第3話 「私は牙無伏警察署の後藤経子です」

■ところ 一つ目の信号 〜 二つ目の信号 

■じかん 001日目 08:17 〜 08:20

■たいとる 「私は牙無伏警察署の後藤経子です」


 「ねえ誰あなた?」とりらせは息をきらせながら通話相手に問う。

「会ったことないからどうでもいいだろ。とりあえず止まるな。走れ」

「どこまで走ればいいの?」

「とりあえず走り続けろ。さっきのはデモンストレーションだ。走り続けろよ。止まるなよ。いいか、何がなんでも走り続けろ。簡潔かんけつに言う。お前が止まったらお前の弟、芹那せりなハヤセは爆発して死ぬと思え」

 りらせの心臓が一瞬止まった。止まったような気がした。何を言ってるんだこの男は?

「え?」

「芹那りらせ、つまりお前が走るのをやめると、お前の弟はさっきのコンビニのように爆発して死ぬ」男は同じ内容を改めて告げる。「ハヤセの体に爆弾が埋め込まれている。そして芹那りらせ、お前の体にもセンサが埋め込まれている。左手の人差し指と親指のあいだに速度、回転、加速度を検知する軸センサとGPSが入っている」

 りらせは走りながら左手を眼前がんぜんにかざして見る。うつむいたら危ないので手を前に出すしかない。ハタから見たら、邪気眼じゃきがんがうずいた女子高生が遅刻しそうで急いでいる、という状況に見える。左手には手首にウォッチが巻かれ、中指にはリングがめられていて、人差し指と親指のあいだの、水かきのような、ヒレのような部分をよく見ると確かに小さな傷があり、二つの指をしっかりこすってみると異物感がある。痛みはない。

「何これいつ入れられたの」

「お前が寝ているあいだに切開せっかいして挿入そうにゅうされている。弟もそのとき同時にさらわれたわけだ。りらせ、お前に埋められたセンサがお前の速度と位置を常に感知、監視して、その信号はお前の弟に埋められた爆弾の起爆装置に送られている。お前が止まると弟は爆発する」

「は? え?」

「具体的にはお前は時速キロメートル以上の速さで走り続け、かつ時間ごとに500五百メートル以上移動していなければならない」

「なんかそんな映画みたことある!」

 確かバスに爆弾が仕掛けられていて、一定の速度以上で走り続けないと爆発してしまうという現在のシチュエーションの元ネタのような映画を昔見たことがあった。

「じゃあその映画のバスが弟だと思ってくれ」

「思えない!」

「じゃあお前そのものがバスだと思ってくれ」

「思えない!」

「ちなみにお前の右手にも爆弾が埋められていて、次に止まった段階でまずお前の右手首から先が吹っ飛ぶ」

「は!?」

「マジだ。ツーストライクでアウトということだ」

「は?」

「弟が綺麗きれいな花火になる前に一回猶予ゆうよあるんだよ。よかったな」

「よくない!」

「無い方の腕で人殴るとかっこいいぞ」

「よくない!」

「センサは通信もしているからネットワーク圏外に行ったり、手からほじくり出してその辺に捨ててナノワイヤ発電ができなくなったりすれば信号途絶してそれもまたトリガーになるので、センサをどうこうしようと思わないようにな」

 さっきから情報量が多すぎてりらせは泣きたくなってきた。誰かちょっと代わって、バトンタッチして。一限目は世界史だったなぁ。信号のない交差点を過ぎる。

「ところで時速8キロってどれくらいなの?」

 止まるといけないと思い、多少ペースが上がり過ぎていたかもしれない。時間によって引き伸ばされた自分自身の残像が追いついてくるように疲れが軌跡きせきをなぞりながら体に重なってゆく。汗が噴き出している。

「徒歩の倍くらいで自転車よりは遅いといったところだ。腕時計を見ろ」

 ウォッチを見る。文字盤に「12km/h」と表示されている。ウォッチの文字盤のUIはいつも滑らかなのに、これは見たこともないギザギザの汚いフォントだ。

「何これ」

「クラックしてある」

「呆れた」

「『疲れた』の間違いでは」

「あ・き・れ・た」

 呼吸の、「呼」のタイミングでりらせは言う。

 少しだけ走るペースを落とす。このままでは持たない。可能な限り時速8キロメートルぎりぎりで走ろう。そして考えよう。全部。ぜんぶ。ハヤセ。お父さん。お母さん。


 そうだ。とりらせは思った。父親か母親に助けを求めよう。警察にも。

「ねぇ」とりらせは言った。

「ん?」

「ハヤセと話がしたい」

「できない」

「どうして無理なの? 本当に、?」ハヤセを人質に取ったというのは単なるブラフかもしれないのだ。

「お前が止まれば弟が爆散ばくさんするのだけは確かだ。考えても無駄な事は考えないほうがいい。もう一度いうけど、次に止まればとりあえずお前の右腕が吹っ飛ぶから、そっから本当かどうか考え直せばい」

