第25話 「『路上ッコ暮らし 、ジ・アニメーション 〜ベーシックインカムを導入せよ〜』」
■ところ 国道85号線
■じかん 004日目 13:12 〜 13:47
■たいとる 「『路上ッコ暮らし 、ジ・アニメーション 〜ベーシックインカムを導入せよ〜』」
「痛い痛い痛いいぃいいい」と、ヘリポートの上で体を捩らせてヘル子in美幌が呻く。スーツが白く汚れる。美幌の体にさっきまでの機敏さはなく、ヘル子が操る美幌はほんとうにただの生身の肉体のようだ。
「さっきのは挨拶でぇえええええ!」と言うと、美幌in亀五郎は左前肢でヘル子in美幌を引っ張り上げ、「これは、りらせの分!」と左でジェットパンチを叩き込み、「これはハヤセの分! これはダーリンの分! これは亀五郎の分!」などと、配給制の食べ物でも配るように、人物名を読み上げ確認しながら、ヘル子を両拳でジェット殴りをしていく。赤点とったテストの科目ごとにこれされたらやべえな、と思いながらりらせはその様子を見ている。
口から泡と血を出しながら、ヘル子は言う。
「どう、やったのよ」
ヘル子との通信リンクはすでに切られていて、ヘル子の声は美幌の口を通したものだけが聞こえる。
「あんた頭いいんでしょ。教えないから自分で考えなさい」と、美幌in亀五郎は言い捨てる。
ヘル子in美幌はよろよろと立ち上がり、一度空を見上げる。
「美幌さん。言っておくけど、私の意識をあなたのカラダに押し込めても、それは私(ヘル子)の記憶を持った別のナニカにしか過ぎないわよ。意識のコピー問題、意識のダウンロード問題も知らないのかしら」
「ヘル子ー、仮にあんたの意識をコピーさせたところで、元のヘル子との
「もってきたの?」と、ヘル子in美幌は言う。右太ももの、敗れたスーツの
「あんた、りらせに、『そのナイフで左手を切り落としたらハヤセを助ける』って話を持ちかける予定だったらしいわね。このカス。私が似たような選択肢をあんたにあげるわ」
「選択肢? いらないわよそんなもの」
「今すぐそのナイフを自分の心臓に突き立てるか、柄に入った鎮痛剤を自分に刺すか、好きな方を選びなさい」
「腹がたつわね、その余裕ぶった感じ」
「実際、余裕、ですので」
「ない選択肢を選んでやるのが、私のやり方なのよ!」
ヘル子in美幌が両手で握ったナイフを、美幌in亀五郎の胸に突き立てる。しかし鉄琴のような澄んだ金属音だけが響く。亀五郎の腹部、特殊素材の腹甲板にただのコンバットナイフでは傷一つつかない。
「ま、そりゃ、そうよね」ヘル子in美幌は諦めたように、表情が
「今お食事中の人もいるかもしれないからね」と美幌in亀五郎が言うと、ブロードキャストされていた映像は全て黒字に赤で『SOUND ONLY』という、映像信号が途切れた際の表示に切り替わり、高さを増すジェット音の後、何かダチョウの卵を地面に叩きつけたような音と、今のどう考えても鎮痛剤が正解でしょうよ、という美幌in亀五郎の声がした。
しばらく『SOUND ONLY』の画面がつづく。誰の声も聞こえないまま時間も過ぎてゆく。
「あ、分かっちゃいマしたねぇ」と、ゴーグルかけたミレイが言う。
「何が」
「リラセチャンのママウエ殿がヘル子チャンを自分の体に押し込んだ方法でいす」
「ふーん」
「え、訊かないんデスか」
「難しい話興味ないのよ」と私は言うが、ミレイは勝手に続ける。
「はぁ、つまリですね、TAS使った任意コード実行みたいなもんですねぇ」
「あ、知ってるそれTASさん。ゲームですぐエンディング見るやつでしょ。じゃあ興味あるかも」
「むう。ちょっとリラセチャンには誤解があるようでいす」
「でもゲームの話でしょ」
