第25話 夢の

 


 戦うために戦う生き物はいない。



 牙を振るうセイウチ。

 爪を振るうカラカル。  

 鉛玉をまき散らす人間。

 誰もが「仕方なく」戦っている。


 そうだ。

 生物にとって戦いそのものが目的となることはない。

 必ずその『先』がある。


 セイウチは雌のために戦う。たとえすべてが終わっても子を残す役目が残っている。

 カラカルは餌のために戦う。仕留めた獲物を子に食わせなければ意味が無い。

 人間はもっと複雑なもののために戦う。

 故郷だとか。家族だとか。恋人だとか。

 金だとか。祈りだとか。誇りだとか。そういったもののために。

 いずれにせよ、すべての戦いの後には「何か」が待っている。



 ――――俺は?



 何が俺を待ってくれているんだ?



 ここへ死にに来た俺は。

 ここで戦いを終えた俺は。


 一体どうすればいいんだ?



「……」



 ――――いいじゃないか。

 ここで。



 ここが俺を待っていたんだ。

 この土地が。この退廃が。



「……」


 生きるということは、だだっ広い世界のどこかに自分だけの寝床を作ることだ。

 俺は生まれた国でそれを探したが、残念ながら見つからなかった。

 物理。数学。生物学。

 建築、金融、語学に法律。

 介護、医療、経理、法務に総務に人事にプログラミング。

 専門知識なんて何もない。

 会社を立ち上げる気概も商才もない。

 人徳も無い。奉仕の心も無い。

 そんな俺がメシにも寝床にもありつけないのは当たり前だ。

 これまでの人生を怠惰に過ごしてきた俺が、ふてぶてしくも社会に居場所を見つけるなんて土台無理な話だったのだ。

 だが――――


 この赤道に近い国の、地図にも乗らない世界の果てに、俺の寝床があった。


 神の戦士。

 神の代弁者。

 ヒトへ下賜する恵みの守護者。


 甘臭い××の匂いはするけれど、俺はここでなら『戦士』になれる。

 それに男にもなれる。


 綱渡りではあったが。

 俺はそれに値するだけの働きをやってきた。

 四体もの怪神を打ち倒し、首級を上げた。


 そうだ。

 俺はこの戦いを通じて。



 ――――「神」に認められたのだ。



 神が、俺の働きに報いると言ってくれているのだ。


「……」


 温州はどうだろう。

 蘇芳は。

 教諭は。

 ナタネは。


 彼女達を帰してやるのが俺の役割だった。

 それは未だ達せられていない。


 だが――――


「……」


 温州が喉も裂けるほど水を飲んでいる。

 ヴァ、ヴアー、と繰り返し発せられる呻きは映画で見たゾンビそのものだ。


 蘇芳は俺の上で意地汚く腰を振っていた。

 親を待つ子猫の群れが鳴くのと同じ、ミュ、ミュウっという感極まった喘ぎを漏らしている。


 教諭は無心で酒を呷る。

 ぼちゃぼちゃと口の端からこぼれた酒を指で掬い、秘所に塗り付けているのが見えた。


 ナタネが犬のように干し肉を毟る。

 犬歯を突き立て、首の筋肉を張って。知恵を持たない畜生と同じ流儀で。


「……」


 ひと回り体格が違うからか。

 それとも吐精による萎縮があるからか。

 俺は彼女達ほど理性を瓦解させることはなかった。


(……)


 ひどい有様だ。

 だがああなるのも分かる。

 この快楽のエネルギーは間違いなく人を病みつきにする。


 うまい飯。最高の酒。極上のセックス。そんなものでは到底及ばない。

 この世のいかなる「快」も「楽」も、マトゥアハの恵みには及ばない。

 あと半日もマトゥアハの恵みに浴せば、彼女達は二度とこの世の幸福を味わうことができなくなる。


 だがそれでいい。

 それでいいだろう。


 人が働くのは幸福のためだ。

 その幸福は――――ここにある。

 それも割と見つけやすく、使いやすい形で。

 充実感だとか、達成感だとか、そういった些末な感情の上位互換である「多幸感」。

 それを際限なく味わうことができるのだから、働く必要も、社会に出て人と交わる必要もない。


 求めるのならネットを引いてもいいし、テレビを置いてもいいだろう。

 だがそれ以上の何かは要らない。

 特に「社会」は。

 生きがいだの、働きがいだのという怪しげな快楽は不要だ。

 水と、メシと、恵みと、それから動物園の檻を眺めるような感覚でヒトの営みを覗き見ることのできる装置があればいい。

 これで精神的にも物質的にも満たされる。



 残るのは――――



 家族ぐらいか。



 家族の温かみだけは××では補えない。



「……」


 簡単なことだ。

 俺が。

 俺たちが家族になればいい。


 国で彼女達を待つ家族なんて血の繋がっただけの赤の他人だ。

 心と身体の繋がった俺たちの方がきっと正しく「家族」になれる。

 子も産めばいい。

 幸せの約束された子だ。


 醜く太った主婦なんかになるよりずっと幸福だ。

 彼女達もいずれは猛スピードで回転する社会からつま弾きにされ、家庭を気慰みに生きていくことしかできなくなる。

 ここには彼女達を拒む社会なんてものはない。

 中心にいるのは口を利かぬ神のみ。



 ほら。

 ここの方が幸せだ。



 マトゥアハだ。

 神に誓いを。


 俺の戦いは報われる。

 そして彼女達は永住の地を見―――― 





 ちく、と何かが手を刺した。






 翡翠の針を予見しながら見下ろすと。



 ――――小さなヤドカリが俺の手の甲に鋏を突き刺している。 


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