第16話「朝日に映える嫁の肌」

 布団ふとんを二つ敷いて、その片方にまくらを並べる。

 そんな夜が毎晩続いて、今日も温かな存在感を感じて美星アースは目覚めた。枕元の目覚ましを見れば、まだ五時前だ。

 そして、自分の胸にしがみつくようにして、辰乃タツノが小さな寝息をたてていた。

 広がるみどりの長髪から、たわわな裸体がのぞく。

 密着感が柔らかくて、でも少しおかしくて美星の口元には笑みが浮かんだ。


「絶対逃しません、って感じでもあるんだよなあ」


 辰乃の尻の上あたりから、長い長い尻尾しっぽが生えている。

 それが今、美星の脚に幾重いくえにも巻き付いていた。痛くはないが、適度な締め付けは切実さといじらしさが感じられる。

 青みがかった翡翠ひすいのようなうろこは、窓からの朝焼けに光を波立たせていた。

 そっと、でてみる。

 つやつやとすべやかで、ひんやりと冷たい。

 そして、辰乃の呼吸に合わせてかすかに動いている。

 純粋に綺麗だと思った。

 自分の花嫁は不思議なで、龍神だという。角が生えてて、尻尾も生えてて、隠していても嬉しいと出てしまう。美星と二人きりの時だけ、出しっぱなしだ。


「ん……ふあ? あ、あら? あ、美星さん、おはようございます」

「ああ、おはよう」

「その、えっと……少し、くすぐったいです」

「ああ、悪い」


 辰乃が目を覚ました。

 見下ろす胸の上で、ゆっくりとうるんた瞳を向けてくる。

 彼女の角は差し込む朝日で金色に輝いていた。まるで並び立つ黄金樹のようである。そして、そっと尻尾から放した手で頬に触れる。

 しっとり温かくて、その手に手を重ねてくる辰乃の微笑ほほえみが優しかった。

 未だに同居人同士で夫婦未満な二人だが、美星は妙に満足だった。

 昨夜も夫婦めおとちぎりを交わせなかったが、失敗する度に距離が近付いてる気がした。

 同時に、ふと疑問があって、それは日に日に強くなる。

 自分のことも少し話したし、辰乃のことがもっと聞きたかった。

 だが、その前にふと咳払いを一つ。


「辰乃、あのな」

「はい、美星さん」

つの、な」

「あ、はいっ! け、消しましょうか。あの、当たって痛いとかは」

「それは全然。けどな、辰乃。その……角に、引っかかってる」


 言われて「ほへ?」と辰乃は目を丸くした。

 自分では見上げても見えない角へと、彼女は手を伸ばす。

 無数に枝分かれして広がる角の隅に、それは引っかかっていた。

 ――スケスケでレースがドドーンな、

 それは、昨夜こそはと気負う辰乃の、脱ぐために着てきた下着だ。

 あの千鞠チマリが悪ノリした、恐らく姉に代わっての仕返しだろう。

 あまりにも目の毒なピンク色のぱんつを、辰乃は手にして目の前に広げた。瞬間、まだ夢現ゆめうつつだった彼女の顔が、ボンッ! と真っ赤になる。


「こっ、ここ、これは! はわわ、こんな凄いものを! わたしが!」

「ん、はいてた。んで、脱いだ。俺の前で」

「いっ、言わないでくださいっ! 恥ずかしいです、もうおよめに行けませんっ!」

「そりゃ、どっかに嫁に行かれたら……困るわな。うん、それは、いやだ」

「……そ、そうでした。その、美星さん、これは」


 動揺のあまり辰乃は、赤面を広げたぱんつで隠す。

 そして、スケスケのヒラヒラの奥から、じっと美星を見詰めてきた。


「あの、その、えと、でも、んと……お嫌い、ですか?」

「んー、難しいな。千鞠の仕業しわざだろ? しょうがない奴なんだよ、大学生っていってもガキっぽいというか」

「……そういう風に見てらしたから、気付かないんですね」

「ん? まあ、なんだ……妹に、義妹いもうとになるかも知れなかった奴だよ。かわいがったしなつかれて嬉しかった。このまま家族になるんだなって、あの時は思えた。まだ、我慢できてた」

