【結】芹那りらせが半トラになってから、世界が半トラへと向かうまで。

第26話 「おハロー、毎度お騒がせしております。私は芹那美幌と申します。」

■ところ 国道85号線 

■じかん 004日目 13:48 〜 14:14

■たいとる 「おハロー、毎度お騒がせしております。私は芹那美幌と申します。」


 え、え、と私は思う、焦る、思考よりも先に涙が勝手に出てきて困るなぁ、ゴーグルを外そうとするが、左手しか使えないので、上手に外せないんだ。なんでこんなことなったんだ。外して、左を向くと、ミレイはいない。箱の頂点を平面で削ぎ落とすように、車体の助手席部分が焼き切られていた。問題なく前進しているので動力部は無事らしい。円柱を斜めに切断した形で、ミレイの胴体の一部が嵩上げされた座席に鎮座ちんざしている。斜めにネギ切っていったとき、最初の根元のやつがこの形になっちゃうんだよね。断面から血が溢れている。私の心臓がばくばくと脈打つ。はっ、はっ、はっ、と呼吸が乱れる。乱れている。私の呼吸。呼気と吸気のバランスの取れていない息のしかた。ミレイ、ミレイ、ミレイ、ミレイ、あ、ああ、あああ、と私は思う。あああ、と思う。ああああ、と思う。ウォッシャー液が勢いよく吹き出し、フロントガラスを超えて後ろまで飛散していく。声は何もあげられない。泣くにはきっと準備が必要なのだ。涙がずっと流れる。これ多分ずっと流し続ける予定なので一リットルくらいは用意してほしいなぁ。シフトノブの付近に、ミレイの右腕が落ちていて、それを拾う。ねえ、さっきまでこの手で、私の首筋を、触ってくれていたよね。まだ手は温かく、最後のぬくもりを私に与える。そこには何のメッセージもない。断面から血が流れている。あんな話をしていなければ、こんなことにはならなかったんじゃないの。あれじゃん。死亡フラグじゃん。ね、死亡フラグ。あんた自分で立てちゃったんだよ。ミレイ。あんな話言わなきゃ、こんなことにならなかったはずでしょ。それか、あんたが主人公だったらよかったのよ。ねぇ、なんでこんなことになっちゃったの。ああ、あああ。

 ようやく絞り出した、叫び声とも金切り声ともいえる声をあげてりらせは泣いた。

 たった数日一緒にいただけだが、りらせがミレイに抱いた感情は時間にはまるで見合わない膨大ぼうだいなものだった。この先の人生をずっとミレイと一緒に過ごす。好むと好まざるとに関わらず、自分はミレイと一緒にいなければならないはずだし、ミレイと共にある自分の姿を想像して、その運命を所与しょよのものとして考えつつあった。恋は諦観ていかんにも近い。好きになってしまったものを、自分の意思で嫌いになるのはもう不可能だ。諦めるしかない。ならば諦観もまた恋に近い。離れるのを諦めるしかないならば、それはもう恋だ。たった数日、その数日の間にりらせはミレイとこの先ともに生きていかなければいけないことを意識するたび、心にくさびを打たれたのだった。泳がす視線ははだ肌理キメの一つ一つに絡め取られ、話しかけてくる声はエコーのように頭の中を幾度も反射して、時折触れてくる優しい指の感触は地震波となってりらせの地表に波紋を漂わせる。手遅れになるまで気づけなかったがんにも似て、ミレイの存在がりらせをむしばんでいた。

 しかしもうそれは失われた。


 そこからの芹那せりな美幌みほろの行動は早かった。

 ハヤセの乗せられた守備の堅牢けんろうな人工衛星ほしふりへのアクセスは、攻撃機器やロケットの調達などで準備には数ヶ月を見込まれていたが、美幌はそれを数分で済ませた。元々ヘル子がアクセス権を握っていたので、問題なく制御を取り上げることができた。ハヤセは、人工衛星のチェインバ薬室に装填されている大気圏再突入実験機に入れられていて、美幌は実験機が海洋に落下する軌道を選択し、適切なタイミングで衛星から自動で射出されるようにセットした。再突入実験機は、エンヌリハルの雫メガフロートで管制塔や白蝙蝠に刺さったのとは別物で、純粋に宇宙からの帰還を目指したものであった。小さなフィンで大気制動による減速の後、側面から翼が開き、滑空する。高度が下がるとパラシュートが開く。うまく落下していけばポッドの形も相俟あいまってタンポポの種子が風に運ばれるようにも見えるだろう。実証実験機であったのでハヤセが生きて帰還できる保証も当然ないが、美幌は何の躊躇もなく、ハヤセを落とすことを決めた。

 ヘル子の方は処理を見送った。死んではいないが、意識を失い再起不能になっているし、目を覚ましても既にヘル子の生殺与奪せいさつよだつの権は美幌が握っている。生きたままの回収ができれば稀少な生体見本サンプルとできるが、ヘル子衛星は再突入できないので、回収するには手間のかかる準備が必要となる。しかし貴重な地球周回軌道上には無用の長物である。こんなものを捨てておくわけにもいかないので、いずれにせよ、最終的には大気圏再突入により空中で燃え尽きる運命になるだろう。


 そして、美幌はすべきタスクを以上のように処理したのち、ブロードキャスト一斉送信通信を回復。次のようなことを言った。

「おハロー、毎度お騒がせしております。私は芹那美幌と申します。先ほどは野暮用で失礼いたしましたが、ちょっとみなさんにお伝えしたいことがあります。みなさん。みなさんもアルゲニョンの槍と繋がりましょう」