「はぁ。まぁいいや。TASってのはツール使って、人間じゃできない速さと正確さでコントローラの信号打ち込むわけなんですね。それだけならまぁ連射パッドみたいなもんなんですが、他にもタトえば、ゲームのプログラムに
『連射パッド』というのがりらせには何なのかはよくわからないが、とりあえず、プログラムの抜け穴から何かするというのは分かった。
「ゲームの改造しちゃうわけね」
「んー、改造ではないのですが、コウギにはそう言ってもヨイでしょ。多分、ヘル子チャンは、
「ボトルシップ作るみたいなもんか。でもさっき言ってたけど、ネットワークに繋がってないんでしょヘル子。無理じゃん。ゲームの無線コントローラが実は繋がってましたみたいな? そんな感じ?」
「んふ。ガバガ・マートでいす」
「はあ」何がガバガ・マートなのか、もったいぶらずにさっさと説明してほしい。
「多分、ママウエ殿はヘル子の設計書でも見て、セキュリティホール発見したんでしょネ。さっきの話聞いてたらヘル子の内部アーキテクチャ、ほとんど保守スら不可能そうな言いようデシたし。通信設計もおそらく国際規格のレイヤー構成蔑ろにして造られてたっぽいデすし、多分物理層からアプリケーション層まで無視してヒデエ結線させてたのがわかります。ヘル子設計したのはきっと原始人でいす。マントラックインタフェースの風上にもおけない雑な作りだったんでしょね」
「だから難しい話しないでよ。うちのママ、ごくありふれた拡張主義者のOLなので、多分機械とかわかんないはずだけど」
「リラセチャン今更なに言ってんスカ。元より企業M&Aがダイスキな上、戦略の才覚があり、更に戦術AIを超越したスコア出して
ゴーグルをしたミレイの、黒くて長い髪が、少し汗ばんだ白い首筋に張り付いている。私は自分でも無意識にミレイの首筋に左手の指を立てて、張り付いた髪を伸ばすように、立てた指を這わせた。
「んんぁひう! なにシてんすかリラセチャンの変態!」と、ミレイがちょっと怒ったように言う。「ひとの首筋の触り方ちょっとエッチ過ぎませんかネぇ」
「あ、ごめん」と私は言う。私は素直に謝れるよい子なのだ。「思わず触っちゃいました」
「ほいでですね、多分最初に空を広くして、ヘル子チャンにまずこの街をじっくり見せるために、雲を払ったんでしょね」と、特に気にすることもなく続ける。「で、ガバガマートが看板に使ってる表示パネルを操作して、イルミネーションを光らせたんですね」
「ふうん」
「ときに、リラセチャンは六年前に放送された、『路上ッコ暮らし 、ジ・アニメーション 〜ベーシックインカムを導入せよ〜』、観ました?」
「あ、観た」
それはある意味で伝説となったアニメだった。番組改変期に単発で放送された一時間のアニメーション番組で、『路上ッコ暮らし』の初アニメ化作品だった。夕方に放送され、りらせもそれを観ていた。それぞれのキャラに焦点を合わせたオムニバス形式で、
「路上ッコショックは勿論しってイマすよね」
「うん。子供が沢山泡吹いて倒れたやつね。私は大丈夫だったけど」
「あれから得られる知見、それは視覚刺激によって人をコウゲキできる、ということでいす」
「あ、つまり、ガバガ・マートの光でヘル子やっつけたってことね」
「まぁ、遠く言えばそでいす。んぅ、あぅ、ヤメテクダサイ」りらせはまたミレイの首筋を左手で撫でている。
「ごめんごめん。でも別にガバガ・マートの光、そんな強い点滅なんかしてなかったよ」
