第9話 「重傷患者は、救う前に殴る」

■ところ 校門を少し過ぎた先 〜 国道72号線 

■じかん 001日目 08:35 〜 08:42

■たいとる 「重傷患者は、救う前に殴る」


 ウォッチの文字盤にナビの矢印だけがシンプルに表示される。目的地に近づくに従って矢印は細長いものから太く短く変化する。

 ナビはりらせを国道72七十二号線へと誘導してきていた。市の幹線道路であるので交通量も多い。片道三車線で、背の低いツツジが中央分離帯に並ぶ。条例によってこの国道沿いの電線類は地中に埋設され、道に面する建物の外観は厳しく規制されている。また、道は真っ直ぐに長く東西に伸び、両脇の歩道には街路樹としてサクラが植えてある。春になると花びらの舞う桜並木が非常に美しい。全国の名道の一つにも数えられている。事故で有名な馬見豊ばみゆた三角みすみとともに、牙無伏ぎばなふ市は国内の名道めいどう魔道まどうを二つ抱えていることになる。

 りらせはナビに沿って国道72号線に沿った歩道を東へ向かう。

 遠くからヘリコプターのローター音がする。

 視界内にある限りの、向かう信号オールグリーン。

 不意に全ての信号が一斉に黄色に変わったと思ったら、仲良くそれらは全て黄色の点滅へと変わる。入学時にあった高校の交通教習授業で黄色の点滅信号は「注意して進行」と習ったことをりらせは思い出す。そして、信号の黄点滅と同時に、車道を走っていた自動車全てがパレードの練習や訓練でもしているのかのように一斉にハザードランプを点灯させ、速度を落とし、徐行じょこうをはじめ、ついには路側帯ろそくたいに寄って停止した。左端一車線にぎゅうぎゅうに車が詰まり、内側に二本ずつある追い越し車線は車がいなくなった。数台走っていたバイクだけは何事もなかったように走り続けて去っていった。バイク天国だ。緊急車両が近づいてきた時にこのように道をゆずるのは知っているが、それよりも明らかに組織的で、異常であることがわかる。

 止血すら完全にできていない右腕の先から鮮血を滴らせながら、りらせは車道の異変を眺め、走る。

 見えている全ての自動車と信号機がカッチカッチ、パッチパッチとオレンジ色の灯火を点滅させる光景は白昼夢はくちゅうむでも見せられているようだった。真昼の電子ホタルたちの予期せぬ共演。停車したらそのまま車が動かなくなったようで、何が起こったのかと、困惑こんわくした運転手たちが車から降りてスマホなどをいじり始めた。「車 止まった どうして」などで検索しているのだろう。と思っていたところ、何処どこかから不気味なサイレンが鳴り始め、ウォッチにエリア内緊急通知が届く。「付近でテロ行為が危惧きぐされます、地域の皆様は最寄もよりのシェルターへの避難をお願いします」との旨。聞いていると不安になるサイレン音に乗って、初老男性の人工音声がゆっくりとした声で、「こぉれは、ちいきあらーと、でぇす、ふきんで、げりら、またはテロこぉいの、おそれが、ありますぅ、もぉよりの、しぇるたーなどへ、ひぃなん、してくださぁいぃ」と告げる。次いで女性の人工音声が同じ内容を外国語で伝える。ワイシャツの通勤途中サラリーマン、軽トラから降りたおじさん、乳幼児にゅうようじを抱えた若い女性、私がいつも学校へ行くとき、朝からこんなに多くの人間が活動してるのだ。ご苦労な事だとりらせは思う。おいまじかよ、やべーな、などぶつくさと言いながら、彼ら彼女らはシェルターに急ぎ足で向かう。法令ほうれいによって地域ごとに所定の密度で設置されている地下かくシェルター。この国道72号線沿いにはおよそ500五百メートルごとに、直径と高さがともに2メートルの円柱状の警告色をした目立つその出入り口がくいのように桜並木の間に生えていて、皆そこを目指す。

 走り続けるしかないりらせは当然、走り続ける。ナビはただ国道72号線と同じ方向を向いているだけだ。一向に止まらない出血。意識すると余計に痛いし、何より気持ちが保てないので極力考えないようにする。しかし嫌でも痛みは感じられるし、ベタベタとした汗が噴き出し、ひんやりとした血液が全身を巡り、悪寒おかんを覚える。私の体、長くは持たないのではないか、という予感。

