第20話「嵐の前」

 平和な日常が戻ってきた。

 辰乃タツノは辰乃なりに、美星アース百華モモカのことを忘れようとも思った。

 本当は全てを話してほしいけど、美星は少し辛そうだ。

 それに、美星に百華のことを悪く言ってはほしくない……何かもっと、恋仲だった二人の終わりには、寂寥せきりょうだけじゃなくが欲しかった。

 辰乃にとって美星は、最愛の旦那様で特別な存在。

 だから、他の女性がそう思ってくれたのが嬉しいしから。


「……でも、本当はどうなんでしょう?」


 台所でなべにシチューを作りながら、ふと辰乃は振り返る。

 美星は居間のちゃぶだいで、自分のコレクションを整理している。辰乃が喜ぶならと、彼は昔の趣味を最近は遠ざけなくなった。美星と二人の時間は、アニメを見たりすることもある。

 改めて辰乃は、世の女性の不思議に首を傾げた。

 何故、こうした趣味を持つと嫌われるのだろうか?

 そう思った、その時……エプロンのポケットでスマートフォンが鳴る。


「あ、そうでした……忘れてました。今日は確か」


 辰乃を呼んだのは、あの莱夏ライカからのメールである。

 その文面を読んで、今日が何の日かを思い出す。

 そして、莱夏からのメッセージにゴクリとのどを鳴らした。


「でも、どうしたら……あ、そうですっ!」


 少しぎこちなく微笑ほほえんで、辰乃は居間の美星へ呼びかけた。


「あの、美星さん……申し訳ないんですが、一つお願いしてもよろしいでしょうか」

「ん? どした、辰乃」

「え、えと……わー、たいへんですわ! おしょーゆがきれてしまいましたの!」


 棒読ぼうよみだった。

 うそだったし、そもそも今日はシチューなのだから醤油しょうゆの出番はない。

 美星も怪訝けげんな顔をしたが、それも一瞬のことで立ち上がる。


「醤油、買ってくるか?」

「は、はいっ! あ、あと、ついでに……どかてぃさんもお散歩に連れ出してあげるとどうでしょうか。最近、少し元気がなさそうですし」

「ん? そうか?」

「そ、そうですよ! わたしばかり美星さんを取っちゃって、きっとどかてぃさんもさびしい思いをしてます! 構ってあげてください!」

「ふむ……まあ、辰乃がそう言うなら」


 どかてぃさんとは、美星の愛車のドゥカティだ。

 真っ赤な色も鮮やかな、とても大きな外国の自動二輪、バイクである。

 美星が準備をし始めたので、着替えを手伝って送り出す。

 暖気する間、辰乃も美星と一緒にピカピカの車体を見守った。美星が大事にしているもので、時々磨いているのを知っている。確か、辰乃のヘルメットがないので一緒に乗れないのだと美星は言っていた。


「今度……メット、買ってくるか」

「へ? あの、美星さん?」

「辰乃のメット。角、隠さなきゃいけないけどな。……一緒に、乗りたいし」


 そっと美星が頭の角に触れてくる。

 車庫のシャッターは開けっ放しだが、閑静かんせいな住宅街の外れで人通りはほとんど無い。

 美星に触れられるのが、辰乃は好きだ。

 角も尻尾も、髪も肌も、みんな好きである。

 美星はいつも優しくて、手と指と、そしてくちびるとで辰乃に触れてくる。

 未だに夜のいとなみは失敗続きだが、夫婦のきずなは深まるばかりだと思っていた。


「よし、そろそろ行くか。辰乃、小一時間で戻る……他に欲しいものはあるか?」

「あ、いえ……ゆっくりしてらしてください。わたしは大丈夫ですっ! それと」

「ん?」

「あの、お気をつけて……今日は、このあと雨になります」

「そうか? すげえ晴れてるけど」

「季節外れの通り雨、雷雨のにおいがするんです。だから、あまり遅くなると」

「そっか、まあ……安全運転でなるべく早く帰る。じゃあ」


 美星はヘルメットを被って、ドゥカティに跨った。

 ゆっくり車道へと出て、そのまま気持ちいい快音を響かせ走り去る。

 その背を辰乃は、見えなくなるまで見送った。

 そして、すぐにスマートフォンを取り出し電話帳を手繰たぐる。莱夏の電話番号へ繋げば、ワンコールで元気な声が返ってきた。


「もしもし? 響莱夏ヒビキライカさんのお宅でしょうか。わたくし、荒谷辰乃アラヤタツノと申します」

『おいーっす、たつのん! わはは、硬い硬い、硬いよー。ってか、お宅じゃないし。だけど、家には在宅してないッス! 今、秋葉原だよん』

「まあ、莱夏さん……ごきげんよう。あの、メール見ました……やっぱり今日が、あの、あの……美星さんのお誕生日、なんですねっ!」

『イェス!』


 今日は2月の27日、美星の30歳の誕生日だ。

 そのことを辰乃が知ったのは一昨日おとついで、美星はそっけなく「まあ、そうだな」と興味がない様子だった。

 だが、辰乃にとってはとても意義ある大事な日だ。

 自分の伴侶はんりょたる夫が、この世に生を受けた、生まれてくれた日なのである。


『たつのん、送っておいた荷物は届いてるスか?』

「は、はい」

『先輩にはまだ、見つかってないスよね?』

「ええ。物置小屋の方に隠しておきました!」

上出来じょうできィ!……それに自分からのプレゼントと、たつのん用のスペシャルな衣装が入ってるッス! 来年からはたつのんが主体的に頑張るとして、今年はまあ……ニシシ』

