは赤目の胴の下へ潜り込んだ。
走り過ぎたお陰でぜいぜいと荒い息をつく。煮干しに牛乳をぶっかけたような異臭が俺の口から漏れている。
「こいつらは共食いするんだったな……!」
思い起こせば、赤目は死んだ黒目の肉を食らっていた。奴は死んだ生物はほぼ例外なく別の生物の餌になるという自然の摂理を体現していた。
だが青目のマトゥアハはこんがりと焼き上がった赤目の死骸には目もくれず俺達を襲った。
これは奴らにとって赤目が「近づいてはならない生物」であることを意味する。
「クラゲの毒は本体が死んでも効果があるはずです」
俺を引き寄せ、ジンジャーを引き寄せた温州は布団のように赤目の身を被る。
すっかり焼けたクリオネの体はかつての半透明が嘘のような醜い赤銅色へと変じていた。
海鳥がつつきでもしたのか、胴には穴が開いていた。
そこから向こう側の景色を見つめる。
(頼む。頼む来てくれるなよ……!!)
胸の前で手を合わせると、温州もまったく同じことをやっていた。
こんな時ばかり祈られて神仏も迷惑しているだろう。
だが頼む。お願いです、と頼み込む。
祈りは通じた。
青目は赤目の体から数メートルの距離まで迫っていたが、それ以上近寄れずにいた。
奴らは俺達のすぐ近くに絡まっている触手の毒を恐れているのだ。
「……」
どっくん、どっくん、と二人と一匹分の鼓動が響く。
数分後、ずるずるという音が止んだ。ウツボ共が酸欠を起こして死んだのだろう。
まずは窮地を切り抜けることができたらしい。
小さく安堵の息を吐く。
と、足の痛みを思い出し、ぐあっと俺は悲鳴を上げた。
「おじさん!?」
ちぎったシャツを包帯代わりに温州は簡便な血止めを施した。
膏薬も消毒も伴わないそれを応急処置と呼んでいいのかどうかは疑問だが、気は楽になった。
のんびりしているわけには行かない。
まだ十を超えるウツボ共が甲羅の中でエネルギーを補給している。
一回表、俺たちは奴らから逃げ惑った。
一回裏、俺たちは奴らの生態を知り、二回の表裏を使って攻撃へ転じる準備をした。
たった今奇襲を食らいはしたが、まだ三回裏。俺たちの攻撃だ。
だが待て。
「ナタネは?」
「屋根に残ってます」
「危ねえだろそれだけじゃ」
「大丈夫です。あの子にはちゃんと――――」
ざく、と。
誰かが貝殻を踏んだ。
俺と温州はぎょっとしたが、それ以上にぎょっとしたのがジンジャーだ。
彼は人間さながらの所作で飛び上がると、止める間もなく赤目の胴から這い出した。
危険時間には達していないと判断し、俺もまた匍匐前進で空の下へ。
――――ナタネが海岸を歩いていた。
彼女はふらふらとおぼつかない足取りで青目の巣へ向かって歩いて行く。
遅れて赤目から這い出した温州が悲鳴に近い声を上げた。
「な、な、なんっ何で!?」
「っ」
俺は温州と違い、あの状態を知っている。
理解が追い付いた瞬間、猛烈な後悔が襲ってきた。
どうして気づかなかったんだ。
マトゥアハの『腺』は海からあの民宿までの数十メートルをカバーしているのだ。
ナタネは下から襲い掛かるウツボのことは警戒していたのだろうが、首や背中に触手が伸びているなんて夢にも思わなかったに違いない。
加えて、あの器官は夜目には見えないほど透明度が高い。
こっそりと伸ばした触手で少女を捕まえることぐらい「青目の巣」にとっては造作もないはずだ。
「くっ、そっ……!」
目を細めると透明な「腺」は青目の巣の喉元へ伸びていた。
「ナタネ! おいナタネ!!」
俺は痛みを堪えて駆け出し、わんっとジンジャーが力強く吠える。
だが俺達の叫びもむなしく、ナタネを捕えた「腺」は蝶の口のようにくるくると巻き取られていく。
まるで空中浮遊をするようにして褐色の少女がドジョウ竜の首元へ引き寄せられ、すっぽりと喉の窪みに収まる。
「お前っ、とっくに一人捕まえてるんだろうが……!」
悪態をつきながら俺は絶望の底なし沼にくるぶしまで浸かってしまったことを知る。
ナタネが囚われた今、俺たちはあの大量の青目を殺すだけでは足りない。
この「青目の巣」まできっちり殺さなければ勝利の朝日は拝めないのだ。
(どうやって殺すんだこんなデカブツを!)
