第3話 過去~浩一の場合
「それで……、六年以上前になるが、彼女が二十三の時、浩一が接待でその店に行きやがって……」
「え? 浩一? ちょっと清人。どうしてここで、浩一の名前が出てくるの?」
今までの話の内容に、微塵も関係無いかと思われる弟の名前が唐突に出てきた為、真澄は本気で面食らったが、そんな真澄の声が聞こえていないかのように、清人は一人で怒涛の愚痴モードに突入した。
「全く……、俺程じゃないが見た目はそれなりに良いし頭も良いし、家は文句なく資産家だし、黙ってても女なんか選り取り見取りだってのに。何でよりによってそんな訳が有り過ぎる、面倒な女に堕ちるんだ。迂闊過ぎるぞ、あのど阿呆が」
「あの……、清人?」
「あれだけ言って聞かせても、頑強に言い張りやがって。果ては土下座までしやがるとは。男がそう簡単に、頭を下げるなよ」
「えっと……、ちょっと、それってまさか……」
「確かに俺以外には、そんな事していないみたいだがな。あいつ、ああ見えて結構プライド高いし」
「清人……、あなたがその加積って人から恭子さんの身柄を引き受けた理由って……、まさか浩一が彼女の事を好きだからだったわけ!?」
清人の独り言が続くにつれ徐々に顔色を変えた真澄が、ここで清人の両腕を掴みながら狼狽した声を上げると、清人は彼女から視線を逸らしながら、静かに肯定の言葉を吐き出した。
「……簡単に言えばそうだ」
それを聞いた途端、真澄は夫を盛大に責め立てた。
「どうしてそんな大事な事、今の今まで話してくれなかったのよ! 第一、あなたの下で彼女が働き始めたのは六年以上前でしょう? それに恭子さんの事が好きなら、どうして浩一が自分で動かなかったの! それに浩一は今まで何をしてたの! 恭子さんから浩一の話なんて、特に聞いたこと無いわよ!? 今から部屋に行って問い詰めて、事と次第によっては」
「真澄、落ち着け! それも含めて今説明する! 今、浩一にお前が事情を知っている事を知られるのは拙いんだ!」
憤慨しつつ一気にまくし立て、浩一の部屋に行こうと立ち上がりかけた真澄を、清人が必死の面持ちで引き留めつつ、かなり強引に引っ張って真澄を元の様に座らせた。すると当然真澄が、清人の真意を問い質す。
「どういう事? さっさと説明して」
そう迫る真澄からあからさまに視線を逸らしてから、清人は覚悟を決めたように真澄に確認を入れた。
「その前に……、何を聞いても怒らないと、約束して貰えるか?」
真剣にそんな事を言われて、真澄の声音が一層冷え冷えとした物になる。
「……内容によるわね」
「俺と別れると言うのも、無しで頼む」
「そんなに私が怒りそうな内容なわけ?」
「確実に怒る」
「誰に対して」
「俺と浩一と、自分自身と、その他大勢に対してだ」
一気に緊張感漲る表情で見つめ合ってから、真澄は深々と溜め息を吐き出し、体の向きを変えてソファーに深く座り直した。そして庭に面した窓に視線を向けつつ背もたれに背中を預けた真澄は、感情の籠らない声で清人に要求する。
「……取り敢えず気分を落ち着かせたいから、お茶を淹れてきて頂戴」
「分かった。少しだけ待っていてくれ。準備してくる」
未だ険しい表情ながら、取り敢えず自分の話を大人しく聞いてくれる事にしたらしい真澄の言葉を受け、清人は神妙な顔付きで立ち上がり、少しの間部屋を離れた。
そして急須と湯飲み茶碗をセットにして戻り、自分の目の前で清人が茶碗に急須の中身を注ぐのを見て、真澄は無意識に眉を顰めた。
「どうして緑茶でも紅茶でもなく、番茶なのか聞いても良い?」
「真澄ががぶ飲みしても、あまりカフェイン摂取しないようにだ」
「……お気遣い、どうもありがとう」
(何? そんなに私が怒る事確実な上、言いにくい話なわけ?)
