第20話 「阿僧祇ヤバたんですネェこれ」

■ところ ジーファー甲板 

■じかん 004日目 09:42 〜 10:01

■たいとる 「阿僧祇ヤバたんですネェこれ」


 翌日。


 国産み神話によると、アルゲニョンが、瞳を無数に持つ神ディミエンヌに槍を突き立てて、槍から落ちた雫が大地を作ったとされる。それによって生み出された土地がエンヌリハルと呼ばれた。メガフロートの『エンヌリハルの雫』はそこから取られた名前だ。

 同じくその神話から取られた『アルゲニョンの槍』と呼ばれる攻撃システムがある。試験段階の自律武器ぐん管制システムだ。個別の兵器の名称ではなく、システム全体を指して『アルゲニョンの槍』と呼ばれている。陸海空に展開された無人攻撃機小型攻撃ドローン拡張知能A.I.が指揮して局地戦闘を行う目的で作られたが、指揮すべき拡張知能の開発が追いつかず、無人攻撃兵器の単なる連携システムとなっていた。

 

 という話を、父親がする。

「はぁ。民俗学とか兵器システムの講義してるバヤイなのでしょか」とミレイは言う。りらせも口には出さないが同意する。

「それより今日は本州へ行って走り始める日でしょ」

 どんより曇天ドンテン。普段の空の碧い色はどこからやってくるのかと不思議になるほど世界は灰色。

 ママの血と骨の付いたフロントガラスを交換し、車体もピンクに塗装してもらった。

「いや、その前に、伝えておこうと、思って」と、父親はりらせとあまり目を合わそうとせずにそわそわと甲板に引かれた標示ラインを見たり、くもり空を見たりする。父親は、ふぅ、とため息をついてりらせに話しかけようとした所で、

 水柱があがる。

 海の神がこの世に姿を顕現けんげんさせたわけではない。

 ずん、と地響き(甲板響き?)がして、視線をそちらに向けると、がっしりと腕組みをしたスーツ姿の美幌りらせの母が海水に濡れて立っている。どういう衝撃を与えたのかわからないが、恐らく今の地響きと同源の力で美幌の足元がへこんでいる。一瞬、ドライヤーの音を高くしたような音がして、濡れていた美幌はその一瞬にして乾く。

 「さすがに起きてすぐじゃ慣れんわね」と言いながら、ママは自分の足元を確認しながら私(とミレイ)に近づいてくる。ウンコ踏んだかもしれない時の歩き方だ。

「ちょっと待ってミホロ。今は抱きつかないでね」とパパが両手を前にかざし、急に何かを警戒して、母親に先制。いつもはされるがままにママに抱きつかれキスされるパパなのに。なんの牽制けんせいだ。

「だいじょぶよー、だいじょぶ、さすがに今はハグしないわよ」とママが言う。そして私の方を向く。腕組みをしたまま、言う。「りらせ、あんたが生まれた時ね、私、『ああ、五体満足の、健康な子が生まれてきてよかった』、って、のよね」と言って、曇り空の、太陽がありそうな方向を向く。あるかはわからないけど。つられて、りらせとミレイも何もないその方向を向く。「あなたが手と足を使って、人間未満で動き回って、意味シニフィエだけでシニフィアンの整ってないことばをバブバブ話し始めて、そのうち初めて二本の足で立って、そんで初めてわたしのなまえを呼んで、人間のことばを喋り始めて、自転車にも乗って、ま、健康な体っていいよねって思ってたけど」ちらっと一度視線をこちらに向け、また、むこうを見る。「あんた、トラックになっちゃうしさ」「半トラでいす」と、ミレイが言う。「ああ、半トラ。半分トラックね。半トラになっちゃうしさ。ん? んー? ちょっと何言おうとしてたか忘れたわ。何かいい事言おうとしていたんだけど。あ、そうそう、今日からあなたたち、本州を旅してまわるんでしょ、ま、楽しんできなさい。そのうち海外にもいけるといいわね。私は私であのヘル子しばくことに決めたので、あんたたちはあんたたちのできる事しておきなさい。走って、走って、走るといいわ。あの女のおかげでうちがM&Aしようと思ってたガバガHDホールディングスの株が下がり始めてんのよね。変な目立たせ方してくれちゃって困るわ。あ、今のオフレコだかんね。ミレイちゃん、りらせの事、よろしく頼むわね。んじゃ、りらせ、ダーリン、ハハは行ってくるから、うちに最初に帰った人は玄関に置いていあるゴミをちゃんとゴミの日に捨ててといてよ。あー、ほんと難しいわこれ。ほいじゃ、ダーリン、愛してるわん」パパは、仕方ないなぁ、という優しいため息をつきながら、右手の指を少しだけ動かして、「いってらっしゃい」と言う。私とミレイも「いってらっしゃい」と言うと、甲板のママが居た部分が更にベコン、と凹み、そこにはもうママは居なかった。

「ね、私のママなんだかんだでちゃんと優しいでしょ」と私はミレイに言う。

「昨日、ワタシ、リラセチャンのママウエ殿の事、エクサヤバたんと言いましたが、テイセイしますね。

 阿僧祇あそうぎヤバたんですネェこれ」と、ミレイが澄ました顔で言う。

 アソウギって何だし。

 海面に隕石いんせきでも落ちたかと思うような、さっきよりも大きな水柱があがり、私たちの車体にかかる。

 いつまでもここに居たら海水と潮風で車体がびそうだ。

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