第80話 年長者からの諭し

 その日、通販衣料大手のカルディ社を訪れた立花は、相手が下りて来るかと思いきや最上階の会長室に通された為、意外に思いながら室内に入った。そしてまずその部屋の主である細川真弓会長に挨拶してから、目的の人物に愛想を振り撒く。


「いやぁ、すみませんね川島さん。、お忙しい所にお邪魔しまして」

「いえ、こちらこそ、ちゃんとお時間を取れなくてすみません。会長からお昼までに、これの仕分けをする様に言いつかっておりまして」

 そう言いながら抱えた書類を見下ろしながら恭子が謝罪すると、自分の机で文庫本を手にしていた真弓が、にこやかに指示してくる。


「話を聞きながらでもできるわよね? 場所はそこを、遠慮なく使って頂戴」

「はあ……」

「恐縮です」

 明らかに暇そうな真弓に微妙な顔をしながら、恭子と立花は応接セットに向い合せに座った。そして恭子が抱えていた書類を二人の間のローテーブルに乗せて、早速仕分けを始めながら問いを発する。


「それで、大久保署の立花さんでしたね? 受付からの連絡では、私に話があるという事でしたが?」

 そこで立花は、相手を値踏みする様な不敵な笑みを浮かべつつ口を開いた。


「川島さんは高倉孝明という名前の人物に、心当たりはありませんか?」

「さあ……、記憶に有りませんが」

「それでは永沢亜由美と言う名前には?」

「ああ、その方なら。三か月ほど前に、住んでいるマンションの入り口でお目にかかりました。……そういえば、週刊スカイプにもそのお名前が載ってましたね。家族や自分名義の不動産や預貯金を他人名義にして国税局の追及を免れようとして、それに携わった社員を口封じに殺そうとしたとかなんとか。大企業の社長の妹さんが殺人未遂なんて、物騒な世の中ですね」

 書類はパラパラと捲って斜め読みし、封書は開けて中身を確認して仕分けるという一連の作業のスピードはそのままに、恭子が淡々と感想を述べると、立花は若干侮蔑する様な笑みを浮かべた。


「ほう? 川島さんは随分変わったご趣味をお持ちで。週刊スカイプと言えば、三流ゴシップ誌として有名で、とてもまともな女性が愛読する様な雑誌ではない」

「あら、その記事なら私も読んだわよ?」

「は?」

「なかなかスキャンダラスな記事だったわよね。容疑者の女性のホストクラブ豪遊の話とか、アリバイ工作にホストにお金を渡したとか。恭子さん、そこに置いてあるのを先週読んでたわよね?」

 いきなり口を挟んできた真弓に、立花がギョッとした顔を見せて口を噤んだが、恭子はそれを見なかったふりをしてフラップ扉付きの本棚の真ん中を指差しながら、淡々と説明した。


「はい、休憩時間にお借りしました。因みにあの週刊誌は、会長が若い頃から定期購読しているそうで、ここに半年分はバックナンバーが揃っています」

 思わず目を向けた先で、件の週刊スカイプの最新号が堂々とディスプレイされていたのを認めた立花は、些か決まり悪そうにそれから視線を逸らし、気を取り直して質問を続けた。


「……そうですか。因みに川島さんは、どなたのご紹介でこちらに? 以前は作家の東野薫先生のアシスタントをされていた様ですが。それから小笠原物産でお勤めされた様ですが、そこでも色々と噂になっておられましたね?」

「結城化繊工の大刀洗雄造会長です」

「ほう? さすがに年配の男性には受けが宜しい様で」

 明らかに嘲笑交じりの口調になった立花だったが、ここで再び真弓が話に割り込んだ。


「ああ、恭子さんには言ってなかったけど、高見自動車工業の高見慧社長からと、新飛鳥製薬の芳賀晶子社長とキャスティの藤宮美恵社長からも推薦状を貰ってたわ」

「え?」

「皆、どこから嗅ぎ付けたのかしらね。藤宮さんに至っては『そちらを辞める時は、こちらに優先交渉権を頂きます』の一文付き。相変わらず若いのに、鼻っ柱が強い子だわ」

 そう言ってコロコロと笑った真弓に立花は唖然としたが、恭子は慌てて真弓が口にした内容を問い質した。


「ちょっと待って下さい! なんで本人の知らない所で、次の職場云々の話になってるんですか? 第一こことキャスティは同業ですよね!?」

「同業と言っても、あちらはコスプレ衣装を初めとする特殊衣装の通販会社ですもの。販売商品は重複していないわよ? 以前外商部のミスで、素材を欠品した事があってね。急遽キャスティの仲介で、縫製先のベトナムに資材を回して貰った事があったの。それ以来のお付き合いよ」

