第8話 清人の追憶

 そして浩一を陥れた張本人である清人は、浩一との通話が終了してから暫くの間、腹を抱えて爆笑していた。


「あははははっ! だっ、駄目だ、笑いが止まらないっ! うわははははっ!!」

「清人……、いい加減に笑うのを止めたら?」

 自室で一緒にソファーに座っていた真澄は呆れ、些か冷たい視線を投げかけたが、清人の笑いは容易に収まらなかった。


「だがっ、電話の向こうの浩一の間抜け面を想像したら、笑いがっ……。俺達が熱海で嵌められた時は、絶対お義父さんが俺達を笑いものにしていたぞ。『親の因果が子に報ゆ』とは、まさにこの事……。しまったっ! 川島さんに今回の浩一の様子を撮っておくように言っておけば、絶対爆笑DVD集の新たな1ページをっ……」

 そうして息も絶え絶えに笑い続けている清人に、真澄が軽く眉根を寄せながら声をかける。


「何? その『爆笑DVD集』とか言うのは」

 その問いに、清人は目尻の涙を指で軽く拭きながら、笑いを堪える表情で説明を始めた。


「ああ、ストレス解消にもってこいの、超絶笑えるやつだ。トップは彼女のホットドッグ早食い画像だが、ケチャップとマスタードまみれになりながらリスの頬袋なみに詰め込んだ『あれ』は、誰が見ても一押しの必見」

「清人。彼女って恭子さんの事よね? 何? そんなしょうもない事までさせた上、記録に残して爆笑してたわけ!? 信じられない!」

「ちょ、ちょっと落ち着け、真澄!」

 話の途中でいきなり顔を険しくした真澄に掴みかかられ、ガクガクと体を揺すぶられた清人は、流石に焦って落ち着かせようとした。しかし真澄はそのままの剣幕で清人を叱り付ける。


「いいえ、前々から、いつかは言おうと思っていたのよ! どうして恭子さんに、そんな無茶振りばかりするわけ!? 常識外れにも程があるわよ!」

 しかしその途端清人は綺麗に笑いを消し去り、仏頂面で吐き捨てた。


「それは出会ってすぐの頃、あいつがまともに笑ってなかったのが悪い」

「何よ、その開き直り。第一、恭子さんは普通に笑っているじゃない」

「お前や清香の前では比較的そうだが、俺の所に来た当初は表情の乏しい奴だったんだ。作り笑いばっかりしやがって、薄気味悪い上に何かにつけ、腹が立ってな」

「清人」

 憤慨気味に反論した真澄に、清人も苛立たしげに言い返す。そして気まずい空気が室内に漂ってから、清人が弁解がましく話を続けた。


「それで……、笑わないんだったら、まず手始めに泣かすか怒らせてやろうと思って、ホットドッグの早食い大会で優勝して来いって言ってみたんだ。そうしたら平然と『分かりました』と言ってエントリーしやがって……」

「自分で命じておいて、何よ。その言い草は」

 ブチブチと文句を口にした清人を真澄が窘めると、清人は真顔で非難めいた口調の理由を告げた。


「てっきり『そんな事できません』と泣いて抵抗したり拒否するか、『どうしてそんな事しなくちゃいけないんですか!』と怒るかと思ったんだ。それなのに録画機材持参で会場に行ったら『あれ』で賞金分捕って、俺はほとほと呆れたぞ。その挙句、能面の様な顔で『賞金です』と差し出された日には、今度こそ泣きを入れさせてやると、俺は固く心に誓ったんだ」

「呆れたのはこっちよ! そんなノリで恭子さんに当たり屋の真似させて骨折させたり、雪山登山させて遭難しかける事になったり、高層ビルで逆さ吊りとか、企業スパイ擬きをさせてたわけ!?」

「さすがに最初からそんな事はさせなかったが、淡々とこなしていくから段々難易度を上げていくうちに、気が付いたらそんなレベルになっていたんだ」

 流石に形勢不利を悟った清人が、気まずそうに真澄から視線を逸らしながら弁解すると、真澄は自分の額を押さえながら深い溜め息を吐いた。


「自分の夫が、ここまで馬鹿だとは思ってなかったわ……。殴っても良い?」

「真澄だったら殴って良い」

「やっぱり止めておくわ……。その代わり、彼女があなたの所に来た経過を聞かせて。この前は加積って人が恭子さんをクラブで働かせて、そこで浩一と接点があった事までは聞いたけど、加積さんは恭子の結婚相手を探してたんでしょう? それがどうしてアシスタントな上、毎月少しずつ彼女が借金を返してる状況になるわけ?」

 居住まいを正して質問してきた真澄に、清人も真顔で頷いて応じた。


「ああ、川島さんから聞いたか」

「あ、それも。清人は彼女を『川島さん』と呼ぶ他は、『お前』とか『あいつ』呼ばわりでしょう? 『恭子さん』とか『恭子』とか呼んだり言ったりしているのを聞いた事がないし、極端じゃない?」

