第41話 恭子の思案

(こういう場合ってどうすれば良いのかしら? これまでの相手って大別すると、やる気満々でそれしか考えてないタイプと、やる気皆無でそれ以外でとことん楽しもうってタイプだったから……。こういう微妙過ぎるパターンって、初めてなのよね。蓮さんや楓さんだったら、どんな相手でも適切にあしらう事ができるんでしょうけど……)

 思わず心の中で恭子が弱音を吐いた時、何を思ったか浩一が顔から手を離し、ゆっくりと顔を上げた。


「大学の時は、主犯の男は薬事法違反で捕まったけど、他の連中は薬でラリって店の備品を壊した器物損壊の罪だけ問われて、しかも執行猶予で済んだんだが、噂が広がって全員退学処分になってね」

「まあ……、当然の処置じゃ無いでしょうか?」

 唐突に話し始めた浩一に戸惑いつつも、恭子は相槌を打った。


「だけど流石に娘の話を、親は信じていたみたいだな。……それなら不出来な娘なんぞ、野放しにしないで鎖で繋いでおけよ! とんだ親馬鹿共が!!」

 いきなり浩一が激昂して叫んだ為、恭子は本気で驚きながら宥めにかかった。


「浩一さん、落ち着いて下さい。その親御さんが何かしたんですか?」

「俺に切りつけた女の両親まで、のこのこ会社に出向いて来やがって、昔の事が公になったらこっちも困るだろうとほざきやがった。弱味をちらつかせて、あわよくば示談に持ち込むつもりだったらしいが、こちらは捜査機関から無関係とお墨付きを貰ってるのに、弱味になる筈がない。週刊誌ネタにしても、根拠が無いから単なる誹謗中傷で逆に訴えてやる」

(娘が娘なら、親も親ってところかしら? 考え無し過ぎるわ……)

 本気で頭を抱えたくなった恭子だったが、ここで不気味な笑みを湛えながら、浩一が問い掛けてきた。


「キンダー・パラストって社名に心当たりは?」

「えっと……、確か知育玩具を専門に取り扱う輸入玩具メーカーとしての草分けで、ここ十年程は幼児教育分野に進出して、かなりのシェアを占めていたかと思いますが」

 容易く知識を披露した恭子に、浩一が満足げに頷く。


「父親が、そこの創設者兼代表取締役社長で、母親が同じく専務に就任している。そんな夫婦の娘が、売買に関わってはいなかったから薬事法違反には問われなかったにしても、違法ドラッグに手を出した挙句、傷害事件を起こしたなんて世間に知れ渡ったら、そこの会社の信用ってどうなると思う?」

 思わせぶりに意見を求められ、恭子は何とか動揺を押し隠しながら、すこぶる冷静に答えた。


「完全に子育てに失敗したと世間はみなして、そんな人間が売り出してる物なんてと、そこの会社の商品に手を伸ばすのを躊躇いそうですね」

「だろうな。今日の午後だけで、三百円以上も株価が下がってやがった。ざまぁ見やがれ!」

 そうして悪態を吐いた後、ソファーの背もたれに寄りかかってくぐもった笑いを漏らし続ける浩一を見て、恭子はこの場に居ない人間に向かって、心の中で盛大に罵声を浴びせた。


(絶対、先生が方々に情報を流したに決まってるわ。それに底値を見極めて叩き買いして、値を戻した所で売って、しっかり利鞘を稼ぐんでしょうね。本当にえげつないったら。金儲けする前に、浩一さんのフォローを少し考えなさいよ! どう考えても普通じゃないし、精神的にどうにかなってるんじゃないの!?)

 そして浩一が再びカップにウイスキーを注ぎ、それほど大きくないボトルが空になったのを確認して、恭子は真剣に考えを巡らせた。


(取り敢えず、お酒に逃げさせちゃ駄目よね。傷の治りが悪くなるかもしれないし。だけど今日は例の女と直接対決して、かなり以前の事がぶり返しているみたい。記憶が定かじゃ無くても、感覚って結構残っている物だし……)

 そしてある程度考えを纏めた恭子は、徐に浩一に呼びかけた。


「……浩一さん。ちょっとした提案があるんですけど」

「提案?」

 もはや珈琲など影も形も残っていない、ウイスキーだけが入ったカップを口元に持っていこうとした動きを止め、浩一が怪訝な顔で見返すと、恭子は真面目な顔で告げた。


「ここは一つ、物は試しに、私と寝てみませんか?」

「何だって?」

 理解不能といった表情で問い返した浩一に、恭子が重ねて説明する。

「ですから、私とセックスしてみませんかと、お誘いしているんですが」

 すこぶる冷静なその声に、浩一はテーブルにマグカップを静かに置きながら、苛立たしげな表情を見せた。


「自分の言っている意味が、分かってるのか?」

「意味が幾つもあるんでしょうか?」

「…………」

 小首を傾げつつ切り返されてしまった浩一は、憮然とした表情になる。

「そんな事を口にした理由を、是非とも聞かせて貰いたいな」

 半ば恫喝めいたその台詞にも、恭子は落ち着き払って答えた。


「浩一さんが例の人達の素行調査を続けているのは、自分が未だに例の件を引きずっているのに、その原因の人間が幸せに暮らしているのが許せないからですよね?」

「そうだな」

「逆に言えば、全部吹っ切れれば、連中の事なんてどうでもよくなりません?」

「そうなるかもしれないが」

 そこで浩一は皮肉気に顔を歪めたが、恭子の解説は続いた。


「浩一さんは自分を男扱いしてる女性相手だと触れるのも駄目みたいですが、友達と割り切ってるなら大丈夫そうですよね? 私、浩一さんの事は真澄さんと同じ位友人としては好きですし、これまで触ったり触られたりしても大丈夫でしたから、やってみても意外に大丈夫じゃないかと思うんです。ショック療法の相手としては最適じゃありませんか?」