 興味本位のとりあえずで右腕失うのは勘弁したい。毎朝の「なんじゃこりゃー」がしにくくてしょうがないだろう。

「要求は走ることだけなの?」

「そうだ。今のところは」

「いつまで、どこまで走ればハヤセを助けてくれるの」

「ずっと走ってろ」

「悪趣味ね」

「悪趣味だなんて生まれて初めて言われたな」

「ちょっと人に電話したいんだけど」

「ああ」と、男の声は言って、そのまま相手側から通話はあっさりと切断された。

 ウォッチのメニューを出す。ウォッチがクラッキング改造されたとは言ったが、実際のところ単に手製アプリケーションが追加されただけのようだった。ご丁寧ていねいに分かりやすく爆弾型アイコンにしてある。VC音声制御で母親に電話をかける。通話中。父親に電話をかける。二十コールくらいしたが、つながらない。愛娘まなむすめからのSOSを無視とは父親も母親も失格じゃないか。しっかくーっ! クソッ! そして緊急時用の警察の番号へコール。コール後そく相手が出る。えらい! 警察えらい! めてつかわす! 年配の女性の声で「はい。牙無伏ぎばなふ警察です。事件ですか? 事故ですか?」と尋ねてくる。

「事件です!」

「事件ですね? 何がありましたか?」

「わたしの、弟が、多分さらわれていて、わたしが、わたし、今走ってるんですけど、わたしが止まると弟が、爆弾が、爆発するんです」

 自分で言っておいてこいつ何言ってるんだというほど要領を得ない内容だとりらせは思ったが、訂正して言い直す余裕もない。息もきれぎれだ。ワンテンポ置いて女性が言う。

「弟さんが誰かに捕まって人質にされているんですね。そしてあなたはこの事件の目撃者ではなく当事者ということでよいですね」

「はい」とりらせは応じる。婦警、ゴッドかよ。

「その状況はいつ起こったのですか」

「さっき、犯人から、電話かかってきて、それからです」

分前くらいと思っていいかしら、それだと15十五分くらいのことね」

「たぶん、それくらい、です。で、現在進行形です。わたしの右手にも爆弾があって」

「爆弾?」

「わたしの右手も爆弾があって、今走ってて、止まると私も爆発するんです」

「いたずら電話では、ありませんね?」と婦警が、最大限の信用をって私に聞き返す。嘘をついたら、後で自責じせきの念を感じるような、大人が子供に対して、あなたの言う事を全面的に受け入れて信じますよ? という、声色こわいろ。そしてりらせは、それにしがみ付くように、すがりつくように、抱きつくように、言う。

「本当です! 助けてください」つらい方ではなく、嬉しい方の涙が出そうだった。

「あなたは今どこにいますか? できるだけ詳しく教えてください」

牙無伏ぎばなふ市内の、どこか、です。すいません、細かくは、わかりません。今学校、えと、えと、いちりつひがし高へ向かってます」

「今いる場所はわからないんですね」

「ですから、えっと、私はずっと移動して、いなきゃいけないので、どうすればいいのか、私も、わかんないんです」

婦警は二秒ほどの間を置いてから言う。

「とりあえずは東高に警察官を向かわせますが、会えなかったら、あなたに直接コンタクトさせます」

「あ、あ、はい」どうやって?

「今かけている電話機、あなたのものよね。その携帯電話の位置情報をこちらで使わせていただきます。それを元にあなたを捜索そうさくします」

「はい」警察ポリスメン、有能!

「あなたの見た目に関する情報を教えてくれますか」

「えっと、市立東高の制服着て、鞄持っていて、黒髪の長いポニーテール、身長は155百五十五センチ、体重48四十八キロ、血液型O型の女子です!」

「わかりました。お名前を教えてくれる?」

「芹那りらせ、です」

「芹那りらせさん、ね」

「はい」

「いまもうすこし通話できる?」

「はい」

「その、あなたの弟を連れ去った犯人のこと、何かわかりますか?」

「さっき犯人から電話がかかってきて、男の人でした。弟の携帯からでした」

「弟さんのいたずらということはないの?」

 そんな発想は思いつきもしなかった。しかし、弟のハヤセは小学年生だし、絶賛声変わり中でまだまだ男として幼い声で、さっきかかってきた通話の主は明らかに成人男性のもので、ボイスチェンジャーを使っていたとしても口調も発話のクセも違うし、何よりハヤセはこんな、ヒトに心配をかけるようないたずらなんてしない。

