番外編 夢に向かって~真由子の尊敬する父

 それから真実を知ってすっかり意気消沈してしまった真一と、他の子供達を引き連れて恭子が戻って来たが、先程の真一の作文によって応接間全体に気まずい空気が充満していた。それを何とかしようと、大人しく座っていた真由子の手元を見ながら、恭子が声をかける。


「あの……、真由子ちゃんも、作文を書いたのよね?」

「……ああ、そうだな。今度は真由子ちゃんの作文を、叔父さんに聞かせて貰えるかな?」

 恭子の言葉に救われた様に、浩一もどうにか笑顔を作りつつ斜め向かいに座る姪に声をかけた。しかし真由子は恥ずかしそうに俯く。


「あの、でも……、真一の作文の後だと恥ずかしくて……。私のは単に、思った事をズラズラと書いただけですし……」

 僅かに顔を赤くして謙遜した真由子に、自然とその場の空気がほっこり和らいだ。すると真一が横から口を挟んでくる。


「恥ずかしくなんか無いよ、まゆ! 一緒に見せた時、お父さんだって『真由子の作文は、子供らしくて素直で良い。変に技巧的だったりするより遥かに良いし、書き直しもせず文字も綺麗だ』って誉めてたじゃないか」

「それはそうだけど……。それって親の欲目じゃない?」

「そんな事ないよ。本当にまゆは、可愛い事で悩むんだな」

「もう……、笑わないでよ。シンの意地悪」

 クスクス笑い出した真一に真由子が拗ねてみせ、二人を見守る大人達の表情も揃って穏やかなものに変化した。その好機を逃すまいと、浩一が再度真由子に促す。


「真由子ちゃん、やっぱり聞かせて貰いたいな。どうしても駄目かな?」

(真一と一緒に部屋から持って来てはいるから、聞かせて貰えるとは思うが……)

 そう考えながら問い掛けると、真由子はまだ僅かに逡巡する様子を見せたものの、浩一に向かって大人しく頷いてみせた。


「……分かりました。じゃあ読みますね?」

「ああ、ありがとう」

 浩一が笑顔で礼を述べると、真由子も小さく笑ってから折り畳んでいた作文用紙を広げ、息を整えてから静かに読み出した。


「私の夢 一年二組 柏木真由子

 私の夢は、素敵な花嫁さんになる事です」


 そこまで聞いた浩一は、心の底から安堵した。

(良かった……、真由子ちゃんの作文は年相応の物で……)

 浩一に限らず、周囲の大人も皆一様にほっとした表情をその顔に浮かべたが、それはあまり長くは続かなかった。


「それはどうしてかと言うと、私のお父様はとても素敵な人だからです」

(……どうしてそこで、清人が出て来る)

 そこはかとなく嫌な予感を感じ始めた浩一だったが、中断させるわけにもいかず、大人しく見守る事にした。


「お父様はお母様に危険な事を一切させません。『事故を起こしたら大変』と車で送り迎えをし、『火傷をしたら大変』とピクニックの時は五時起きして美味しいお弁当を山ほど作り、『針で手を刺したら大変』と私のお道具袋も縫ってくれました。

 それに本当は作家なのに、『真澄の椅子は俺が守る』と言ってお母様が産休育休の時、お母様の代わりに会社で仕事をして、今はお母様のお友達のおじさんの代わりに、会社に行っています。それだけでも凄いのに、この前もっとお父様を尊敬する出来事がありました」

 そこで一旦言葉を区切った真由子は、改めて真剣な口調で読み上げ始めた。


「夜中に腕の湿疹が痒くて眠れなくなり、いつもの置き場所に薬が無かったので、一緒に探して貰おうとお父様達の寝室に行ったら、ベッドの上でお母様の上にお父様が乗ってお母様を苛めてました。

 私は驚いて『お母様を苛めちゃ駄目!』と叫ぶと、お父様は驚いた顔をしてから笑って『じゃあ今度は真澄に俺を苛めて貰おうか』と言って、お布団の中で上下入れ替わりました。すると私を見たお母様が真っ赤な顔で怒って、お父様を力一杯殴って何か早口で怒鳴り始めました。

 私は『今度はお父様を苛めちゃ駄目って、言った方が良いかしら?』と思いましたが、お父様が笑いながら『大人の喧嘩は見苦しいから、真由子は部屋に戻って寝なさい』と言われたので、挨拶をして寝ました。それでお父様は凄いと思ったのです。だって子供同士ならいじめっ子はいじめっ子のままで、絶対苛められる側になったりしませんから。

