第18話 「ん、えーっと、うん、まぁ、うーん、まぁ、好きかな」

■ところ ジーファー甲板

■じかん 002日目 16:17 〜 18:09

■たいとる 「ん、えーっと、うん、まぁ、うーん、まぁ、好きかな」


 ハイハイをしていた頃の記憶はりらせには何一つない。代わりに父親が映していた自分の姿をりらせは見たことがある。昔住んでいた家の灰色の絨毯の上でそれを写した父親に向かって嬉しそうにハイハイしていた。両手で地団駄でも踏むような、クランク運動でもするような、滑らかさのない手つきでトントントンと交互に絨毯に手をつきながら、嬉しそうにレンズに近づいてくる私。

 トラック改造手術から一日経っていた。

 ジーファー強襲揚陸艦の甲板で、りらせはおそるおそる、ホイールをすすめる。

 近くでりらせの父が腕を組み渋い顔をしてりらせの様子を見ている。しばらく思案したあと、白衣のポケットからスマホを取り出し、カメラをりらせに向ける。

あんよ車輪はじょうズ、あんよ前進はじょウず」

「ちょっと、今集中してるの。邪魔しないで」

「邪魔されても走レなきゃいけないのでいす」

 意図するより回転数が上がってしまい、止まれ、と思って止まろうとしてもなかなか止まれず、結局ミレイが車体を制動させ、止まれば甲板のフチギリギリ。

「あっぶな」

「お魚さんのおウチになるトコでしたね」

 車輪を動かすのはなかなか難しい。マントラックインタフェースによって接続された車体を操作する感覚は、今まで知っている足とは全く別だった。脳波を用いて操作するでもなく、筋電きんでん義肢ぎしのように足を動かす感覚がトラックに伝わるわけでもない。腰から下が人工皮膚、そしてシートの皮革ひかくへと継ぎ目もわからなく繋がってしまっている。全車体も自身の一部なのだという再認識が必要だった。全く新しい感覚が増えている。エンジンの回転数が、体に響く振動によってではなく、としてわか伝達る。測距計そっきょけいによって捕捉された障害物は、警告音ではなく、とわか直観る。脳に対する侵襲式インタフェースは薬物を併用し、前頭葉の一次運動野へトラック感覚操作用のマップを書き加える。あとはフィードバックの繰り返し、つまりりらせ自身が試行錯誤を繰り返す学習により、トラックの操作を習得していく。

 かれこれ五時間は前進と後退を繰り返している。

「リラセ」と、声が聞こえる。父親はスマホで録画しながら近づいてきて、りらせに向けて少し手を振り、「どんな感じかな」と、尋ねてくる。昨日、りらせの改造手術が終わった後に初めて対面したとき、予定されていたものであれ娘の変わり果てた姿を見てしばらく茫然自失ぼうぜんじしつとしていたが、今はある程度落ち着きを取り戻している。まだハヤセのことが残っているし、それを考えれば無事に手術の終わった娘は爆発しない分、なかば解決済みと言ってもよかった。

「パパの左手、指何本ある?」

「五本だ」

「六本目の指が生えたのを想像して、それを動かすのを考えて」

「ないものは難しいな」

「でしょ。その六本目の指を動かすのに感じとしては近いかもね」

「胸筋や耳を動かせるようにするのと似ているのかもしれないな」

 と言って、パパは耳たぶをくいくいと動かす。

「すご」

 父親の妙な特技をりらせは初めて見た。

「練習したんだ。それまで耳を動かすという感覚は全くわからなかったけれど、今はわかる。練習したことないけど、多分胸筋も練習すれば動かせるだろう。リラセ、君の体はトラックをちゃんと体の一部として認識してるから、練習していけばそのうち自然に動かすことができるようになるよ。リラセの言う六本目の指、言いたいことは伝わったよ」

 それにしても、とりらせは思う。ミレイは驚くほど自由に車体を動かしていた。さっきミレイに制御を渡した時、「ほい、んじゃちょっと見ててクダさい」と言って、荷台のないトラックを甲板上で急発進。ドリフト。急制動。怖すぎて、無いはずの下半身がおしっこちびりそうになって、なんてことすんのよ、とりらせは怒った。りらせがここまで苦労する技術をミレイはなぜ軽々と使いこなせているのか。理由を聞いたところ、ミレイもトラックと繋がってはいるが、りらせとは方式が違っているらしく、曰く「私のバヤイは、脳内にラジコンのコントローラーが埋まってて、それをいじるイメージですね」とのことであった。私はミレイと比べると遥かに深くトラックと接続されているのでトラックとしてのプリミティブな機微きびが分かるらしい。半トラどころかこれもうほぼトラでは。


