第5話 「私、左利きなの」

■ところ 三つ目の信号 〜 四つ目の信号 

■じかん 001日目 08:22 〜 08:28

■たいとる 「私、左利きなの」


 「近所の悪ガキ」という概念がいねんがある。クソガキの事だ。りらせはクソガキが大嫌いだった。弟もガキ呼ばわりされる年頃だけどハヤセは可愛いし、クソガキじゃないので大好き。

 りらせの父親は「ゴンタ坊主」などと言っていたが、それだ。いや、そんな柔らかいゴンタなんて響きで済ませるようなもんじゃない。もっとシリアスに悪辣あくらつなガキ。不良上がりの男性が「俺も若いころヤンチャしてましてねーw」などという時の「ヤンチャ」のカウントにも入れられない年頃のクソガキ。何をやっても社会的には許されるクソガキ。多くの人間が知っている所謂いわゆるクソガキが、クソガキのわたあめだとすれば、あの四人兄弟はクソガキのザラメだ。クソガキという概念の結晶体。平均的な百人のクソガキをプレス機で10000一万kNキロニュートン圧搾あっさくして初めて微量びりょう抽出ちゅうしゅつされる少なクソガキ。純粋なクソガキ。百カラットのクソガキ。クソガキは永遠の輝き。永遠の輝きが四つ。クソガキフォーエバー。

 その四つのフォーエバーは日をまたがずして同じ子宮からこの世に産み落とされた。

 フォーエバーどもは子宮から出てきた時系列順に、

 真希輝まきてる

 烈児れつじ

 大輔だいすけ

 百海ひゃっかい

と名付けられた。

 赤ん坊というのはこの地獄のような世界に生まれた事をなげき、オギャアと泣くものらしいが、だとすればこの四人の皇帝は笑いながら生まれて来たに違いない。まぁそれでも母親のわきからポンポンポンポンと生まれて、四人でポーズを取りながら「天上!」「天下!」「唯我!」「独尊!」とか言わなかっただけマシだろう。いや、私が知らなかっただけで本当は言ってたかもしれないし、あの四人の事だから否定しきれない。なんなら子宮の中でけ麻雀していたまである。

 なぜりらせがそれほどまでに汚い言葉でってクソガキ悪ガキなどと言うのかというと、クソガキがクソガキであるのを身をもって嫌という程味わっているからだ。馬見豊三角ばみゆたみすみといったら全国的には原因不明の事故が多い魔の地帯として有名であるが、局所的に、近隣きんりん学区内で馬見豊といえばと問われれば『馬見豊の三角バミューダ・トライアングル』よりも、『馬見豊の四暴君バミューダ・カルテット』、すなわち公尾きみお家のクソつ子を最初に挙げるだろう。現在小学四年生のその四つ子はいずれもよく日に焼けた肌をし、発育がよく、背も高い。小四ばなれしている。特に烈児は柔道、空手、ムエタイの教室に通っていて筋肉質で、身長はりらせとほぼ変わらないし、ガタイは烈児の方がいい。純度の高いクソガキ性を誇る性格は四人に共通しているが、容姿は兄弟と分かる以上には似ておらず、一卵性いちらんせいではなさそうだ。真希輝は女の子が憧れるようなサラサラの直毛でそれが肩までかかっている。顔も整いイケメンの素養ありだが、歯がボロボロのガタガタなのがよろしくない。百海は雰囲気ふんいきを端的に言えば僧侶そうりょだ。さとりを求めている表情をしている。小四の僧侶。しかし内実はクソガキ。小四の僧侶のガワかぶったクソガキ。大輔は天真爛漫てんしんらんまんで無邪気なクソガキ。いつも笑顔で他人にロクでもないほどこしをする。邪気無くして邪気100パーセントの悪事を働いてしかもそれを悪いと思っていないし反省をすることがないという、最もごうの深く厄介なクソガキ。