釈然としないまま差し出された茶碗を手に取り、横で同様に茶碗を手にしたまま黙りこくっている夫を横目で見ながら、真澄はゆっくりと時間をかけて茶碗の中身を飲み干した。しかしそれでも清人が無言のままの為、流石にイラッとしてきた真澄が催促しようとすると、その気配を察したのか、清人は手つかずの茶碗の中を見下ろしながら唐突に口を開いた。
「浩一が、眼鏡をかけ始めたのがいつからか、真澄は覚えているか?」
「え? いつからって……」
これまでの話とは脈絡の無さそうな質問に、真澄は本気で戸惑ったが、清人が真剣な顔で自分を見つめてきたのを受けて、顔付きを改めて考え込んだ。
「確か、浩一が入学する時は、していなかったわよね? でも私の卒業式の時には、かけていたと思うし……」
そこで記憶を探った真澄は、すぐに該当する時期を思い出す。
「そう言えば……、私が大学四年の夏のバカンス会、私の学生時代最後のバカンス会だからって、皆で洞爺湖付近でキャンプに出掛けて大騒ぎした時、浩一が皆から『いつ眼鏡をかけるようになったのか』と追及されていた気がするわ。だから……、浩一が大学一年の年度末から、二年の夏の時期にかけてかしら?」
「正解。もっと正確に言えば、二年の六月からだ」
「そうなの。でも、それがどうかしたの?」
その素朴な真澄の疑問に、清人は苦々しい顔つきで吐き捨てるように話し出した。
「あいつは眼が悪くなって、眼鏡をかけ始めたんじゃない。精神のバランスが取れなくなって、かけ始めたんだ」
「……何よ、それ?」
一気に穏やかでなくなった話の内容と清人の表情に、真澄はそれでも平静を装いながら尋ねると、妻が不穏な物を感じ始めたのが分かった清人は、なるべく穏当な話し方を心掛けながら説明を続けた。
「二年に進級して色々落ち着いた頃、複数の大学との合同コンパの話が舞い込んだんだ。俺と浩一が共に結構親しくしてる奴の、彼女から伝わった話だったんだが」
「それに出たの?」
「ああ。普段はその手の類には、あまり参加していなかったんだが、話を持ってきた奴が気のいい奴で、どうも話を聞いているとその『彼女』って女に、良いように転がされている感じがしたんだ。それで浩一が心配して『ちょっと実際の様子を見てみないか?』と言い出して……」
そこで当時を思い出したのか、清人が思わず溜め息を吐き出すと、真澄は小さく苦笑した。
「浩一らしいわね。その人、清人達と結構仲の良い友達だったのね? 浩一は人当たりは良いけど面には出さないだけで、人の好き嫌いは結構はっきりしているから」
「そうなんだ。そいつとは今でも友人付き合いをしている。そいつには殆ど責任は無いし、悪意が無かったのは分かっているから、何も知らせていないしな」
「悪意って……。その時、何があったの?」
瞬時に笑いを抑えて真顔になった真澄から視線を逸らしながら、清人は静かに続けた。
「そいつと俺達を含めて、五人出た。結果的には最悪だったな。要はその女は、東成大ブランドの恋人が一人は欲しかったわけだ。会場に着いて早々、そいつをほったらかして俺に纏わり付いていたぞ」
「……さっさと出なさいよ」
思わずボソッと呟くと、清人が弾かれた様に顔を上げ、盛大に真澄を怒鳴りつける。
「そのつもりだったさ! しかし結構広い会場で五人バラバラに引き離されたから、他の奴を探すのも一苦労だったんだ! 俺だけ勝手に引き揚げて、あんな胸糞悪い所に他の奴を残して行くのは気が引けるから、声をかけて適当に抜け出す旨の相談をして回っていたら、一時間程して、いつの間にか浩一が居なくなってるのに気付いたんだ」
「居なかったって……、どういう事?」
最後は冷静な口調に戻った清人に真澄が訝しげな視線を向けると、清人は小さく歯軋りしてから真澄に告げた。
「それまでには浩一も、俺と一緒に乱闘騒ぎは何度か経験してたし、それなりに腕も立つから学生相手なら安心……、と言うかすっかり油断してた。その時、その店が入っていたビルの別のフロアの一室でやってた、違法ドラッグを使った乱交パーティーに引っ張り込まれてたんだ」
「清人!?」
顔色を変えた真澄が、反射的に右手を伸ばして清人の腕を掴むと、清人は落ち着かせるようにその腕を慎重に剥がしながら、話を続ける。