 日は暮れかけていて、海面に夕焼けが映る。

 散らされた柔らかな日の光。あの光と同じものが、今は私の体内にある。

 りらせは眠気を覚え、欠伸をする。慣れていない神経が、ウォッシャー液をフロントガラスに吹きかける。欠伸あくびで出る涙と連動しているのかもしれない。

「はしたないデスねぇ」とミレイが言う。

「トラックの作法とか知らないわよ」

「リラセチャンにはレディートラックとしての作法を叩き込むヒツヨウ有りデスねえ」

 トラックレディーではないらしい。


 出し抜けに、「うへぇ」といってミレイが両手で頭を抱える仕草をする。

「どうしたのよ、まさかミレイ、あんた、酔ったの。船酔い? 車酔い? 私の中で吐かないでね」

チャいます。思い出しちゃッタんですねぇ」

「何を」

「イヤぁなジンクス思い出しちゃいマシた」

「とは?」

「最近ワタシの見たアニメとか映画で、主人公が横並びの複座型タンデムのロボに乗るんですが」

「うん」

「見たやつ作品大体、主人公じゃない方のキャラがロボの中で死んじゃウんですねぇ」

「イヤなの思い出したわねアンタ。まぁでも大丈夫よきっと。そう簡単には死なないって」

「リラセチャンが死んじゃったらワタシ悲しくて生きてくジシンないです」

「あ、自分が主人公側であること前提なのね」

「そういやリラセチャン、もしかして『そなた何と申す』、大好キでスね?」

「何よ、やぶから棒に。あんたはどっちなの? 好きなの? 嫌いなの?」

 『そなた何と申す』は、大ヒット映画であるにも関わらず、やたらとアンチが多い。引くくらい多い。半年以上のロングラン上映するくらい人気はあったのにこの映画を好きと公言すると「分かってない奴」の烙印らくいんが押される。謎すぎる。大人が性的な話題をなぜか避けるのに近いのかもしれない。本当は興味あるのにわざと避ける。でも私もばかじゃないので、いきなり、『そなた何と申す』を好きとは言わない。こちらの旗を見せるのは相手の出方を伺ってからだ。したがって、ちょっと刺々トゲトゲしい言い方になってしまった。

「はぁ、私はスキに決まってマスけど」

 なかなか度胸のある女だ。堂々と言い切れる人間、そうはいない。

「なんで私が好きだと思ったの」

「スマホの着信音が『取ったのかよ!』だったの聞いちゃっタんですねぇ」

「あ、ミレイは『取ったのかよ』派なのね。私は『エーアイアイ』派だけど」

「はぁ、何いってんすかリラセチャン、耳おかしいですねえ。今度一緒に耳掃除しましょね」

「別に耳がおかしいわけじゃないですが。ちゃんと前テレビで検証してたのしらないの」

「知ってマすけど。で、好きデす?」

「ん、えーっと、うん、まぁ、うーん、まぁ、好きかな」素直に認めるまでのハードルが高すぎて我ながら情けない。

「ドこ好きです?」

「んなもん最後のシーンに決まってるでしょー。中盤から自分たちの意思で任意のタイミングにお互い一日一回ずつ体を入れ替えられる事に気付いてからの、知略を巡らした攻防戦とかたまらんじゃない」

「ほほう。分かってまスね。リラセチャン。

 無名武将がハンニバルの体でやらかしまくって戦況悪くなって、元に戻されたハンニバルにも体勢立て直せなくなって」

「最後の最後に、ハンニバルが斬首されるギリギリのタイミングで、交代!」

「ハンニバルが戦国の世に生きて行くエンド。カッコよかったでいす」

「ミレイ、あんたなかなか趣味いいわね。あれは絶対エーアイアイって言ってるけど」

「リラセチャンもやりますネ。あれ絶対取ったのかよって言っテますケド」

「続編の噂あるらしいけど、知ってる?」

「一緒に観に行きまショね」

「あ、でもこの体じゃむりか」

「レンタルで一緒に見ましょネ」

「うん」

 『路上ッコ暮らし』と『そなた何と申す』を好きな奴に悪い奴はいないのだ。

 そうこう話しているうち、150000000一億五千万キロメートル彼方で核融合を行い続ける天体を、いとも簡単に水平線が消してしまった。

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