第71話 清香の推測

「浩一さん、戻りました。いらっしゃい、清香ちゃん」

「お邪魔してます」

「ああ、恭子さん、丁度良かった。ちょっと明日までに揃えておかないといけない物を思い出したから、これから清香ちゃんの相手をして貰えないかな?」

「え?」

「それは構いませんけど……」

 今の今までそんな素振りは全く見せていなかった為、清香は驚いて目を丸くしたが、恭子も二人を交互に眺めながら怪訝な顔をしつつ了承の返事をした。すると浩一が清香に向き直って、苦笑の表情になりながら謝ってくる。


「ごめんね? 清香ちゃん」

「う、ううん! 急に押し掛けてきたのはこっちだし。お仕事頑張ってね?」

「ああ、ゆっくりしていって」

 慌てて手を振った清香に再度笑いかけながら立ち上がった浩一は、そのままリビングから出て行った。それを清香が呆然としながら見送ると、荷物を片づけるついでにお茶を淹れ直してきた恭子が、新しいカップを清香の前に置きながら微笑みかけた。


「ごめんなさいね、清香ちゃん。せっかく来てくれたのに、今まで席を外していて」

「それはいいの。でも浩一さんって、随分忙しそうなのね。ひょっとして年度末だから?」

「それは……、良く分からなくて。先月から、何かと忙しそうにしてるけど。あまり顔を合わせてないし」

 恭子が思わず正直に答えてしまうと、清香は途端に怪訝な顔になった。


「合わせてないって……、一緒に暮らしてるのに?」

「ええ、まあ……」

 自分の失言を悟った恭子は曖昧に言葉を濁したが、その反応を見て清香は益々困惑した様だった。


「喧嘩でもしたの? 二人とも大人だから、そういうのって想像できないんだけど。因みに、どんな事が原因?」

「一緒に暮らしていれば、意思疎通の齟齬とかは、どうしても出てくるものよ。でも大した事じゃないし。ちゃんと謝って貰ったし」

「ということは、浩一さんが何か拙い事をしたの?」

(なんだか、今日は妙に、清香ちゃんが鋭い気がするけど)

 話を終わらせようとした恭子だったが、清香に鋭く突っ込まれて思わず溜め息を吐いた。しかしこれ以上、それに関する話をするつもりは無かった為、やや強引に言い切る。


「ちょとね。でも本当に些細な事だから、気にしないで」

「ありえない……、あの超気配り人間の浩一さんが、そんな失態をするなんて。お兄ちゃんならともかく」

 ブツブツと何やら兄に対する悪態を口の中で呟きつつも、恭子のこれ以上聞いて欲しくないという空気はきちんと察したのか、清香はそれ以上蒸し返したりはしなかった。そんな彼女の様子を眺めた恭子は、微笑しながら無意識に口にする。


「清香ちゃんは本当に良い子ね……。私そういう所、大好きよ?」

「あ、ありがとう」

 面と向かってにこやかに言われた事で、清香は一瞬動揺し、次いで少々照れ臭くなって僅かに頬を染めた。それを微笑ましそうに眺めた恭子は、今度は穏やかな表情でしみじみと告げる。


「真澄さんの事も好きなのよね。あの竹を割った様な性格とか、頭の回転が速い所とか、いざという時の行動力とか、口が堅くて人望が厚い所とか」

「うん、私もそう思う」

「唯一、最大の欠点は、男を見る目が無かった事だけどね。男運のなさっぷりで、数多くの美点と幸運が、打ち消されてしまっているわ」

「…………はぁ」

(どういうコメントをすれば良いんだろう、私)

 その唯一、最大の欠点の結果である真澄の夫が自分の兄である清香は、本気でコメントに困ったが、恭子の主張はまだまだ続いた。


「先生もね。数々の才能は認めるわよ? 才能だ・け・は。あ、一応顔もだけど」

「え、えっと……」

「清香ちゃん想いで、きちんと面倒を見てきたのも、過保護過ぎる事には目をつむって褒めてあげるわ。だけど、だけどね! やっぱり世間に野放しにしていて良いタイプの人間じゃないと思うのよ! これは良い人間とか悪い人間とかの範疇で語る問題じゃなくてね!」

