第11話「荒谷美星の真実…?」

 結局、終電までたっぷり遊んで莱夏ライカは帰っていった。

 その夜は少し疲れたのか、美星アースも布団をくなり寝入ってしまう。

 そんな訳で、またも辰乃タツノの初夜はおあずけとなったのだ。

 だが、全く気にしていない。

 これからずっと、一緒なのだ。

 まだ嫁入してから、三日三晩しかっていないのだから。


「よしっ、お洗濯終わりです! ……まさか、洗濯機さんが何もかもやってくれるなんて。今の人界じんかいはとっても便利」


 辰乃は好天の中、干した洗濯物が並ぶ庭で額の汗を拭う。

 美星と二人で住む借家しゃくやには、小さな庭が垣根かきねに囲まれていた。洗いたてのシーツや着衣も、全て洗濯機が脱水まで全部やってくれた。

 辰乃にとって全自動洗濯機というのは、初めて触れる文明の利器だった。

 美星を会社に送り出してからも、辰乃は忙しく家事に精を出す。


「次はお掃除、ですねっ! さあ、午前中に片付けてしまいましょう!」


 二月も後半になると、太陽が照る日は温かい。

 それでもまだまだ風が冷たい中、エプロン姿で辰乃は腕まくり。

 嫁として、妻として……旦那様のために働けることが嬉しいのだ。

 だが、そんな彼女を見詰める不審な影があった。

 視線を感じて振り向けば、垣根の向こうに一台のバイクが止まっている。その小さめの車体にまたがった女性は、ヘルメットを抜いだ。

 短く切りそろえた黒髪が、わずかに汗を吸い込み揺れている。


「……なんか楽しそうね、あんた」

「あっ、千鞠チマリさん。おはようございますっ! ええ、とっても嬉しくて」

「あ、そ。美星は?」

「先程おつとめに……あ、わたしとしたことが失礼を! どうぞこちらへ、あがっていってください! お茶でも是非」


 この女性は、以前辰乃の服を色々と選んでくれた早瀬千鞠ハヤセチマリだ。

 確か、美星の妹と言っていた。

 その顔を思わず、じっと辰乃は見詰めてしまう。


「……似てません、よね」

「ん? 何? まあ……ちょっと野暮用やぼよう。そっち行くわ」

「は、はいっ!」


 玄関の方へと回って、千鞠は手慣れた様子で車庫にバイクを入れた。

 美星のドゥカティと並ぶと、やはり彼女のバイクは一回り小さい。それも当然で、千鞠は体格的に辰乃とそう変わらない小柄な女性だった。

 ……やはり、美星はこういう女性が好みなのだろうか?

 幼くあどけない容姿、そしてライダースーツの千鞠はとてもスレンダーだ。

 辰乃は自然と、自分の両胸に手を置いてしまう。

 細くて小さいのは自分も一緒だが、乳やら尻やらアンバランスに大きいのは気になった。


「何してんの? 中、いい?」

「あ、はい。えっと、それで今日はどのような」

「ちょっと忘れ物……まあ、そんだけ。すぐ帰るよ」

「い、いえ! ゆっくりしていってください。……わたしのことは、お姉さんだと思って! そ、そうです……義姉あねですから!」


 玄関でブーツを脱ぎながら、千鞠は「はぁ!?」と顔を左右非対称にゆがめる。

 露骨に怪訝けげんな表情をしながらも、彼女は次の瞬間には笑い出した。


「いやいや、それはない。私、こう見えても22だよ? 大学四年生、もうすぐ卒業。……だから、卒業しようと思って来たんだけど。あんたは? いくつなのよ、歳」

「わ、わたしは、えと……千鞠さんよりは年上です、けど」

「うっそー! 中学生でも通用しそうなのに? へー、そうなんだ。あ、お邪魔しまーす」

「ど、どうぞ! すぐにお茶をお出ししますね」


 慌てて辰乃も、つっかけのサンダルを脱ぎ捨てた。

 急いで台所に向かおうとして、思い出したように戻ってサンダルをそろえる。そうしている間にも、千鞠は勝手知ったるなんとやら……まるで我が家のように寝室に向かっていた。