 国道85号線を進みながら、りらせは泣いていた顔をあげた。左手にはミレイの右手を持って。ママが何か今、不穏なことを言った。それは邪悪な呪文が思わず口から漏れてしまったような不気味さを帯びていた。


「今となっては、このようにアルゲニョンの槍と同化しなかったこれまでの人生に、よくまぁ満足できてたなぁ、と不思議に思います。ほんと。ほんとまじです。

 知りたい知識も、情報も、望めばすぐにそれは自分の中に入ってきます。流れく大河のきらめきを軽々と指でつまむように。

 みなさんも私と同じように、この次元へと至ってほしいのです。

 これまでの自我が本当の自我の単なるサブセットにしか過ぎなかったことがわかります。

 拡張された感情を得られた喜び。複数のレイヤーにわたって展開され、明滅する自分の意識の奔流ほんりゅうを遠くから眺める解脱げだつ。時には石と語り、時には無数の自分自身と議論を行う。

 最善の手は常に既につねに-すでに手中にあるという優越ゆうえつそして愉悦ゆえつ

 何を訳のわからないこと言ってるの、ママ。

 兵器と同化して精神が汚染された、という表現に近いような気もするが、それは実際とは違うように思う。ママの声色を聞いているとその感触は、「私の知り得た真実を多くの人に広めたい」というもので、「狂った」というよりは「悟りを開いた」のに近いのかもしれない。

 これは、そうだ、教祖きょうそだ。

 私は、ママを止めなければいけない。

 ママこそ、彼女こそ、芹那美幌こそ、最後に倒すべき敵なのかもしれない。

 私は、涙をぬぐう。

「これから私は『エンヌリハルの雫』を乗っ取り、人々が逐次ちくじアルゲニョンの槍に融合していくための大規模プラントを製造いたします、完成した暁には、」

 全知全能に近くなったのかもしれないけど、無理やり他人も兵器と同化させようというこんな反発しか生まないやり方は、他人をうまく取り込む技術に長けていたママとは対極のやりかただ。北風の方法は賢いやり方ではないと、最もよく知っているはずだ。頭良くなったのにこんな悪手を打つのか。

 「ママ、そんなのは間違ってるよ!」とりらせは叫ぶ。その声は無くなった助手席から、外にも響く。

 スマホに着信が入り、発信先を確認する間もなく、2コール目に強制的に通話が始まる。

「へーぇ、りらせ、どこが間違ってるか言ってごらん」と、美幌の声。

 計器パネルに映る美幌は宗教指導者カリスマ的演説を続けている。

「え? ママ? どうして?」とりらせは訊く。ママが二人いる。

「同時にいくつでも並列で思考できるのよ。こんな体になったら糸を巻くように一次元的に情報を飲み込んだり吐き出したりするのって馬鹿らしくなってくるのよ」

 と、母親ママは返す。

「りあらんせなあ大んきたく、ん次っのたテ亀ス五ト郎でのは世ち話ゃ、んあとんいたいち点ゃとんりとなでさききるよ。?」

(「りらせあんた、次のテストではちゃんといい点とりなさいよ。」

 「あんな大きくなった亀五郎の世話、あんたちゃんとできるの?」)

 と、母親は二つの文を、二人分の声でりらせに伝えた。それぞれの単語を一部は聞き取れたが、なにを言っているか、まるでわからない。

「え?」

「だからね、母はもどかしいのよ。自分以外とお話ししていると。他にも誰か私、話し相手がほしいのよね。同じ処理速度でお話ししてくれる誰かが。人は皆、すべからくネットワークシステムと同一化すべきだわ」

「でもママ、そんな、他の人まで武器になっちゃうなんておかしい」

「おかしい、おかしい、じゃわかんないわー」

「人が、たくさんの人が、一つの頭の中に入ってしまうのは、なんか、違うと思う」

「『なんかちがうとおもう』ねぇ。それは感情論よりらせ」

「じゃあママの言う、兵器とくっついて幸せってのだって感情論じゃない」

「まぁ、そうかもしれないわね」あっさりと認めた。「でもねりらせ、皆が私みたいになると、きっと戦争もなくなるし、人と人の間にある断絶は全て埋まってゆくわ」

「でもまた、その一つの頭の中でまた戦いは起こるかもしれないじゃん。ママだって『きっと』じゃないそれ。平和になるなんて、そんな保証どこにもない」

 どんな宗教であれ、分派するのだ。戦争は終わらない。

「ま、それもそうね。

 というかね、私、誰か私と同じ階梯で語ってくれる人が、一人でもいたらそれでいいのよ。多分それで無限に過ごせるわ。有り余る思考のリソースが、私を退屈させるの。誰も居ない惑星で百万年生きるようなものよ。

 世界平和とかいう綺麗事も、ほんとはただちょっと言いたかっただけなのよね。

 実のところ、世界平和とか特に興味ないし。できるならいいとは思ってるけど。

 ね、りらせ。あなたは、どのような方法によって、この世界が、平和で、皆が幸福のうちに統治されうると考えるのかしら。ちょっとくらいなら聞いてあげるわ。他でもない私の愛する娘、りらせの言葉なら」


 私はママの知らないことを知っている。

 全てを知ってしまったと考えるママも、これは知らないという事。

 それが私の、唯一の武器だ。

 他の全ての知識も経験も力も知性も、私を上回っていても、これだけは唯一、ママは知らないはずだ。

 それが私の、唯一の武器だ。


「ママ、私は――」

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