第3話 「私は牙無伏警察署の後藤経子です」
■ところ 一つ目の信号 〜 二つ目の信号
■じかん 001日目 08:17 〜 08:20
■たいとる 「私は牙無伏警察署の後藤経子です」
「ねえ誰あなた?」とりらせは息をきらせながら通話相手に問う。
「会ったことないからどうでもいいだろ。とりあえず止まるな。走れ」
「どこまで走ればいいの?」
「とりあえず走り続けろ。さっきのはデモンストレーションだ。走り続けろよ。止まるなよ。いいか、何がなんでも走り続けろ。
りらせの心臓が一瞬止まった。止まったような気がした。何を言ってるんだこの男は?
「え?」
「芹那りらせ、つまりお前が走るのをやめると、お前の弟はさっきのコンビニのように爆発して死ぬ」男は同じ内容を改めて告げる。「ハヤセの体に爆弾が埋め込まれている。そして芹那りらせ、お前の体にもセンサが埋め込まれている。左手の人差し指と親指のあいだに速度、回転、加速度を検知する
りらせは走りながら左手を
「何これいつ入れられたの」
「お前が寝ているあいだに
「は? え?」
「具体的にはお前は時速
「なんかそんな映画みたことある!」
確かバスに爆弾が仕掛けられていて、一定の速度以上で走り続けないと爆発してしまうという現在のシチュエーションの元ネタのような映画を昔見たことがあった。
「じゃあその映画のバスが弟だと思ってくれ」
「思えない!」
「じゃあお前そのものがバスだと思ってくれ」
「思えない!」
「ちなみにお前の右手にも爆弾が埋められていて、次に止まった段階でまずお前の右手首から先が吹っ飛ぶ」
「は!?」
「マジだ。ツーストライクでアウトということだ」
「は?」
「弟が
「よくない!」
「無い方の腕で人殴るとかっこいいぞ」
「よくない!」
「センサは通信もしているからネットワーク圏外に行ったり、手からほじくり出してその辺に捨ててナノワイヤ発電ができなくなったりすれば信号途絶してそれもまたトリガーになるので、センサをどうこうしようと思わないようにな」
さっきから情報量が多すぎてりらせは泣きたくなってきた。誰かちょっと代わって、バトンタッチして。一限目は世界史だったなぁ。信号のない交差点を過ぎる。
「ところで時速8キロってどれくらいなの?」
止まるといけないと思い、多少ペースが上がり過ぎていたかもしれない。時間によって引き伸ばされた自分自身の残像が追いついてくるように疲れが
「徒歩の
ウォッチを見る。文字盤に「12km/h」と表示されている。ウォッチの文字盤のUIはいつも滑らかなのに、これは見たこともないギザギザの汚いフォントだ。
「何これ」
「クラックしてある」
「呆れた」
「『疲れた』の間違いでは」
「あ・き・れ・た」
呼吸の、「呼」のタイミングでりらせは言う。
少しだけ走るペースを落とす。このままでは持たない。可能な限り時速8キロメートルぎりぎりで走ろう。そして考えよう。全部。ぜんぶ。ハヤセ。お父さん。お母さん。
そうだ。とりらせは思った。父親か母親に助けを求めよう。警察にも。
「ねぇ」とりらせは言った。
「ん?」
「ハヤセと話がしたい」
「できない」
「どうして無理なの? 本当に、ハヤセはそこにいるの?」ハヤセを人質に取ったというのは単なるブラフかもしれないのだ。
「お前が止まれば弟が
興味本位のとりあえずで右腕失うのは勘弁したい。毎朝の「なんじゃこりゃー」がしにくくてしょうがないだろう。
「要求は走ることだけなの?」
「そうだ。今のところは」
「いつまで、どこまで走ればハヤセを助けてくれるの」
「ずっと走ってろ」
「悪趣味ね」
「悪趣味だなんて生まれて初めて言われたな」
「ちょっと人に電話したいんだけど」
「ああ」と、男の声は言って、そのまま相手側から通話はあっさりと切断された。
ウォッチのメニューを出す。ウォッチが
「事件です!」
「事件ですね? 何がありましたか?」
「わたしの、弟が、多分さらわれていて、わたしが、わたし、今走ってるんですけど、わたしが止まると弟が、爆弾が、爆発するんです」
自分で言っておいてこいつ何言ってるんだというほど要領を得ない内容だとりらせは思ったが、訂正して言い直す余裕もない。息もきれぎれだ。ワンテンポ置いて女性が言う。
「弟さんが誰かに捕まって人質にされているんですね。そしてあなたはこの事件の目撃者ではなく当事者ということでよいですね」
「はい」とりらせは応じる。婦警、
「その状況はいつ起こったのですか」
「さっき、犯人から、電話かかってきて、それからです」
「
「たぶん、それくらい、です。で、現在進行形です。わたしの右手にも爆弾があって」
「爆弾?」
「わたしの右手も爆弾があって、今走ってて、止まると私も爆発するんです」
「いたずら電話では、ありませんね?」と婦警が、最大限の信用を
「本当です! 助けてください」
「あなたは今どこにいますか? できるだけ詳しく教えてください」
「
「今いる場所はわからないんですね」
「ですから、えっと、私はずっと移動して、いなきゃいけないので、どうすればいいのか、私も、わかんないんです」
婦警は二秒ほどの間を置いてから言う。
「とりあえずは東高に警察官を向かわせますが、会えなかったら、あなたに直接コンタクトさせます」
「あ、あ、はい」どうやって?
