第10話「はじめてのお客様」

 昼に美星アースから電話を貰った時、辰乃タツノは少し残念だった。

 今日の夕飯は、とり手羽先てばさきとこんにゃくや里芋さといも等を入れた煮物にものだ。他には、買ってもらったスマートホンでおっかなびっくり検索して、茶碗蒸ちゃわんむしにも挑戦してみるつもりだった。

 だが、美星は今日は外で夕食を兼ねてお酒を飲んでくるらしい。

 そして、会社の後輩を家に連れてくるそうだ。

 今、俄然がぜん辰乃は張り切っていた。


「美星さんの後輩さん、はじめてのお客様です。わたしが頑張っておもてなしです!」


 美星からは家計のやりくりをあっさり一任されている。

 決して無駄遣いはしないと決めているが、お客様のおもてなしともなれば無駄にはならないはずだ。煮物は仕込んであったのでこのままお夜食に出すとして、家でもお酒を召し上がるのではと買い物に出かけた。

 そうこうしているうちに、とっぷり日が暮れ夜が来た。

 一人の夕食はちょっと寂しかったが、すぐに辰乃のとついだ家がにぎやかになる。

 八時を少し過ぎたあたりで、美星が帰ってきたのだ。


「ただいま、辰乃」

「おかえりなさいませ、美星さんっ!」


 相変わらずの無表情だが、ほおが少し赤い。

 美星は「ん」と、ひもで結ばれぶら下がったつつみを突き出してきた。


「辰乃にお土産。焼き鳥だ」

「まあ……わたしにですか!? 美星さんがお土産を……ありがとうございますっ」

「や、そんな大げさなことじゃない。それと」


 わずかに声をひそめたのは、美星の後ろに一人の女声がいるから。

 紹介されるのを待っている彼女を、辰乃はちらりと見る。目と目が合って、むこうはニヘヘとゆるい笑みで頭を下げた。自分も礼を返していると、美星は小声でささやく。


真司シンジに聞いたが、神様は時々あの店に……やまがみに顔を出すらしい」

「あ、はい。神様、お酒が好きな方ですから」


 真司というのは、確か美星がよく行く焼き鳥屋の二代目だ。辰乃が初めて美星に会った夜も、忙しく働いていたのを思い出す。

 そうこうしていると、美星はポンと辰乃の頭をでた。

 手の中の焼き鳥が暖かくて、無言の仏頂面ぶっちょうづらも辰乃には優しく見える。

 どうにもぼんやりとしているが、美星は最愛の旦那様で、接して触れるたびに好きになる。人間の結婚というものに憧れていた辰乃にとって、今は幸せの絶頂だった。


「あ、そうだ。こいつ、後輩の響莱夏ヒビキライカ。こっち、嫁の辰乃だ」

「こんばんわー! 莱夏って呼んで欲しいッス! ……おお、おお! せっ、先輩! アース先輩……ロリコンだったんスか? これまた、百華モモカさんとは真逆まぎゃくにいったスねー」

「やかましい。ほら、さっさと上がれ」


 そう言えばと、辰乃は思い出す。

 世の中には、

 今の姿を手に入れた時、神様も少し言っていた。

 なんでも不治ふじの病らしく、わずらえば人としてあつかわれないとも。

 美星がその病気、ロリコンなのだろうか?