 この家は台所と居間、洗面所に面した風呂とトイレ意外は二部屋しかない。

 そして、寝室は辰乃にとっては美星とだけの大事な場所だった。


「ま、待ってください! 千鞠さんっ」


 転がるようにして辰乃も追いかける。

 千鞠は妹だと言っていたし、そのことを美星は否定しなかった。

 だが、妙にちかしい雰囲気を感じてしまう。

 生まれて初めて辰乃は、不安をあおる疑念と嫉妬しっとに震えた。まるで人間のような情念だと思ったし、人の姿を借りて暮らし始めてからの変化を自覚したのだ。

 急いで寝室に入ると、千鞠は腰に手を当て振り返る。


「んー、ないみたい。おっかしいなあ……この部屋で前に見たけどな、

「……姉さん?」

「ありゃ? 美星から聞いてない? 私の姉の早瀬百華ハヤセモモカ……

「で、では、妹というのは」

「義理の妹、になるはずだったんだ。……それでもいいかって思ってた。昔から姉さんには何をやっても勝てなかったから」


 不意に千鞠が窓の外へと視線を放る。

 その横顔は、突然うれいをたたえる。そして、可憐な美貌がどこか辰乃には老成して見えた。

 諦観ていかんの念、という言葉が自然と思い出される。

 だが、それも一瞬のことで千鞠はいつもの勝ち気な笑みに戻った。


「ま、でも大丈夫じゃん? 結婚したんでしょ? 美星と」

「は、はいっ!」

「美星、いい奴だしさ。ぼーっとしてても優しいし」

「そ、そうなんです。すっごく優しくて、それにいつも頑張ってます。いたらぬわたしにも、気をつかってくれて。不慣れな暮らしもだから、とっても幸せです!」

「……力説されると、何だかなあ。まあ、そゆ訳だから許してよ。姉さんも私も」

「千鞠さんも、ですか?」


 改めて部屋を見渡しながら、千鞠は他人事のように話し出す。


「美星とは一年前くらいかな? バイク仲間の繋がりで知り合ったの。私が先だったんだよ? でも、私の家で姉さんと会って、そして二人は恋に落ちた」

「そんなことが……」

「美星の方かられてたな、あれは。でも、姉さんもすぐに美星に夢中になって……そして私は置いてけぼり。でも、義妹いもうとでもいいと思って、美星にも変になついちゃって」


 千鞠の独白はどこか苦しげで、そして切実だった。

 だが、彼女は言い終えたことですっきりとした顔を見せる。


「さて、ここにはないみたい。もうすぐ出発だから姉さんも忙しくて、でもお気に入りのバッグだって」

「えと、じゃあ他には……え? 出発、って」

「姉さん、日本を出るの。ウィーンって知ってる?」

「ウィーン……?」

「ほら、音楽の都! ベートベンとかシューベルトとかがいた、オーストリアの」

「ああ、あの街ですね。!」


 千鞠が固まった。

 辰乃も、言葉を発した瞬間に失敗したと察する。

 龍神といっても辰乃にはまつられたやしろも守護する土地もなかったので、昔は結構あちこちを回っていたのだ。その時、同族達――神様が言うには龍友ドラトモ――に誘われてウィーンに行ったことがある。

 情熱と才能にあふれ、何よりその表現に努力を欠かさぬ者達の音楽に触れた。

 それも今はいい思い出だが、語る相手は美星だけにしなければいけない。


「……い、行ったことあります、っていう意味で!」

「そ、そうだよね。うん……姉さん、来月には行っちゃうんだ。だから」


 そして、千鞠は寝室を出て……その奥の部屋へと脚を向ける。

 後を続いて歩く辰乃は、慌てて先回りするなり両手を広げた。


「こっ、ここはいけません! 千鞠さん、ここは物置になってて……開けてはいけないと美星さんに言われてるんです!」

「物置ならさ、色々と片付かない物が置いてあるんでしょ? バッグ、あるかも」

「でも、いけないんです! 美星さんにあとで……あ、そうでした。すまーとほんというものが……ちょっと待っててください、まず確認を」

「いいよ、仕事の邪魔しちゃ悪いし。開けるなってそれ……辰乃に姉さんのこと話せなかったからだと思うよ? 多分、まだ美星も踏ん切りがつかないんだ。だから、私も――」


 急いで辰乃がスマートフォンをポケットから出した、その時だった。

 千鞠は決意を形にするように、強く一歩を踏み込み……客間の引き戸を開け放つ。

 そして、振り返った辰乃は意外な光景に目を見張った。

 逆に、千鞠は驚愕の表情でほお痙攣けいれんさせていた。


「な、何これ……ちょ、え? 待って、どうして? 美星って……嘘!」


 辰乃はすぐにわかった。

 この部屋は多分、美星の宝物を集めた場所、宝物庫なのだと。

 龍は古来より、宝物を集めてたくわえる習性がある。辰乃も一時期は、仲間達とこぞって珍しい品々を集めあった。古い知り合いには、財宝を集め過ぎて執着が極まり、洞窟の奥から出てこれなくなった龍友もいる。

 辰乃の目には、部屋中に安置されたその全てが金銀財宝きんぎんざいほうに見えたのだ。

 だが、千鞠の反応は真逆だった。


「信じられない……キモッ! 全然イメージ違うんだけど」

「あの、千鞠さん? あっ、あそこにあるの、あれってもしかして」


 固まる千鞠の横をすり抜け、辰乃は部屋に脚を踏み入れた。周囲にはうず高く大小様々な箱が積み上げられている。きっと宝箱だ。その全てに、昨日美星が莱夏と遊んでいたゲームみたいな絵が描いてあった。どれも違った作品で、恐らくゲームには種類があるのだろう。

 他にも、壁には絵画やタペストリーが飾られ、棚には精巧に作られた人形が並んでいる。どれも一流の芸術家や職人が作ったものに違いない。

 優れた美術品もまた、龍の好む宝の一つだ。

 そして、その一角にほこりをかぶらぬようビニールで保護されたかばんがあった。

 千鞠に渡すと、彼女は力なくそれを受け取る。

 だが、ショックを受けているらしく顔色が優れない。

 そして、彼女が嫌悪けんおを感じる理由が辰乃にはわからなかった。


「……そう。そういうこと。美星にまんまと私達……姉妹そろって。ふふ、馬鹿みたい。馬鹿よ、私」

「あ、あの、千鞠さん」

「ん、バッグありがと。これよ、これ。それじゃ、私は行くね。あ、そうだ……ちょっと、辰乃。こないだ服を選んだげた時、も一緒に買ったでしょ?」

「あっ! あ、えと、アレは……開封してすら、いないです」

「それをさ、あとではきなよ。それでさ、ゴニョゴニョ……いい?」


 千鞠は声を潜めて、辰乃に小声で吹き込んだ。

 こういう美星ならさ、と意味深な言葉が妙に刺々しい気がする。

 だが、辰乃は以前の買い物で一枚だけ買った……買わされたものを思い出して頬が熱かった。

 程なくして千鞠は、来た時同様にバイクで帰っていったのだった。

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