呼吸器は首の高い位置にある。とてもじゃないが手は届かない。
さりとて胴体は肉が分厚く、攻撃が通らない。
喫緊の脅威である一つ目のマトゥアハを殺すことに全神経を集中していた今の俺に、この巨竜を殺す術は無い。
わんっ、わんっ、とジンジャーが囚われの主人に呼びかける。
「クソ……! この」
棍棒を掴んだところで温州の声が空気を切り裂く。
「おじさん待って! ナタネちゃんはいいからそっちを!」
温州が薙刀を構えて叫ぶ。
彼女の表情にはまだ自責の念は見えない。まだ。
取られたら取り返せばいい。判断を誤ったのなら行動で補えばいい。
強い意志に触れ、俺も自分の役目を思い出す。
そうだ。取り乱すな。
俺が取り乱したら終わりだ。
――――どっしりと構えなければならない。
「ジンジャー、残れ!」
白犬が吠えるより早く、青目の巣がドジョウのような口をぽっかりと開けた。
そして水飲み鳥のように海岸へ首を落とす。
舞い上がった貝殻と小石が篠突く雨を思わせるバラバラという音を立てた。
「うっ!」
俺は思わず顔を覆ったが、奴が頭突きを食らわせたのはまるっきり見当違いの場所だった。
「平気です! こいつ、目が見えていません!」
ぶおん、と空を切った骨の槍がドジョウの顔面を叩く。
肉が厚いのか鈍感なのか、奴は痛がる素振りも見せない。
「行ってください! おじさんはウツボの方を!」
太刀を佩き、薙刀を振り回す女武者を残して俺は走る。
片脚で。
ちょっとしたプール並みにでかい甲羅によじ登り、俺はまず絶望する。
青目の巣穴は中で繋がっていた。
「クソっ」
今日何度目の悪態だろうか。
俺はこの甲羅が個室の集まりだと踏んでいた。だが実際には大部屋だったのだ。
皮膚が傷ついていないから個室だとのたまっていた自分の愚かしさに腹が立つ。
ばしゃばしゃと青目共が黒い海面で跳ねる。
ウツボは互いに身を寄せ合い、絡み合い、一つ目で俺を見上げていた。
つまりここは大きな水槽。
スライスした赤目のヒレで穴を塞ぎ、各個撃破するなんてことは不可能だ。
しかも――――
(何……!?)
黒目の釘を棍棒で甲羅に打ち付けた俺は驚愕する。
ぼろりと崩れた甲羅の破片がウツボ蠢く海面へ落ちたのだ。
「なっ、何で割れるんだよ!!」
俺はなおもガツンガツンと骨の釘頭を棍棒で殴った。
氷山にヒビが走るかのごとく甲羅に稲妻状の割れ目が生まれ、ぼろりと欠片がこぼれ落ちる。
そこからはあっという間だった。
ぼろろろ、と礫岩が崩れるようにして甲羅の一角に大穴が開いた。
事ここに至り、俺は察した。
甲羅が脆いのではない。黒目の歯が硬すぎるのだ。
おそらくこの巣穴はウツボ共が赤目の触手から逃れるための構造であり、黒目に歯を立てられる事態は想定されていないのだろう。
網目状の穴が開いていることも強度を減じる要因となっている。
いずれにせよ、この甲羅に釘は立たない。
スライスしていない赤目のヒレの『元』なら甲羅を覆うのに十分なサイズがある。
だが固定する釘が立たないのであれば穴を塞げない。
穴を塞げないということは、この無数のウツボを一網打尽にする術が無いということでもある。
(……どうすりゃいいんだよ……!)