 心配に胸の奥がギュッとなった。


「美星さん! やっぱり美星さん、ろりこんなのですか!?」

「いや、違うけど」

「一度お医者様に見ていただいては……辰乃もご一緒します。わたし、心配で」

「えっと、ロリコンは病気じゃなくてだな。まあ、ある意味病気だが」


 そう言って美星は、少しだけ口元をゆるめる。

 苦笑を浮かべていても、彼の目元が優しい気がした。

 あまり表情が変わらない人だが、辰乃にはわかるのだ。

 だから、聞きそびれてしまった。

 莱夏が口にした、百華という名の意味を。

 そうこうしてると、玄関にあがった莱夏が近くでじっと見詰めてくる。なんだかわんこみたいだと思ったが、言えば失礼にあたるので辰乃は戸惑とまどった。


「あ、あの、莱夏さん? えっと」

「くーっ! 幼妻おさなづま! 何これかわいい! えっ! 先輩、犯罪ッスよ犯罪!」

「い、いえ! 美星さんはなんの罪も犯してませんっ!」

「うう、かあいらしい反応……むふ、冗談スよ辰乃ちゃん。えっと……!」

「た、たつのん!?」

「そそ、辰乃だからたつのん! これからもよろしくッス」


 馴れ馴れしいが、不思議と莱夏には奇妙な親しみやすさがある。

 スッと自分の中に入ってきて、勝手に居座るのに不快感がない。

 きっと美星も同じことを感じているから、家まで連れてきて辰乃に会わせてくれたのだ。この人界じんかいで美星以外に親しい者がいないので、純粋に辰乃は嬉しかった。


「こ、こちらこそ……いつも美星さんがお世話になっております。莱夏さん、わたし共々今後もよろしくお願いいたします!」

「わはは、任されちゃって! おけおけ、ほんじゃあ……まお邪魔しますー!」


 居間へと一緒に上がって、寝室へ向かう美星を見送る。

 着替えを手伝うと申し出たが、美星は「莱夏を少し頼むな」とやんわり断った。そして、無言で辰乃にうなずいてくる。


 ――つの尻尾しっぽ、気を付けような。


 辰乃も大きく頷きを返す。

 龍神りゅうじん化身けしんである辰乃には、やはり人の姿を借りても消せぬ龍の特徴が残っている。これを全て隠しておくことは、適度な緊張を強いられた。

 だが、逆にその全てを美星にだけは見せていいことになっている。

 美星の前では、リラックスして半端な人間の娘でも許されるのだ。

 まるで自分がまるごと認められたような気持ちで、辰乃は改めて自分の夫にれ直してしまった。そう、恋も未経験で愛は未遂だが、はっきり辰乃は美星にベタ惚れだった。


「あ、先輩っ! 対戦しましょ、対戦! 久々に対戦希望ッス!」

「ん? ああ……ゲーム機なら全部しまったぞ。俺も随分やってない」

「なんと!? あのアース先輩が……どっ、どど、どうしたんスか」

「ちょっと、な。まあ、取ってくるから少し待て。辰乃、何か出してやってくれ。そいつ、犬みたいに何でもバカスカ食うからな」


 そう言うと美星は、着替えの前にあの部屋へ消えていった。

 入ってはいけないと言われた、客間だ。

 今は物置になっていて、その『げえむ』とかいうのもしまってあるのだろう。

 また聞き慣れない単語を知って、辰乃は首をかしげた。

 だが、どっかとテレビの前に座る莱夏へ酒とさかなを用意する。

 きっと、何かしらの遊戯ゆうぎ賭博とばく、もしくは酒宴しゅえんの席での余興だろう。


「あ、たつのん! これ、たつのんが作ったんスか! くーっ、愛妻的な!」

「お口にあえばいいんですけど。煮物とお新香しんこと、あと焼き鳥も温め直してきますね」

「あいますあいます、あわせますとも! へぇ、家庭的……たつのん、いいだ!」

「い、いえっ! わたし、まだまだ未熟なんです。最近のお台所には難しい機械も多くて。でもっ、炊飯じゃあと電子れんじは使い方を習得しました」

「お、おう……どっか、違う国から来たのかな? ま、いッス! いただきまーす!」


 すぐに莱夏ははぐはぐと煮物を食べ出した。

 辰乃が徳利とっくりを持って勧めると、ぐいのみに日本酒を貰ってすぐに飲み干す。

 豪快な人だなあと思っていると、莱夏は幸せそうにまなじりを下げた。


「いいスなあ、先輩にはたつのんみたいなお嫁さんがいて」

「そんな……わたしなんてまだまだです。もっと人界を勉強しないと」

「ジンカイ? え、なになに?」

「い、いえ! えと、あ、ほら、あれです。すまあとほんというのもまだまだ使いこなせなくて。でも、というのによくお世話になります。何でも教えてくださって、これはさぞ高名な賢者か識者のたぐいだなと」