「ありがとうございます、莱夏さん。わたし、突然のことで……でも、嬉しいです!」


 何でも、莱夏が美星の喜んでくれるプレゼントを手配してくれたらしい。

 莱夏からのプレゼントと一緒に渡して、美星を祝ってくれるよう頼まれたのだ。

 何度もお礼を言って通話を終えると、早速辰乃は隠していた荷物を物置小屋から引っ張り出す。縁側で開封すると、リボンのついた大きな包みが出てきた。


「これが、莱夏さんから美星さんへですね。で、こちらをわたしが着れば……でも、いいのでしょうか? 美星さんの誕生日なのに、わたしが服を頂戴ちょうだいしてしまって」


 首を傾げるが、莱夏の言葉を思い出す。

 ――たつのんが着てこそ、最強のプレゼントになるッスよ!

 確かに莱夏はそう言っていた。


「でも……、とは何でしょう? と、とにかく着替えてみましょうか」


 紙袋の中から、莱夏が送ってくれた服を取り出す。

 そして、広げてみた瞬間、辰乃は言葉を失った。


「なっ、なな……こ、これは!? ああん、莱夏さんっ! こんなのわたし、着れませんっ!」


 急いで再びスマートフォンで電話をかける。

 しかし、莱夏は出ないばかりか、無情にも録音されたメッセージが返ってきた。


『響莱夏は現在、電話に出れないッス! そしてたつのん、お前は『もぉ、どうして出てくれなんですか!』と言うッ! ドギャーン!』

「もぉ、どうして出てくれないんですか! ……はっ!?」

『にはは、恥ずかしがらずに着るッスよ。その衣装は、先輩の好きな魔法少女ラジカル☆はるかの主人公、はるかちゃんのコスチュームなんスよ。では、幸運を祈る!』


 ピーッという音が鳴って、莱夏の言葉は途切れた。

 そして、録音メッセージを吹き込まずに辰乃は通話を終える。

 再度、際どい純白の衣装を広げてみた。

 膝上20cmのミニスカートに、やたらフリルとレースが満載の上着。その胸元は大きくはだけているし、とても外を出歩ける気がしない。勿論もちろん、外を歩くための着衣ではなく、魔法少女の戦うための姿らしい。同封されていた写真には、アニメの作中のイラストが写っていた。


「これを、わたしが……ゴクリ! あ、でも千鞠チマリさんも言ってました。そう、確か……もえ、すなわちえ! 裸にエプロンもそうですが、きっとこういうのも現代の殿方とのがたは好むんですね!」


 辰乃は意を決して立ち上がる。

 シチューの仕込みは完璧だし、ケーキの準備もしてある。

 ワインも買ってあるし、何よりプレゼントの用意も整いつつあった。

 何も用意できず、何を買ったらいいのかわからなかった。

 美星のことがこんなに好きでも、まだ何もしらない自分がいる。

 でも、だからこそ莱夏はこう言ってくれた。

 自分の普段の感謝の気持ちを、今年はまず送ったらいいスよ、と。


「で、でも、これは……はうぅ、下着が丸出しです」


 寝室で着替えてみたが、恐ろしく恥ずかしい。

 確かにちょっとかわいいし、髪もツインテールに結って写真通りに髪留かみどめをしたら、まるでとつぐ日の花嫁はなよめみたいだ。薄布で飾られ、純白に身を包んだ乙女……小さな鏡の中にそれを見下ろし、羞恥しゅうち感動かんどうでバタバタと辰乃は足踏みが止まらない。


「えと、莱夏さんの話では……これは、あにめのきゃらくたーなんですね。似てれば似てるほどいい、演じ切るほどいい。ふむふむ、という文化なのですか」


 同封された写真の裏に、事細かに莱夏の指示が書き込まれていた。

 とりあえず、髪型を似せて角と尻尾を消しつつ、生真面目きまじめつぶやきながら音読してゆく辰乃。どうやらこの衣装のキャラクター、はるかというのは12歳の魔法少女らしい。


「魔法、少女? 魔女みたいなものでしょうか。でも、わたしが知ってる魔女の皆様とは全然違います。誰もこんな姿じゃなかったし……なんて破廉恥な、でも、うーん……ちょっと、かわいいような?」


 着替え終えて、注意事項を熟読じゅくどくする。

 そうして、指定された決め台詞を暗記していると、人の気配を感じた。

 少し立て付けの悪い玄関の戸が、開く音がしたのだ。

 それで意を決して、辰乃は寝室を飛び出る。

 かろやかに走って、返ってきた美星の胸へと飛び込む。


「ただいまー、じゃないや、おじゃましまーす? えっと、たつのん居る? あと、美星さ、あの……ん?」

「美星さん、おかえりなさいませっ! え、えと、お誕生日おめでとう、お兄ちゃんっ! 今日ははるかのこと、いーっぱい愛してねっ! ……ほへ? ほええ!?」

「おっと、たつのん。えっと……なんか、ごめん。そゆ趣味? 二人共」


 そこには、美星はいなかった。

 辰乃が抱き付いた胸には、ささやかながら柔らかい感触がある。

 見上げる長身は、少し引きつった笑いを浮かべる……百華が目をしばたかせていた。

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