宝物庫ほうもつこのこと、ですか?」

「うん。……まあ、それより、だ。辰乃、少しはお前の話も聞きたいんだけど」


 ひょいと辰乃の両手から、ぱんつを取り上げる。

 自分でも広げてみて、うわあと美星も流石さすがあきれた。

 この手のものはゲームやアニメといった創作物にじげんにも出て来るが、現実さんじげんで目にすると……微妙に引く。というか、ドン引きである。

 昔の偉い人は言いました。

 月は遠くにあって手が届かないから、美しく綺麗なのだと。

 今、美星はアポロ計画の宇宙飛行士になった気分だ。


「辰乃、お前な」

「は、はいっ!」

「辰乃には、もっと普通の下着でもいいと思う。そっちの方がいいな。こういうのもいいけど、普通でいいんだ。普通に、その、うん……か、かわいいからな」

「美星さん……わたし、嬉しいですっ!」

「ま、待て、ちょっと待て辰乃! 尻尾! 尻尾が締め付けて、なんかギリギリって!」


 ギュッと辰乃が抱き付いてきた。

 同時に、脚にからまる尻尾が圧迫感をましてビュルギュルと締まる。

 ようやく辰乃を落ち着かせて、話を促しながら……彼女の軽過ぎる重みを全身で感じていた。どうして女の子というイキモノは、細くて軽いのに安心感のある重さなんだろう。

 羽毛うもうのように感じることもあれば、黄金や宝石のかたまりよりもありがたいこともある。

 そして、美星は自分の中に根付き始めた少女のことをもっと知りたかった。


「わたしの話、ですか?」

「そ。そもそも、何で俺の嫁に来たんだ? 神様に言われたから、かな。やっぱ」

「あ、いえ! わたし、神様にお願いしたんです。その……笑わないでくださいね、美星さん。わたし……その、行き遅れというか、行かず後家ごけというか」


 おずおずと辰乃は話し始めた。

 ドラゴンとは、この世で神に最も近い生物。そして、決して人間の幻想ファンタジーが生み出した産物ではない。時に摂理せつりの代行者として、時に神罰の執行者として歴史に様々な形で接触してきた。

 言うなれば、神々の御使みつかいであり、助手のような仕事だという。

 そして、辰乃にもかつては多くの同族がいたのだ。

 皆で神々を支えて、地球という星の全てを見守っていたという。


「昔はお友達も沢山いて、でもほら、ちょっと前にあったじゃないですか。世紀末が」

「ああ、えっと、何だっけ?」

。外宇宙の辺境惑星にどうにか封印して、それで地球の平和が守れて……ご存知ですよね」

「いやいや。いやいやいやいや! ご存知じゃないから。しれっと地球救うなよ」

「それで今回も千年紀を無事に超えられたので……神々は世代交代しましょうか、って話になったんです。わたしのつかえていたあの神様は、日本担当の方なんですが」

「……あのじいさん、やっぱ神様だったのか。しましょうか、ってオイオイ。気楽だなあ」


 仕事の合間に、普段はやらぬLINEラインを覗いてみることがある。

 そこはまさしく、神々の黄昏ラグナロクというか、井戸端会議いどばたかいぎだ。ケルトの存在が最近はどうとか、またゼウスが誰それをはらませたとか、非常にぞくっぽい話題が行き交っているのだ。