「まー、困ったらググればいいスからね。あ、じゃあメアド交換しないスか? LINEラインは? えっと、ちょっと待ってねー」


 莱夏も携帯電話を取り出した。

 辰乃や美星と同じ、いわゆるスマートホンだ。

 本当にこの時代の人間は、一人が一台電話を持ち歩いている。改めて辰乃が驚いて、メアドだなんだとわたわたしてると……莱夏が優しく教えてくれる。

 少し時間がかかったが、どうやらアドレス帳というのに登録されたらしい。

 何もかもが新鮮な驚きに満ちているが、目を白黒させる辰乃を見て莱夏は笑った。少年みたいな笑顔で、自然と辰乃もほおほころぶ。

 そうこうしていると、美星が大きめの箱を持って戻ってきた。


「辰乃、あんまし甘やかさなくていいぞ。図々ずうずうしいこと言ったら断れよ」

「たはーっ! 先輩厳しいッス!」

「あ、いえ……凄く親切にしてもらってます。あと、めあどというものを頂戴ちょうだいしました!」


 最近の電話は本当に凄いなあと、改めて辰乃は目を丸くする。

 まず、線がない。

 どことも繋がってないが、充電されてればすぐ電話できる。

 相手の番号を電話機自体が覚えててくれるのだ。

 メアド、つまりメールアドレスがあれば、お手紙を出すこともできるらしい。電話機に文章をしたためる、これも少し難しいがゆっくりならできそうだ。

 そう思っていると、見慣れぬ機械を美星は箱から出す。


「少しだけだからな、莱夏。お前、電車なくなったら帰れなくなるからさ」

「了解ッス! えっと、半年ぶり位? かな? 前回のリベンジ、ガチでいくッスよ!」


 何か線をテレビに繋いで、二人は奇妙な物体を握る。

 ボタンが沢山並んで、ちょっと電卓という計算機に似ていた。

 美星にもぐいのみを用意しつつ、キョトンと辰乃は首を傾げてしまう。

 しかし、次の瞬間にはテレビの画面が切り替わった。

 派手な音楽が鳴り響いて、不思議な絵が動き出す。

 そう、絵だ。

 まるで漫画まんがのように色鮮やかな絵が、生きてるかのように躍動していた。


「あっ、ああ、美星さんっ! これは」

「ん? ああ、すまん……その、実は……まあ、こういうのが好きだった時期があって」

「凄いですね、これがげえむですか?」

「うん、まあ……ちょっとだけな、莱夏。辰乃が驚くし……


 それは不思議な遊びだった。

 絵に描いた武者や騎士が、テレビ画面の中で戦っている。

 そしてどうやら、対峙たいじする両者を操っているのは美星と莱夏らしい。

 莱夏は一生懸命、手に持った機械を振り回して一緒に全身を動かす。

 美星は普段と変わらぬ無表情で、淡々とボタンを忙しく押し続けた。


「あっ、きたなっ! ハメ技ッスよ、ハメられたッス!」

「いいから少し落ち着け、莱夏」

「先輩、加減ってもんを知らないスよ、ひどい!」

「まあ、俺に勝とうなんて十年早いからな」

「うぐぐ……流石にやりこんでた人は強い。ブランクを感じさせぬ動き」


 どうやら美星は、このゲームとかいうものが達者らしい。

 何がどうなってるかわからないが、辰乃はただただ驚くだけだった。思わず口が半開きになるのも忘れて、異次元の戦いを繰り広げる絵を見詰める。絵が動いていることも、それを美星が動かしてることも新鮮、そして感動だった。

 だが、ふと気になる。

 何故、美星は『嫌だろうしさ』などと言ったのだろう。

 確かに、辰乃は戦いや争いが嫌いだ。

 昔はその原因になったこともあるし、加担したこともある。

 しかし、相手が人であれ神であれ、もう誰かを傷付けることはしたくない。

 絵と絵を競わせる遊戯ゆうぎだからこそ、こうして見ていられるのだ。


「かーっ、また負けた……」

「ん、前よりは上手いな……どうだ? まだやるか、莱夏」

「と、当然っ! あ、でも……たつのん、やってみるスか?」


 不意に振り向いた莱夏が、両手で持つあの機械を差し伸べてくる。

 その時、見てしまった。

 美星の顔はいつもと変わらないのに、どこか瞳が不安に揺れている。どういう訳か、旦那様はこの遊びが好きではないらしい。しかし、素人しろうとの辰乃が見ても驚くべき技術、習熟した手練てだれを思わせた。

 妙な空気を察した辰乃は、結局莱夏の申し出を遠慮する。

 徐々にだが、辰乃の知らない美星が浮かび上がろうとしていた。

 そのことに対する恐れよりも、辰乃は美星が隠す後ろめたさの方が心配なのだった。

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