「嫌な予感がしたから、俺に付きまとってた女を何食わぬ顔で会場の外に引っ張り出して、少し素直になりたくなる方法で締め上げたらあっさり吐いた。それでその女に案内させて、その部屋に踏み込んだら……」
「何だったの?」
そこで口ごもった清人の表情を見て、真澄は嫌な予感を覚えつつも先を促すと、清人は感情の籠らない声で答えた。
「浩一と女が、全裸で絡んでる撮影会の真っ最中だった、と言えば、どんな状態だったか想像がつくか? 正直、あまり詳細は口にしたくない」
「…………っ!?」
驚きのあまり手で口を押さえ、蒼白な顔で固まった真澄から目を逸らした清人は、まるで独り言のように続けた。
「恐らくコンパの会場で、既に何か薬を盛られていたな。でなきゃあいつが女相手に不覚を取って、引きずり込まれる筈が無い。後から確認したら、そこら辺から浩一の記憶が曖昧だったしな。それに浩一の身元も分かってただろうから、柏木家だったら取りはぐれが無いと思って、後から脅迫のネタにするつもりで動画を撮ってやがったんだろう。入った瞬間それが分かったから、そこに男女合わせて七・八人居たが、問答無用で一人も逃がさず残らず殴り倒した。ついでにその場にあった得体の知れない薬を、全員平等にありったけ飲ませてやったから、死人は出なかったらしいが、あの後何人か廃人になったかもしれん」
そう冷たく言い放ち、酷薄そうな笑みを浮かべた清人に、真澄は正直恐怖感さえ覚えたが、勇気を振り絞って話の続きを促した。
「それ、で……?」
蒼白な顔で尋ねてきた妻をチラリと横目で見てから、清人は膝の上で組んだ両手を見下ろしながら、淡々と状況説明を続けた。
「次にしたのは、お義父さんへの報告だ。事情を説明した上で、絶対に患者の情報が漏れない病院を大至急手配して貰ってから、次に俺と浩一が所属してるサークルのOBに連絡して、協力を要請した」
「どうして大学のOBに? 警察に通報しなかったの?」
「あんな馬鹿どもの為に、浩一の経歴や柏木の名前に傷を付けられるかよ!!」
「清人……」
今度こそ激昂して、目の前のコーヒーテーブルを拳で叩きながら絶叫した清人に、真澄は全身を強張らせた。そして真澄を本気で怯えさせてしまったと認識した清人は、深呼吸して何とか気持ちを落ち着かせてから、再び口を開く。
「当時、俺達が所属していた武道愛好会のメンバーは、揃いも揃って一癖も二癖もある人物ばかりで、その分、咄嗟の判断力と行動力は桁外れの人間ばかりだったんだ。それに加えて気性の良い浩一は、皆に揃って弄られていて……。要するに上の人達から、俺以上に可愛がられていたからな。それで思わずその愛好会の創設者で、リーダー格の白鳥先輩に相談を持ちかけたんだが、それが結果的に上手くいった」
「何が、どう上手くいったの?」
「偶々、医学部の六年に在学中の葛西先輩が、浩一と『兄弟は無理だが、従兄弟程度には顔つきや雰囲気が似てるよな』と言われていたんだ。体格もちょうど同じ位で。その人が白鳥先輩から指示を受けて、俺が電話してから二十分で、部屋に飛び込んで来た。そうしたら素早く脱がされていた浩一の服を着込んで、髪型も浩一と同じにして、俺を引きずってコンパ会場に戻った」
「どうしてそんな事を?」
「俺も『浩一を運び出さないと』と抵抗したら『狼狽えるな! 柏木は他の奴らが運び出す。お前は俺と一緒にあいつのアリバイ作りだ! どうせ店内の照明はそれほど明るく無いだろう。俺を柏木として三十分は会場内を引っ張り回せ!』と怒鳴られてな。またこっそり会場に潜り込んで、一緒に居た友人達に不審がられない程度に何とか避けつつ、最後まで浩一と組んで回るふりをした。本当に……、浩一と何度も顔を合わせていたから、話しぶりとかを真似る事は容易かったかもしれないが、俺達の友人を目の前にしても浩一になりきって、あんなに平然と会話するとは、あの時の葛西先輩の神経の太さには脱帽した。幾ら別れ際に、外で暗めの場所で会話したとはいえ……」
「アリバイ作りって、どういう事?」
まだ話の筋が読めなかった真澄が、動揺しながらも問いを発すると、清人はどこか疲れた様に詳細を説明した。