「絶対に弟ではありません」

「弟さんの名前は?」

「芹那はやせ」

「はやせさん。わかりました。とりあえず今、あなたとあなたの家族に対して、犯人に加えられている被害は、『弟さんがさらわれて人質にされ、あなたに爆弾が仕掛けられて、あなた自身も人質にされて、走り続けることを強制されている』ということですね」

「はいっ!」婦警マジ聖人かよありがとうございます、神! 私将来アイドル目指すのやめて婦警になるよ、婦警さん最高かよ。

「ではりらせさん、あなたは一旦学校に向かってください。学校に警察官がいなかったらそのままどこかを走っていて構いません。GPSで追跡していきます。わかりましたね」

「はい」

「ではこの通話、一度切ります。またこちらからかけ直すかもしれません。そちらも何か状況に変化があればまた通報お願いします。必ずあなたを助けますので、それまで頑張って走っていてください」

「あの、ふけいさん、おなまえ」

「私は牙無伏ぎばなふ警察署けいさつしょの後藤経子です。ちゃんと警察官を向かわせますので、それでは」

「はい」

 ああ、とりらせは思った。やっとだやっとだよ。救われる。助かる。なんとかなる。警察が助けてくれる。今は消費税しか払ってないけど私がんばるよ大人になったら納税たくさんするよ、婦警になるよ、困った人沢山たすけるよ、ハヤセ、待っててね、警察に通報したからきっとなんとかなる。大丈夫だよ。

 婦警の名前を耳にした時に何かが引っかかったが、大きすぎる安堵あんどがそれをき消した。


 息を整えながら走り続けていく。イレギュラーが同時多発しているが今この瞬間していることは普段と変わりない。学校へ向かって走っているだけ。いつもと違うのは、今日は遅刻じゃなくて多分欠席になるだろうということと、下手するとちょっと弟が爆散しちゃうこと、そして私のみている風景がいつもと全然違って感じられることくらいだ。何も思わなかったいつもの通学路、今日はなんだかアクションゲームの強制スクロールステージに思える。難易度インフェルノ。

 鞄、とりらせは考えた。重い。

 走りながら、中身をてていく。いのちだいじに。背に腹は代えられない。学校へ行きたくても行けない恵まれない子供たちが世界中にうじゃうじゃいるんだという正論、あとで全部聞いてやるから。今は鞄を軽量化させてほしい。ほとんど書き込みもしていない教科書、さよなら。無駄に綺麗に黒板を写したノート、さよなら。お気に入りのキャラクター、『路上ッコ暮らし』のアイテムで統一された筆記用具、は、持っておこう。ファッション雑誌のおまけでついていたポーチ、さよなら。取っ手の付いた黒いプラスティックの細長い何か、ちょっと待てこれ私のじゃない。いかにも手に持ってござれというデコボコ円柱の握り部分をにぎる。かなり重いが多分これあれだ、ナイフ。さやから抜き出すと、ぎらりと銀色に光るがこちらを向いていた。危ない。予想通りナイフ。刃の背中側にはノコギリのような細かいギザギザが付いているがなんだこれ何だよこれ私のじゃない、こえぇよ。こんな明らかに料理用じゃないナイフがなんで入ってんだよ。銃刀法じゅうとうほう違反じゃないこれと思って棄てた。身元不明のナイフ、さよなら。鞄はだいぶ軽くなった。鞄そのものはほおらずに持っておく。中のスマホは要るし、鞄そのものはあったほうが心強い。黒い革の学生指定の制鞄は一見手持ち式に見えるが、肩掛け、背負いもできる3WAYスリーウェイバッグとなっている。かばん内部に収まっていた背負い用のベルトを引き出して金具に結びつけ、背負う。年間の付き合いだけど、この鞄を背負うのは初めてだった。手に持ってこそ映えるこの鞄を背負うなんて何しろ私の美意識に合わない。

 二つ目の信号が見える。幸い信号は青に変わったところで、そのまま渡れそうだ。

 少し離れたところから、緊急車両のサイレンの音が複数聞こえてきた。胸の底の希望のにわかに揺らぐ。それにしても早すぎるな。待ち伏せでもしてたみたいじゃないか。警察どんだけ有能だし。ありがとう警察!

 信号機のある交差点の、更にいちブロック先のかどから、警察車両と消防車、救急車がサイレンと鐘を鳴らし警光灯けいこうとうを赤く光らせながら曲がってきた。随分と大所帯だ。

 りらせは運転手に向かって手を振るが、目くばせ一つすらなく通り過ぎていった。え、は? 何? 何? どゆこと? どゆこと? 落ち着け私。ドンパニ! つまりあれだな、私じゃなくてさっきのガバガ・マートへ向かってんだな。上げて、落とすスタイルね。それがお役所仕事のやり方ってワケね、オーケー分かった。あんだすたん。覚えておくぜ公務員。

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