 歩道に少しずつ人が増えてくる。シェルターへの避難をうながす地域放送のせいだ。多くの場合、公立学校の体育館の地下シェルターが付近住人の指定避難所となっている。

 川岸かわぎしに打ち上げられたゴミのように路側ろそくにこびりつく車の、途切れた間隙かんげきをみつけて、りらせは車のいなくなった車道へと飛び出て、そこを走る。あぁ、しまった、と今更りらせは思う。あの時落ちた右手をどうして拾わなかったのか。車を失った車道。それは凱旋者がいせんしゃの無いレッドカーペットであり、花嫁のいないヴァージンロードだ。よし、じゃあ、私がなろう。72号線の花嫁に、右手を失った凱旋者がいせんしゃに、あらゆる邪悪をき殺す天子てんし車駕しゃがに。しばくぞ犯人。よーしぜったい、しばくぞー!

 不愉快なサイレン音を威圧的に散らしながらヘリのローター音が大きくなってくる。なんか絶対近づいてきてるよね、この音。もしかして私を追ってね? やっぱそうだわ。

 りらせは後ろを振り返る。とても大きな一機のヘリコプターが国道に沿ってりらせを追いかけてくる。少しねずみ色がかった白い塗装で、前後に大きな回転翼を持ったヘリだ。カバンのキャスターのように四隅に車輪のついた平らなオナカがなかなか可愛い。それはすぐにりらせを追い越して、無防備にその可愛いおなかをさらしつつ、お尻のハッチがぱかっと開き、後部傾斜板ランプをのぞかせる。交戦意思はないよとでも言いたげなカラーなので、多分味方で、警察か父親か知らないけど、助けてくれそうな感じ。というかね、ここまでがんばってね、味方じゃないと私は困る。いずれの宗派のあの世でもいいが、あの世に行ったそこをつかさどる奴を絶対に殴る。右で殴ってやる。

 あ。と、瞬間しゅんかん、りらせは思った。ちょっとちょっとちょっとちょっと!

 やばいやばい。これやばい。倒れるやつだ。

 汗びしゃびしゃキャミソールでベタベタの不快感が、巨人がつまんでがしたようにさっと消えた。ただの冷たさに変わる。意識だけ数歩前を進んでいる感覚になって、視界から一つずつ色が消える。名前を呼ばれた気がして、見上げようとしたが、上がらない首はしげらせた桜並木を視界に捉えるばかりだけど、それは灰色で、左手は力が入らなくなり、右手から離れ、血液が出番待ってたぞと右手首から吹き出すが、それは灰色で、左足が右足を引っ掛けて得られた角運動量がりらせに青空を見せるが、それは灰色で、徐々に明度も落ちていく。ああ、錐体すいたい桿体かんたい、アカンたい。イマワのきわに思いついた高度なギャグです。皆様お納め下さい。

 保存状態の悪い白黒の映画のようにぼやけてすべての境界が曖昧になった世界に、ヘリコプターの傾斜板ランプからロープがりらせの前に落とされたのがわかった。ロープの先には何か丸い機械が付いている。丸い機械は接地せっち寸前で、止まらないくしゃみのような逆噴射で姿勢を維持し、りらせの全身に投網とあみを投げつけるように軟体なんたい生物の触手のような何かを巻きつけた。内部にマイクロサーボを無数に備えた触手は逐次ちくじ形状を変えながら、りらせの荷重かじゅう牽引けんいんするのに最適な張力と硬度を瞬時に求める。一瞬にしてマスクメロンのようなデザインにされたりらせは、地面に体を打ち付けることなく、。丸い機械から非常に間の抜けた若い女の声が聞こえる。

「うっわー、やばやばですねー!」りらせは意識の途切れる最後に何か、とんでもないセリフを聞いた。

重傷患者じゅうしょうかんじゃは、救う前になぐる!」

 焼きいもを食う前にオナラをするみたいなノリの訳のわからないセリフをその女の声でかれた後、丸い機械からロケットパンチのようなものがりらせの顔面に吹っ飛んできて、意識はそこで途切れた。

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