「そうですか……」

 些か脱力した様に恭子が相槌を打つと、真弓が興味津々といった風情で尋ねてくる。


「でも、あなた達、どこで知り合ったの?」

「東野先生の指示での取材の過程で、ちょっと彼女と諍いを起こしまして。勝負する事になったんです」

「あら、どんな?」

「布地のサンプルを五十種類渡されて、『半月で全部の手触りを覚えて来い』ですよ? 無茶振りにも程がありますよ。しかもそれなりに覚えたかなと思ったら、当日渡されたのが布じゃなくて糸ですよ糸! それで『これがどのサンプルに使われているのか当てろ』って、何なんですか!? 先生以上の無茶振りする女なんて、頭から水をかけてやろうかと思いましたよ」

 思わず当時を思い返しながら声を荒げた恭子だったが、真弓は楽しげに笑いながら、話の続きを促した。


「あらあら、私に対してだけ生意気ってわけじゃ無かったのね。それで? できなかったの?」

 その問いに、恭子は心なしか肩を落としながら答える。


「全問正解して、妙に気に入られてしまったみたいで……。それから『商品開発部に席を用意するから来なさい』と忘れた頃に何回か、上から目線で勧誘されています」

「あの子に気に入られたなら、それはそれで大変ね。……あら、刑事さん、お話の邪魔をしてごめんなさい。ペラペラ関係無い事を喋ってしまって」

「あ、すみません。何の話をしていましたっけ?」

 そこまでしっかり立花を無視する形になっていた二人は、漸く彼の存在に気が付いた様に揃って悪気のなさそうな笑顔を向けた。すると微妙に引き攣った顔で、立花が次の質問を繰り出す。


「その……、川島さんは今月六日の午後十時から十一時にかけて、どこにいらっしゃいましたか?」

「六日ですか? 大抵夜は帰宅していますし、その日も外には出ていないと思います」

「それを証明できる方は?」

「居ないと思いますが……。同居人は、その日も帰りが遅かったと思いますし」

「ああ、柏木浩一さんですね」

「そう言えば確かその日は、真澄さんから電話があって散々愚痴られましたね。九時半から、十一時位まで。あ、真澄さんというのは、浩一さんのお姉さんですけど」

 そう説明した恭子だったが、立花は鼻で笑いながら応じた。


「存じています。しかしそれは随分な長電話ですな。しかも携帯電話にですか? それならその時、家にいた事の証明にはなりませんね」

 余裕を見せながらそう告げた立花だったが、恭子は事もなげにそれを否定した。


「いえ、真澄さんが愚痴を言ってくる時には、固定電話の方と決まってます」

「は? どうしてです?」

 思わず怪訝な顔になった立花だったが、真弓は分かった様に確認を入れた。


「その真澄さんって方、結構気を遣う方なのね?」

「そうなんです。真澄さんは初めての子育てを頑張っている最中ですし、別に愚痴位いつでも聞くつもりでいるんですが、『携帯にかけたら恭子さんが具合が悪くて寝ていたり、仕事や家事で忙しい時でも文句一つ言わずに聞いてくれそうで』と言ってまして」

「携帯だと枕元に置いてあればすぐ出られるけど、固定電話だったら本体か子機のある所まで行かないといけないものね。それにひょっとしたら恭子さんの寝室には、子機も置いてないんじゃない?」

「はい。それを真澄さんは分かっていて、間違っても私が寝ている時に電話をかけてつまらない話を聞かせない様にって、愚痴る時には携帯電話の方にはかけてこないんです」

「そうよね。一旦愚痴り出したら、一時間や二時間は当然だもの」

 再度立花を置いてけぼりにして女二人で分かり合った会話をしたが、依然として立花が口を挟んで来ない事を良い事に、真弓は話を続行させた。


「初めての子育て中って事は、まだお子さんが小さいのね?」

「今生後八か月です。だいぶ長時間続けて寝てくれる様になったそうですが、最近は免疫が切れたのか立て続けに風邪を引いたり、結膜炎やウイルス性の胃腸炎にかかったりして、その日も予防接種の予定だったのに駄目になったとか」