「今かけている電話機、あなたのものよね。その携帯電話の位置情報をこちらで使わせていただきます。それを元にあなたを
「はい」
「あなたの見た目に関する情報を教えてくれますか」
「えっと、市立東高の制服着て、鞄持っていて、黒髪の長いポニーテール、身長は
「わかりました。お名前を教えてくれる?」
「芹那りらせ、です」
「芹那りらせさん、ね」
「はい」
「いまもうすこし通話できる?」
「はい」
「その、あなたの弟を連れ去った犯人のこと、何かわかりますか?」
「さっき犯人から電話がかかってきて、男の人でした。弟の携帯からでした」
「弟さんのいたずらということはないの?」
そんな発想は思いつきもしなかった。しかし、弟のハヤセは小学
「絶対に弟ではありません」
「弟さんの名前は?」
「芹那はやせ」
「はやせさん。わかりました。とりあえず今、あなたとあなたの家族に対して、犯人に加えられている被害は、『弟さんがさらわれて人質にされ、あなたに爆弾が仕掛けられて、あなた自身も人質にされて、走り続けることを強制されている』ということですね」
「はいっ!」婦警マジ聖人かよありがとうございます、神! 私将来アイドル目指すのやめて婦警になるよ、婦警さん最高かよ。
「ではりらせさん、あなたは一旦学校に向かってください。学校に警察官がいなかったらそのままどこかを走っていて構いません。GPSで追跡していきます。わかりましたね」
「はい」
「ではこの通話、一度切ります。またこちらからかけ直すかもしれません。そちらも何か状況に変化があればまた通報お願いします。必ずあなたを助けますので、それまで頑張って走っていてください」
「あの、ふけいさん、おなまえ」
「私は
「はい」
ああ、とりらせは思った。やっとだやっとだよ。救われる。助かる。なんとかなる。警察が助けてくれる。今は消費税しか払ってないけど私がんばるよ大人になったら納税たくさんするよ、婦警になるよ、困った人沢山たすけるよ、ハヤセ、待っててね、警察に通報したからきっとなんとかなる。大丈夫だよ。
婦警の名前を耳にした時に何かが引っかかったが、大きすぎる
息を整えながら走り続けていく。イレギュラーが同時多発しているが今この瞬間していることは普段と変わりない。学校へ向かって走っているだけ。いつもと違うのは、今日は遅刻じゃなくて多分欠席になるだろうということと、下手するとちょっと弟が爆散しちゃうこと、そして私のみている風景がいつもと全然違って感じられることくらいだ。何も思わなかったいつもの通学路、今日はなんだかアクションゲームの強制スクロールステージに思える。難易度インフェルノ。
鞄、とりらせは考えた。重い。
走りながら、中身を
二つ目の信号が見える。幸い信号は青に変わったところで、そのまま渡れそうだ。
少し離れたところから、緊急車両のサイレンの音が複数聞こえてきた。胸の底の希望の
信号機のある交差点の、更に
りらせは運転手に向かって手を振るが、目
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