「俺達が会場を回っている間に、他の先輩達が前後して何人も例の部屋にやって来て、何処からか調達した台車に乗せて持ってきた清掃用具入れに、下着姿の浩一を入れて外に連れ出したんだ。それで各階やエレベーター内の監視カメラには、前後不覚状態の浩一の姿は残らなかった。残った人は室内や連中の身体を探って、ビデオカメラや携帯の録画できるタイプの機器を全て回収、破壊して搬出。室内を軽く清掃して、極力浩一や自分達が居た痕跡を消去。それから更に時間を置いて、俺達がコンパを終えて周囲に挨拶して立ち去った後に、連中を素っ裸にして着ていた服に火をつけた上で、警察に違法ドラッグで乱交パーティーをやっていると、部屋の場所を警察に通報した」
「ちょっと待って! その間、その人達、清人に叩きのめされて意識を失ってたんでしょう? 火をつけたって、まさか焼け死んだりとかはしなかったでしょうね?」
そこで慌てて口を挟んだ真澄に、清人ははっきりと不快な表情を見せた。
「……真澄、あんな連中を庇う気か?」
「そんなわけ無いでしょう!? 清人やその人達が罪に問われる事になるんじゃないの!?」
「安心しろ。ちゃんとスプリンクラーが作動するように、火災報知器のほぼ真下で燃やしたそうだ」
「それなら良いんだけど……」
何とも言い難い顔で真澄が軽く頷くのを見てから、清人は平然と話を続けた。
「それで意識不明の状態で、警察に纏めてしょっぴかれた連中、意識が戻ってから俺からの暴行行為と浩一への薬物投与を吐いたんだが、俺と『浩一』が、普通にコンパで愛想を振り撒いていたのを、複数の大学の女子大生が何人も証言してくれたし、浩一に関する供述からすると、その直後に平然と会場に戻れる筈も無いからな。現に俺が無理やり薬を飲ませた連中、丸一日はおかしかったらしくて、その後に事情聴取だったそうだし」
「…………」
何とも言えず真澄は黙って話を聞いていたが、ここで清人はうっすらと笑いながら述べた。
「それで三日後、わざわざ大学に話を聞きに来た刑事に『彼女達の言う通りです。誰ですか、そんな与太話を吹聴している馬鹿は。名誉毀損で訴えますよ?』と俺と葛西先輩で笑って言ってやったら、すごすごと引き上げて行きやがった」
「え? どうしてその葛西さんって人が話を聞かれたの? 入れ替わりがばれたんじゃないの?」
話の意味を捉え損ねた真澄が、本気で眉を顰めつつ問い質すと、清人は淡々と説明を続けた。
「その時、浩一は病院に、二週間近く入院する羽目になったからな。葛西先輩には急病って事にして大学を休んで貰って、そのまま浩一の身代わりをして貰ったんだ。急に浩一が姿を消したら疑われるだろうと、白鳥先輩の指示でな」
「でも、浩一が入院した事なんて、これまで一度も無かった筈……」
真澄が怪訝に思って呟くと、清人が付け加える。
「その事実を知っているのは、お前の家族ではお義父さんだけだ。お前も含めて『サークルの先輩のマンションに泊まり込んでの、突発的な合宿に参加する』という事にして、玲二に翌朝早くに当面の浩一の着替えと、教科書等をその先輩のマンションに持って来て貰った。玲二は不審そうな顔をしていたが、俺が何とか丸め込んだんだ。そして葛西先輩に浩一の服を来て大学に通って貰った」
「合宿……、確かにあったわね。そんな事が」
「その時、微妙に印象が変わってもそれを誤魔化す為に葛西先輩に眼鏡をかけて貰って、身長が俺より若干低い位だったから、俺と並んだ時に違和感が無い様に浩一の背丈に合わせて五センチ位のシークレットブーツを履いて貰ったが、何とか最後まで周囲を誤魔化せた」
真顔でそんな説明を受けた真澄は、心底呆れかえった表情を見せた。
「だから眼鏡をかけ始めて、ほとぼりが冷めた後もそのままなの? ……私だったら無理よ、そんな入れ替わりなんて。随分神経の太い人なのね、その葛西さんって人」
「俺も、あの人には負けると思う。あそこまでなりきって、やり通すとはな。役者になっても成功したぞ」
「そう言えば医学部って言っていたわね……。それで、どうして浩一は、そんなに退院できなかったの? 違法ドラッグとか言っていたけど、何か酷い後遺症でも出たわけ?」
心配そうに真澄が話題を変えた瞬間、僅かに清人の顔が強張った。しかしすぐに平静を装いながら、真澄の質問に答える。
「入院した当初は幻覚、幻聴、頭痛、嘔吐、痙攣等だったが……、それが治まってから、より深刻な症状が出た」