「法定接種は期間が大体決まってるしね。仕事みたいに予定通りに進まなくて、イライラしてるんでしょう?」

「しかも双子ちゃんで病気をうつしたり貰ったりで、余計に大変みたいです。両親と同居しているので色々助けて貰っている様なんですが、お母様が元々大らかな性格の方みたいで、『そのうち何とかなるわよ』と毎回軽くいなされて、余計にストレスが溜まるとか」

「なるほど。鷹揚に構え過ぎるのも良し悪しなのね」

「そうみたいです」

 女二人で好き勝手に喋って笑い合ってから、恭子は漸く立花に視線を合わせた。


「あ、立花さん。その日の真澄さんとの話の内容ですが、確か要約すると、その予防接種が駄目になって今後の接種スケジュールが狂った話と、一歳のお祝いの時に一升餅を担がせるべきかどうかの話と、男女の子供服の色合いはどこまで統一できるかの話と、英語教育と国語教育のどちらを優先させるべきかの話と、産婦人科医の女性比率を増やすべきか否かの話と、粉ミルクの味の違いを新生児は判別できるかどうかの話だったかと思います。他にも幾つかあったかとは思いますが、必要ならそちらで真澄さんに確認して貰えますか?」

「……はあ」

 立て板に水の如く思い返した話題を出されて、立花はろくに書き留められないまま中途半端に頷いた。それを見た真弓が、笑いを堪える口調で付け足す。


「ついでに固定電話の通話記録も調べれば、宜しいんじゃないかしら? あら、ごめんなさいね。本職の方に向かって、言わずもがなの事を」

「いえ、お気になさらず」

「それで他にご用件は? あなたの質問に答える為に、彼女の手が止まっているんですけど?」

「いや、それは……」

 多少嫌味っぽく真弓が確認を入れてきたため、立花が気後れしたように何かを言いかけた。しかしそれを遮る様に、恭子が勢い良く立ち上がりながら雇い主に向かって叫ぶ。


「会長! これ、再送されてきてますよ!! 一か月前にきちんと原稿を書いて先方に送り返して下さいと、あれほど言いましたよね!?」

「あら、おかしいわね……、ちゃんと書いたつもりでいたんだけど」

 小首を傾げて白々しく惚けた真弓に、恭子が顔を引き攣らせながら念押した。


「締切が今日です。バイク便を呼びますから、幾らつまらないテーマだと言っても引き受けた以上、さっさと書いて下さい」

「はいはい、仕方ないわね」

「宜しくお願いします。……立花さん、それで他に何か質問はありますか?」

「いえ……、あの、もう結構です」

 急に真弓を叱り付けた恭子の迫力に押されて、立花はへどもどしながら手帳をしまい込んだ。そして居心地悪そうに腰を上げると、感情が籠っていない、素っ気ない口調で返事が返ってくる。


「あら、そうですか。ご苦労様です」

「忙しくて大してお構いもできなくて、申し訳ありませんでした」

「いえ、それでは失礼します」

 女二人に良いようにあしらわれて、立花は憮然とした表情で大人しく引き下がって行った。そして再び室内に二人きりになった途端、真弓がドアを見つめながら冷笑する。


「躾のなってない若造ね」

「確かに会長のお年からからすれば、三十四十でも若造かもしれませんが……。いえ、何でもありません」

 思わず零した失言を詫びると、真弓は気にしてなどいない風情で話を続けた。


「大方、あなたが三田の加積屋敷に居た事を、誰かから聞いたんでしょうけど。それ自体は別に罪じゃないし、偏見を持っているにしろそれを一々面に出すなんて、大した働きはできないわね。定年まで下っ端よ。良かったわね」

「え? あの、何が良かったと?」

(どうして会長が、お屋敷の事を知ってるわけ?) 