 この四暴君ぼうくんどもに関してはいくつかの行動の傾向が報告されているが、代表的なものは次の四つである。すなわち、一、自分より弱そうな人間や生き物を見つけると、いじめる。二、他人が大事そうにしているものがあれば、うばうか破壊する。三、権力者にはびる。四、兄弟は助け合う。四つめだけなんだか平和そうだが、四人が仲間割れすることなく結託けったくして同じ方向に悪事を行うということである。最悪である。

 牙無伏ぎばなふちゅう職員室ヤギ事件、馬見豊高ばみゆたこう四トントラックとなまコン事件、馬見豊小ばみゆたしょうプールかに事件、馬見豊西中ばみゆたにしちゅう家庭科室全焼ぜんしょう事件、馬見豊北高ばみゆたきたこう野球部員全員ボコボコ事件、牙無伏東ぎばなふひがし高(りらせの通う高校)サッカー部部室カエル及び部員全身脱毛事件、市中しちゅう全市民会館のホワイトボード市役所前放置事件、上げていくと枚挙まいきょいとまがない。

 さて、先ほどの女の子の「かえしてー」に戻る。まだ見えていないが、市営馬見豊三角の駐車場でクソ永遠の輝き共が女の子にちょっかいをかけているに決まっているのだ。そしてその前を通るとりらせに絡んでくるだろう。絶対に絡んでくる。他人の嫌がることを確実に捉える器官がフォーエバー永遠の輝き共には備わっていて、数キロ先の血のにおいをぎ当てるさめのようにして、トラブルを抱えたりらせをターゲッティングするのだ。絶対絡んでくるに決まっているのだ。

 「かえしてー」を聞いた瞬間にきびすを返そうかと思ったが、その一瞬が命取りになるということもある。りらせにできることは二つしかない。

 全力で通り過ぎることと、祈ること。

 祈りは届かない。

 普段の信心しんじんが足りないんだろうな。

「おーっと! これはこれはりらせちゃんじゃーん!」という声がする。声だけでは判別つかないが、いずれかの暴君様だろう。七つも年上の相手にちゃん付けとはどういう了見りょうけんだと思うが、いまはそれどころではないし、無視しようと思ったのに、意思に反して思わず声の方を振り返ってしまった。そこにはうずくまって泣いている女子小学生と、駐車場の舗装ほそうの上に散らばった文房具類、そしてそれを囲む格闘タイプと修行僧タイプときっイケメン見習いタイプとフェアリータイプの四天王。四天王の副属性は全員あくタイプ。りらせに話しかけて来たのはイケメン見習い真希輝まきてるで、へらへら笑いかけの口元からガタガタの歯が見える。あの整ったまゆは親が切ってるのか。ちらりと見えた女の子と文房具、文房具はりらせも好きな『路上ッコ暮らし』のものである事が色使いでわかった。下敷きはそれと視認できたが、他のハサミやペンケースも多分そうだろう。今の緊急事態が終わって私が無事だったらいつかあの女の子に私の路上ッコ暮らしコレクションをあげよう。と、そんな事をりらせは一瞬考えたが、他人を思いやっている場合でもない。公尾きみおボーイズの標的は明確にりらせに変わっていた。

 りらせを捕捉ほそくした四人が走ってくるのがわかった。戦闘機の兵装のひとつに、フレアと呼ばれるものがある。以前テレビで見た。自機に対して放たれた追尾ミサイルを振り払うために使われる欺瞞装置デコイだ。それが欲しい。今欲しい。いつもいい子にしてるので特別サービスで時間外労働サンタがやってきて私にフレアをプレゼントしてくれないだろうか。してくれたら今日を記念日として毎年この日にあわてんぼうのサンタクロースを歌う。ちかいます。