 あの日、ファミレスで再会した神様に、気付けば勝手にLINEに登録されたのだ。

 先日突然メールが来て、そのことを一方的に告げられた。

 特にこだわることはないが、まさしく末席まっせきに放り込まれている。


「そ、それで、あの、仲間や後輩達はみんな」

とついだの? どっかに」

「そういう子もいました。引退する神様と一緒になったり、龍同士でってのが多くて……で、気付けば世紀末の残務整理をしていたわたしは、一人になっちゃってて」

「なるほど。それで、俺でもいいかって感じに?」

「そ、それは違いますっ!」


 胸の上をよじ登るようにして、グイと辰乃が顔を突き出してきた。

 その目はんだ海のように美しく、無数の光が互いに輝き合っていた。


「わたし、お仕事のことしか考えてなくて。ずっとそうで……人間も、ちょっとこわいなって思ってて」

「怖い、ふむ」

「あの、いい人も沢山いました! 時々、お仕事だから国を焼いたりお姫様を神格化、つまり神様にしたりするんですけど。いい人と同じくらい、怖い人も多くて」


 それから辰乃は切々と語った。

 龍殺しの宝剣やら何やらと、龍を討伐する一族の末裔まつえい。数々の財宝を持ち去る英雄という名の簒奪者さんだつしゃ。そして、神様が救わねばならぬような惨状へと、平気で同族たる人間をおとしめる……それもまた人間だったと。

 大きな戦争も沢山あったし、そのいくつかは辰乃も最古にして最強の龍として戦ったという。


「わたし達の治める時代が終わったので、皆それぞれ自分の暮らしへ旅立っていきました。でも、わたしは……気付いたらお仕事以外、何もなくて」

「財宝集めは?」

「……見せびらかす訳じゃないです、けど……見せる仲間がいないと、つまんないです」

「だな。つまり、辰乃もだった訳だ。ええと、1,500年だっけ」

「わーかーほりっく?」


 つまり、仕事一筋の才女、できるオンナだったのだ。

 どこかほんわかとして頼りないが、美星はシステムエンジニアを十年近くやってるから知っている。修羅場のデスマーチで最後にものをいうのは、健康とメンタリティだ。精神力がたくましい、敏感びんかん鈍感どんかんを使い分けられる人間が強い。

 そういう意味では、辰乃は一途でコツコツ頑張れるし、根気も熱意もある。

 あっという間に現代の家電製品に順応したことは、美星でも驚くくらいだ。


「で……俺の嫁に来た、と」

「神様にお願いしたんです。あの……人間の方に嫁ぎたいので、良縁りょうえんをと」

「人間、怖いだろ? 俺だってたまに怖くなるぞー? はは」

「怖いのは、知らないから。まだ、わからないことがあるから、です……だから、知りたかった、けど……今は、美星さんのことを、美星さんのことだけを……もっと、知りたいです」


 辰乃はいつも真っ直ぐな目で、美星を見上げてくれる。

 小さな花嫁は、いつも美星だけを見てくれてる気がした。

 自然と違いの呼気が近付く中で、くちびる同士が触れそうになる。辰乃の桜色の唇が、静かにつぶったひとみ睫毛まつげが、彼女の全てが美星のくちづけを待っててくれる。

 だが、不意に目覚まし時計が鳴り出した。

 時刻は五時半……辰乃はパチリと目を開くと、ジリリと鳴る目覚ましへ手を伸ばす。


朝餉あさげの支度の時間です……美星さん、ごめんなさいっ!」

「あ、いや、まあ……今日も一日頑張ろう? 的な? 今日も頼むな、辰乃」

「はいっ! 家のことはお任せくださいっ! ……でも、ちょっとだけ」


 もそもそと起き上がる辰乃は、自分もと身を起こした美星を抱き寄せた。

 その豊満な胸に、突然美星は顔を抱き締められた。

 突然のことで、甘やかな匂いの中での、一瞬の包容。

 まるで美星で何かをチャージしたかのように、素っ裸で冷たい朝に辰乃は立ち上がった。いそいそと着替えて、彼女はいつものエプロンを身につける。


「では、美星さんはもう少し休んでてくださいねっ!」

「あ、ああ……」


 角と尻尾の生えた嫁は、元気にパタパタ台所へと行ってしまった。エアコンをつけつつ、気付けば美星は顔が熱くて……同じくらい熱してきた股間を見下ろす。

 朝食の時間まで布団から出られない、布団以外では隠せない程度には、美星も健全な成人男子なのだった。

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