「…………」

 普通の男女間の話としては相当ずれている上、突っ込み所が複数ある言い分に、思わず浩一は黙り込んだ。しかしそれを見て納得していないと思ったのか、恭子が更に訴えてくる。


「だからいつまでも嫌な事を思い出して腹を立てたり、その都度美味しくないお酒を飲む位なら、試しにしてみないかなと思いまして」

(正直、いきなり逆上されて、首を絞められたりしないか少し心配だけどね。浩一さんは基本的に紳士だから、そんなに酷い事にはならないと思うんだけど)

 浩一が聞いたら頭を抱えそうな事を恭子が真剣に考えていると、少しして浩一が、ポツリと口にした。


「俺は……」

「はい、何ですか?」

 そこで恭子から視線を外した浩一は、些か気まずそうに呟く。

「これまでまともにした事は無くて、初めてだから……」

 そこで口を閉ざした浩一を見て、恭子は軽く両目を瞬かせてからゆっくりと立ち上がり、二人の間に有ったコーヒーテーブルを回り込んで浩一の隣に座った。そして何事かと自分に向き直った浩一に対し、微笑みかけながら断言する。


「多分、大丈夫ですよ。私、結構場数は踏んでますから、それなりに上手くできると思いますし。……そうか、私も初めてですね」

「何が『初めて』なんだ?」

 急に何かに気が付いた様に呟いた恭子に、浩一が怪訝な顔で問い掛けた。すると笑いを堪える様な、声と表情で答えが返ってくる。


「私が『初めて』じゃなくて良かったなと思った事と、自分の方から誘った事が初めてなんです。……ああ、よくよく考えたら集団生活は経験がありますが、男の人と二人で共同生活するっていうのも初めてでした」

「……そうか」

「ええ、実はそうなんです」

(うん、だいぶ表情が柔らかくなってきたわね)

 小さく苦笑いした浩一に恭子は安堵して微笑み返し、何気なく両手を浩一の顔に伸ばし、細目の銀のフレームを軽く持ち上げてスルリと眼鏡を外した。あまりに予想外の行動だった為、何をされたのか咄嗟に分からなかった浩一だが、すぐに険しい表情になって恭子の手首を掴んで恫喝する。


「何をする気だ!」

「え? えっと……、キスするのにちょっと眼鏡が気になるから、外しておこうかなと。あの……、何かまずかったですか? 凄く高額な物とか、大事な思い出の品とかで、他人に触られたくありませんでした?」

(ああぁ、何かやっちゃった気がする。浩一さんが本気で怒っているっぽいし)

 眼鏡を掴んだ手首を拘束されながら恭子は冷や汗を流したが、浩一はすぐに怒気を消し去り、眼鏡を見下ろしながら静かに告げた。


「……そんな、大した物じゃない」

「そう、ですか?」

「ああ。本当に、つまらない物だよ」

 自信なさげに確認を入れてきた恭子に、浩一は安心させる様に優しく言い聞かせる。そして恭子の顔を両手で挟み込む様にして、しみじみとした口調で告げた。


「やっぱり、綺麗な眼をしてる」

「……ありがとうございます」

(それは……、浩一さんの方じゃないかしら? 眼鏡越しじゃなく眼を見たのは初めてだけど、綺麗で見てると落ち着くわ)

 何となくそのまま見入っていると、浩一がいつもの穏やかな笑顔になって、からかい混じりに尋ねてきた。


「さあ、キスしてくれるんじゃなかったの?」

(ああ、いつもの浩一さんだわ)

 それで完全に安堵した恭子は、眼鏡を慎重にテーブルの上に置いてから、浩一の方に身を乗り出して唇同士が触れ合う程度のキスをした。そして笑顔で立ち上がり、浩一の手を軽く引っ張って立たせる。


「それじゃあ、続きは浩一さんのベッドで良いですね? 私のベッドはシングルなので」

「そうだね。じゃあ行こうか」

「はい」

 そうして浩一の部屋に向かって歩きながら、恭子は自然に浩一の右腕に自分の左腕を絡めた。


「だけど怪我人にお酒を渡すなんて、あのろくでなしは何を考えてるのかしら? 後から真澄さんにちゃんと叱って貰わないと」

 本気で怒っているのが分かる口調に、浩一が多少照れくさそうに応じる。


「あまり酷いお仕置きにならない様に、口添えしてやろうかな?」

「浩一さん。先生を甘やかしちゃ駄目です。図に乗るだけですから」

「あいつがへこむのは構わないが、部下の人達が気の毒でね」

「言われてみれば、そうですね」

 そんないつも通りの会話を交わしながら、二人は照明を落としたリビングを後にした。

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