「なるほど、確かに気になるかもな。それならこの際、まとめて説明しておくか」

 そこで苦笑いした清人は一度黙り込み、軽く頭の中で論点を整理してから、改めて口を開いた。


「まず彼女のクラブ勤めの時期だが、その時点で浩一との直接の接点は無いんだ。彼女が浩一に担当で付いた事は、一度も無かったから。だから彼女は俺の家で、俺に浩一に引き合わされた時が、初対面だと思っている」

「はあ? 最初は他の客に付いていたのを見たにしても、次に行った時に指名すれば良いんじゃないの?」

「逆に他の女を指名して、さり気なく彼女の情報を引き出しつつ、様子を窺っていたらしいな」

「そこでどうしてアプローチしないのよ……。無性に浩一を殴りたくなってきたわ」

 無意識に拳を握り締めていた本気の顔付きの真澄を見て、些か浩一が気の毒になった清人は、苦し紛れに庇う発言を繰り出した。


「まあ、その……、本人に根掘り葉掘り聞いたら薄気味悪がられて店から叩き出されかねないから、ある意味間違ってはいないとは思うんだが……」

「それで?」

 気分を害したまま先を促した真澄に逆らわず、清人が説明を続ける。


「殆どダシにされた女が腹を立てて、あいつが『加積に囲われてる、手を出すには物騒過ぎる女だ』と吹き込んだんだ。それで浩一は慎重に裏を取って考えた挙げ句、俺に頭を下げてきた。『彼女と結婚は出来ないから俺が引き受ける訳にはいかないが、何とかして加積の所から出して、普通の生活をさせてあげたいから力を貸してくれ』とな。あいつ、ちゃんと柏木家の長男の立場と、それに付随する責任の自覚はあったわけだ」

「……そう」

 皮肉っぽく口元を歪めながら告げた清人に、真澄は余計な事は何も言わず、ただ静かに頷いた。すると清人は一転して、困惑した口調で続ける。


「しかし、俺としても困ったんだ。調べてみたら加積は彼女の結婚相手を探してる感触だったが、俺は結婚なんかする気は皆無だったし。とある伝手を頼って先方にアポを取ったものの、どう話を持って行けば良いのか皆目見当がつかなくて、殆どヤケで『仕事でこき使いたいので、借金を肩代わりしますから彼女を俺のアシスタントに下さい』と直訴したんだ。そうしたら夫婦揃って爆笑して、条件付きで話に乗ってくれた」

「愛人をアシスタントに使いたいから譲ってくれって……、無理が有り過ぎない? それに、どうしてそんな話に乗ってくれたのかしら?」

 不思議そうに首を傾げた真澄に、清人が憮然としながら話を続けた。


「偶々虫の居所が良かったのか、仲介してくれた人が口添えしてくれたのかもな……。その時、笑いを収めた加積が真顔で『それならきっかり一ヶ月後、一億五百二十万揃えて持って来たら、取り敢えず話を聞いてやる』と言って、その場は丁重に追い返されたんだ。仕方が無いから俺と浩一は、それから一ヵ月の間必死で金をかき集めた」

「一億って……。でも浩一が保有してる預貯金や株券、不動産を売却すれば、何とかなるでしょう?」

 頭の中で素早く計算したらしい真澄に、清人が注意を促す。 


「そんな事をしたらお義父さん達に一発でバレて、そんな事に関わるなと、猛反対されるに決まっているだろうが。だから不動産も株券等も、名義を変えるわけにはいかなかった。俺もその頃、何とかマンションの購入代金を支払い終えたばかりで、手元に動かせる金が殆ど無かった」

「それならどうしたの?」

「偶々その少し前に、お義父さんから柏木産業の外部取締役就任の依頼話がきていたから、無茶を承知で『報酬十年分を現金一括払いなら受けます』と言ってみたら、変な顔をされたが総額六百万強を一括払いしてくれた。浩一も預貯金で五百万位は自由に動かせたからな。それらと俺のマンションを抵当に入れての銀行からの借入金を全部、為替相場や株式市場に逆張りで突っ込んだ」

「それで柏木の外部取締役に就任したのね。引き受けた本当の理由が、漸く分かったわ。でも逆張りって、何?」

 長年の疑問が解消してすっきりとした顔つきになったのも束の間、真澄はすぐに再び怪訝な顔になった。それを受けて、清人が淡々と説明を続ける。


「儲けようと思ったら、少しずつ値を上げている銘柄に投資するものだろう?」

「普通そうよね?」

「だが一ヶ月と期間が区切られているから、安定してる銘柄が少しずつ値を上げるのなんか待っていられない。値動きが激しくて乱高下してる銘柄が下がっている時、近いうちにそれが値上がりする事を見込んで買うんだ。ハイリスクハイリターンを地で行く買い方だな」