「そでいす(そうです)。きっと点滅はしていても私たちには気づけない周波数で明滅してたか、あるいは色そのもの(これも周波数)が信号になってたか、ちょっとその辺はわかりまセンが、多分これヘル子チャンも気づかなかったと思うのデスね。ヘル子チャンの目はただの観測装置な訳じゃなくて、視覚野に直結されているので。見せられたものは見チャウし、ヘル子ちゃんが気づく気づかないに関わらずそれは脳の機械部分の物理層を叩きマス。コンコン。脳と機械が不可分なのが裏目に出たのでスね、んで脳の電子制御された部位に任意コード仕込んで実行、エンター。カタカタ、ターン! でいす」
「はぁ」
「思考や意識に
「 はぁすごいね」
「サブリミナル効果などはその最たるモンですねい。リラセチャンだって今カラダにナノマシン注入されてるけどそれに気づけないし、ウィルスに感染しても、体の免疫が働いて症状として現れないと気づきませんノデねぇ。知覚できる信号でも、スケールを変えると解釈の
「そんなものなのか。まぁ小さすぎてもそうだけど、逆に大きすぎても分からないもんね。きっとウィルスは私を認識できないだろうし、この世界が小説の中の世界だとしても、私はそれを知覚できないし」
「ま、知覚しちゃったらそれはそれでヤバヤバです。
「たてよみ?」
「昔あった言葉遊びデスねぇ。ちょっと待ってくだちいね。あ、あったあった」
りらせはミレイの右手を握っていたが、その手を離す。りらせ自身もなぜ握っていたか分からない。ミレイはかけていた
ゴーグルには真っ暗な画面の片隅にウェブのウィンドウが開かれている。りらせの母親から一方的に絶賛
「それ、最近読んだネット小説の『プロローグ』なンですケど、横書きになってる左端の文字を拾うと文になるんですねぇ」
「なってないけど」見てもガタガタのテキストがあるだけだった。
「あ、横に広げて文字サイズ下げテ」
文字サイズを下げ、ウィンドウをつまんで横に広げると、文章は整形されたレイアウトになった。
「へぇ」確かに読んでみると意味が通る文になっているが、小説のネタバレっぽかった。
「やんっ」とりらせは首をすくめる。
りらせの首筋をミレイの熱い指が歩いていく。
「さっきリラセチャンも触ってきましたモノねぇ」
そのとき、美幌が一方的に送りつけている映像が回復する。さっきと同じ、どこかのビル屋上のヘリポートで、
「新しい顔よー」などといって頭部を新品と
「りらせー、ダーリン、私の勇姿ちゃんとみてくれたかなー!」とママが言う。恥ずかしいのでやめてほしい。「ヘル子は勝手に、自分の意識が私のカラダにコピーされたと思ってたみたいだけどー、ありゃ大いなる勘違いなのよね。私がしたのは、ヘル子の身体の全感覚を私の体に繋げるってことだったのよねー。だから自分の思考や意識はずっと
勝者の余裕なのか、ママは細かく説明をしてくれる。
人間とは驕る生き物だ、というような事が、さっき見た小説のプロローグ部分に書いてあった。
それが驕りならば、まだ私のママは人間なのかもしれない。
それは良かったのかもしれないし、人間をやめて驕りもない完全な上位の生物になっていれば油断を防げたかもしれない。
私にはどちらも選べない。
ママを選ぶか、ミレイを選ぶか。
しかし
「あ、これヤバたんすねぇ」と、ミレイの声がした。
ガクン、とむりやり一メートル程右に進路変更させられた。足のあたりに、直射日光を浴びて灼けるようなチリチリとした
「ちょ、危ないじゃない、何すんのよ!」と私は言う。
車体の側面が擦れたまま前進している感触がある。ママの視界が動くと、上空から斜めに射す一条の光がちょうど消えゆく所だった。その先にピンクのトラック、つまり私の車体があった。
「りらせ! 大丈夫?」とママが叫ぶが、「あ、大丈夫ね、よかった。ヘル子のただの最後っ
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