 願いは届かない。

 祈りも誓いも届かない。

 私たちの祈りを届ける機関はどこだ。

 郵政省ゆうせいしょうか? 郵政省はちゃんと仕事してるのか。

「ねー、ねー、ねー、りーらせちゃーん、今日のパンツ何色ー!?」

 小四が言うセリフではない。多分これも真希輝だろう。大体こいつら、いつもはパンツの色なんて実力行使で確認してくる。ひとが急いでいる様子を見て、今回はあえて追いかけながら絡んでくる方針にしているようだ。もちろん急に鞄をつかんで引っ張ってくることもあるので何も安心できない。実力行使された事は何度もある。先週は持っている鞄を真希輝につかまれ、烈児れつじ羽交はがめにされ、大輔が無邪気に私のスカートをめくり上げて「わー、りらせちゃん今日も路上ろじょうッコらしのおパンツなんだねー! かわいー! 薄い黄色だねー! 今日占いでやってたぼくのラッキーカラーだー!」と天衣無縫てんいむほうに私の下着の情報開示かいじを行い、その様子を悟りを開きそうな百海ひゃっかいしぶい顔をしながら目を細めてスマホで動画をしゃメっていた。一度や二度でもないしもう叫ぶ気力も起きなくなる。逆らっても何もいいことはなかったし、嵐は通りすぎるのを従順に待つしかない。近づく台風に雨戸あまどを閉じるように、心を閉じて恐怖や羞恥しゅうちから身を守る。百海のスマホにはきっと、私をはじめ様々な女子のスカートめくりコレクションが保存されているのでオークションに出すと高額で落札されるだろう。

 りらせは四暴君とかなしい少女を見なかったことにして走りを続ける。暴君共は当然のようにりらせを追尾する。

「おいおいおい無視かよりらせねえちゃん」と烈児が言う。りらせはただでさえ疲れている中、ペースを上げて必死に逃げようとしているが、四人はかなりの余裕をもてあましながら追いかけてくる。スキップでもせんばかりだ。奴らは基礎体力が高すぎる。とにかく無視しようと思う。こういう、人をいじめるような奴らはこちらのリアクションをこそかてにするのだから。

 「しゅばばばば!」と烈児が効果音を口に出しながらりらせのわきをすり抜けていく。忍者アニメに影響されたのか、手の力を抜いて腕をプラーンと慣性かんせいに従わせながらの独特の走り方をしている。残りの三人も真希輝、大輔、百海と順に同じ走りで列になって追い抜いていく。架空のレールが地面に敷かれてるかのようにしっかりと前の兄弟の軌跡に沿って。大輔が笑顔で「忍法!」、最後の百海が涅槃にいるような顔で「かげぶんしん!!」と言う。こういうところが無駄に小学四年生でしゃくさわる。

 先頭の烈児が不意にりらせの先の進路上で手を広げ、足を大の字に通せんぼする。

 りらせは一瞬あせる。咄嗟とっさの判断。自分が怪我けがをしないことを祈りながら、そのままの速度で烈児のメートル手前から踏み切って烈児に向かってジャンプ。相手が怪我しようと知ったことか。今この瞬間大事なのはハヤセの命とそのために私が走りきる事なのだ。空中で体躯たいくをくの字に曲げ、思い切って右足を烈児の腹に、両手は烈児の肩を捉える。胸のリボンが下からぱしりと烈児の顔に当たる。後ろに倒れながらの烈児を足場のようにそのまま右足で踏んづけて乗り越える。仰向けに倒される烈児は格闘技でつちかった反射神経で上手に受け身を取っていた。まさかりらせがそのまま突っ込んでくるとは夢にも思っていなかったようで、目を丸くしている。「やりますね」と達人のように百海が言う。いや何者だよ。残り三人は当然のように烈児を放ってりらせに並走してくる。「俺に構うな! 行け!」などと後ろの方で仰向けの烈児がノリノリでのたまう声が聞こえる。アスファルトに頭をもっと強くぶつけておくべきだったか。

 「ねー、りらせちゃーん! おっぱい成長したか俺が確かめてあげるからさ、触らせてよー! Cカップくらいにはなったー!?」と真希輝が何一つオブラートに包まずに言う。成人男性が思いつつ面と向かっては言えないだろう事も、小四なら言えるし許されるのだ。小四になる権利を政府が売り出したら歳入さいにゅうもさぞ増えることだろう。