 突然色々突っ込みたい話をされた上に、脈絡なく話を振られた恭子はさすがに戸惑ったが、真弓は事も無げに告げた。


「だって本命の捜査なら、あんな穀潰しをあなたの所に差し向ける筈無いじゃない。あっさり引き下がっちゃったし、一応アリバイを聞きに来ただけでしょう」

「はぁ……、そうかもしれませんね」

「因みに、私、三田御殿の妖怪夫婦とは知り合いなの。ニ十年位前に旦那の方に、とあるパーティー会場でナンパされてね」

「はい?」

(二十年位前……、って、会長はお二人とそう変わらない五十前後? 旦那様……、どれだけ守備範囲広いんですか)

 どうやら自分の密かな疑問に答えてくれるつもりで、そんな話題を出したとは分かったが、真弓がその場限りのつまらない嘘や冗談を吐く筈も無く、その時の光景を思わず想像して頭痛を覚えた恭子だったが、その耳に驚きの台詞が届いた。


「だけどその場でお断りしたの。『ゲテモノ趣味の奥様とは違って、私面食いなんです。あしからず』と言って」

「……っ! ……ゲテモ!?」

 サラッととんでもない事を口にした真弓を恭子は凝視し、絶句して口を虚しく開閉させたが、驚愕の台詞は容赦なく続いた。


「そうしたらさすがに、桜が腹を立ててね。『あら、さすがにペラッペラな服で稼いでいる人間らしく、上っ面しか見ない方ね』なんて言うから、『寄せて上げる必要が無いからって、年がら年中堅苦しい和装で頭が固くなってる女より、物の道理は分かっていると自負していますが』と言ったら、周りの黒服さん達が一斉に殺気を向けてきたわ。ちょっと暖房が効き過ぎの会場だったから、冷気が心地良かったわね。会場中の皆さんも一気に酔いが醒めたらしくて、静かになったし」

(会長! 他の人、全員揃って血の気が引いたんですよ! その時倒れて搬送された人、居なかったんですか!?)

 全身を強張らせて恐れおののき、思わず盛大に問い詰めたくなった恭子だったが、ここで無駄話は終わりとばかりに真弓が真面目に先程の書類を傍らに置きながら、目の前のキーボード上に指を走らせて文章を打ち始めた為、恭子は黙って溜め息を吐いた。それから自分も中断していた作業を再開したが、何となく真澄に目を向けてしまう。その視線を感じたらしい真弓が、顔を上げて不思議そうに問い掛けてきた。


「あら、どうかしたの?」

「いえ、何でもありません……」

(旦那様と奥様に向かって、何て暴言。それなのに今まで無事って……。とんでもない強者がこんな所に居たとは、思いもよらなかったわ)

 しみじみとそんな事を考えた恭子だったが、対する真弓は淡々と話し出した。


「話してみれば結構面白い夫婦だったし、声をかけてきたのも私が夫に先立たれて独り身だったからだし、結構筋は通す人達だもの。それなりにお付き合いはしてたのよ」

「……そうですね。確かに旦那様は、人妻とか素人には声をかけなかったと思います」

「正月明けに、『暮れに旦那がポックリ逝った』って連絡を貰ったからお焼香しに行ったら、桜から『うちの子が近々お世話になるかもしれないから宜しく』って言われたわ」

「はぁ……、それで免疫と予備知識があったと」

(その頃はまだ小笠原物産勤務だった筈だけど……、そろそろ片付きそうな事を奥様が知ってらしたのかしら?)

 他に言いようも無く相槌を打った恭子だったが、それを見た真弓が小さく笑った。


「そんなにあの二人が怖いわけ?」

「怖い、と言うのとは違うと思いますが、なんと言うか……」

 上手く表現できない為、恭子は困ってしまったが、そんな彼女の困惑を真弓はあっさりと切って捨てた。


「あそこの中の価値観なんて限定的な物だし、それ以上に世間一般の価値観なんて、大した事無いと思うけど? 要は本人の意識の有り方だと思うし。……はい、出来たわ。チェックして頂戴」

 どうやら話を動かしながらも手は止めていなかったらしい真弓が、少し離れた所に置いてあるプリンターを指差すと、それが起動音を発しながら一枚の用紙を排出し始めた。それを目にして、恭子もいつもの仕事の顔に戻る。


「はい、それでは内容を確認して、問題無ければ配送依頼の電話をします」

「宜しくね、あ、それとお茶を貰える?」

「畏まりました」

 そうして再びのんびりと本を読み始めた真弓にお茶を出す為、恭子は複雑な表情のまま、隣接した給湯室に向かった。

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