「う、うん。それは私も分かってるから、落ち着いて恭子さん」

(そう言えばさっき、浩一さんも……)

 それから滔々と清人に関する問題点をあげつらっていった恭子だったが、清香はふと先程浩一も、真澄や清人の事を話題に出しても、恭子に関する話題を全く出してこなかった事に気が付いた。そして先程聞いた喧嘩らしき事の内容も気になってきた為、思い切って尋ねてみる事にする。


「恭子さん、聞いて良い?」

「何? 清香ちゃん」

「浩一さんの事はどう思うの?」

「……え? 浩一さん?」

 途端に勢いを無くして当惑した声を出した恭子に、清香は問いを重ねた。


「うん、どう思ってるのかなって。好きだよね?」

「自分は、毛嫌いしてる人間と同居するほど、自虐的じゃないと思っているけど」

(あ、あれ? いつもの恭子さんらしくない反応なんだけど……)

 微妙に自分から視線を逸らしつつ、直接的な返答を避けたとしか思えない恭子の態度に、清香は困惑しつつ慎重に再度尋ねてみた。


「えっと、それじゃあ、恭子さんは浩一さんの事をどう思う?」

「……良い人ね」

「良い人? それだけ?」

 ぽつりと呟かれた内容に、清香は意外な思いを隠せないまま思わず口にした。すると恭子から静かに反撃される。


「悪い人ではないでしょう?」

「……うん、そうですね」

(何か変。絶対浩一さんと何かあったよね? そして現在進行形っぽいんだけど)

 取り敢えず相手をこれ以上下手に刺激しない為、清香はそれからは浩一の話題を避けて会話をし、それなりに楽しい時間を過ごした。そして夕刻になってマンションを出る時は、恭子から声をかけられた浩一が部屋から出て来て二人揃って玄関で見送ってくれた事に少し安堵しつつも、エレベーターに乗り込むなり携帯を取り出して清人に電話をかけ始めた。


「お兄ちゃん、ちょっと聞きたい事が有るんだけど?」

「どうした?」

 自宅の机で仕事中、清香からの電話でいきなり問いかけられた清人は多少驚いたが、何食わぬ顔で対応した。すると電話越しに、如何にも「疑ってます」と言わんばかりの口調で、清香が詰問してくる。


「今日、マンションに行って来たんだけど、浩一さんと恭子さんの様子が変だったの。何か知らない?」

 それを聞いた清人は思わず盛大に舌打ちし、独り言っぽく悪態を吐いた。


「あの馬鹿共が……、あれから二週間以上経ってるってのに、まだグダグダしてやがんのか?」

「やっぱり何か知ってるわね? と言うか、絶対何かやったわよね!? 真澄さんに言い付けて、叱って貰うから!!」

 電話の向こうで清香がいきり立って叫んだが、清人は平然と言い返した。


「清香、悪いがこれに関しては、真澄公認なんだ。言っても無駄だ」

「え? それ、どういう事?」

「話はそれだけか? それじゃあ切るぞ」

「あ、ちょっと! お兄ちゃん!」

 清香が当惑した隙に、清人は一方的に会話の終了を告げ、抗議の声を聞き流してさっさと通話を終わらせた。清香がしつこくかけ直してくるかと思いきや、これまでの経験上こうなった時の清人は絶対に口を割らないと察したのか、自分のスマホが沈黙を保っている事に、清人は密かに安堵した。そして机上のカレンダーに目をやりながら、恨みがましく呟く。


「全く……、お前にはそんなに時間に余裕が有るわけじゃないし、それはこっちも同様だってのに、どこまで手間をかけさせるんだ。ど阿呆が……」

 そうして清人は肘掛け椅子にもたれかかり、人知れず疲れた様に溜め息を吐いた。

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