 ずっと無視しようとしていたりらせだったが、我慢できずに「急いでるの!」とわめく。「お願いだから放っておいて!」

 あぁ、応えてしまった、と後悔する。きっと火に油だ。

「へー、急いでんだー!」と真希輝。へーなんだ、面白そうじゃん興味あるわというふうに目が輝く。残り二人はいつの間にか視界からいなくなっていたが、すぐに真後ろから陽気な声で「わー、ほんとりらせちゃん路上ッコ暮らし大好きなんだねー! かーわいー!」と。大輔だ。器用にりらせのスカートをめくったまま走っているらしい。「りらせちゃんの今日のパンツはグレーなんだねー、あつぎさんデザインの限定のやつだー! なゆたちゃんも同じパンツ穿いてたよー!」自然体スケベの『公尾”スカート捲り”大輔』。女子の下着事情に精通しすぎでは? 誰か知らないけどなゆたちゃんもご愁傷しゅうしょう様。(ちなみに「あつぎさん」というのは路上ッコ暮らしのキャラクターの中の一つで、小汚いおじさんが拾い物のボロボロの服を重ね着しまくって雪だるまのようになっているキャラクターの事だ。ニット帽をかぶっている)百海の声は聞こえないが、えに苦しむ衆生しゅじょうを救うために即身仏そくしんぶつになるときのような表情で私のパンツが出陳しゅっちんされてゆくさまを動画におさめているのが手に取るように分かる。このクソガキ共、本気で蹴ったら「痛え!」とか言いながら中からおっさんが出てくるのではないか。でもいい、今日はいい。お尻にキャラのプリントされた布一枚で見逃してもらえるなら安いものだ。

 そして真希輝も視界から消えた。

 何もしてこないはずがない。

 真希輝は四人の中では最もりらせに執着している。丁度スポーツジムのガラス張りウィンドウの横に差し掛かったので、そちらを見たらまさしく今、りらせの胸を後ろから鷲掴わしづかみにせんとする真希輝が映っていた。

 再び判断の時。

 りらせは前転をする。多少の怪我は覚悟の上で。

 りらせのおっぱいを掴み損ねた真希輝の手はちゅうき、体はそのままバランスを欠き、綺麗なストレートの髪は弧を描き、顔面からアスファルトへ熱烈なキス。反射的に「いてええええええ!」と喚き出す真希輝。歯が二、三本折れているかもしれないが、せっかくなのでこれを機に他の歯とまとめて矯正きょうせいしてもらうといいだろう。一方りらせは前転の際に背中から落ちてきた鞄が頭部を守るクッションのような役割を果たし、見事に前転からの再走行に成功。さすがにこれくらいの幸運ラッキーは無いと困る。

 「ひっどーい!」とパンツ大好き大輔が後ろの方でぷりぷり怒っている。政治家はこのクソ四重奏カルテットを見習うべきだろう。自分たちがしていることをたなにあげる手腕しゅわんの見事さ。これくらいナチュラルに堂々と人のせいにできる才能はそうそうない。

 「ひどいのはどっちよ!」と走りながらりらせも怒りをあらわにする。相手にすると厄介そうな烈児と真希輝が居なくなったのでりらせも多少は強く出れると思ってしまった。大体こっちは弟の命と私の右腕がかってるんだ。そもそもなんだかんだでこっちは七つも年上だ、クソガキはもっと人にしかられる必要がある。「あんたたちが、してることは、れっきとした、犯罪、なんだからね! このクソガキ共!」走りながら怒りがあふれる。ついでにほんの少し涙も出てくる。身体中からはずっと汗がき出している。「私の、おっぱいはね、将来の彼氏と赤ちゃんのためにあんのよ! どんなちっさくても、あんたたちが、気安く触っていいような、おっぱいじゃ、ないんだよ! パンツだって、あんたたちに、見せるために、穿いてるんじゃない!」