 そこで真澄が、思わず口を挟んだ。


「え? ちょっと待って。それだともし値が戻らなくて、下がりっ放しだったら?」

「当然、金をドブに捨てる事になる」

「清人! そんな他人事みたいに!」

 血相を変えて非難した真澄だったが、清人はどこか遠い目をしながら当時を思い返した。


「もうその一ヶ月、浩一と二人、本業そっちのけでマネーゲームをやっていたんだ。最悪、路頭に迷う事になると思って、生まれて初めてストレスを感じて胃を壊したな。もし失踪するなら、清香を柏木家に頼まないといけないなと、半ば本気で考えていたし」

「そんな事、真剣に考えないでよ……。それでも何とか期日までに、指定された金額を揃えられたわけよね」

 疲れた様に確認を入れてきた真澄に、清人は頷いた。


「ああ。そして金を持参して出向いたら、あっさり外に出してくれたから良かったんだが、正直持て余してな。浩一の奴は『別に俺の事は彼女に何も言わなくて良いから、取り敢えず彼女の生活が成り立つ様に手助けしてやってくれ』とか『俺は彼女がちゃんと普通の生活を送って幸せなのを、陰から見られたら満足だから』とか、苦労して金を捻り出したくせに、相変わらず馬鹿な事をほざくし……」

 そして何やら口の中でぶつぶつと愚痴を零し始めた清人を、真澄は男二人の心境を推察しつつ黙って話の続きを待った。そして我に返った清人が、真澄に詫びながら再び話し出す。


「すまん、真澄。話の途中だったな。それで彼女を引き取った翌日、『愛人として引き抜いたわけじゃない、仕事して俺が立て替えた借金を返済しろ』と言って、細かい条件とか説明した後で、一応聞いてみたんだ。『お前には一生かかっても返せないかもしれんが、偶々買った宝くじが奇跡的に当たってあっさり返済できるかもしれん。そうしたら死ぬまで自由だが、その場合何をしたい』とな」

「その時、恭子さんは何て答えたの?」

 思わず興味を惹かれた真澄が真剣な顔で尋ねると、清人は真顔で答えた。


「前日までの感じだと『特に何もありません』と淡々と答えると思っていたんだ。そうしたら……、予想外に真剣な顔で考えているなと思ったら、『今の今まで忘れていましたが、家族が死んだ後遺骨がどうなっているのか分からないんです。調べてみて、もしどこかに今でも保管されているのなら、父は次男でうちのお墓は無かったので、きちんとお墓を立てて、埋葬してあげたいと思います』と、俺を真っ向から見据えて言いやがった。だからそれで、俺も腹を括った」

「腹を括ったって、何が?」

「一人位扶養家族が増えても、食い扶持に困る様な稼ぎ方はしてないからな。とことん面倒見てやろうじゃないかと思った」

 告げられた内容に驚きながらも、それをすぐに理解した真澄は、無意識に顔を綻ばせた。


「家族を大事にする人間に、悪い人間はいないって事? 清人にしては随分可愛い考え方ね」

 そう言って軽く笑った真澄に、清人は僅かに拗ねた表情を見せながら話を続ける。


「何とでも言ってろ。その話を聞いてから彼女の実家の状況を調べてみたら、地元の寺の住職が引き取り手のない遺骨を不憫に思って、役所の担当者と交渉して、彼女の両親と妹の遺骨を預かっている形になってた。それでその寺に二人で出向いて、それまで保管してくれた礼を述べた上で、管理費に相当する額を受け取って貰って遺骨を引き取って来たんだ。今は都内の寺で、預かって貰っている」

 そこまで話を聞いた真澄は、納得した様に頷いた。


「良く分かったわ。身内並みに面倒みるつもりだったから、まともに感情表現ができる様に、まず怒らせたり泣かせたりしたかったわけね。関わり合いたく無かったら、無表情だろうが気味悪かろうが、清人は放置する筈だもの」

「確かにそうだな」

「それに彼女のそれまでの人間関係って著しく偏っていた筈だから、色々な仕事を言い付けたのは、幅広いタイプの人間と彼女が接する為でもあったんでしょう? 恐らくそれで、彼女は人間関係のスキルを身に付けたんでしょうし。だから清人の所に来た当初より、格段に表情豊かになったのよね?」

「まあな。今でも口答えとかはしないが、最近では俺に向かって暴言を吐くわ文句を付けるわで、言いたい放題の時があるからな」

「そうよね。私と話している時も、清人の事を結構こき下ろしているもの」

 そう言ってクスクスと笑い出した真澄を、清人は憮然とした顔付きで眺めた。

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