 翌朝、お母様の顔はいつも通り綺麗なままなのに、お父様の顔は赤く腫れて引っ掻き傷もありましたが、お父様は『これは真澄の俺への愛の証だから』と爽やかに笑っていました。殴られても殴り返さないなんて、やっぱりお父様は凄いです。

 そんなお父様に、毎日『愛してる』と言われているお母様が羨ましいです。だから私はお母様みたいな素敵な女性になって、お父様みたいな素敵な男の人と結婚したいと思っています。これで終わります……、浩一叔父様、恭子叔母様、どうでしたか?」

「………………」

 恥ずかしそうに叔父夫婦に感想を求めた真由子だったが、浩一と恭子は盛大に顔を引き攣らせ、咄嗟に声を出す事ができなかった。その目の前で子供達が、ニコニコと笑顔を交わしながら和み始める。


「うん、父さんと母さんの仲が良い様子が、ビシバシ伝わってくるよ」

「パパとママ、らぶらぶ~」

「Sweet」

「ふふっ、ありがとう」

「あの……、真由子ちゃん? もしかして今の作文を、授業参観で読んだの? お父さんの前で?」 

 強張った顔のまま恐る恐る恭子が尋ねたが、そこで容赦の無さ過ぎる返事が返ってきた。


「あ、私の教室にはお母様が来てくれたんです。読み始める直前には確かに居てくれたんですけど、読み終わったら居なくなっていて……。きっと忙しいお仕事の合間を、抜けて来てくれたんです。だから私、最後まで居てくれなくても、嬉しかったです」

 まさか自分の作文が原因で母親が逃げ帰ったなど夢にも思っていない真由子は、そう言って無邪気な笑顔を浩一達に向けた。悪気が無かったのは十分分かる上、そんな笑顔を向けられて流石に咎める事もできず、浩一と恭子は夫婦揃って項垂れる。


(清人、お前って奴は……、事前に見せられたのなら止めさせろよ! それとも教員か父兄の中に、牽制したい男でもいたってのか!?)

(目の前でこんなのを発表されるなんて、真澄さんが気の毒過ぎる……。もう小学校に行けないんじゃ……)

  無言で頭を抱えた浩一と恭子の心境を察して、ここで玲子が口を挟んできた。


「そう言えば……、真一も真由子もまだおやつを食べていなかったわよね? 二人とも作文を聞いて貰ったし、食堂に行って食べていらっしゃい? 今日は中村さん特製のアップルパイよ?」

 専属シェフの今日の力作について教えると、真一と真由子は途端に目を輝かせた。


「本当? やった!」

「じゃあいただいてきます」

「ええ。ああ、清二と有紗ちゃんも連れて行ってくれる?」

「分かった。ほら清二、行くぞ」

「有紗ちゃん、一緒に行きましょう」

 真一が清二を抱え上げ、真由子が有紗の手を引いて廊下に姿を消すと、その場の大人達は揃って盛大な溜め息を吐いた。そして浩一が、心底疲れた様に呟く。


「清人の奴は、相変わらずの様ですね。あんな暴言を吐いてまで迎え入れた婿なんですから、父さんがもう少し手綱を締めるなり、飼い慣らすなりして下さい」

「無理だ」

「……即答ですか」

 思わず肩を落とした浩一に、雄一郎が慰めとも追い打ちとも取れる言葉をかける。


「まあ……、彼は自分の事は二の次で、仕事と家族に関してこれまで一切妥協せず、手を抜かずに何事もこなしているから、私としては構わないと思っているんだが」

「姉さんに関する諸々だけは、もう少し手を抜いた方が良い様な気がするのは、俺の気のせいですか?」

「………………」

 そんな風に冷静に突っ込みを入れた浩一から雄一郎は目を逸らし、玲子と総一郎も、自分を見つめる恭子の視線から目を逸らした。


 結局、インパクトが有り過ぎる真一と真由子の作文によって毒気を抜かれてしまった面々は、再会当初の気まずい雰囲気を保つ事など出来なくなり、その日浩一達が宿泊先のホテルに戻るまで、ぎこちないながらもそれなりに会話を交わし合ったのだった。

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世界が色付くまで 篠原 皐月 @satsuki-s

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