 背後にずっと気配はあるが、特に反応はない。数秒の沈黙。さすがにこっちも本気で怒ったのが効いたか? 反省しろ。

 「あー、やっぱりりらせちゃんのパンツさいこーだね! ここでくらしたいよ!」と大輔。

 あ、ノーダメージですか。

 一気に押し寄せる無力感。

 夏休みの自由研究「だんしこうこうせいは何回のグーパンできぜつするか調べました」のために高校生の野球部員を次々捕まえて馬乗りになってボコボコにした小学生だ。女子高生一人がドスをきかせたところでカエルのションベン程度にしか感じていないのだろう。

 一瞬だけ背後を振り返る。

 そこではあおけになったままの大輔がりらせのスカートの中に顔面を突っ込んだまま移動していた。どうなってんだそれ。百海が大輔の両足を脇に抱えたままりらせの後ろを追従ついじゅうして走り、大輔は腹筋のみで姿勢を維持して両手でりらせのスカートを持ち上げて天地てんち逆さにりらせのパンツを見上げていた。要は、遠心力に頼らずにジャイアントスイングの姿勢を保ったまま時速8キロメートル以上を出して走っている訳だ。二人とも並の小四の体力でできることではない。器用だなおい。

「りらせちゃんのおしり、ほんといいかたちしてるねー。さわっていいよね、さわるねー」と言って顔面をりらせの尻に押し付ける。りらせの尾骶びてい骨から頭頂にかけてアニメの表現のようにぶるぶると悪寒おかんが駆け上がる。

「やめろ変態!」とりらせは叫ぶ。「キモすぎるんだよクソガキ!!」いつか婦警になって真っ先に逮捕してやるこいつら。

「わー、りらせちゃんおこってるー、こわーい!」と大輔。

「ほほほ、我々にはご褒美ほうびですな、もっとののしって下さい」と百海。だから何者だよお前。

「お館さまああああああ!!!!お館さまああああああああああ!!!」いや、今度は誰だよお前。

 と思ったが、違うわこれクソフォーエバー四兄弟じゃなくてこちらの血のつながった愛すべき弟ちゃんの携帯からの着信だわ。りらせは電話に出る。ずっとカプセルは耳に詰めたままである。

「もしもし」とりらせは電話に応答する。

 私のしりを安息の地と決め込んだケツ大好きダイスキクソ大輔ダイスケが尻の下から「なにいまの? スマホのちゃくしんおん? 変なのー!」などと話しかけてくるが無視する。百海には異様にツボだったらしいが、小学生のくせに笑いをこらえようとして「……っブフゥ!」と吹き出しているようだった。

「まだはし持てるか?」とさっきの拉致犯らちはん男の声。

「私、左利きなの」とりらせ。

「あ、大丈夫そうだな」と軽く返される。

「大丈夫、じゃ、ない」

「まぁそうだわな」と男は言う。

「男に、おしり、触られてるの」

「走りながら!?」男が驚いた声で聞き返す。

「走りながら、小学生に、お尻触られてるの」

どういう状況なのか何かしら想像したのだろう、一呼吸置いて耳の中で男が爆笑しはじめた。一頻ひとしきり笑うと、ひぃっ、ひぃっ、と尾を引く笑いをなんとかしとどめつつ調子を整え、再び話しだした。

「……んんっ(咳払せきばらい)、さて、今朝けさ氷ノ荒ひのあら宇宙センターから国産ロケットの麒麟きりん6号機が打ち上げれたのは知ってるだろ」

「しらない」

「朝のニュースでしてなかったか?」

「みてない」

「麒麟6号機がせていたのは大気けん突入の実証実験機を複数搭載とうさいしたでけえ人工衛星「ほしふりBDASH」とその民間のちっさい相乗あいのり衛星がいくつか」

「はぁ」

「りらせちゃんのおしり! いい匂いするね!」

「なんだ今の」

「変態小学生よ」

「そいつか」

「で、ロケットがなに? 関係あるの?」男は何の話をしてるんだ。

「真偽は不明なんだが、ほしふりは軍事衛星らしくてな」

「私たちの国は専守せんしゅ防衛でしょ」

「まぁ専守防衛と言いながら現在も十分に軍事力は持ってるしな、君の国は。その人工衛星がもつ大気圏突入実証実験機というのは、運動エネルギー弾を高速で目標に落下させるというもので、事実上の兵器だ」