頭を抱える。
甲羅をすべて叩き割って干上がらせるか。
いや、青目の巣は移動できる。乾燥や酸素不足の気配を察したらさっさと海へ逃げ込んでしまうに違いない。
じゃあウルトラCに懸けて青目の巣を殺してみるか。
ダメだ。それだと今度はウツボ共が海へ逃げ込むかも知れない。水陸両用のウツボを一匹でも取り逃したらこの世の地獄が待っている。
じゃあ温州の言うように千日手に持ち込むか。
じわじわじっくり青目ウツボを殺してみるか。
ダメだ。それだと残る二人の女が死ぬ。それに緑目が合流した時点で詰む。
――――「今」だ。
俺には「今」しかない。「今」を逃せばすべてが終わるのだ。
(どうする、どうするんだよ俺……!)
血流が速度を増し、視界が赤く染まり始めた。
メタルバンドのドラムさながらに鼓動がスピードを上げる。
心拍に合わせてじくじくと脚が痛み、膨れ上がった腕が疲労の余り垂れる。
今にも腰から崩れ落ちてしまいそうだ。
(どうする、どうする、どうする、どうする……!?)
青目の巣が頭を海岸へ突っ込ませる度、甲羅を震動が伝う。
ぼやぼやしていたら温州とジンジャーが死ぬ。ナタネまで連れ去られてしまうかも知れない。
考えろ。
どうする。
どうする。
どうする。
どうする!
ばしゃばしゃと跳ねるウツボが俺の顔に冷たい飛沫を浴びせる。
まるで嘲笑っているかのようだ。
「このっ……。ぁ!」
思わず声を上げたのは、甲羅の天井付近に吊り下がる小さな袋が見えたからだ。
半透明のぶよぶよした袋の中に人影を認め、俺は手を伸ばした。
慎重に甲羅を砕き、棍棒で引っかけて制服女子を袋ごと回収した俺は彼女を連れて海岸へ滑り降りた。
どすんと尻もちをつく。
棍棒が手を離れ、そこに繋がった赤目の『腺』がくたりと垂れた。
何かの役に立つと思ってホースのように丸めて腰にぶら下げていたが、こいつの出番はもう無さそうだ。
ぼふう、と牛のような溜息が漏れた。
最期に善行を積めたな、と諦めの早い俺自身が呟く。
勝ち目は見えなくなってしまったが、女の子は助けた。もうそれで十分じゃないか。
温州も、ジンジャーも、ナタネも、きっと納得してくれる。俺はよくやったんだと天国でそう囁いてくれる。
この世に死の誘惑ほど魅力的なものはない。
冬の朝の布団より、真夏に飲むビールより、苦しく惨めな人生を終わらせることの方が俺にとってはずっと魅力的だ。
死にたい。終わらせたい。解放されたい。
よだれが出るほどの欲望の中、震える両手を持ち上げる。
見ろ、この腕を。膨れ上がってぱんぱんだ。
それに脚は血だらけじゃないか。
こんなになってまで何をやるんだ。
誰かが俺を褒めてくれるのか。
誰かが大金を積んでくれるのか。
誰かが俺を愛してくれるのか。
違うだろう。
ありえないだろう。
どうせ青目を殺しても青目の巣に殺される。
青目の巣を殺しても緑目に殺される。
緑目を殺しても、俺の人生は俺を待ってくれていない。
待っているのは職安と、端(はした)会社の求人ばかり。
一生非正規労働者のままで年金はどうするんだ。親の介護は。電気代も水道代もガス代もどうするんだ。
生活習慣病に毒された身体は。脂肪肝は。高脂血症は。社保は。交通費は。
死が甘く俺を呼ぶ。
もういいだろう、と。
こっちに来れば楽になる、と。
「ハア……ハア……!」
限界を超えた腕が赤紫に変色していた。
息は切れ、頭が回らない。
視界が薄れていく。
温州の声も、ジンジャーの咆哮もどこか遠く聞こえていた。
まるで青目の巣との殺し合いが俺を包む薄膜の向こうで起こっているかのように。
そうだ。
もうこのまま目を閉じて諦めよう。
青目を殺すことも、青目の巣を殺すことも。
――――薄膜。
薄膜か。
閃いた。
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