「何? でも深刻な症状って言っても、今は別に平気なんでしょう? 普通に生活してるし、人並み以上に仕事もしてるもの」
「……身体的な問題じゃなくて、精神面でな」
「清人?」
何故か急に声を潜めた清人に、真澄は小首を傾げた。そんな真澄から視線を逸らして床を見下ろしながら、清人は言葉を継いだ。
「女性の医師や看護師の、診察や処置を一切拒否した」
「え?」
「その前に病室で錯乱して、女性スタッフ相手に乱闘騒ぎになってな。お義父さんが当事者に、金を払って口止めしたが」
「……ちょっと待って、清人。それって」
そこまで聞いて察しがついた真澄は、蒼白な顔になりながらも反射的に両手で清人の腕を掴み、半ば強引に自分の方に体を向けさせた。それで諦めたように清人は真澄の顔を正面から見ながら、決定的な一言を放つ。
「行為の最中、中途半端に意識が有ったのがまずかったんだろうな。簡単に言えば女性に対する極端な嫌悪症と拒否反応、それに付随する性交不能症」
「……冗談、でしょう?」
呆然としながら、半ば震える声で真澄は清人に問いかけたが、清人は小さく首を振って否定した。そして殊更言いにくそうに話を続ける。
「取り敢えず治療スタッフを全員男性にして、表面上は落ち着いたから、精神安定剤の類を服用しながら自宅療養しつつ、経過観察って事になったんだ。そしてほぼ二週間ぶりに、自宅に帰ったんだが……」
「どうしたの、清人?」
急に不自然に言葉を途切れさせた清人を、真澄が不審そうに見やると、清人は小さく息を吐き出してから、ある事を口にした。
「帰った早々、真澄、お前が絡んだらしいな」
「私? 絡んだって、一体何の事……」
そう言いつつも当時の事を思い返してみた真澄は、すぐに該当する事に思い至って、顔色を変えた。
「合宿……。思い出したわ。ええ、確かに急に外泊したと思ったらそれから梨の礫の挙句、ひょっこり帰ってきて挨拶もそこそこに自室に引き上げようとするから、ムカついて廊下で引き止めたのよ……」
「真澄」
手を清人の腕から離し、自分の膝の上で強く握りしめながら真澄が呻くように言い出すと、清人はその手を軽く上から押さえながら気遣わしげに声をかける。しかし真澄は弾かれた様に顔を上げ、清人に興奮気味に訴えた。
「だって! 電話一本でいきなり何日も続けて外泊なんて、絶対私には許して貰えないもの! しかも自分で連絡すらしないで、清人が電話してくるなんて! 『男の子同士仲が良いわね』とお母様は笑っていたけど、浩一が私を除け者にして、清人を独り占めしてるって思ったら悔しくて!」
「真澄、少し落ち着け」
「それで、私に目も合わせないで仏頂面で引き上げようとするから、『自分勝手な振る舞いは止めなさい』とか『この家の長男の自覚は有るの?』とか文句を並べながら、腕を掴んで引き寄せようとしたら……。力一杯廊下の壁に突き飛ばされて、『俺に触るな!』って凄い剣幕で怒鳴られてっ……」
「もういい、これ以上喋るな」
とうとう我慢できずに泣き出してしまった真澄の身体を引き寄せた清人は、軽くその背中を叩いきながら宥めた。その間も清人の肩に頭を乗せた真澄が、告白を続ける。
「あんなに険しい顔の浩一を見たのは、後にも先にもその時一度きりで……。驚いている間に浩一が部屋に入って。だって、その時、浩一がどういう心境だったかなんて、私、全然知らなくて」
「ああ、分かってる。浩一もそれは良く分かってるから。だからその直後、俺に電話してきた」
「電話って……、何て?」
清人の肩から顔を上げないまま真澄が尋ねると、清人は静かに告げた。
「『もう少しで姉さんを殴り倒すところだった。姉さんを傷付けたり心配をかけさせるのは死んでもごめんだから、どこが知り合いが一人も居ない所に行って、ひっそり暮らす事にする』って大泣きしながら。あいつ、お前の事が大好きだからな」
「…………っう」
これ以上声を発したら大泣きするのは分かりきっていた為、清人をこれ以上困らせたくなかった真澄は、何とか声を出すのを堪えた。すると清人が、微妙に話題を変えてきた。
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