「はぁ」

「りらせちゃんのおしり! もみもみ!」大輔がそう言って尻をむ。

「ほしふりはもう一種類の実証実験機も搭載していて、スペースデブリ宇宙ゴミを回収し、それを宇宙空間で加工し運動エネルギー弾に仕上げて地上に落とすという物騒ぶっそうなものらしい。掃除衛星のふりした兵器だ。まあ、兵器だの国の陰謀だのはこの際どうでもいいんだ」

「はぁ、なにかしらないけど、すごいのね、で、言いたいことは何?」

「いや、それがな、ハヤセはほしふりにいるんだ」

「?」 は? とりらせは思うが、声も出ない。

「実験機のうちの一つとすり替えられてほしふり内の実験機格納室チェインバに閉じ込められている。まだ打ち上げから間もないし、ロケットから分離されてもないから今は絶賛飛翔ひしょう中だな」

 話が唐突すぎてついていけない。爆弾が埋め込まれたと思ったら次は現在宇宙? まったくもっていみがわかりませーん!

「まったくもって、いみが、わかりませーん!」とりらせは思ったことをそのまま口にする。「わたしがはしったら、おとーと、たすけてくれるんじゃ、なかったんですかー! しばくぞ!」しばくぞ! は言うつもりなかったがリミッターが効かなかった。

「いや、お前に走れとは命令したし、お前が走らなかったらどうなるかの話もしたが、お前が走ってりゃ助けるとはひとことも言ってない。

 言い方が妙に引っかかる。もしかしてりらせはさっきから今までずっと勘違いしていたのではないだろうか。

 その時、四つ目の信号に差し掛かった。幸い進行方向に向かって青になったばかり。ありがとう信号シグナルの神様!

 歩道のふち沿ってガードレールが曲がっているため、直進はできず、少し横にけなければいけない。

 横にれようとしかけたが、やめた。

 りらせはそのまま直線の、ガードレールに突っ込む進路に加速した。りらせの臀部でんぶが大輔の顔面から離れる。家に帰れたらこのショーツは捨てるしかない。結構お気に入りのあつぎさんパンツだったが仕方ない。まだ家にはしゃべるさんのデザインがプリントされたうぐいす色のやつがある。(「しゃべるさん」というのも、「あつぎさん」と同じく路上ッコ暮らしのキャラクターである。しゃべるさんはいつも見えない誰かに話しかけていて、歯が無い。ニット帽をかぶっている)

「あーん、りらせちゃんのおしりー!」という声が聞こえる。

 りらせはガードレールまでの距離を目測する。

 左足、右足、左足、思い切って、踏み切る。ジャンプ。右手でガードレールを掴み、両足を綺麗に揃えて、飛び越える。直後、かねのような鈍い音が響き渡る。「あがあああああ」という声。「うおおおおお」といううめき。大輔と百海をあしらう事に成功。よし、やった! 通り過ぎる何人かがこっちを見るが知った事では無い。こいつらに怪我させたかどで逮捕され、翌日の新聞に「小学生とケンタウロスごっこをしていた女子高生逮捕!」などとっても構わない。なんならあと107百七回ずつガードレールに頭ぶつけて煩悩ぼんのうを消してこい。

 それにしても、とりらせは思う。こんな奴らも大人になるとカメレオンのように周囲に溶け込み虫も殺さぬ顔して生きて行くのだろうと考えると胸糞むなくそ悪いしおぞましく寒気がする。みなさーんきいてくださーい、あなたの大好きで大好きでしょうがない彼氏も昔は何してたかわかったもんじゃないですよー! しかしそれでも、ハヤセを拉致らちして爆弾を仕込むようなやつに比べたら月とミカヅキモだ。暴君すらも天使に見える。

「なんかすげえ音したな」と耳の中で男の声。

「クリスマスに、フレアは、いらないよって音」とりらせは息を切らせながらかすれた声で答えた。

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